映画評「ダイバージェントFINAL」
☆☆★(5点/10点満点中)
2016年アメリカ映画 監督ロバート・シュヴェンケ
ネタバレあり
シリーズ第3作。邦題を見るとシリーズ最後の一編であるが、本当かや? それはともかく、「ハンガー・ゲーム」「メイズ・ランナー」という類似シリーズがあるので、もう何十本も観ているような気がするし、多分10年後もうぼれた僕にはごちゃごちゃになっているだろう。
世界そのものになった未来のシカゴ。五つあった派閥は解体されるが、今度は、片やナオミ・ワッツが恐怖政治的な“無派閥”のリーダー、片やオクタヴィア・スペンサーが“忠誠者”のリーダーとなり、またまた対立関係が生まれる。
そんな中ヒロインのシェイリーン・ウッドリーは外部に希望を覚え、ナオミの息子テオ・ジェームズらとシカゴを去ろうとすると、“無派閥”の連中が攻撃を仕掛けて来る。彼らの様子をずっとチェックしていた“遺伝子繁栄推進局”が彼らを救出、代表者ジェフ・ダニエルズからシェイリーンのような“純粋者”の遺伝子を伝え行く差別的な計画を聞かされ、シェイリーンは賛同するが、周辺地区に住む子供たちがガスを浴びて記憶を失うのを見たジェームズは疑惑を覚え、シカゴに戻っていく。
やがてダニエルズの野望に気付いたシェイリーンも追ってくる敵の手を退けてシカゴに戻り、“推進局”のガス攻撃を回避すべく大奮闘する。
逃亡劇が主軸となる前半はこの手のYA向けSFのお決まりの連続で気勢が上がらず退屈させられるが、“推進局”がしゃしゃり出て来る中盤以降は本格SFのムードも少し出て来て、大分良くなる。
原作者は、かなり厭世的なのか、“無派閥”と”忠誠者”の対立とは別に、シカゴVS推進局という構図も出して来て、人間は対立する生き物であるという人間風刺劇の様相を呈してくるのも人によっては面白く観られるだろう。しかし、型通りに過ぎます。
昨日の「ヒッチコック/トリュフォー」でデーヴィッド・フィンチャーが“昨今の映画は視覚的なクライマックスの連続で、映画としてなっていない”と言っていたが、それに通ずるのが、背景音楽がのべつ幕なく奏でられていること。ジャンル映画においては背景音楽は“急”の時に使われることが多い。つまり、本作は常に“急”即ち“クライマックス”で、映画的なタメを欠いていると言って良いのではないか? “急”ばかりなら面白くなるというほど映画は単純ではなく、少なくともオールド・ファンはこういう一本調子の映画を楽しまないのである。
この手の作品では、突然現れた“救出者”は“敵”というのが相場となっておる。
2016年アメリカ映画 監督ロバート・シュヴェンケ
ネタバレあり
シリーズ第3作。邦題を見るとシリーズ最後の一編であるが、本当かや? それはともかく、「ハンガー・ゲーム」「メイズ・ランナー」という類似シリーズがあるので、もう何十本も観ているような気がするし、多分10年後もうぼれた僕にはごちゃごちゃになっているだろう。
世界そのものになった未来のシカゴ。五つあった派閥は解体されるが、今度は、片やナオミ・ワッツが恐怖政治的な“無派閥”のリーダー、片やオクタヴィア・スペンサーが“忠誠者”のリーダーとなり、またまた対立関係が生まれる。
そんな中ヒロインのシェイリーン・ウッドリーは外部に希望を覚え、ナオミの息子テオ・ジェームズらとシカゴを去ろうとすると、“無派閥”の連中が攻撃を仕掛けて来る。彼らの様子をずっとチェックしていた“遺伝子繁栄推進局”が彼らを救出、代表者ジェフ・ダニエルズからシェイリーンのような“純粋者”の遺伝子を伝え行く差別的な計画を聞かされ、シェイリーンは賛同するが、周辺地区に住む子供たちがガスを浴びて記憶を失うのを見たジェームズは疑惑を覚え、シカゴに戻っていく。
やがてダニエルズの野望に気付いたシェイリーンも追ってくる敵の手を退けてシカゴに戻り、“推進局”のガス攻撃を回避すべく大奮闘する。
逃亡劇が主軸となる前半はこの手のYA向けSFのお決まりの連続で気勢が上がらず退屈させられるが、“推進局”がしゃしゃり出て来る中盤以降は本格SFのムードも少し出て来て、大分良くなる。
原作者は、かなり厭世的なのか、“無派閥”と”忠誠者”の対立とは別に、シカゴVS推進局という構図も出して来て、人間は対立する生き物であるという人間風刺劇の様相を呈してくるのも人によっては面白く観られるだろう。しかし、型通りに過ぎます。
昨日の「ヒッチコック/トリュフォー」でデーヴィッド・フィンチャーが“昨今の映画は視覚的なクライマックスの連続で、映画としてなっていない”と言っていたが、それに通ずるのが、背景音楽がのべつ幕なく奏でられていること。ジャンル映画においては背景音楽は“急”の時に使われることが多い。つまり、本作は常に“急”即ち“クライマックス”で、映画的なタメを欠いていると言って良いのではないか? “急”ばかりなら面白くなるというほど映画は単純ではなく、少なくともオールド・ファンはこういう一本調子の映画を楽しまないのである。
この手の作品では、突然現れた“救出者”は“敵”というのが相場となっておる。
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