映画評「灼熱」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年クロアチア=セルビア=スロヴェニア合作映画 監督ダリボル・マタニッチ
ネタバレあり

旧ユーゴ諸国の合作作品で、カンヌ映画祭“ある視点”部門で審査員賞を受賞したのが頷ける内容である。

1991年、2001年、2011年の旧ユーゴのどこかで、夫々異なる設定のセルビア人の女性とクロアチア人の男性の組合せ三組が織り成す人生模様をオムニバス形式で綴るのだが、それを全て同じ男女優に演じさせたのが(映画ならではの)妙。
 加えて、彼らの家族形態も全て同じと思われるが、例えば第一話では女性の家で死んでいるのが母親であったのが第二話では父親になっていたり、微妙に実際の構成が違うところにお話の陰陽関係が生まれ相当面白い。
 第一話と第二話の間には内戦が絡んでいる。第一話では、セルビア人の彼女(ティハナ・ラゾヴィッチ)は兄の強引な行動により愛するクロアチア人の恋人(ゴラン・マルコヴィッチ)を失う羽目になる。映画ではその後が描かれないが、きっと兄を恨んだことだろう。ところが、終戦後の第二話では、兄を戦死で失ったセルビア人の彼女が家を修理に来たクロアチア人の大工をただクロアチア人というだけで恨む。まるで第一話とは逆の、正にドッペルゲンガーによるネガとポジの関係のようなお話となっているのである。

第三話ともなると直接的に戦争の影はない。それでも民族間の憎悪の影は尾を引いていて、若い男女の離別に絡んでいる。
 特に旧ユーゴのような複雑な民族関係のある場所では個人の意識を超えたややこしく、今更言うにも及ばないがやるせないものが出て来る。この別居夫婦は、戦争がなかった場合の第一話の恋人同士のその後にも見える、What if(たられば)の要素が現われたものと考えられるわけで、民族間憎悪が民族の違う恋人同士に落とす影に胸が苦しくなる。同じ役者が演じることによる効果であることは間違いなく、なかなか優れたアイデアと感心する次第である。

民族間憎悪と言えば、北朝鮮がまともになれば日本における朝鮮・韓国籍の人々への差別も多少減じると思うが、しかし、トランプは出鱈目だ。トランプが米朝会談で語ったらしいことを中途半端に実行すれば、最終的に日本の危険性は増す。中国、ロシアに加えて北朝鮮の3番目の後ろ盾ができるからである。数年は様子を見ないといけないだろう。

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