映画評「静かなる叫び」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2009年カナダ映画 監督ドニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
ドニ・ヴィルヌーヴが「灼熱の魂」の前に発表した実話もの。ぐっとインディっぽいモノクロの作りで、尺も77分と短い。
1989年12月。モントリオール理工科大学にフェミニズムにより人生を台無しにされたと考えた若者マクシム・ゴーデットが押し入り、ある教室にいた学生たちを男女別に分け、女性だけを狙撃した後、移動して女性を次々狙撃し、計14名射殺した後自殺する。
それだけならガス・ヴァン・サントの「エレファント」(2003年)と大して変わらないが、こちらは生き残ったものの精神的な後遺症を受けた二人の被害者側男女の描写を挿入、その為に同じ挿話が別の視点から描かれるところが出て来る。それも気取りを感じさせないところに才覚を感じさせ、それと同時にアート性の構築にも成功している。その細工が次の二人の被害者の心理を描く為に必要であるという必然性を感じさせるに十分説得力がある。
男子学生セバスチャン・ユベルドーは友人の女子学生カリーネ・ヴァナッスがいる教室を犯人に命じられるままに出たことに罪悪感を感じ、自動車で一酸化炭素自殺を遂げる。そのカリーネは親友を失ったものの自らは助かり、内定を貰っていた工学関係のインターンとなる。しかし、「子供を産むと言ったら企業は女性を採用しない」社会の中で子供を産む決心をする。子供が男なら愛を教える、女なら世界に羽ばたくよう教えようと思う。
僕も、必要な区別を無視しようとする一部の極端なフェミニズムは嫌いである。わが群馬県のある都市(正確に憶えていないのでぼかす)において“公共トイレの女性を示す表示が赤でスカートなのはけしからん”という意見があったらしい。これなど愚の骨頂である。別に女性はスカートを履けと強要するわけではない。赤を好めと言っているわけでもない。長い習慣から区別しやすいということに過ぎない。解りにくくて男性が女性側に入っていくより余程良いだろう。色弱の人にははっきり区別できないマークがなければ利用できない。一部の学校で男女に一様に“さん”付けするのも気に入らないが、まあトイレの件よりはマシである。名簿で男女が別になっているのもいけないという人もいるらしいが、最近は男女の区別のしにくい“翼”などという名前もあり、区別しないと肝心な時に問題が起きないとも限らない。
閑話休題。
ヒロインは犯人に一定の理解を示しながら(?)も男なら愛を教え、女なら世界に羽ばたけと言う、と加害者に抵抗するような考えを示す。この言葉は後味の悪い作品内容に光を与えるもので、僕はなかなか感動した。
作り方は比較的正攻法。しかし、リワインド式の構成以外にも、関係者の緊張、不安、不調を表現する為に、上下逆さまだったりするアングルを採用しているところがあり、面白い。
演歌が日本の伝統と言っている自民党議員は、男女差別主義者と言われても仕方がない。女性は只管男性に従属するという考えが好きなだけであって、“伝統”云々はおためごかし。そもそも演歌は“演説歌”の省略ではないか。いい加減なことを言わないで欲しい。
2009年カナダ映画 監督ドニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
ドニ・ヴィルヌーヴが「灼熱の魂」の前に発表した実話もの。ぐっとインディっぽいモノクロの作りで、尺も77分と短い。
1989年12月。モントリオール理工科大学にフェミニズムにより人生を台無しにされたと考えた若者マクシム・ゴーデットが押し入り、ある教室にいた学生たちを男女別に分け、女性だけを狙撃した後、移動して女性を次々狙撃し、計14名射殺した後自殺する。
それだけならガス・ヴァン・サントの「エレファント」(2003年)と大して変わらないが、こちらは生き残ったものの精神的な後遺症を受けた二人の被害者側男女の描写を挿入、その為に同じ挿話が別の視点から描かれるところが出て来る。それも気取りを感じさせないところに才覚を感じさせ、それと同時にアート性の構築にも成功している。その細工が次の二人の被害者の心理を描く為に必要であるという必然性を感じさせるに十分説得力がある。
男子学生セバスチャン・ユベルドーは友人の女子学生カリーネ・ヴァナッスがいる教室を犯人に命じられるままに出たことに罪悪感を感じ、自動車で一酸化炭素自殺を遂げる。そのカリーネは親友を失ったものの自らは助かり、内定を貰っていた工学関係のインターンとなる。しかし、「子供を産むと言ったら企業は女性を採用しない」社会の中で子供を産む決心をする。子供が男なら愛を教える、女なら世界に羽ばたくよう教えようと思う。
僕も、必要な区別を無視しようとする一部の極端なフェミニズムは嫌いである。わが群馬県のある都市(正確に憶えていないのでぼかす)において“公共トイレの女性を示す表示が赤でスカートなのはけしからん”という意見があったらしい。これなど愚の骨頂である。別に女性はスカートを履けと強要するわけではない。赤を好めと言っているわけでもない。長い習慣から区別しやすいということに過ぎない。解りにくくて男性が女性側に入っていくより余程良いだろう。色弱の人にははっきり区別できないマークがなければ利用できない。一部の学校で男女に一様に“さん”付けするのも気に入らないが、まあトイレの件よりはマシである。名簿で男女が別になっているのもいけないという人もいるらしいが、最近は男女の区別のしにくい“翼”などという名前もあり、区別しないと肝心な時に問題が起きないとも限らない。
閑話休題。
ヒロインは犯人に一定の理解を示しながら(?)も男なら愛を教え、女なら世界に羽ばたけと言う、と加害者に抵抗するような考えを示す。この言葉は後味の悪い作品内容に光を与えるもので、僕はなかなか感動した。
作り方は比較的正攻法。しかし、リワインド式の構成以外にも、関係者の緊張、不安、不調を表現する為に、上下逆さまだったりするアングルを採用しているところがあり、面白い。
演歌が日本の伝統と言っている自民党議員は、男女差別主義者と言われても仕方がない。女性は只管男性に従属するという考えが好きなだけであって、“伝統”云々はおためごかし。そもそも演歌は“演説歌”の省略ではないか。いい加減なことを言わないで欲しい。
この記事へのコメント
「灼熱の魂」「渦」、本作、観ましたが
当監督のは巧みなんですが個人的に息苦しく
なったりしますが、才能ありますよね。
「人間として女は、男より1ランク下なんだからな」
先日、住民との雑談中、70代男性が朗々と語って・・
政治家でああですもの、庶民の意識なんて全く
変わっていない。平等なんて、絵に描いた餅だと
私は常々思ってます、極端ですかね。(^^);
>息苦しくなったり
そうですねえ。
しかし、僕にとってはトルナトーレ以来のご贔屓で、娯楽性を増したアメリカでの作品もやはり上手い。よく解らなかった「複製された男」以外は全て買いです^^/
>1ランク下
平均的な体力ではそうですが、僕はオリンピック陸上女子100mに出場するどの女子にも適わない。体力以外は全くそんなことはないでしょう。
>平等なんて
ゆっくりやるしかないですね。
余り急にやると保守の反発を食らって却って時間がかかると思います。