映画評「ブレードランナー2049」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2017年アメリカ=イギリス=ハンガリー=カナダ合作映画 監督ドニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
映画ファンの間で人気のある「ブレードランナー」から凡そ35年ぶりに作られた続編。通常こうした場合は設定自体も35年後になることが多いが、本作では少し事情が違って前作の2019年から30年後の2049年になっている。相当哲学的な内容であるが、そもそも前作も哲学的であったので、極端に方向が変わった感じはしない。まして監督が哲学的な内容がお得意の才人ドニ・ヴィルヌーヴで、無理なくこなして充実の出来栄えである。
環境破壊が進んだ2049年のロサンゼルス、人間もどきレプリカントのK(ライアン・ゴスリング)は旧型レプリカントを抹殺するのを仕事とするブレードランナーとして一体のレプリカントを抹殺、その際に女性の死体を発見する。検視の結果その女性はレプリカントで出産したことが判明、社会的不安を慮った当局はKにその子供の抹殺を指示するが、Kの接触を受けたレプリカント製造会社は逆にその子供を望んで動き出す。
かくして、互いに別の目的をもって一人の人物を追う二組の行動を描くことになり、その核心にいるのが前作でレプリカント美人レイチェル(ショーン・ヤング)と恋に落ちたブレードランナーのデッカード(ハリスン・フォード)という次第。彼は中盤を過ぎて漸く出て来る。最後は彼の争奪戦のようなことになるが、前作に引き続きハードボイルド・ミステリー風SFとしてのお楽しみがいっぱい。この作品で女性が色々絡んでくるのは、そもそもハードボイルド小説を踏襲した作りである。
レプリカントはアンドロイドの一種であるが、レプリカ(複製)からの造語であることから、ロボットではなく人間の複製にような人工有機的生物ということになるのだろう。とは言え人間が作ったものが妊娠するのは、キリスト教徒としては認めがたいことだから当局は抹殺を図るわけである。
一方、その任務を負ってターゲットに接近するうちにKは子供時代の記憶がある自分がそのターゲットその者なのではないかと思い始め、レプリカントに植え付ける記憶を作ることを業務としているアナ(カーラ・ジュリ)に接触、記憶は(作られたものではなく)本物であると告げられる。
という次第で、後半は「A・I」と同じく童話「ピノキオ」を土台にしたような、Kの人間化願望と自分探しの物語になっていく。
「A・I」はピノキオと共に「汚れなき悪戯」の少年を併せたような設定で、そこから人間という存在を哲学的に分析しようとした傑作だったが、そこに気付いた人が少ない為に過小評価された。哲学SFという意味では本作よりしっかり作られていたと言って良いくらいである。しかるに、あの作品にも弱点があった。人間という存在に関して一定の観念を持っていない人には人間がどういうものか理解できないのだ。一種の循環論的な陥穽があったのだ。
本作に戻る。全体としては主人公Kの低回する心情に合わせるようにゆっくり見せるのが映画的に実に適っている。誠に卓抜した画面としか言いようがない。
興行成績は今一つだったようだが、2018年7月現在IMDbの歴代映画ベスト250にランクしている。それに値する秀作と言うべし。
わずか3日前にディズニー映画「ピノキオ」を観たのは全く偶然。不思議な感じがするね。
2017年アメリカ=イギリス=ハンガリー=カナダ合作映画 監督ドニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
映画ファンの間で人気のある「ブレードランナー」から凡そ35年ぶりに作られた続編。通常こうした場合は設定自体も35年後になることが多いが、本作では少し事情が違って前作の2019年から30年後の2049年になっている。相当哲学的な内容であるが、そもそも前作も哲学的であったので、極端に方向が変わった感じはしない。まして監督が哲学的な内容がお得意の才人ドニ・ヴィルヌーヴで、無理なくこなして充実の出来栄えである。
環境破壊が進んだ2049年のロサンゼルス、人間もどきレプリカントのK(ライアン・ゴスリング)は旧型レプリカントを抹殺するのを仕事とするブレードランナーとして一体のレプリカントを抹殺、その際に女性の死体を発見する。検視の結果その女性はレプリカントで出産したことが判明、社会的不安を慮った当局はKにその子供の抹殺を指示するが、Kの接触を受けたレプリカント製造会社は逆にその子供を望んで動き出す。
かくして、互いに別の目的をもって一人の人物を追う二組の行動を描くことになり、その核心にいるのが前作でレプリカント美人レイチェル(ショーン・ヤング)と恋に落ちたブレードランナーのデッカード(ハリスン・フォード)という次第。彼は中盤を過ぎて漸く出て来る。最後は彼の争奪戦のようなことになるが、前作に引き続きハードボイルド・ミステリー風SFとしてのお楽しみがいっぱい。この作品で女性が色々絡んでくるのは、そもそもハードボイルド小説を踏襲した作りである。
レプリカントはアンドロイドの一種であるが、レプリカ(複製)からの造語であることから、ロボットではなく人間の複製にような人工有機的生物ということになるのだろう。とは言え人間が作ったものが妊娠するのは、キリスト教徒としては認めがたいことだから当局は抹殺を図るわけである。
一方、その任務を負ってターゲットに接近するうちにKは子供時代の記憶がある自分がそのターゲットその者なのではないかと思い始め、レプリカントに植え付ける記憶を作ることを業務としているアナ(カーラ・ジュリ)に接触、記憶は(作られたものではなく)本物であると告げられる。
という次第で、後半は「A・I」と同じく童話「ピノキオ」を土台にしたような、Kの人間化願望と自分探しの物語になっていく。
「A・I」はピノキオと共に「汚れなき悪戯」の少年を併せたような設定で、そこから人間という存在を哲学的に分析しようとした傑作だったが、そこに気付いた人が少ない為に過小評価された。哲学SFという意味では本作よりしっかり作られていたと言って良いくらいである。しかるに、あの作品にも弱点があった。人間という存在に関して一定の観念を持っていない人には人間がどういうものか理解できないのだ。一種の循環論的な陥穽があったのだ。
本作に戻る。全体としては主人公Kの低回する心情に合わせるようにゆっくり見せるのが映画的に実に適っている。誠に卓抜した画面としか言いようがない。
興行成績は今一つだったようだが、2018年7月現在IMDbの歴代映画ベスト250にランクしている。それに値する秀作と言うべし。
わずか3日前にディズニー映画「ピノキオ」を観たのは全く偶然。不思議な感じがするね。
この記事へのコメント
たっぷり堪能させていただきました。
>一定の観念を持っていない人には・・
持ってませんよ〜私。(^^)
長く生きてますと、神さんは
とんでもないもん創ったわなぁ〜とさえ
思ったりもしてますし、人間は思いも
つかないほど崇高な存在でもあるけれど
まっことロクなもんじゃね〜とか
そんな振り子状態で生きてきたような。
本作、映像美に酔いながら、否が応でも
人間存在を凝視せざるを得ずいい意味で
襟を正して鑑賞させてもらった哲学SF
エンタテイメント作品だったかと。
どっと話変わって、
明日、ホームプロジェクターが
我が家に来ます。3500ルーメン、
短焦点、スピーカー2個つきですと。
腰痛で映画館の椅子が辛くなりましたです。
新しい映画ライフに期待しております。
>一定の観念
少し言葉の選定を間違えた感もありますが・・・
要は、「A・I」において人間は素晴らしい存在と思っていたらダメな作品でした。
愚かで弱い、そう思って観ないとあの作品の逆説的人間論は見えてこなかったですよね。
特に、人間は忘れることで悲しみや苦しさから逃れる、少なくとも一時的には逃れられている時がある。そんなところに逃げ込まなければならない哀れな人間に、忘れることのないAIは何故憧れるのだ、という皮肉な内容でした。
ところが、人間は忘却することによって苦痛から逃れるという観念を全く持っていない人にとって、あの作品は犬に論語だったと思うわけです。それがあの作品の弱点でした。しかし、それでも着眼点が素晴らしく、ちょっと出来ない作品だなあと今でも思っていますよ。
本作はもっと根源的なところから出発しているので、人間存在に興味を持っている人ならそういう作品であることはすぐに解る内容になっていますね。アメコミのようなアクションを期待する人には面白くないので、当たらなかったのでしょうが。
>ホームプロジェクター
それは羨ましい。
3500ルーメンというのは相当なものですね。
昔、まだ地上波がアナログだった時代にプロジェクターを買った我が家。JBLのサラウンド・スピーカーもありますが、今は使っていません。
現在の資産が十年後にもまだ残っているようなら、最後の贅沢としてホーム・シアターを刷新してみたいものですが。施設送りになるかもしれないので、まだお金は貯めておかないと(泣)。