映画評「ドリーム」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2016年アメリカ映画 監督セオドア・メルフィ
ネタバレあり
僕は、フェミニズムやポリティカル・コレクトネスを露骨に見せる童話の映画化やファンタジーは嫌いだが、フェミニストが喜びそうな女性が現実的に活躍する作品は(必ずしも)嫌いではない。女性を活躍させないのはその国家や民族や地域にとって損失であると思っているからである。
それを表現する為でも修正主義と見なしたくなる歴史改竄はいけない。同時に、この映画における史実と違う項目については、劇的効果を導き出すための記号として考えることのできる範囲であると思う。
1961年、アメリカ南部のNASAの研究所で働いている三人の黒人女性が、アメリカでも特に黒人差別撤廃の遅れていたヴァージニア州であるが故に、様々な難儀に直面するが、彼女たちの優秀性と信念とが自ずから、僅かずつとは言え道を開いていく。
これでは何のことか解りませんな。少し詳しく説明しましょう。
ドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は計算室をまとめていたが、黒人故に昇進が叶わず、しかもコンピューターの導入で黒人女性全員が解雇されるピンチに立たされる。しかし、彼女はコンピューターも人の手によるという側面をついてその第一人者として本当の室長に昇進する。
数学の天才キャサリン(タラジ・P・ヘンスン)は計算係に甘んじるが、のり弁当状態の資料から正しい計算を導き出し、トップのアリ・ハリスン(ケヴィン・コストナー)に瞠目される。やがて彼は彼女が反対側の棟にしかない黒人専門のトイレに入るため日に数回片道400m(800mだったか?)の道を駆けていた不合理・不条理を知り、所内からトイレの隔離を撤廃する。
これが事実と違うとされる一つであるが、大した問題ではない。特に彼女を嫌っていたエンジニア長が彼女を呼ぶために反対側の棟まで駆けつけるシーンに巧く活用されている。飛行家のジョン・グレンが「彼女のお墨付きがあれば飛ぶ」と言ったからだが、実際のグレンは数日前に要請していたらしい。しかし、これもキャサリンが走らされたことの馬鹿らしさを皮肉っぽく強調する為に白人男性を走らせるのを見せる映画的な工夫である。劇的効果の為にかかる改変はあって良い。
さて、もう一人のメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニア志願だが、白人専門の高校を卒業していなければならない。しかし、彼女は裁判官を「前例になれるチャンス」とおだてて上手く学校へ通う許可を取る。
この時代の黒人女性は大変だ。黒人差別だけでなく、性差別と闘わないといけないのだから。それを乗り越えていった彼女たちは、史実通りでないとしても、その存在自体がやはり感動的である。
脚本は上述した部分を筆頭に上手く構成されて完成度が高く、セオドア・メルフィという監督もスムーズに展開させている。演技人も充実。ただ、個人的には、優等生的すぎ、却って物足りないものを覚えないでもない。
女性が男性より優秀ということにはならないが、日本における大学の合格率は女性の方が高い。それを考えても女性を不利に扱うのは国の損失である。現在話題になっている医大採点問題は、実際の社会を考えると世間で言う程単純ではないにしても、余りにも出鱈目だ。
2016年アメリカ映画 監督セオドア・メルフィ
ネタバレあり
僕は、フェミニズムやポリティカル・コレクトネスを露骨に見せる童話の映画化やファンタジーは嫌いだが、フェミニストが喜びそうな女性が現実的に活躍する作品は(必ずしも)嫌いではない。女性を活躍させないのはその国家や民族や地域にとって損失であると思っているからである。
それを表現する為でも修正主義と見なしたくなる歴史改竄はいけない。同時に、この映画における史実と違う項目については、劇的効果を導き出すための記号として考えることのできる範囲であると思う。
1961年、アメリカ南部のNASAの研究所で働いている三人の黒人女性が、アメリカでも特に黒人差別撤廃の遅れていたヴァージニア州であるが故に、様々な難儀に直面するが、彼女たちの優秀性と信念とが自ずから、僅かずつとは言え道を開いていく。
これでは何のことか解りませんな。少し詳しく説明しましょう。
ドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は計算室をまとめていたが、黒人故に昇進が叶わず、しかもコンピューターの導入で黒人女性全員が解雇されるピンチに立たされる。しかし、彼女はコンピューターも人の手によるという側面をついてその第一人者として本当の室長に昇進する。
数学の天才キャサリン(タラジ・P・ヘンスン)は計算係に甘んじるが、のり弁当状態の資料から正しい計算を導き出し、トップのアリ・ハリスン(ケヴィン・コストナー)に瞠目される。やがて彼は彼女が反対側の棟にしかない黒人専門のトイレに入るため日に数回片道400m(800mだったか?)の道を駆けていた不合理・不条理を知り、所内からトイレの隔離を撤廃する。
これが事実と違うとされる一つであるが、大した問題ではない。特に彼女を嫌っていたエンジニア長が彼女を呼ぶために反対側の棟まで駆けつけるシーンに巧く活用されている。飛行家のジョン・グレンが「彼女のお墨付きがあれば飛ぶ」と言ったからだが、実際のグレンは数日前に要請していたらしい。しかし、これもキャサリンが走らされたことの馬鹿らしさを皮肉っぽく強調する為に白人男性を走らせるのを見せる映画的な工夫である。劇的効果の為にかかる改変はあって良い。
さて、もう一人のメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニア志願だが、白人専門の高校を卒業していなければならない。しかし、彼女は裁判官を「前例になれるチャンス」とおだてて上手く学校へ通う許可を取る。
この時代の黒人女性は大変だ。黒人差別だけでなく、性差別と闘わないといけないのだから。それを乗り越えていった彼女たちは、史実通りでないとしても、その存在自体がやはり感動的である。
脚本は上述した部分を筆頭に上手く構成されて完成度が高く、セオドア・メルフィという監督もスムーズに展開させている。演技人も充実。ただ、個人的には、優等生的すぎ、却って物足りないものを覚えないでもない。
女性が男性より優秀ということにはならないが、日本における大学の合格率は女性の方が高い。それを考えても女性を不利に扱うのは国の損失である。現在話題になっている医大採点問題は、実際の社会を考えると世間で言う程単純ではないにしても、余りにも出鱈目だ。
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