映画評「ブランカとギター弾き」
☆☆★(5点/10点満点中)
2015年イタリア映画 監督・長谷井宏紀
ネタバレあり
今の若い人は、日本が昔から今のようだったと思っている人が多い。が、現在の日本や日本人の性格が出来上がったのは東京オリンピックによって、そしてそれ以降であったと思った方が良い。オリンピック前の日本はまだゴミだらけであったし、人間も今ほど上品ではなかった。それを知らずに他のアジアの人々を悪く言う人が多すぎる。それらは民族固有の性格ではなく、殆どが政治体制や民族の成熟度の違いにすぎない。
1948年に発表された「蜂の巣の子供たち」(清水宏監督)は、戦後日本のストリート・チルドレン(浮浪児)を描いている。日本にもブラジルやこの作品に出て来るようなストリート・チルドレンがいたのである。非常に優れた作品なので、特に若い方には一見をお薦めしたい。
ところで、本作は、イタリア資本で、日本人の監督・長谷井宏紀が、フィリピンを舞台に作り上げたグローバルな小品ドラマ。映画のグローバル化には概して反対であるが、こういう形なら大いに結構である。
酔っ払いのシングル・マザーに捨てられて年下の少年たちよりしたたかに生きている9歳くらいの少女ブランカ(サイデル・ガブテロ)が、街角で演奏している盲目の老ギタリストのピーター(ピーター・ミラリ)と懇意になり、警官が暗示したのに従い別の町へ行こうとするが、騙されて中途半端なところに置き去りにされる。街のテレビに女優が養子を迎えたニュースが映し出されると、ブランカは「母親を3万ペソで買う」というビラを貼り始める。
“母親を買う”為にさらにお金を稼ぐ必要が出て、ピーターの演奏で歌う。これに目をとめた酒場の亭主が雇うが、それに嫉妬した従業員が罠をはめて二人を追い出し、二人はばらばらになる。
今度は町の女スカウトがブランカをピーターの許へ連れて行くとだまして風俗店へ連れていく。逃げ出したブランカをストリート・チルドレンの少年が女に協力する形で捕まえるが、彼女を慕う年下の少年に救われてピーターと再会する。
映画の終わりの段階ではめでたしであるから一応ハッピー・エンドと言って良いわけだが、フィリピンの現実を考えれば、ストリート・チルドレンの彼女の人生はどうなるか解らない。しかし、この映画が作品の枠の中で捉えたかったと思われるのは、少女と老ギタリストのヒューマンな関係であるから、思わず笑みが洩れるこの作り方で良いだろう。
映画として素朴で特に目立つところがないので採点は標準程度に留めるが、映画の好ましさだけで評価すれば☆一つくらい余分に進呈できる出来映え。
かつてのネオ・レアリスモと通底する作品。ピーターを演ずるピーター・ミラリという本物の流しはこの作品の撮影の後に亡くなった、と映画の中で告げられている。
2015年イタリア映画 監督・長谷井宏紀
ネタバレあり
今の若い人は、日本が昔から今のようだったと思っている人が多い。が、現在の日本や日本人の性格が出来上がったのは東京オリンピックによって、そしてそれ以降であったと思った方が良い。オリンピック前の日本はまだゴミだらけであったし、人間も今ほど上品ではなかった。それを知らずに他のアジアの人々を悪く言う人が多すぎる。それらは民族固有の性格ではなく、殆どが政治体制や民族の成熟度の違いにすぎない。
1948年に発表された「蜂の巣の子供たち」(清水宏監督)は、戦後日本のストリート・チルドレン(浮浪児)を描いている。日本にもブラジルやこの作品に出て来るようなストリート・チルドレンがいたのである。非常に優れた作品なので、特に若い方には一見をお薦めしたい。
ところで、本作は、イタリア資本で、日本人の監督・長谷井宏紀が、フィリピンを舞台に作り上げたグローバルな小品ドラマ。映画のグローバル化には概して反対であるが、こういう形なら大いに結構である。
酔っ払いのシングル・マザーに捨てられて年下の少年たちよりしたたかに生きている9歳くらいの少女ブランカ(サイデル・ガブテロ)が、街角で演奏している盲目の老ギタリストのピーター(ピーター・ミラリ)と懇意になり、警官が暗示したのに従い別の町へ行こうとするが、騙されて中途半端なところに置き去りにされる。街のテレビに女優が養子を迎えたニュースが映し出されると、ブランカは「母親を3万ペソで買う」というビラを貼り始める。
“母親を買う”為にさらにお金を稼ぐ必要が出て、ピーターの演奏で歌う。これに目をとめた酒場の亭主が雇うが、それに嫉妬した従業員が罠をはめて二人を追い出し、二人はばらばらになる。
今度は町の女スカウトがブランカをピーターの許へ連れて行くとだまして風俗店へ連れていく。逃げ出したブランカをストリート・チルドレンの少年が女に協力する形で捕まえるが、彼女を慕う年下の少年に救われてピーターと再会する。
映画の終わりの段階ではめでたしであるから一応ハッピー・エンドと言って良いわけだが、フィリピンの現実を考えれば、ストリート・チルドレンの彼女の人生はどうなるか解らない。しかし、この映画が作品の枠の中で捉えたかったと思われるのは、少女と老ギタリストのヒューマンな関係であるから、思わず笑みが洩れるこの作り方で良いだろう。
映画として素朴で特に目立つところがないので採点は標準程度に留めるが、映画の好ましさだけで評価すれば☆一つくらい余分に進呈できる出来映え。
かつてのネオ・レアリスモと通底する作品。ピーターを演ずるピーター・ミラリという本物の流しはこの作品の撮影の後に亡くなった、と映画の中で告げられている。
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