映画評「東京暮色」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1957年日本映画 監督・小津安二郎
ネタバレあり
この小津安二郎作品は、前作「早春」(1956年)に続いてまたまた異色作である。とりあえず梗概から始めよう。
銀行のお偉方・笠智衆が帰宅すると、長女・原節子が一人娘を連れて来宅している。大学で講師をしている夫に愛想をつかして出て来、暫く帰らないらしい。夜出歩くことが多くなった次女・有馬稲子も珍しく在宅している。
次女は同学の田浦正巳の子供を宿し、安くない中絶費用の捻出に奔走している。彼女が浮かぬ顔をしているのはそのせいだが、ある時雀荘の女将・山田五十鈴から親しげに声を掛けられ、妙に自分たち家族に詳しいことを不審に思う。戦前父を捨てて出て行った実母ではないかと疑って姉に問うが、そんなはずはないと答えられる。その答えとは裏腹に長女は首実検に向い、間違いないことを確認する。
次女は何とか中絶手術を終えるが、姉の行動を知って事実関係を察知、中絶をした罪悪感が元で電車にはねられて帰らぬ人となる。姉はそれを母親が現われたせいと思い糾弾、母親は居る場所がないと感じ、北海道に新天地を見出した現在の夫・中村伸郎と共に青森へ向かう汽車の人となる。
小津には全く珍しい純悲劇である。徹底して暗いトーンの内容をロー・キーの画面が強調する。だから季節は小津らしからぬ冬に設定されている。小津の審美眼にはこのお話に冬以外の季節は受け付けられない。よって「早春」以上の異色作となったのである。
最後に姉は夫の許に帰る。妹の死の原因を知らない(誤解した)まま、しかし、それと関連ある理由で彼女は家に戻って行くのである(後述)。そこが面白い。
妹が荒れるのには理由がある。母親の愛情を知らない孤独だ。それは父親がいくらカバーしようとしてもしきれない。そして妊娠した。子供を捨てるような、母親の二の舞をしたくないから次女は子供を堕ろす。その直後彼女は姉の娘がよちよちと自分の方に迫ってくるのを見て身を斬られるような罪悪感を覚える。
この場面がこの映画のハイライトと僕には思える(AllcinemaのG氏によるこの場面への“品のなさ”という言及に唖然とする。品がないどころか、鬼気迫る場面はないか。他の作品へのコメントを見てもG氏はアンチ小津らしいが、それにしてもひねくれすぎている)。
結局は彼女も子供を捨てたのだ。「子供は持たない。子供を持つなら、子供を大事にする」と母親に捨て台詞を残しつつ、自責の念に堪えられず、彼女は死ぬ。心理映画として実に鮮やかと言わなければならない。
小津マニアに否定的に捉えられた作品だが、それは小津らしさという考えに自縄自縛になった結果であろう。悲劇たる所以は、次女の死だけでなく、家族が次女の死の真の理由を知らず、それが母親が離京する原因となったことである。だから、山田五十鈴が素晴らしい演技を見せる列車の場面は強い悲劇性を漂わす。
姉が夫の許に帰るのは、やはり子供が理由である。娘を父なし子にできないというのだ。小津は片親の不在、特に母親の不在は子供にとって問題だと、恐らくは言うのである。これが核家族化の認識に伴って考える小津の家族観なのであろう。
演出的に注目したのは時計の音。特に、中盤の姉妹と父親が会話する居間、姉妹の部屋、父親の寝室…と場面が変わっても常に聞こえて来る秒針の音が家族の間に漂う緊張感を醸成し、かなり実験的な感じを覚える。
日本における世評以上に優れた作品と思う(IMDbでの評価を見ると頷ける)が、余りの暗さに抵抗がある。
この映画とは余り関係ないが、核家族化を早くも戦前から描いていた一連の小津作品を観ると、昭和の政治家・官僚たちは将来の少子化を予測し対策は取れなかったのか、といつも思う。それどころか、昭和末まで子供を増やさない政策を講じていたというのだからお話にならない。
1957年日本映画 監督・小津安二郎
ネタバレあり
この小津安二郎作品は、前作「早春」(1956年)に続いてまたまた異色作である。とりあえず梗概から始めよう。
銀行のお偉方・笠智衆が帰宅すると、長女・原節子が一人娘を連れて来宅している。大学で講師をしている夫に愛想をつかして出て来、暫く帰らないらしい。夜出歩くことが多くなった次女・有馬稲子も珍しく在宅している。
次女は同学の田浦正巳の子供を宿し、安くない中絶費用の捻出に奔走している。彼女が浮かぬ顔をしているのはそのせいだが、ある時雀荘の女将・山田五十鈴から親しげに声を掛けられ、妙に自分たち家族に詳しいことを不審に思う。戦前父を捨てて出て行った実母ではないかと疑って姉に問うが、そんなはずはないと答えられる。その答えとは裏腹に長女は首実検に向い、間違いないことを確認する。
次女は何とか中絶手術を終えるが、姉の行動を知って事実関係を察知、中絶をした罪悪感が元で電車にはねられて帰らぬ人となる。姉はそれを母親が現われたせいと思い糾弾、母親は居る場所がないと感じ、北海道に新天地を見出した現在の夫・中村伸郎と共に青森へ向かう汽車の人となる。
小津には全く珍しい純悲劇である。徹底して暗いトーンの内容をロー・キーの画面が強調する。だから季節は小津らしからぬ冬に設定されている。小津の審美眼にはこのお話に冬以外の季節は受け付けられない。よって「早春」以上の異色作となったのである。
最後に姉は夫の許に帰る。妹の死の原因を知らない(誤解した)まま、しかし、それと関連ある理由で彼女は家に戻って行くのである(後述)。そこが面白い。
妹が荒れるのには理由がある。母親の愛情を知らない孤独だ。それは父親がいくらカバーしようとしてもしきれない。そして妊娠した。子供を捨てるような、母親の二の舞をしたくないから次女は子供を堕ろす。その直後彼女は姉の娘がよちよちと自分の方に迫ってくるのを見て身を斬られるような罪悪感を覚える。
この場面がこの映画のハイライトと僕には思える(AllcinemaのG氏によるこの場面への“品のなさ”という言及に唖然とする。品がないどころか、鬼気迫る場面はないか。他の作品へのコメントを見てもG氏はアンチ小津らしいが、それにしてもひねくれすぎている)。
結局は彼女も子供を捨てたのだ。「子供は持たない。子供を持つなら、子供を大事にする」と母親に捨て台詞を残しつつ、自責の念に堪えられず、彼女は死ぬ。心理映画として実に鮮やかと言わなければならない。
小津マニアに否定的に捉えられた作品だが、それは小津らしさという考えに自縄自縛になった結果であろう。悲劇たる所以は、次女の死だけでなく、家族が次女の死の真の理由を知らず、それが母親が離京する原因となったことである。だから、山田五十鈴が素晴らしい演技を見せる列車の場面は強い悲劇性を漂わす。
姉が夫の許に帰るのは、やはり子供が理由である。娘を父なし子にできないというのだ。小津は片親の不在、特に母親の不在は子供にとって問題だと、恐らくは言うのである。これが核家族化の認識に伴って考える小津の家族観なのであろう。
演出的に注目したのは時計の音。特に、中盤の姉妹と父親が会話する居間、姉妹の部屋、父親の寝室…と場面が変わっても常に聞こえて来る秒針の音が家族の間に漂う緊張感を醸成し、かなり実験的な感じを覚える。
日本における世評以上に優れた作品と思う(IMDbでの評価を見ると頷ける)が、余りの暗さに抵抗がある。
この映画とは余り関係ないが、核家族化を早くも戦前から描いていた一連の小津作品を観ると、昭和の政治家・官僚たちは将来の少子化を予測し対策は取れなかったのか、といつも思う。それどころか、昭和末まで子供を増やさない政策を講じていたというのだからお話にならない。
この記事へのコメント
いつでもレンタルで観れるんですが、まだ放置してますね。
「早春」と合わせてリストに入ってます。
>徹底して暗いトーンの内容
小津の淡々としたタッチにしっくりきてましたね。
>時計の音
「抵抗」のブレッソンみたいに、鬼才は音に関する感性も鋭いんでしょうか。
ファンに頗る評判が悪いのは、普段の小津作品のネガ反転だからでしょうね。もっとフリークになると実は好きな人が多い・・。竹中直人なんか自作品で、宮口精二の刑事が深夜喫茶で有馬稲子を詰問する構図までそっくりいただいてますし・・。
何を隠そう(笑)ぼくも、ベスト3に入れたいくらい好きなんですがね・・。
小津は、メロドラマが嫌いでしたが、決して苦手だったわけではないことをこの作品で証明しました・・。
言葉を換えて「悲しみのドラマ」とするならば、まさにこれはメロドラマだったと言えるでしょう。
またぞろ自己責任問題が喧しいですが、プロフェッサーは今回、どのように感じられましたか?
ぼくは、自己責任問題には触れることすら愚かしいと思います(メディアはそっちに向けたがりますが・・)
やったことは恥の上塗りなのは、周知のとおりです。
それを承知で、ヤンチャな男を「まあ、帰ってきて、よかったね」と言ってやるのが、日本のいいところだと・・。
若いころ、どうしようもない人生を送った人にさえ「仕様がない莫迦野郎だな」と言いながらも、生活保護費を与える。
それは甘えとは異なる正義や論理や倫理を越えた慈悲の心で、ある種、宗教なのかもしれません。
大多数の声高に自己責任を叫ぶ人たちは、日本の暗部を知らないのかな。
>小津の淡々としたタッチ
笠智衆が娘の夫(信欣三)を訪問する場面で、窓から雪が降っているのを捉えるショットなど絶品です。何気なさが凄い、という典型でした。
>音に関する感性
本作で悲劇的なところでのんびりした音楽が流れ、それに批判的な意見が多いのですが、この映画に関しては的外れ。高倉健主演「君よ憤怒の河を渡れ」のとぼけすぎた音楽とは全く違うと思います。
>「アンナ・カレーニナ」冒頭
なるほど。実際この映画には「アンナ・カレーニナ」の香りがありますよ。原節子はドストエフスキーの翻案「白痴」に出演していますしね。
>もっとフリークになると実は好きな人が多い
そう思います。僕はまだ完全には好きになれませんが(笑)
>自己責任問題
寅さんのおいちゃん・おばちゃんを思い出しますねえ。怒っていても心配せずにいられない。
しかし、仰る通り馬鹿馬鹿しくて、僕は怒っていますよ。
この間も、免停の人を連れて買い物に行く途中で、TVで「自己責任」を言う人がいたと聞き、瞬間湯沸かし器の如き状態になりましたね。
日本人は(と言っても一部ですが)どうしてこうも余裕がなくなったかなあ。十数年前の問題が起きた時に「被害者を糾弾するのはおかしい」とアメリカのパウエル国務長官が擁護したのが恥ずかしかった。ごく一時使っていた2チャンネルで僕は反論したものです。
今回の事件でもポーランド人のジャーナリストが「欧米なら帰って来た人は英雄だよ」とコメントを寄せていたのが印象深い。
仮に彼のような人がいなかったら、例えばロヒンギャの問題或いはスーダンの問題は誰にも知られないわけでしょうに。確かに知らなかったら自衛隊が赴く必要もなかったでしょうが、それで良いという考えは「日本ファースト」に通じ、現代の世界では最終的に日本の損失に繋がるのではないでしょうか。だから全体主義者はダメなんです。
彼等ジャーナリストは自己責任で出かけていますが、だからと言って助けなくて良いという理屈はありません。自己満足の為に山に登る人ですら遭難したら助けなくてはなりません。
うーむ、腹が立つ(笑)。
>文章が非常に楽しい。
大学時代、「三四郎」「それから」「門」の三部作を読んだ思い出。
>平均寿命が三十にも満たないような時代で命の軽さ
太平洋戦争の頃はもっと命が軽かった?
>作家にも画家にも音楽家にもいっぱいいますよね。
逆にビートルズのメンバーで一番良い人っぽいのはリンゴ・スター。
ドリフの高木ブーの存在も見逃せません(笑)。
>コミュニティが思想を生む
共同体が出来ると、良くない面でも「まあ、いいか。」と言う考えが生まれるかも知れません。
>太平洋戦争の頃はもっと命が軽かった?
一気にまとめて死んだ為にそういう印象が強いですが、昔の方が軽かったと感じます。
平安中期から応仁の乱くらいまで700~800万人くらいでずっと推移しました。当時、多分農村では十人子供を産んで成人するのは二人くらいだったのではないでしょうか。従って、二、三人しか子供を作らなかったら全滅寸前になったはず。
だから、恐らく人口900~1000万人くらいの当時書かれた「信長公記」「太閤記」による膨大な死者の数は信じられない。「信長公記」で記された死者を全部合わせると百万人を超えるような数字になると思いますが、東北から九州まで併せて、女性・子供・老人を除くと400万人くらいしかいない時代に、そんなに死ねるはずがないように思うわけです。出て来る数字はかなり誇大になっているでしょう。
いずれにしても死は非常に軽かったと思います。成人前の病死が当たり前だったわけですから(僕の曽祖父母は、十一人の子供をもうけましたが、そのうち八人ほどが十歳前に死に、残った三人のうち二人(一人が祖母)が共に数え22歳で亡くなり、最後の一人が八十過ぎまで生きました)。
>逆にビートルズのメンバーで一番良い人っぽいのはリンゴ・スター。
>ドリフの高木ブーの存在も見逃せません(笑)。
そして、かぐや姫の山田パンダ?(笑)
他のメンバーが悪人というわけではないですけどね^^
>共同体が出来ると、良くない面でも「まあ、いいか。」と言う
>考えが生まれるかも知れません。
大体そんな感じらしいです。
心理学の実験で、任意に組み合わせたグループを一旦解散した後、もう一度本人たちに組み合わせさせると、同じメンバーを選ぶそうです。そうして生まれたグループの中でリーダー格が出ると、その人の意見に従っていき、思潮が生れるということのようです。
そんなもんですか・・・。
>曽祖父母は、十一人の子供をもうけましたが
オカピー教授のお祖母さんは満21歳で逝去?
昔は風邪を拗らせて亡くなる人も多かった事でしょう。
>そして、かぐや姫の山田パンダ?
こうせつとパンダが喧嘩になりそうになった時、正やんがうまく仲裁したと言う説もあります。
>リーダー格が出ると、その人の意見に従っていき
そういうパターンって多いですね。
>現在の夫・中村伸郎と共に青森へ向かう汽車の人となる。
最後に汽車。「浮草」を思い出しました。
>山田五十鈴
実生活では瑳峨三智子が娘。いろいろありました・・・。
>>農村では十人子供を産んで成人するのは二人くらいだった
>そんなもんですか・・・。
明治ー大正年間の我が家の例から、想像しただけで、大した根拠はありませんが、平安時代の平均寿命が30歳に満ちないと言われ、600年間も人口が全く増えていない(一部では減っているという推定もあるくらい)ことを考えると、そんな感じだと思ってします。
>オカピー教授のお祖母さんは満21歳で逝去?
そうです。
父は自分の母親を全く知りません。しかも、父親が婿だったために家を出た結果、父は曾祖母(父自身の祖母)に育てられ、19歳でその曾祖母を失いました。だから19歳で母を嫁に迎えたわけです。
>正やんがうまく仲裁したと言う説もあります。
正やんが良い人でしたか(笑)。
>最後に汽車。「浮草」を思い出しました。
そうですね。
「浮草」のオリジナル「浮草物語」とも当然似ています。
>実生活では瑳峨三智子が娘。いろいろありました・・・。
母親より早く死んでは親不孝です。
僕の数少ない親孝行は、両親より長生きしたことくらいですTT