映画評「オリエント急行殺人事件」(2017年版)
☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年アメリカ=マルタ合作映画 監督ケネス・ブラナー
ネタバレあり
アガサ・クリスティーの有名ミステリーをケネス・ブラナーが映画化、自ら私立探偵エルキュール・ポワロに扮して出演もしている。
ミステリーの中でも本格ミステリーでは犯人とそのトリックを明かすことは厳禁だから、結末まで記すことの多い本ブログでもそれは遵守する。余りにも有名だからもう大半の人が知っているでしょうがね。
ポワロがイスタンブールから欧州に向けて出発するオリエント急行で休暇を楽しんでいたところ、偽物の骨董品を売って恨みを買っていた富豪ラチェット(ジョニー・デップ)が殺される。
他の乗客は、宣教師(ペネロペ・クルス)、教授(ウィレム・デフォー)、公爵夫人(ジュディ・デンチ)とその侍女、ラチェットの秘書(ジョシュ・ギャッド)と執事(デレク・ジャコビ)、医師(レスリー・オドム・ジュニア)、未亡人(ミシェル・ファイファー)、家庭教師(デイジー・リドリー)、若い伯爵夫婦といった顔ぶれ。
少なからず刺し傷があり犯人は被害者に相当の憎しみを持っていたようで、ポワロが調べていくと富豪と関連する人物が次々と現れ、その線から犯人を絞るのは容易ではない。しかも全員にアリバイがある。
僕は原作を読み、映画化決定版とも言える1974年シドニー・ルメット版を観ているので、お話としては面白味をそれほど感じることもできないし、さらに興醒めになった点が二つある。
一つは原作になかなか忠実だった1974年版より本格ミステリー度を弱めていること。ポワロが犯人を絞る前に自ら犯人だと名乗り出、ポワロを襲う人物が出て来るなど、サスペンスに傾いていて、本格ミステリーとしては物足りない。特に、解決即ち大団円の部分にポワロものらしさを求めるムキには、ヒューマニズムを拡張・強調しすぎて、肩すかしに感じる人がいるかもしれない。
もう一つは、ポリティカル・コレクトネスにより時代性を無視し古典を破壊し続けるハリウッド映画の悪癖。典型的なのは医師(原作における医師ではなく、大佐に相当する。この二者を合体させた人物)が黒人になっていることだが、実際に人種差別への言及が幾つか出て来る。かなり極端に反リベラルを突き進む大統領が生れたから、アメリカ映画人は益々この傾向を強めていくだろう。
嘘(世界的に政治家の間に流行していますな)と虐めとあらゆる差別が嫌いとは言っても、主題を離れて映画がそれを扱うと鼻白む。扱っても良いがもっとそこはかとなく出来る筈である。本作は露骨すぎはしまいか? 僕の過剰な反応だろうが、それによって本作は何を見せたかったのか曖昧になった感じがするのである。
顔触れも豪華とは言え、オールスター映画の中でも横綱級の1974年版には大分及ばない。
肝心の汽車がロングにおいてはCGと思われる。つまらんねえ。
2017年アメリカ=マルタ合作映画 監督ケネス・ブラナー
ネタバレあり
アガサ・クリスティーの有名ミステリーをケネス・ブラナーが映画化、自ら私立探偵エルキュール・ポワロに扮して出演もしている。
ミステリーの中でも本格ミステリーでは犯人とそのトリックを明かすことは厳禁だから、結末まで記すことの多い本ブログでもそれは遵守する。余りにも有名だからもう大半の人が知っているでしょうがね。
ポワロがイスタンブールから欧州に向けて出発するオリエント急行で休暇を楽しんでいたところ、偽物の骨董品を売って恨みを買っていた富豪ラチェット(ジョニー・デップ)が殺される。
他の乗客は、宣教師(ペネロペ・クルス)、教授(ウィレム・デフォー)、公爵夫人(ジュディ・デンチ)とその侍女、ラチェットの秘書(ジョシュ・ギャッド)と執事(デレク・ジャコビ)、医師(レスリー・オドム・ジュニア)、未亡人(ミシェル・ファイファー)、家庭教師(デイジー・リドリー)、若い伯爵夫婦といった顔ぶれ。
少なからず刺し傷があり犯人は被害者に相当の憎しみを持っていたようで、ポワロが調べていくと富豪と関連する人物が次々と現れ、その線から犯人を絞るのは容易ではない。しかも全員にアリバイがある。
僕は原作を読み、映画化決定版とも言える1974年シドニー・ルメット版を観ているので、お話としては面白味をそれほど感じることもできないし、さらに興醒めになった点が二つある。
一つは原作になかなか忠実だった1974年版より本格ミステリー度を弱めていること。ポワロが犯人を絞る前に自ら犯人だと名乗り出、ポワロを襲う人物が出て来るなど、サスペンスに傾いていて、本格ミステリーとしては物足りない。特に、解決即ち大団円の部分にポワロものらしさを求めるムキには、ヒューマニズムを拡張・強調しすぎて、肩すかしに感じる人がいるかもしれない。
もう一つは、ポリティカル・コレクトネスにより時代性を無視し古典を破壊し続けるハリウッド映画の悪癖。典型的なのは医師(原作における医師ではなく、大佐に相当する。この二者を合体させた人物)が黒人になっていることだが、実際に人種差別への言及が幾つか出て来る。かなり極端に反リベラルを突き進む大統領が生れたから、アメリカ映画人は益々この傾向を強めていくだろう。
嘘(世界的に政治家の間に流行していますな)と虐めとあらゆる差別が嫌いとは言っても、主題を離れて映画がそれを扱うと鼻白む。扱っても良いがもっとそこはかとなく出来る筈である。本作は露骨すぎはしまいか? 僕の過剰な反応だろうが、それによって本作は何を見せたかったのか曖昧になった感じがするのである。
顔触れも豪華とは言え、オールスター映画の中でも横綱級の1974年版には大分及ばない。
肝心の汽車がロングにおいてはCGと思われる。つまらんねえ。
この記事へのコメント
いま、ナイジェリアは映画産業がどんどん盛り上がっていて、ノリウッドと呼ばれていますが、当然作っているのも出ているのもアフリカ人。アメリカで人種差別をなんとかしようというのは意味があるのでしょうけれど、映画はアメリカだけではないのでね。日本映画は日本人が中心ですし。アメリカ人ももっと外国の映画を観るようにしたほうがいいんじゃないでしょうか。
クリスティー若しく本格ミステリーのファンは、多分、がっかりすると思います。
こういう言い方は失礼ですが、この作品に横たわっている純粋に映画的な問題が全く気にならない方は楽しめるかもしれません。
>ナイジェリア
この国の潜在能力は凄いと思います。何しろ2050年の人口予測は倍増して約3億、2100年の人口予測は9億人! ナイジェリアが発展すれば、民度が進んでアフリカの戦争(主に内戦ですが)もなくなっていくような気がします。現在の先進諸国の変わり方を見ますとね。
>アメリカで人種差別をなんとかしようというのは意味があるのでしょうけれど
それを主題にすれば、すっきり見られるのですよ。
そうでもない童話だったり、有名な原作ものだったり、を変な風に改竄するから気持ち悪いものになる。
>アメリカ人ももっと外国の映画を観るようにしたほうがいいんじゃないでしょうか
仰る通り。
まず一般的なアメリカ人は外国の映画を観ないと思いますね。日本はその点まだまだましですが、僕らが若い頃に比べると外国映画を(中心に)観る人が減った感じがします。
20世紀以降アメリカ人は、トランプだけでなく、世界は自分たち中心に回っていると思っている。困ったものです(笑)
列車内で、ラチェットの部屋の異変に気付いた人が集まるのを真上から撮ったり、また殺人事件が起きた室内をポアロが見分するのをやはり頭上から見下ろす形で撮ったり、また、ミシェル・ファイファー演じる貴婦人とポアロが会話しながら列車内を歩いて行くのを列車の外から窓越しに見るように撮ってたり、そういうところに面白さを感じました。雪で列車が止まってしまって、そこでアクションシーンが出てきたのも「おお!」となりました。
ただし、オカピ―さんが指摘してらっしゃるように、黒人医師が出てきたのは、ああポリティカルコレクトネスの影響なんだな、と。劇中では自然に見えるように来歴が作られていましたが。
時代的には、冒頭、エルサレム(たぶん当時はイギリスが支配していた)の場面で、西洋人が現地人を仕切っている様子が出てくるんで、こういう時代物でまでポリコレする必要があるのか、という疑問はよぎりましたね。
>やっと見ましたよ。
5年かかりましたね^^
>貴婦人とポアロが会話しながら列車内を歩いて行くのを列車の外から窓越しに見るように撮って
あったような気がします。
>ポリティカルコレクトネス
今から思うとこの映画などは大分良い方で、益々ひどいことになっています。
あと5年この状態が続くのなら、僕は欧米の新作映画からはオサラバしようと思っていますよ。映画が現実を映す鏡になっていない。
>こういう時代物でまでポリコレする必要があるのか、という疑問はよぎりましたね。
実際には、時代が古くなるほど、ポリコレが激しく行われているように思いますよ。
現代ものでは、主役の夫婦が殆ど異人種の組合せ。不自然すぎますよ。まあ、時代ものの歴史改竄よりはずっと良いです。