映画評「愛と喝采の日々」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1977年アメリカ映画 監督ハーバート・ロス
ネタバレあり
大学生だった40年前に映画館で観て、感激した一編である。一度くらいTVに出ただろう(わが記憶にはない)が、ここ四半世紀くらい全くお目にかかれず、数年前から図書館から借りようと思っていたところ、遂にNHK-BSに出た。随喜の涙が出るくらい嬉しく、早速録画して再鑑賞した。
妊娠した為に引退しオクラホマでバレエ教室を夫トム・スケリットと共に営むシャーリー・マクレーンが、20年前にプリマドンナの座を競った旧友アン・バンクロフトのバレエを観に行く。アンは、名付け娘がすっかり成長(レスリー・ブラウン)して有能なバレリーナになっているのを見て彼女が牽引するアメリカン・バレエ団への入団を推薦する。シャーリーは夫と末娘をオクラホマに残して、娘と息子と共にニューヨークへ行く。
しかし、彼女はアンが母親のように娘と接しているのが面白くなく、自分がバレエを犠牲にした一方で彼女が一流のプリマドンナになっているのに嫉妬する。娘はソ連から亡命してきたバレエ・ダンサーのミハイル・バリシニコフと懇ろになるが、彼の多情ぶりを見てやけ酒を煽る。
泥酔状態で踊り始めた彼女をアンが介抱するのを見てシャーリーは益々嫉妬し、公演での娘の成功を見た後、遂にアンと取っ組み合いの喧嘩となるが、アンはシャーリーの素直な告白を聞いてすっきり、二人の間に元の友情が蘇る。レスリーは新しいプリマドンナになる。
というお話で、40年前右も左も解らず書き始めた当時の自分の拙い映画評を読むと、原題と邦題は似て非なるものであると同時に同じものを含んでいると書いており、現在の僕も以下同文なのである。人間余り変わらないものです。
原題は“人生の分かれ道”のような意味で、シャーリーにとってはそれが妊娠だったわけだが、邦題は片や家庭の道を選んだシャーリーと、きちんとした恋もせずバレエの道を選んだアンの対照的な人生を意味する。しかし、二人の立場は逆になっていた可能性が大いにあるわけで、その辺りの二人の心境が、若いレスリーの成功と恋の描写と絡み合わされながら、実に上手く描き上げられている。
今観ると「それは決意次第だった」というアンの台詞が印象に残る。彼女はシャーリーの当時の心境を本人と同じくらい解っていたのだ。逆にアンにそうした家庭への憧れがなかったわけではあるまい。
男性に比べると女性は選択を強要されやすいという現実が背景にあるも、映画は敢えてそうしたフェミニズム的なアプローチはせず、人生における個人の決断という問題が鮮明に浮かび上がる効果に繋がっていると思う。レスリーはもしかしたら彼女たちが得られなかった両方を得られるかもしれない、という後味も素晴らしい。
視覚的にはバレエ場面が大量に盛り込まれる。ソロやパ・ド・ドゥに特化したバレエ・ガラではバレエに関する鑑賞眼が甚だあやしい僕にも楽しめる。
アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンの演技合戦が見応え満点。バレリーナのレスリー・ブラウンも慣れない演技に頑張りました。監督はバーバート・ロスで、何と同じ年に同じくらいの秀作「グッバイ・ガール」も発表している。
一度だけ横浜でボリショイ・バレエを見たことあるデス。演目は定番「白鳥の湖」でした。
1977年アメリカ映画 監督ハーバート・ロス
ネタバレあり
大学生だった40年前に映画館で観て、感激した一編である。一度くらいTVに出ただろう(わが記憶にはない)が、ここ四半世紀くらい全くお目にかかれず、数年前から図書館から借りようと思っていたところ、遂にNHK-BSに出た。随喜の涙が出るくらい嬉しく、早速録画して再鑑賞した。
妊娠した為に引退しオクラホマでバレエ教室を夫トム・スケリットと共に営むシャーリー・マクレーンが、20年前にプリマドンナの座を競った旧友アン・バンクロフトのバレエを観に行く。アンは、名付け娘がすっかり成長(レスリー・ブラウン)して有能なバレリーナになっているのを見て彼女が牽引するアメリカン・バレエ団への入団を推薦する。シャーリーは夫と末娘をオクラホマに残して、娘と息子と共にニューヨークへ行く。
しかし、彼女はアンが母親のように娘と接しているのが面白くなく、自分がバレエを犠牲にした一方で彼女が一流のプリマドンナになっているのに嫉妬する。娘はソ連から亡命してきたバレエ・ダンサーのミハイル・バリシニコフと懇ろになるが、彼の多情ぶりを見てやけ酒を煽る。
泥酔状態で踊り始めた彼女をアンが介抱するのを見てシャーリーは益々嫉妬し、公演での娘の成功を見た後、遂にアンと取っ組み合いの喧嘩となるが、アンはシャーリーの素直な告白を聞いてすっきり、二人の間に元の友情が蘇る。レスリーは新しいプリマドンナになる。
というお話で、40年前右も左も解らず書き始めた当時の自分の拙い映画評を読むと、原題と邦題は似て非なるものであると同時に同じものを含んでいると書いており、現在の僕も以下同文なのである。人間余り変わらないものです。
原題は“人生の分かれ道”のような意味で、シャーリーにとってはそれが妊娠だったわけだが、邦題は片や家庭の道を選んだシャーリーと、きちんとした恋もせずバレエの道を選んだアンの対照的な人生を意味する。しかし、二人の立場は逆になっていた可能性が大いにあるわけで、その辺りの二人の心境が、若いレスリーの成功と恋の描写と絡み合わされながら、実に上手く描き上げられている。
今観ると「それは決意次第だった」というアンの台詞が印象に残る。彼女はシャーリーの当時の心境を本人と同じくらい解っていたのだ。逆にアンにそうした家庭への憧れがなかったわけではあるまい。
男性に比べると女性は選択を強要されやすいという現実が背景にあるも、映画は敢えてそうしたフェミニズム的なアプローチはせず、人生における個人の決断という問題が鮮明に浮かび上がる効果に繋がっていると思う。レスリーはもしかしたら彼女たちが得られなかった両方を得られるかもしれない、という後味も素晴らしい。
視覚的にはバレエ場面が大量に盛り込まれる。ソロやパ・ド・ドゥに特化したバレエ・ガラではバレエに関する鑑賞眼が甚だあやしい僕にも楽しめる。
アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンの演技合戦が見応え満点。バレリーナのレスリー・ブラウンも慣れない演技に頑張りました。監督はバーバート・ロスで、何と同じ年に同じくらいの秀作「グッバイ・ガール」も発表している。
一度だけ横浜でボリショイ・バレエを見たことあるデス。演目は定番「白鳥の湖」でした。
この記事へのコメント
アメリカでの評判は知っていましたから、期待にたがわぬ内容に、さぞかし隣席の連れも感動を・・と、思いきや意外な意見が・・
彼女は、「一流バレリーナにとって、普通の女の幸せを取るか、バレエかという葛藤自体がまずもってあり得ない」と、宣ふ(笑)
もちろん彼女らはバレエを選ぶのだと・・。バレエのほうが彼女らを選ぶのだからだそうです。
妙に説得力のある言葉でしたが、映画そのものは文句のつけようがない名作で邦題も奥行きがある・・、別々の生き方を選択した主役二人を縦糸に、周りの人間とバレエという素材を上手くからめ、ドラマ部分と舞踏シーンのバランスもぴたり!
ハーバート・ロスの職人芸でありましょう。「グッバイ・ガール」もダンサーの恋のお話で大好きな作品です。
男の踊りには興味がなく(笑)バレエを見に行ったこともない、年末のBSでの年忘れプレミアムシアターバレエ特集くらいしか観ないぼくでも知っているスザンヌ・ファレル(可憐!)の『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』は素敵でタイプであります(笑)
>一度だけ横浜でボリショイ・バレエを見た
それが凄い!チケット高かったでしょうね!
>従姉
>葛藤自体がまずもってあり得ない
何となく解るような気がします。
しかし、映画は映画。ドラマ映画は、特殊を通して普遍を見せるわけですからね。
>ハーバート・ロスの職人芸
穏和な作品が多く、この時代それが上手く結実していましたね。
「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」も大好きでした。
>「グッバイ・ガール」
これは一時よく放映されていましたが、随分観ていません。
素敵な作品でしたね。
>チケット
姉からのプレゼントなので、値段は知らないのですが、良い経験をしたと思いますよ。
最近アクセスが多いのは、BSで放送されただけではなく作品そのものが気に入った人が多いからなんでしょうね。
原題は【THE TURNING POINT】。
登場人物それぞれに岐路があったというストーリーになってましたが、邦題についてまでは考えが及ばなかったです。
>13年前
僕がブログを始める3か月前の記事ですから、当然十瑠さんと知り合う前ですね。
あの頃はブログの全盛期で、猫も杓子もという感じでしたが、十年以上続けているブロガーは案外貴重になりました。僕も13年を超えましたよ。
>最近アクセスが多い
今回初めてという方もいらっしゃるでしょうね。
若い人にはどうかなと思うところもありますが、様々な岐路を過ぎてきた年配の方なら感無量になる可能性が大。
>邦題
愛=シャーリー、喝采=アンと理解し、原題(分岐点)を経た後が「愛と喝采の日々」と思いました。逆になりえた可能性もあり、決断の問題、that's itでしたね。