古典ときどき現代文学:読書録2019
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
さて、年初を飾る年間読書録発表も7回目を迎えました。相変わらず、古いものばかり読んでおるのは、昔百科事典と幾つか持っている文学年表に基づいて作ったリストを潰しつつ読んでいるから。長いものも読みこなし、リストの残りも大分減ってきましたよ。
そんなわけで、本年以降、少なくとも日本の小説に関しては、1960年代以降のものが徐々に増えて来ると思います。僕みたいなもの好きでなければ、喜ばしい傾向でございましょう(笑)。
皆さんには余り関心が持てないでしょうが、まず我が邦の勅撰和歌集の八代集(八大集とあるのは間違い)を十年がかりで、長年の目標である「文選(もんぜん)」を二年がかりで読み終えました。昨年の二大事件です。
もう一つの目標であったサルトルの哲学書「存在と無」は僕が利用できる図書館でずっと借りられているので今年は断念。3分冊の2巻目だけがずっと借りられていることを考えると、返していない人がいると推測できます。図書館員に告げましたが、冷たい扱いを受けました(笑)。来年予約を入れれば事実関係がチェックできると思います。その代わり、サルトルでは6分冊(4巻)の長い小説「自由への道」を読破。
リストを賑やかにする目的も兼ねて、長い書物の間には洋の東西を問わず戯曲を読む。昨年同様、作者名の後に(原作)とあるのは、丸本歌舞伎の台本ということ。例えば、歌舞伎作者・河竹黙阿弥のものはご本人が書いた文章ですが、(原作)とあるのは浄瑠璃から歌舞伎用に翻案した書き手不明の台本ということです。この類は2020年以降は出て来ないと思います。
ところで、昨年の途中にウェブリが刷新されて、一行の表記文字数が大分少なくなった為に、一行に拘らずにコメントを記さざるを得なくなり、後半は少し長めのものが増えてきました。その関係で、読みやすくなるように工夫も。コメントの前に★を加えたのもその一環で、これは評価とイコールではなく、楽しめたかどうかインパクトがあったかどうかが判断基準。
そして、2020年からは芥川賞・直木賞に倣って前期・後期としようかとも考えています。一年間下書きを保存するのは結構つらいものがありましてね。賛成の人は手を挙げてくださいませ(笑)。
さて、2019年度は、作品としての価値が高くても一般の人には知られていないものがさらに多くなっていると思われますが、皆さんのお読みになっている作品はございますか? ご笑覧あれ。
P・エルショーフ
「せむしの小馬」
★★★ズルを知らないおバカさんが、それが故に王様になる波乱万丈の童話。こりゃ面白い。
大江 健三郎
「万延元年のフットボール」
★★★★1960年代の学生運動と作者自身の出自・内面を二重らせん状に絡み合わせた魂の書。
「洪水はわが魂に及び」
★★★上とはネガ・ポジ反転のようなところがある。こちらのほうがピンと来にくいが、短編で苦手意識のあった大江健三郎が長編では意外と面白い事に気がついたのが収穫。
ヴィクトル・ユゴー
「レ・ミゼラブル 第一部:ファンテーヌ」(再)
★★★★ジャン・ヴァルジャンもファンテーヌも憐れ。一般によく知られる食器泥棒のお話はこの部分にある。
「レ・ミゼラブル 第二部:コゼット」(再)
★コゼットはファンテーヌの娘。ワーテルローの歴史評論的部分が細をうがちすぎで、ちと退屈。
「レ・ミゼラブル 第三部:マリユス」(再)
★★マリユスはコゼットの恋人。第二部よりは物語部分が多い。ヴァルジャンはどこまでも不運。
「レ・ミゼラブル 第四部:叙情詩と叙事詩
ブリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌」(再)
★★★引き続きマリユスとコゼットの恋模様。大分盛り上がる。
「レ・ミゼラブル 第五部:ジャン・ヴァルジャン」(再)
★★★★歴史評論とドラマが遂に一体化する。
大庭 みな子
「三匹の蟹」
★★夫の赴任先アメリカでのアヴァンチュールも寂寥感を拭えない日本女性。評価高いがピンと来ず。
丸谷 才一
「年の残り」
★★★“意識の流れ”を意識した、ややミステリー色もあって相当面白い芥川賞受賞作。
チャールズ・ディケンズ
「デイヴィッド・コパフィールド」
★★★自分の経験を大分取り込んだディケンズで一番長い小説。自叙伝かと思われるほど気分が出ています。
作者不明(日本)
「海道記」
★★★鎌倉初期の、無常観に横溢する和漢混交の紀行文。松尾芭蕉なども親しんでいたのではないか。
「東関紀行」
★★★少し時代は下るが「海道記」と同じルートの鎌倉時代の紀行文。同じ和漢混交文でも和文寄り。
「義経記(ぎけいき)」
★★史実とは大分違う庶民向け英雄譚。小学生の時子供向けを読み、地元の地名が出て来たのに興奮した。室町時代に書かれたこのオリジナルにも出て来て嬉しい。
弁内侍(藤原 信実 娘)
「弁内侍日記」
★★鎌倉初期の貴族風俗がよく解る。“おかし”が現在の意味に近づいている。“おかし”が“おかしい”の意味になり、いとおかし。
作者不明(海外)
「ピエール・パトラン先生」
★★15世紀フランスの笑劇。三つ巴の騙し合いの可笑しさ。
エラリー・クイーン
「Yの悲劇」(再)
★★★★今読むと犯人はすぐに分るね。日本では常にトップクラスの評価を得て来た本作を読み返すと本格推理にドラマ性を求められないことが解る。その点ではアガサ・クリスティのほうが上か?
小杉 天外
「初すがた」
★★★樋口一葉「たけくらべ」とエミール・ゾラと洒落本が合体するとこんな感じになる?
「はやり唄」
★★やはりゾラの写実主義がベースにあるが、内容はフローベール「ボヴァリー夫人」に近いだろうか。
藤森 成吉
「若き日の悩み」
★★★★主人公は漱石的に過敏すぎるのだが、それも青春の特権なのだろう。切ない。
「磔茂左衛門」
★★戯曲。わが上州で起きた直訴事件の顛末。訴えは認められつつ行為は裁かれる封建制の理不尽。
アースキン・コールドウェル
「タバコ・ロード」
★★★「神の小さな土地」と同工異曲の感ありだが、コミカルであるし、信心に対しても皮肉っぽい。
谷崎 潤一郎
「母を恋ふる記」
★★★夢の記録。母親も耽美を求める谷崎の主題の一つ。
「麒麟」
★★初期短編。珍しくも孔子に材を求めている。それでも美女がテーマなのが谷崎らしい。
「瘋癲老人日記」
★★★★死後も嫁の足下に伏したいと願う変態爺さん。谷崎本人もかくもM的だったのか?
イポリット・テーヌ
「芸術哲学」
★★★民族性が芸術の表現に表れていることを説明する。
田久保 英夫
「深い河」
★★米軍基地に隣接する徴用牧場でバイトする男女大学生の経験に現れる反戦気分。芥川賞受賞作。
ハンス・カロッサ
「美しき惑いの年」
★★作者は20世紀のオーストリア人だけれど、一連の自伝小説はゲーテ以来の教養小説の系譜にある。
岡本 かの子
「河明り」
★★★女性作家が執筆用に借りた家の所有者の娘とその婚約者のために行動する羽目になる。岡本かの子は昭和初期の天才。
松本 清張
「日本の黒い霧」
★★★★GHQの勢力争いに勝ったG2の思想が自民党系保守に脈々と生きているという気がする。
フリードリヒ・ニーチェ
「悲劇の誕生」
★★★ディオニュソス的なものとアポロ的なものの関係とは、「万葉集」と「古今和歌集」の関係みたいなものと勝手に考える。
葉山 嘉樹
「淫売婦」
★★★短編。横浜で肺病になった女を男たちに見せることで彼女を食わしていく労務者二人。
エドマンド・スペンサー
「妖精の女王」
★★古代ギリシャ・ローマ神話や聖書、英国に関する知識を総動員し、エリザベス1世への崇拝を寓意で表現し続ける大長編叙事詩。労作ぶりに頭が下がる。
木下 順二
「オットーと呼ばれる日本人」
★★★★戯曲。スパイとして処刑された尾崎秀実こそ愛国者であったという僕の印象と全く一致する。
「風浪」
★★★散切り頭を叩いても実際にはなかなか文明開化の音はしなかったのかもしれない。デビュー作。
大佛 次郎
「角兵衛獅子」
★★★★子供向けの鞍馬天狗もの。美空ひばり主演の映画版よりずっと面白いぞよ。
「赤穂浪士」
★★★架空の人物三人を狂言回しとして歴史的事件を捌いているので、歴史小説というより時代小説。僕はその狂言回し三人がさほど機能しているようには思えないのだが。
フョードル・M・ドストエフスキー
「二重人格」
★★ロシア伝統の低級官僚の悲哀をより現代化した印象。ゴーゴリ「狂人日記」の影響大。
「賭博者」
★★★バーデン=バーデンでの賭博による破産と別の失恋とを抱き合わせて書いた自伝的小説。ドストとしては通俗的な要素も多く、親しみやすい。
アンリ・バルビュス
「クラルテ」
★★出征して社会観を変えた作者の経験に基づく小説。一種の散文詩なのに直截な主張が興ざめ。
会津 八一
「鹿鳴集」
★★★「万葉集」に傾倒。自註付きで、昔味わってみた「南京新唱」がぐっと解りやすくなった。
ポール・ヴェルレーヌ
「叡智」
★ランボーに発砲し投獄された後すっかりカトリシズムに転向した後のヴェルレーヌ。抹香臭すぎる。
福沢 諭吉
「福翁自伝」
★★★★咸臨丸での渡米がハイライトだろうが、意外とあっさり。自己の性格分析が面白い。
「西洋事情」
★★★福沢自身の文章より翻訳が多いが、自由翻訳に近い。とにかく、現在の学校制度を観ても、この書物がその後の日本に与えた影響は計り知れないように思う。
昭明太子(撰)
「文選:文章篇」
★★諸子百家は文学的でないとして排除。文章と言っても、非常に詩的。中国南北朝(6世紀)当時の文学観が解る。
「文選:賦篇」
★★★★賦というのは詩と散文の間。形は散文に近いが、韻を踏んでいるので散文に近い詩とも言える。王朝や君主への賛美が多く、「万葉集」における長歌に大きな影響を残したという。書き下し文が非常に美しい。
梅崎 春夫
「幻化」
★★★作者の生涯を知らないと理解できない小説だが、それでも作者の生涯が小説から見えて来る。
正岡 子規
「歌よみに与ふる書」
★★★★歌人に対する皮肉たっぷりの歌論。相当面白い。
ギ・ド・モーパッサン
「テリエ館」
★★★娼婦という職業を否定せず、宗教を揶揄する。皮肉が効いた好短編。
E・T・A・ホフマン
「マドモアゼル・ド・スキュデリ」
★★★意外にもちょっとしたミステリー。実在した作家スキュデリ嬢が探偵に相当するが、謎を解明するわけではない。
斎藤 緑雨
「かくれんぼ」
★一種の花柳小説だが、短編とは言え、文語で句点が一つもないのはつらい。
ミハイル・ショーロホフ
「開かれた処女地」
★★社会主義リアリズムは面白くないが、伝統的な描写は魅力。ソ連では彼の文才が生かされない。
富田 常雄
「姿三四郎」
★★★何度も映像化された有名作。後半調子が落ちるのと、乙美を殺してしまうのが気に入らない。
水上 勉
「飢餓海峡」
★★★★★映画は明確に示さなかったが、やはり男は女への詫びの為に死んだのだ。小説も素晴らしい。
ロバート・ルイス・スティーヴンスン
「宝島」
★映画版の一つを見たはずだが、こんな話だったか。今一つわくわくできないのは、戦前の訳でピンと来ない単語や措辞が多いからかもしれない。
宮本 武蔵
「五輪書」
★★★“ごりんのしょ”。そういうつもりで読んだわけではないが、大した自己啓発本じゃね。
編者不明
「閑吟集」
★★★室町時代の小歌(こうた)集。短歌より現在の口語に近いので親しみやすい。
アルフォンス・ドーデ
「月曜物語」(再)
★★何と言っても教科書に載っていた名短編「最後の授業」。これに代表されるアルザス・ロレーヌの物語集。
中井 英夫
「虚無への供物」
★★★★★ミステリーや映画に関する衒学がもの凄くそれによってアンチ・ミステリーの立場を打ち出す。このミステリー自体を登場人物が書いているのかもしれないという見えない入れ子構造の面白さ。
フェーリクス・ザルテン
「バンビ」
★★★★童謡はよく知っているが、映画版の記憶も曖昧。子供時代に読んだら相当感動しただろう。
小栗 虫太郎
「完全犯罪」
★★★苗族共産党の軍人が探偵役なのが珍しい。トリックとしてはそこそこ。
「後光殺人事件」
★★小栗にはどうも衒学趣味を期待してしまう。その意味では彼らしくない。
ジェームズ・フレーザー
「金枝篇」
★★★★呪術の形式化の度合いによりその民族の進化度が分るように読める記述はあながち間違いではないと思う。作者は恐らく完全主義者で、無数の例証により信じがたい大著になった。僕が読んだのは、例証の多くを省略し、典拠を記さない簡約版。それでも相当長いよ(文庫本5分冊)。
長谷川 伸
「関の弥太っぺ」
★★★任侠が真に任侠であった時代のお話。主人公の少女への純真が泣かせる。
「暗闇の丑松」
★★★一種の仇討ものと言うべし。任侠というよりは人情だねえ。
エミール・ゾラ
「ごった煮」
★★パリを訪れた野心的な青年を狂言回しにしたアパート住人の愚劣な生体。
クレメンス・ブレンターノ
「ゴッケル物語」
★★★鶏が劇的な活躍をするファンタスティックな詩的童話。ロマン主義じゃね。
夏目 漱石
「彼岸過迄」(再)
★★★★後期三部作の第一作。連作短編集が長編を成す趣き。編が進むにつれ、近代的自我の問題が深化していく。
「行人」(再)
★★★★★十代で読んだ時よりずっと面白かった。妻への疑惑が嫉妬ではなく孤独化に進む自我。
「こころ」(再)
★★★★★死んだKにも嫉妬が外に向わず内向する近代人の自我がある。残された先生は愛と自我との相克に苦悩した末に時代に殉死する。後期三部作は、感情に落ち込めないインテリ(近代人)の悲劇だ。
藤原 俊成(撰)
「千載和歌集」
★★★七番目の勅撰和歌集。息子・定家の選んだ「新古今和歌集」より地味で堅実な、敢えて言えば水墨画のような印象。
ウジェーヌ・イヨネスコ
「禿の女歌手」
★★言葉遊びの不条理劇。面白いタイトルで中学時代から読みたかった戯曲だが、”幽霊の正体見たり枯れ尾花”。ナンセンスの極みと言うべし。
「授業」
★★これもまた言葉が重要。個人教授が熱くなる余りやって来た女子生徒を殺してしまう。それも一人ではない。一日に数十人(笑)
「椅子」
★★2人の老夫婦が観客には姿の見えない来客を相手にするうち、客が観客になってしまう? 椅子が主人公らしい。
「犀」
★★★弱さから町中の人間が犀になる。反全体主義がテーマらしく、初期と違ってお話らしいお話がある。
楊 衒之
「洛陽伽藍記」
★★北魏に出自を持つ作者が首都の洛陽にある寺院について述べる地理書であると同時に歴史書でもある。なくなった国へのレクイエム。
三木 清
「人生論ノート」
★★★★習慣、噂、感傷、怒、虚栄など、別々の項目を扱っているように見えながら、幸福の方法に収斂していく。虚栄心と名誉心の違いが印象的。治安維持法下で難解な語彙を使って反全体主義を唱えているとも言えるだろう。
石川 啄木
「あこがれ」
★★歌集ではなく処女詩集。文語体なので解りやすいとは言えないが、啄木らしいロマンティシズムに富む。
三浦 綾子
「氷点」
★★★★テーマは人間の原罪。妻の不倫を疑う医師が殺された娘の代りに殺した男の娘を養女に迎えることで復讐しようとするが、その苦悩が家族全員に波及してしまう。この小説を読んだ後映画を再鑑賞したらいかにも展開が速すぎて物足りなく思えてきた。
ジョン・バニヤン
「天路歴程」
★★真の信仰に到達する苦難の道を巡礼の形で表現する寓意物語。人間の性格を表す抽象概念が擬人化されて無数に登場するのがいかにも英国の作品らしい。キリスト教は面倒くさいや。
阿仏尼
「十六夜日記」
★★★前半は「街道記」などと同じルートの紀行文。彼女が鎌倉へ赴いたのは土地相続の問題を幕府に訴え、解決する為。彼女の死後30年にしてその息子が勝訴を勝ち取る。
江戸川 乱歩
「黒蜥蜴」
★★★途中まではアルセーヌ・ルパン風の明朗さであるが、終盤になり乱歩ならではのエロ・グロが爆発する。
「押絵と旅する男」
★★★★十二階は怖いよの十二階(凌雲閣)が出て来る。人間が押絵の中に入ってしまう幻想譚の極北。こんな話を映画化する殊勝な監督もいました。
「双生児」
★★エドガー・アラン・ポーのミステリーを想起させる短編ミステリー。トリックに復讐される犯人。映画化あり。
「人でなしの恋」
★★★恋されるのが人でなし。初期らしい異常心理ものと言って良いでしょう。
ギヨーム・ド・ロリス(前篇)、ジャン・ド・マン(後篇)
「薔薇物語」前篇
★★★“わたし”が薔薇に仮託される恋人と結ばれるまでの冒険を描く、13世紀前半の韻文物語。夢の中の出来事という体裁で、擬人化された抽象概念が活躍する形式は、上述した400年後の「天路歴程」にそのまま受け継がれる。
「薔薇物語」後篇
★凡そ半世紀後に別人に書かれた続編。しかし、恋愛成就は大義名分で、その過程で対立する宗派への批判、女性批判など雑多なテーマが主張される。言いたいことがあり過ぎて、誰が誰に話しているか支離滅裂になるところが多い。
林 芙美子
「浮雲」(再)
★★★★★映画版も傑作だが、この小説の物凄い生活感情があって初めて成り立ったように思う。戦後日本文学の最高峰だ。
ガリレオ・ガリレイ
「新科学対話」
★★長い板は太くても何故折れやすいかを物理的に解明しようとするうち、話が落下速度や振り子の原理に脱線する。これが二日目までの内容で、読み物としてはここまでが面白い。後半三日眼・四日目は物理を研究する者以外には殆ど意味がない。ただ、落下速度を考える時“比例中項”という概念が大事であることはよく解る。
アンドレ・ジッド
「女の学校」
★★★「ロベール」と不離一体の作品なので単独で判断しかねるところがあるが、「ロベール」を読んだ後では、妻の日記の形で紹介される本編の方が男性読者としても納得できる。
「ロベール」
★★夫君ロベールの言い訳の巻。妻エヴリーヌの言い分が正しいように感じられる。夫婦間の偽善。娘の立場を描く第3作「ジュヌヴィエーヴ 未完の告白」は数年前に読んだ。
「法王庁の抜け穴」
★★★法王庁VSフリーメーソンの闘いに、無償の行為を試みる青年が絡んでくる。無償の行為とは意味のない殺人である。カトリック風刺が基調であろうが、青年の心理にアプローチする哲学性を打ち出して難しくなってしまった。
景戒
「日本霊異記」
★★★日本最大の説話集「今昔物語」に採用された仏法説話多し。全116話ながら、善をなせば良い報いを、悪を成せば悪い報いを受けるといった数パターンの繰り返しで、続けて読むと飽きる。
ロイス・ローリー
「ギヴァー 記憶を注ぐ者」
★★★★★気候までも制御している世界という設定は正にSFだが、全体主義に対する寓話性が高い。人々に色覚がないのは皆一律の世界にいることの象徴で、感情までも管理する世界に生きて幸せなわけがない。そこにいるとそれに気付かない怖さがある。
レオニード・M・レオーノフ
「泥棒」
★★★レオーノフ自身を投影したフィルソフという作家が発表した実話小説をめぐる解題のような小説で、作者と登場人物が交錯し、時に登場人物は作者にその行動が規定され、時に作者とは関係なく行動し、そこに作者自身の批評も加わる、という合わせ鏡のようなメタフィクション。こうした実験的スタイルで、ロシア末期の風潮を引きずって混乱する初期ソ連を舞台に文明論を打ち出す野心作。本作に社会主義リアリズムの無味乾燥のつまらなさはない。
河竹 黙阿弥
「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」
★★★人物名は幡随院長兵衛が正しいが、漢字七文字に収まらないので院を省略したらしい。黙阿弥の中で特段評価の高い作品ではないが、義理人情という現代人も未だ好みそうな世界。
「四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)」
★★江戸時代に実際にあった御金蔵破りの顛末。明治時代に入り写実性が入ったのと引き換えに、大袈裟な表現がなくなり、個人的には江戸時代の作品に好きなものが多い。
「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」
★★★不倫の疑いをかけられた男女の顛末、及び、「村井長庵」と同類の悪党医師の非情。人物は重なっても二つの話自体は全く絡み合わないので、西洋ドラマの観点からは評価しにくいが、個々の完成度はどちらも非常に高い。オムニバスと思えば傑作と言うべし。
「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」
★★明治になり商人に転身したものの、二人の子供を抱えて借金に苦しめられる元侍の不幸。しかし、信心が奏功したのか、深川に身を投げたことから全てが良い方に向かう。明治初期の社会を切り取ったところに面白味あり。
ダフネ・デュ・モーリア
「恋人」
★★★★ロマンティックなお話ながら、主人公の男性が“あわや”という目に遭ったことを後日知るという展開。奇妙な味に通ずる好短編。
「鳥」
★★★★★ヒッチコックの同名映画の原作。御大は着想を戴いただけと言うが、別の主人公を創造しながらも、本作主人公の見聞を随所に生かしている。映画におけるジャングルジムのカラスに相当する、波に見えるカモメの部分が怖い。
「写真家」
★★煩くなったアヴァンチュール相手を殺す上流階級の夫人の顛末。かなり型通りながら、恐怖小説的な余韻を残す。
「モンテ・ヴェリタ」
★★★山に消えた女性を巡るミステリアスな幻想譚。山岳での宗教的神秘を扱ったところが似ているジェームズ・ヒルトン「失われた地平線」の後では少し弱いが、物語の純度はこちらのほうが高い。中編の力作。
「林檎の木」
★★★★これこそ正に奇妙な味。枯れかけた林檎の木に思い出したくない亡妻の影を感じてしまう初老男性が、憎悪を向ける木に色々といじわるをされる。彼の思い込みなのか否か?
「番(つがい)」
★★★★★書き手も或いは?という落ちのある物語。勘の良い人にこの邦題は良くないと思う(原題は「老人」)。短くて実に面白い。
「裂けた時間」
★★★★昨今のタイムループ映画によくある設定なので、若い人には何ということもないだろうが、1950年初頭の発表を考えると実に新しい。そのハンディを加味すると相当の傑作と言うべし。
「動機」
★★★出産を楽しみにし自殺する理由のない上流夫人が謎の猟銃自殺。その理由の判明する最後が「番」のようにはピンと来にくいが、きちんと読めばピンと来るはず。僕がきちんと読んでいなかったのだ。
ジョン・シング
「海に行く騎者」
★★詩的な一幕もの。作者はアラン島の庶民をモデルにした作品が多く、これも海に携わざるを得ない父、夫、子供達を次々に失う母のお話。
「西の人気者」
★★★父親を殴り殺して逃げた先で女性たちの英雄となり自信を持つ男と、その話が誇張であったことが発覚して婚約を解消する娘。ナンセンスに近いがここにもアイルランドらしい生活感がある。
中江 兆民
「一年有半」
★★★★作者晩年の随筆。気持ち良いくらい歯に衣着せぬ政治批判が多い。残りは好きな文楽・歌舞伎への言及。原文でも読めるけれど、時間が倍くらいかかるので、現代語訳で読む。
ジェームズ・バリー
「ピイタア・パン(ピーター・パン)」
★★★小説版ではなく、今ではなかなか読めない戯曲版。ト書きが異様に長く、アクションも多いので、どちらかと言えば非戯曲的。しかし、つくづく「となりのトトロ」の原点だなあと思う。
ヘンリック・イプセン
「ペエルギュント(ペール・ギュント)」
★★★伝説をベースにした波乱万丈の物語だが、テーマは近代人の自我と言うべし。主人公は自我の追求に埋没して悲劇的な人生を送るのだ。
アラン=ルネ・ルサージュ
「ジル・ブラース物語」
★★★悪漢小説のフォーマットを使った波乱万丈の出世物語。幾つもの入れ子があり、入れ子の中に入れ子もあるマトリョーシカ構造。長すぎて(4分冊)時に冗長に陥るが、まあ楽しめる。
ジャン=ポール・サルトル
「自由への道 第一部:分別ざかり」
★★★★作者の分身たる哲学教授マチウが妊娠した恋人の堕胎費用捻出に奔走するお話を通して自由の意味を問う。彼については他人を鏡にして写そうとするので台詞が多く、周囲の人物については英国の“意識の流れ”に近い。
「自由への道 第二部:猶予」
★★★★近づく戦雲に動かされる群像劇をモンタージュ手法で描く。映画のカットバックに相当するものを多用し、マッチカット的に繋ぐところが多い。映像と違って全く解りにくいが、だからこそ凄いのだ。
「自由への道 第三部:魂の中の死」
★★★戦時中が舞台になり、群像劇スタイルは次第に放棄される。第一部はやがてマチウの兵隊生活記に収斂し、第二部は彼の知人ブリュネの収容所でのお話のみ。第二部は改行がないので少し読みにくい。
「自由への道 第四部:奇妙な友情」
★★ブリュネの独収容所でのお話だが、未完。共産主義にシンパシーを持っていたサルトルの共産党の方針への批判が背景にありそうだ。
近松 半二(原作)
「奥州安達原」
★竹田出雲らとの共作。素材は前九年の役後の安倍兄弟。親子兄弟のややこしい関係が、一部しか読めない今回のケースではどうもよく解らない。時代物は日本史に精通していないとつらい場合がある。
「本朝廿四孝」
★★★素材は上杉謙信と武田信玄の争い。そっくりさんが活躍するのも浄瑠璃にはよくある設定で、親がそうとは知らずに子を殺したり、忠義の為に故意に殺したり、いやはや恐ろしい。
「近江源氏先陣館」
★★★★三好松洛らとの共作。浄瑠璃の時代ものには、忠義と肉親の情との狭間で苦しむ作品が多いが、本作は珍しくも肉親の情が勝つ。そこが良い。と言ってもそう単純ではないのだが。素材は主君を違える佐々木盛綱と高綱兄弟の闘い。
「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」
★★★★竹田小出雲(彼が主筆?)らとの共作。。安珍清姫もので、お話が面白くハッピーエンドなのが良い。
「由良湊千軒長者(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)」
★★★竹田小出雲らとの共作。山椒大夫もの。因果応報の幕切れが哀れじゃね。
「三日太平記」
★三好松洛らとの共作。明智光秀(武智光秀)の最後をめぐる息子の哀れ。個人主義となった現在の人間にはピンと来にくい。
竹田 出雲(原作)
「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)」
★★竹田和吉との共作。鎌倉末期後醍醐天皇と北条氏との確執をめぐる騒動の三段目に相当する。例によって身代わりの死が出て来るが、身代わりの身代わりというところが新味。
司馬 芝叟(原作)
「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」
★★筒井半平との共作。仇討もので、後に仇討する主人公(幼年時代)をめぐる乳母の人情の表現が曖昧。
「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」
★★★非人と病気と仇討を組み合わせるのが作者の傾向。最後のヒロインの執念が凄い。原作由来の文章が迫力満点。
梅野 下風、近松 保蔵(原作)
「彦山権現誓助劔(ひこやまごんげんちかいのすけだち)」
★★★桃山時代を背景にしたフィクションの仇討もので、実に構成がしっかりしているのだが、親の為に子供が死ぬ儒教精神は好かない。
菅 専助(原作)
「紙子仕立両面鑑(かみこじたてりょうめんかがみ)」
★★助六ものを代表する浄瑠璃だが、遊女に入れあげた助六が勘当されて落ちぶれた末に、誤解が解けてハッピーエンドとなる。全体としては他愛ない喜劇。上方ものらしい可笑し味が読むだけでは感じにくい。
容 楊黛(原作)
「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」
★★★女性版「忠臣蔵」の趣き。あれほどややこしくはなく、お話の構図が解りやすいのが良い。
ドニ・ディドロ
「ダランベールの夢」
★★★第一部「ダランベールとディドロとの対話」、第二部「ダランベールの夢」、第三部「対話の続き」。全てプラトン風の対話で進む生命論である。キリスト教の原理に逆らうと言って良い、唯物論的生命論には進化論の萌芽があると思う。第三部では自慰は何の問題でもないと説く。
ゴットホルト・E・レッシング
「ラオコオン」
★★★★ローマの彫刻“ラオコーン像”に徹底的に当たって文学と美術の差を論ずる芸術論。微に入り細を穿って面白い。後年レッシングの解釈に誤りありと解ったところもあるが、ゲーテなどの創作に大きな影響を残したらしい。
有島 武郎
「ドモ又の死」
★★★有島武郎の戯曲は初めて(唯一の戯曲?)。しかも、ブレヒトばりの異化効果もある前衛戯曲とは・・・驚きましたなあ。
「或る女」(再)
★★★★ほぼ同じ時代に漱石が近代人の自我の問題を男性中心に扱ったのに対し、これはその女性版と言って良いのではないか。読み応えあり。大正初めに書かれているが、戦後の文学のようだ。
長田 秀雄
「大仏開眼」
★★★聖武天皇による大仏建造をめぐる争い。戦中本作を上演した劇団が解散の憂き目に遭ったとか。別に何ということもないようなのに、過剰な反応だな。
フェルナンド・デ・ローハス
「ラ・セレスティーナ」
★15世紀末に発表された対話形式の小説。上演を目的としていない戯曲と言えないこともない。しかし、現代人が読むには余りにも語りが冗長。
宗 懍(そう・りん)
「荊楚歳時記」
★★★6世紀中国南北朝時代(梁)に書かれた本文は味気なく、隋の杜公瞻(と・こうせん)による詳細な注の方が面白い。日本の年中行事は大半が中国由来ということがよく解る。
アントン・チェーホフ
「可愛い女」(再)
★★★★自我というものを持たない為に人生が受動的にならざるを得ない女性の悲哀。主人公は男でも良いわけで、これを女性蔑視と決めつけるのは狭量。チェーホフらしい珠玉短編だ。
「グーセフ」(再)
★★★ナロードニキ的思想への鎮魂歌か? 自身の死への予感も背景に揺曳し、感慨を呼ぶところあり。
ポール・ヴァレリー
「ヴァリエテ」
★★20世紀前半最高の頭脳とも言われる詩人・評論家の評論集。最初の欧州文明論「精神の危機」は解りやすく面白い。他は哲学的で相当難しい。表現が頗る詩的なのが詩人の手になる感を強くする。
「ヴァリエテII」
★★こちらは全て文学論。しかし、そう直球ではない。興味深いのは、ポードレールとポーの関係で、ポードレールがポスト・ロマン主義に傾倒するにおいてポーの影響の大きさを指摘する一方で、ポードレールがいなければポーは英米から消えていたかもしれないと言う。
奈河 亀助
「競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)」
★★★素材は文徳天皇の跡目争い。それに巻き込まれた在原業平と井筒姫の代りに死ぬ夫婦の悲劇。例によって忠義により親が子供を亡き者にする。儒教に勢力の有った時代(舞台は平安時代だが、実際は江戸時代と思うべし)に生きていず良かったよ。
奈河 篤助(二代目亀助)
「敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)」
★★浄瑠璃「敵討襤褸錦」にも似た敵討ちもので、家宝を巡る騒動が出て来る辺りも型通り。江戸時代のお話を無理に室町時代にするからしっくり来ないところが出て来る(毎度のことながら)。
桜田 治助
「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」
★★★★所謂伊達騒動に“累もの”の要素を加えて相当面白い。僕が読んだのは作者のオリジナルではなく、他作から導入して再編集したものだが、この題名では桜田のものになる。時代物によくある身代わりにも新味あり。
プロスペル・メリメ
「エトルリアの壺」
★★★★恋人への誤解を解いた直後に何故か死ぬ道を選ぶ男の心理の不条理。「カルメン」という代表作のあるメリメはいつも暗鬱でやりきれない。
ジョン・キーツ
「エンディミオン」
★★★ギリシャ神話に基づき月の女神ディアナと羊飼いエンディミオンの関係を綴った長編叙事詩。25歳で夭折した作者は女神をシンシアと呼び、どうもインドの女神を想定していたようだ。英国ロマン主義の代表作。
並木 正三
「宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)」
★★作者本人が出て来るメタフィクション的な作劇が新鮮。僕が読んだ台本では主人公が死ぬまでは描いていないもののすれ違い悲劇と言えるものながら、序盤の人名を使った洒落などは可笑しい。
近松 徳三
「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」
★★歌舞伎・浄瑠璃のお家騒動には家宝がつきもので、それを取り戻すのが主題となることも多い。本作もそれに倣っているが、歌舞伎オリジナルの台本にしてはお話が解りにくい。
金沢 竜玉(三代目中村 歌右衛門)
「渡雁恋玉章(わたるかりこいのたまずさ)」
★★通称“雁のたより”。歌舞伎全体の傾向でもあるが、竜玉さんは偶然性が高すぎる。落ちぶれた元武士がたまたま訪れた殿様の妾が自分の元許嫁と判明する大団円。
「積情雪乳貰(つもるなさけゆきのちもらい)」
★★★通称“乳もらい”。自分が雪の日に犯した女性が自分の元妻で、貰い受けた子供が彼女が生んだ子供で、妾として彼女いる家に乳を貰いに行くというのだから、偶然の積み重ねが凄い。作為的すぎて気に入らないが、こちらのほうが面白い。
ジョンストン・マッカレー
「地下鉄サム」
★★★地下鉄専門のスリであるサムと、彼を追う刑事(訳書に探偵とあるのは公立探偵の意味なり)の関係は、ルパン三世ととっつぁんの関係を思い出させる。ユーモラスな連作短編集。
P・G・ウッドハウス
「専用心配係」
★★無数にあるジーヴズものの短編集。日本独自の編集かもしれないが、余りに多くて調べる気にもならない。ジーヴズは賢い執事で、八面六臂の活躍をする。できればミステリーものを読みたかったな。
吉行 淳之介
「砂の上の植物群」
★★★★主人公の心理を文字通り細胞分裂を顕微鏡で見るように見るところが面白い。映画版を先に観ているせいもあるが、文章が鮮烈な映像として頭に浮かぶ印象がある。
石川 達三
「人間の壁」
★★★★昭和三十二年頃の小学校教師の実話に取材する。日本の政治が選挙で票の取れる層が喜ぶ政策を選んで教育を蔑ろにしているのは、今と全く変わらない。あの時代は生徒の長期欠席は家業(農業・漁業)の為であり、現在はいじめの為であるというのが違うくらい。小学校の先生は益々大変になっている。
アンリ・ベルグソン
「創造的進化」
★★生命は衝動で進化を始めたという分析。これを理解するには機械論でも目的論でもダメ。即ち知性ではなく直観で分析する必要があるということ。以上が内容であろうが、進化論という実証科学的理論を哲学的見地から裏打ちしようとするのを読むうち、哲学の成長が科学の進歩と不可分であり、それと共に発展してきたことが理解できるような感じ。
さて、年初を飾る年間読書録発表も7回目を迎えました。相変わらず、古いものばかり読んでおるのは、昔百科事典と幾つか持っている文学年表に基づいて作ったリストを潰しつつ読んでいるから。長いものも読みこなし、リストの残りも大分減ってきましたよ。
そんなわけで、本年以降、少なくとも日本の小説に関しては、1960年代以降のものが徐々に増えて来ると思います。僕みたいなもの好きでなければ、喜ばしい傾向でございましょう(笑)。
皆さんには余り関心が持てないでしょうが、まず我が邦の勅撰和歌集の八代集(八大集とあるのは間違い)を十年がかりで、長年の目標である「文選(もんぜん)」を二年がかりで読み終えました。昨年の二大事件です。
もう一つの目標であったサルトルの哲学書「存在と無」は僕が利用できる図書館でずっと借りられているので今年は断念。3分冊の2巻目だけがずっと借りられていることを考えると、返していない人がいると推測できます。図書館員に告げましたが、冷たい扱いを受けました(笑)。来年予約を入れれば事実関係がチェックできると思います。その代わり、サルトルでは6分冊(4巻)の長い小説「自由への道」を読破。
リストを賑やかにする目的も兼ねて、長い書物の間には洋の東西を問わず戯曲を読む。昨年同様、作者名の後に(原作)とあるのは、丸本歌舞伎の台本ということ。例えば、歌舞伎作者・河竹黙阿弥のものはご本人が書いた文章ですが、(原作)とあるのは浄瑠璃から歌舞伎用に翻案した書き手不明の台本ということです。この類は2020年以降は出て来ないと思います。
ところで、昨年の途中にウェブリが刷新されて、一行の表記文字数が大分少なくなった為に、一行に拘らずにコメントを記さざるを得なくなり、後半は少し長めのものが増えてきました。その関係で、読みやすくなるように工夫も。コメントの前に★を加えたのもその一環で、これは評価とイコールではなく、楽しめたかどうかインパクトがあったかどうかが判断基準。
そして、2020年からは芥川賞・直木賞に倣って前期・後期としようかとも考えています。一年間下書きを保存するのは結構つらいものがありましてね。賛成の人は手を挙げてくださいませ(笑)。
さて、2019年度は、作品としての価値が高くても一般の人には知られていないものがさらに多くなっていると思われますが、皆さんのお読みになっている作品はございますか? ご笑覧あれ。
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P・エルショーフ
「せむしの小馬」
★★★ズルを知らないおバカさんが、それが故に王様になる波乱万丈の童話。こりゃ面白い。
大江 健三郎
「万延元年のフットボール」
★★★★1960年代の学生運動と作者自身の出自・内面を二重らせん状に絡み合わせた魂の書。
「洪水はわが魂に及び」
★★★上とはネガ・ポジ反転のようなところがある。こちらのほうがピンと来にくいが、短編で苦手意識のあった大江健三郎が長編では意外と面白い事に気がついたのが収穫。
ヴィクトル・ユゴー
「レ・ミゼラブル 第一部:ファンテーヌ」(再)
★★★★ジャン・ヴァルジャンもファンテーヌも憐れ。一般によく知られる食器泥棒のお話はこの部分にある。
「レ・ミゼラブル 第二部:コゼット」(再)
★コゼットはファンテーヌの娘。ワーテルローの歴史評論的部分が細をうがちすぎで、ちと退屈。
「レ・ミゼラブル 第三部:マリユス」(再)
★★マリユスはコゼットの恋人。第二部よりは物語部分が多い。ヴァルジャンはどこまでも不運。
「レ・ミゼラブル 第四部:叙情詩と叙事詩
ブリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌」(再)
★★★引き続きマリユスとコゼットの恋模様。大分盛り上がる。
「レ・ミゼラブル 第五部:ジャン・ヴァルジャン」(再)
★★★★歴史評論とドラマが遂に一体化する。
大庭 みな子
「三匹の蟹」
★★夫の赴任先アメリカでのアヴァンチュールも寂寥感を拭えない日本女性。評価高いがピンと来ず。
丸谷 才一
「年の残り」
★★★“意識の流れ”を意識した、ややミステリー色もあって相当面白い芥川賞受賞作。
チャールズ・ディケンズ
「デイヴィッド・コパフィールド」
★★★自分の経験を大分取り込んだディケンズで一番長い小説。自叙伝かと思われるほど気分が出ています。
作者不明(日本)
「海道記」
★★★鎌倉初期の、無常観に横溢する和漢混交の紀行文。松尾芭蕉なども親しんでいたのではないか。
「東関紀行」
★★★少し時代は下るが「海道記」と同じルートの鎌倉時代の紀行文。同じ和漢混交文でも和文寄り。
「義経記(ぎけいき)」
★★史実とは大分違う庶民向け英雄譚。小学生の時子供向けを読み、地元の地名が出て来たのに興奮した。室町時代に書かれたこのオリジナルにも出て来て嬉しい。
弁内侍(藤原 信実 娘)
「弁内侍日記」
★★鎌倉初期の貴族風俗がよく解る。“おかし”が現在の意味に近づいている。“おかし”が“おかしい”の意味になり、いとおかし。
作者不明(海外)
「ピエール・パトラン先生」
★★15世紀フランスの笑劇。三つ巴の騙し合いの可笑しさ。
エラリー・クイーン
「Yの悲劇」(再)
★★★★今読むと犯人はすぐに分るね。日本では常にトップクラスの評価を得て来た本作を読み返すと本格推理にドラマ性を求められないことが解る。その点ではアガサ・クリスティのほうが上か?
小杉 天外
「初すがた」
★★★樋口一葉「たけくらべ」とエミール・ゾラと洒落本が合体するとこんな感じになる?
「はやり唄」
★★やはりゾラの写実主義がベースにあるが、内容はフローベール「ボヴァリー夫人」に近いだろうか。
藤森 成吉
「若き日の悩み」
★★★★主人公は漱石的に過敏すぎるのだが、それも青春の特権なのだろう。切ない。
「磔茂左衛門」
★★戯曲。わが上州で起きた直訴事件の顛末。訴えは認められつつ行為は裁かれる封建制の理不尽。
アースキン・コールドウェル
「タバコ・ロード」
★★★「神の小さな土地」と同工異曲の感ありだが、コミカルであるし、信心に対しても皮肉っぽい。
谷崎 潤一郎
「母を恋ふる記」
★★★夢の記録。母親も耽美を求める谷崎の主題の一つ。
「麒麟」
★★初期短編。珍しくも孔子に材を求めている。それでも美女がテーマなのが谷崎らしい。
「瘋癲老人日記」
★★★★死後も嫁の足下に伏したいと願う変態爺さん。谷崎本人もかくもM的だったのか?
イポリット・テーヌ
「芸術哲学」
★★★民族性が芸術の表現に表れていることを説明する。
田久保 英夫
「深い河」
★★米軍基地に隣接する徴用牧場でバイトする男女大学生の経験に現れる反戦気分。芥川賞受賞作。
ハンス・カロッサ
「美しき惑いの年」
★★作者は20世紀のオーストリア人だけれど、一連の自伝小説はゲーテ以来の教養小説の系譜にある。
岡本 かの子
「河明り」
★★★女性作家が執筆用に借りた家の所有者の娘とその婚約者のために行動する羽目になる。岡本かの子は昭和初期の天才。
松本 清張
「日本の黒い霧」
★★★★GHQの勢力争いに勝ったG2の思想が自民党系保守に脈々と生きているという気がする。
フリードリヒ・ニーチェ
「悲劇の誕生」
★★★ディオニュソス的なものとアポロ的なものの関係とは、「万葉集」と「古今和歌集」の関係みたいなものと勝手に考える。
葉山 嘉樹
「淫売婦」
★★★短編。横浜で肺病になった女を男たちに見せることで彼女を食わしていく労務者二人。
エドマンド・スペンサー
「妖精の女王」
★★古代ギリシャ・ローマ神話や聖書、英国に関する知識を総動員し、エリザベス1世への崇拝を寓意で表現し続ける大長編叙事詩。労作ぶりに頭が下がる。
木下 順二
「オットーと呼ばれる日本人」
★★★★戯曲。スパイとして処刑された尾崎秀実こそ愛国者であったという僕の印象と全く一致する。
「風浪」
★★★散切り頭を叩いても実際にはなかなか文明開化の音はしなかったのかもしれない。デビュー作。
大佛 次郎
「角兵衛獅子」
★★★★子供向けの鞍馬天狗もの。美空ひばり主演の映画版よりずっと面白いぞよ。
「赤穂浪士」
★★★架空の人物三人を狂言回しとして歴史的事件を捌いているので、歴史小説というより時代小説。僕はその狂言回し三人がさほど機能しているようには思えないのだが。
フョードル・M・ドストエフスキー
「二重人格」
★★ロシア伝統の低級官僚の悲哀をより現代化した印象。ゴーゴリ「狂人日記」の影響大。
「賭博者」
★★★バーデン=バーデンでの賭博による破産と別の失恋とを抱き合わせて書いた自伝的小説。ドストとしては通俗的な要素も多く、親しみやすい。
アンリ・バルビュス
「クラルテ」
★★出征して社会観を変えた作者の経験に基づく小説。一種の散文詩なのに直截な主張が興ざめ。
会津 八一
「鹿鳴集」
★★★「万葉集」に傾倒。自註付きで、昔味わってみた「南京新唱」がぐっと解りやすくなった。
ポール・ヴェルレーヌ
「叡智」
★ランボーに発砲し投獄された後すっかりカトリシズムに転向した後のヴェルレーヌ。抹香臭すぎる。
福沢 諭吉
「福翁自伝」
★★★★咸臨丸での渡米がハイライトだろうが、意外とあっさり。自己の性格分析が面白い。
「西洋事情」
★★★福沢自身の文章より翻訳が多いが、自由翻訳に近い。とにかく、現在の学校制度を観ても、この書物がその後の日本に与えた影響は計り知れないように思う。
昭明太子(撰)
「文選:文章篇」
★★諸子百家は文学的でないとして排除。文章と言っても、非常に詩的。中国南北朝(6世紀)当時の文学観が解る。
「文選:賦篇」
★★★★賦というのは詩と散文の間。形は散文に近いが、韻を踏んでいるので散文に近い詩とも言える。王朝や君主への賛美が多く、「万葉集」における長歌に大きな影響を残したという。書き下し文が非常に美しい。
梅崎 春夫
「幻化」
★★★作者の生涯を知らないと理解できない小説だが、それでも作者の生涯が小説から見えて来る。
正岡 子規
「歌よみに与ふる書」
★★★★歌人に対する皮肉たっぷりの歌論。相当面白い。
ギ・ド・モーパッサン
「テリエ館」
★★★娼婦という職業を否定せず、宗教を揶揄する。皮肉が効いた好短編。
E・T・A・ホフマン
「マドモアゼル・ド・スキュデリ」
★★★意外にもちょっとしたミステリー。実在した作家スキュデリ嬢が探偵に相当するが、謎を解明するわけではない。
斎藤 緑雨
「かくれんぼ」
★一種の花柳小説だが、短編とは言え、文語で句点が一つもないのはつらい。
ミハイル・ショーロホフ
「開かれた処女地」
★★社会主義リアリズムは面白くないが、伝統的な描写は魅力。ソ連では彼の文才が生かされない。
富田 常雄
「姿三四郎」
★★★何度も映像化された有名作。後半調子が落ちるのと、乙美を殺してしまうのが気に入らない。
水上 勉
「飢餓海峡」
★★★★★映画は明確に示さなかったが、やはり男は女への詫びの為に死んだのだ。小説も素晴らしい。
ロバート・ルイス・スティーヴンスン
「宝島」
★映画版の一つを見たはずだが、こんな話だったか。今一つわくわくできないのは、戦前の訳でピンと来ない単語や措辞が多いからかもしれない。
宮本 武蔵
「五輪書」
★★★“ごりんのしょ”。そういうつもりで読んだわけではないが、大した自己啓発本じゃね。
編者不明
「閑吟集」
★★★室町時代の小歌(こうた)集。短歌より現在の口語に近いので親しみやすい。
アルフォンス・ドーデ
「月曜物語」(再)
★★何と言っても教科書に載っていた名短編「最後の授業」。これに代表されるアルザス・ロレーヌの物語集。
中井 英夫
「虚無への供物」
★★★★★ミステリーや映画に関する衒学がもの凄くそれによってアンチ・ミステリーの立場を打ち出す。このミステリー自体を登場人物が書いているのかもしれないという見えない入れ子構造の面白さ。
フェーリクス・ザルテン
「バンビ」
★★★★童謡はよく知っているが、映画版の記憶も曖昧。子供時代に読んだら相当感動しただろう。
小栗 虫太郎
「完全犯罪」
★★★苗族共産党の軍人が探偵役なのが珍しい。トリックとしてはそこそこ。
「後光殺人事件」
★★小栗にはどうも衒学趣味を期待してしまう。その意味では彼らしくない。
ジェームズ・フレーザー
「金枝篇」
★★★★呪術の形式化の度合いによりその民族の進化度が分るように読める記述はあながち間違いではないと思う。作者は恐らく完全主義者で、無数の例証により信じがたい大著になった。僕が読んだのは、例証の多くを省略し、典拠を記さない簡約版。それでも相当長いよ(文庫本5分冊)。
長谷川 伸
「関の弥太っぺ」
★★★任侠が真に任侠であった時代のお話。主人公の少女への純真が泣かせる。
「暗闇の丑松」
★★★一種の仇討ものと言うべし。任侠というよりは人情だねえ。
エミール・ゾラ
「ごった煮」
★★パリを訪れた野心的な青年を狂言回しにしたアパート住人の愚劣な生体。
クレメンス・ブレンターノ
「ゴッケル物語」
★★★鶏が劇的な活躍をするファンタスティックな詩的童話。ロマン主義じゃね。
夏目 漱石
「彼岸過迄」(再)
★★★★後期三部作の第一作。連作短編集が長編を成す趣き。編が進むにつれ、近代的自我の問題が深化していく。
「行人」(再)
★★★★★十代で読んだ時よりずっと面白かった。妻への疑惑が嫉妬ではなく孤独化に進む自我。
「こころ」(再)
★★★★★死んだKにも嫉妬が外に向わず内向する近代人の自我がある。残された先生は愛と自我との相克に苦悩した末に時代に殉死する。後期三部作は、感情に落ち込めないインテリ(近代人)の悲劇だ。
藤原 俊成(撰)
「千載和歌集」
★★★七番目の勅撰和歌集。息子・定家の選んだ「新古今和歌集」より地味で堅実な、敢えて言えば水墨画のような印象。
ウジェーヌ・イヨネスコ
「禿の女歌手」
★★言葉遊びの不条理劇。面白いタイトルで中学時代から読みたかった戯曲だが、”幽霊の正体見たり枯れ尾花”。ナンセンスの極みと言うべし。
「授業」
★★これもまた言葉が重要。個人教授が熱くなる余りやって来た女子生徒を殺してしまう。それも一人ではない。一日に数十人(笑)
「椅子」
★★2人の老夫婦が観客には姿の見えない来客を相手にするうち、客が観客になってしまう? 椅子が主人公らしい。
「犀」
★★★弱さから町中の人間が犀になる。反全体主義がテーマらしく、初期と違ってお話らしいお話がある。
楊 衒之
「洛陽伽藍記」
★★北魏に出自を持つ作者が首都の洛陽にある寺院について述べる地理書であると同時に歴史書でもある。なくなった国へのレクイエム。
三木 清
「人生論ノート」
★★★★習慣、噂、感傷、怒、虚栄など、別々の項目を扱っているように見えながら、幸福の方法に収斂していく。虚栄心と名誉心の違いが印象的。治安維持法下で難解な語彙を使って反全体主義を唱えているとも言えるだろう。
石川 啄木
「あこがれ」
★★歌集ではなく処女詩集。文語体なので解りやすいとは言えないが、啄木らしいロマンティシズムに富む。
三浦 綾子
「氷点」
★★★★テーマは人間の原罪。妻の不倫を疑う医師が殺された娘の代りに殺した男の娘を養女に迎えることで復讐しようとするが、その苦悩が家族全員に波及してしまう。この小説を読んだ後映画を再鑑賞したらいかにも展開が速すぎて物足りなく思えてきた。
ジョン・バニヤン
「天路歴程」
★★真の信仰に到達する苦難の道を巡礼の形で表現する寓意物語。人間の性格を表す抽象概念が擬人化されて無数に登場するのがいかにも英国の作品らしい。キリスト教は面倒くさいや。
阿仏尼
「十六夜日記」
★★★前半は「街道記」などと同じルートの紀行文。彼女が鎌倉へ赴いたのは土地相続の問題を幕府に訴え、解決する為。彼女の死後30年にしてその息子が勝訴を勝ち取る。
江戸川 乱歩
「黒蜥蜴」
★★★途中まではアルセーヌ・ルパン風の明朗さであるが、終盤になり乱歩ならではのエロ・グロが爆発する。
「押絵と旅する男」
★★★★十二階は怖いよの十二階(凌雲閣)が出て来る。人間が押絵の中に入ってしまう幻想譚の極北。こんな話を映画化する殊勝な監督もいました。
「双生児」
★★エドガー・アラン・ポーのミステリーを想起させる短編ミステリー。トリックに復讐される犯人。映画化あり。
「人でなしの恋」
★★★恋されるのが人でなし。初期らしい異常心理ものと言って良いでしょう。
ギヨーム・ド・ロリス(前篇)、ジャン・ド・マン(後篇)
「薔薇物語」前篇
★★★“わたし”が薔薇に仮託される恋人と結ばれるまでの冒険を描く、13世紀前半の韻文物語。夢の中の出来事という体裁で、擬人化された抽象概念が活躍する形式は、上述した400年後の「天路歴程」にそのまま受け継がれる。
「薔薇物語」後篇
★凡そ半世紀後に別人に書かれた続編。しかし、恋愛成就は大義名分で、その過程で対立する宗派への批判、女性批判など雑多なテーマが主張される。言いたいことがあり過ぎて、誰が誰に話しているか支離滅裂になるところが多い。
林 芙美子
「浮雲」(再)
★★★★★映画版も傑作だが、この小説の物凄い生活感情があって初めて成り立ったように思う。戦後日本文学の最高峰だ。
ガリレオ・ガリレイ
「新科学対話」
★★長い板は太くても何故折れやすいかを物理的に解明しようとするうち、話が落下速度や振り子の原理に脱線する。これが二日目までの内容で、読み物としてはここまでが面白い。後半三日眼・四日目は物理を研究する者以外には殆ど意味がない。ただ、落下速度を考える時“比例中項”という概念が大事であることはよく解る。
アンドレ・ジッド
「女の学校」
★★★「ロベール」と不離一体の作品なので単独で判断しかねるところがあるが、「ロベール」を読んだ後では、妻の日記の形で紹介される本編の方が男性読者としても納得できる。
「ロベール」
★★夫君ロベールの言い訳の巻。妻エヴリーヌの言い分が正しいように感じられる。夫婦間の偽善。娘の立場を描く第3作「ジュヌヴィエーヴ 未完の告白」は数年前に読んだ。
「法王庁の抜け穴」
★★★法王庁VSフリーメーソンの闘いに、無償の行為を試みる青年が絡んでくる。無償の行為とは意味のない殺人である。カトリック風刺が基調であろうが、青年の心理にアプローチする哲学性を打ち出して難しくなってしまった。
景戒
「日本霊異記」
★★★日本最大の説話集「今昔物語」に採用された仏法説話多し。全116話ながら、善をなせば良い報いを、悪を成せば悪い報いを受けるといった数パターンの繰り返しで、続けて読むと飽きる。
ロイス・ローリー
「ギヴァー 記憶を注ぐ者」
★★★★★気候までも制御している世界という設定は正にSFだが、全体主義に対する寓話性が高い。人々に色覚がないのは皆一律の世界にいることの象徴で、感情までも管理する世界に生きて幸せなわけがない。そこにいるとそれに気付かない怖さがある。
レオニード・M・レオーノフ
「泥棒」
★★★レオーノフ自身を投影したフィルソフという作家が発表した実話小説をめぐる解題のような小説で、作者と登場人物が交錯し、時に登場人物は作者にその行動が規定され、時に作者とは関係なく行動し、そこに作者自身の批評も加わる、という合わせ鏡のようなメタフィクション。こうした実験的スタイルで、ロシア末期の風潮を引きずって混乱する初期ソ連を舞台に文明論を打ち出す野心作。本作に社会主義リアリズムの無味乾燥のつまらなさはない。
河竹 黙阿弥
「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」
★★★人物名は幡随院長兵衛が正しいが、漢字七文字に収まらないので院を省略したらしい。黙阿弥の中で特段評価の高い作品ではないが、義理人情という現代人も未だ好みそうな世界。
「四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)」
★★江戸時代に実際にあった御金蔵破りの顛末。明治時代に入り写実性が入ったのと引き換えに、大袈裟な表現がなくなり、個人的には江戸時代の作品に好きなものが多い。
「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」
★★★不倫の疑いをかけられた男女の顛末、及び、「村井長庵」と同類の悪党医師の非情。人物は重なっても二つの話自体は全く絡み合わないので、西洋ドラマの観点からは評価しにくいが、個々の完成度はどちらも非常に高い。オムニバスと思えば傑作と言うべし。
「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」
★★明治になり商人に転身したものの、二人の子供を抱えて借金に苦しめられる元侍の不幸。しかし、信心が奏功したのか、深川に身を投げたことから全てが良い方に向かう。明治初期の社会を切り取ったところに面白味あり。
ダフネ・デュ・モーリア
「恋人」
★★★★ロマンティックなお話ながら、主人公の男性が“あわや”という目に遭ったことを後日知るという展開。奇妙な味に通ずる好短編。
「鳥」
★★★★★ヒッチコックの同名映画の原作。御大は着想を戴いただけと言うが、別の主人公を創造しながらも、本作主人公の見聞を随所に生かしている。映画におけるジャングルジムのカラスに相当する、波に見えるカモメの部分が怖い。
「写真家」
★★煩くなったアヴァンチュール相手を殺す上流階級の夫人の顛末。かなり型通りながら、恐怖小説的な余韻を残す。
「モンテ・ヴェリタ」
★★★山に消えた女性を巡るミステリアスな幻想譚。山岳での宗教的神秘を扱ったところが似ているジェームズ・ヒルトン「失われた地平線」の後では少し弱いが、物語の純度はこちらのほうが高い。中編の力作。
「林檎の木」
★★★★これこそ正に奇妙な味。枯れかけた林檎の木に思い出したくない亡妻の影を感じてしまう初老男性が、憎悪を向ける木に色々といじわるをされる。彼の思い込みなのか否か?
「番(つがい)」
★★★★★書き手も或いは?という落ちのある物語。勘の良い人にこの邦題は良くないと思う(原題は「老人」)。短くて実に面白い。
「裂けた時間」
★★★★昨今のタイムループ映画によくある設定なので、若い人には何ということもないだろうが、1950年初頭の発表を考えると実に新しい。そのハンディを加味すると相当の傑作と言うべし。
「動機」
★★★出産を楽しみにし自殺する理由のない上流夫人が謎の猟銃自殺。その理由の判明する最後が「番」のようにはピンと来にくいが、きちんと読めばピンと来るはず。僕がきちんと読んでいなかったのだ。
ジョン・シング
「海に行く騎者」
★★詩的な一幕もの。作者はアラン島の庶民をモデルにした作品が多く、これも海に携わざるを得ない父、夫、子供達を次々に失う母のお話。
「西の人気者」
★★★父親を殴り殺して逃げた先で女性たちの英雄となり自信を持つ男と、その話が誇張であったことが発覚して婚約を解消する娘。ナンセンスに近いがここにもアイルランドらしい生活感がある。
中江 兆民
「一年有半」
★★★★作者晩年の随筆。気持ち良いくらい歯に衣着せぬ政治批判が多い。残りは好きな文楽・歌舞伎への言及。原文でも読めるけれど、時間が倍くらいかかるので、現代語訳で読む。
ジェームズ・バリー
「ピイタア・パン(ピーター・パン)」
★★★小説版ではなく、今ではなかなか読めない戯曲版。ト書きが異様に長く、アクションも多いので、どちらかと言えば非戯曲的。しかし、つくづく「となりのトトロ」の原点だなあと思う。
ヘンリック・イプセン
「ペエルギュント(ペール・ギュント)」
★★★伝説をベースにした波乱万丈の物語だが、テーマは近代人の自我と言うべし。主人公は自我の追求に埋没して悲劇的な人生を送るのだ。
アラン=ルネ・ルサージュ
「ジル・ブラース物語」
★★★悪漢小説のフォーマットを使った波乱万丈の出世物語。幾つもの入れ子があり、入れ子の中に入れ子もあるマトリョーシカ構造。長すぎて(4分冊)時に冗長に陥るが、まあ楽しめる。
ジャン=ポール・サルトル
「自由への道 第一部:分別ざかり」
★★★★作者の分身たる哲学教授マチウが妊娠した恋人の堕胎費用捻出に奔走するお話を通して自由の意味を問う。彼については他人を鏡にして写そうとするので台詞が多く、周囲の人物については英国の“意識の流れ”に近い。
「自由への道 第二部:猶予」
★★★★近づく戦雲に動かされる群像劇をモンタージュ手法で描く。映画のカットバックに相当するものを多用し、マッチカット的に繋ぐところが多い。映像と違って全く解りにくいが、だからこそ凄いのだ。
「自由への道 第三部:魂の中の死」
★★★戦時中が舞台になり、群像劇スタイルは次第に放棄される。第一部はやがてマチウの兵隊生活記に収斂し、第二部は彼の知人ブリュネの収容所でのお話のみ。第二部は改行がないので少し読みにくい。
「自由への道 第四部:奇妙な友情」
★★ブリュネの独収容所でのお話だが、未完。共産主義にシンパシーを持っていたサルトルの共産党の方針への批判が背景にありそうだ。
近松 半二(原作)
「奥州安達原」
★竹田出雲らとの共作。素材は前九年の役後の安倍兄弟。親子兄弟のややこしい関係が、一部しか読めない今回のケースではどうもよく解らない。時代物は日本史に精通していないとつらい場合がある。
「本朝廿四孝」
★★★素材は上杉謙信と武田信玄の争い。そっくりさんが活躍するのも浄瑠璃にはよくある設定で、親がそうとは知らずに子を殺したり、忠義の為に故意に殺したり、いやはや恐ろしい。
「近江源氏先陣館」
★★★★三好松洛らとの共作。浄瑠璃の時代ものには、忠義と肉親の情との狭間で苦しむ作品が多いが、本作は珍しくも肉親の情が勝つ。そこが良い。と言ってもそう単純ではないのだが。素材は主君を違える佐々木盛綱と高綱兄弟の闘い。
「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」
★★★★竹田小出雲(彼が主筆?)らとの共作。。安珍清姫もので、お話が面白くハッピーエンドなのが良い。
「由良湊千軒長者(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)」
★★★竹田小出雲らとの共作。山椒大夫もの。因果応報の幕切れが哀れじゃね。
「三日太平記」
★三好松洛らとの共作。明智光秀(武智光秀)の最後をめぐる息子の哀れ。個人主義となった現在の人間にはピンと来にくい。
竹田 出雲(原作)
「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)」
★★竹田和吉との共作。鎌倉末期後醍醐天皇と北条氏との確執をめぐる騒動の三段目に相当する。例によって身代わりの死が出て来るが、身代わりの身代わりというところが新味。
司馬 芝叟(原作)
「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」
★★筒井半平との共作。仇討もので、後に仇討する主人公(幼年時代)をめぐる乳母の人情の表現が曖昧。
「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」
★★★非人と病気と仇討を組み合わせるのが作者の傾向。最後のヒロインの執念が凄い。原作由来の文章が迫力満点。
梅野 下風、近松 保蔵(原作)
「彦山権現誓助劔(ひこやまごんげんちかいのすけだち)」
★★★桃山時代を背景にしたフィクションの仇討もので、実に構成がしっかりしているのだが、親の為に子供が死ぬ儒教精神は好かない。
菅 専助(原作)
「紙子仕立両面鑑(かみこじたてりょうめんかがみ)」
★★助六ものを代表する浄瑠璃だが、遊女に入れあげた助六が勘当されて落ちぶれた末に、誤解が解けてハッピーエンドとなる。全体としては他愛ない喜劇。上方ものらしい可笑し味が読むだけでは感じにくい。
容 楊黛(原作)
「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」
★★★女性版「忠臣蔵」の趣き。あれほどややこしくはなく、お話の構図が解りやすいのが良い。
ドニ・ディドロ
「ダランベールの夢」
★★★第一部「ダランベールとディドロとの対話」、第二部「ダランベールの夢」、第三部「対話の続き」。全てプラトン風の対話で進む生命論である。キリスト教の原理に逆らうと言って良い、唯物論的生命論には進化論の萌芽があると思う。第三部では自慰は何の問題でもないと説く。
ゴットホルト・E・レッシング
「ラオコオン」
★★★★ローマの彫刻“ラオコーン像”に徹底的に当たって文学と美術の差を論ずる芸術論。微に入り細を穿って面白い。後年レッシングの解釈に誤りありと解ったところもあるが、ゲーテなどの創作に大きな影響を残したらしい。
有島 武郎
「ドモ又の死」
★★★有島武郎の戯曲は初めて(唯一の戯曲?)。しかも、ブレヒトばりの異化効果もある前衛戯曲とは・・・驚きましたなあ。
「或る女」(再)
★★★★ほぼ同じ時代に漱石が近代人の自我の問題を男性中心に扱ったのに対し、これはその女性版と言って良いのではないか。読み応えあり。大正初めに書かれているが、戦後の文学のようだ。
長田 秀雄
「大仏開眼」
★★★聖武天皇による大仏建造をめぐる争い。戦中本作を上演した劇団が解散の憂き目に遭ったとか。別に何ということもないようなのに、過剰な反応だな。
フェルナンド・デ・ローハス
「ラ・セレスティーナ」
★15世紀末に発表された対話形式の小説。上演を目的としていない戯曲と言えないこともない。しかし、現代人が読むには余りにも語りが冗長。
宗 懍(そう・りん)
「荊楚歳時記」
★★★6世紀中国南北朝時代(梁)に書かれた本文は味気なく、隋の杜公瞻(と・こうせん)による詳細な注の方が面白い。日本の年中行事は大半が中国由来ということがよく解る。
アントン・チェーホフ
「可愛い女」(再)
★★★★自我というものを持たない為に人生が受動的にならざるを得ない女性の悲哀。主人公は男でも良いわけで、これを女性蔑視と決めつけるのは狭量。チェーホフらしい珠玉短編だ。
「グーセフ」(再)
★★★ナロードニキ的思想への鎮魂歌か? 自身の死への予感も背景に揺曳し、感慨を呼ぶところあり。
ポール・ヴァレリー
「ヴァリエテ」
★★20世紀前半最高の頭脳とも言われる詩人・評論家の評論集。最初の欧州文明論「精神の危機」は解りやすく面白い。他は哲学的で相当難しい。表現が頗る詩的なのが詩人の手になる感を強くする。
「ヴァリエテII」
★★こちらは全て文学論。しかし、そう直球ではない。興味深いのは、ポードレールとポーの関係で、ポードレールがポスト・ロマン主義に傾倒するにおいてポーの影響の大きさを指摘する一方で、ポードレールがいなければポーは英米から消えていたかもしれないと言う。
奈河 亀助
「競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)」
★★★素材は文徳天皇の跡目争い。それに巻き込まれた在原業平と井筒姫の代りに死ぬ夫婦の悲劇。例によって忠義により親が子供を亡き者にする。儒教に勢力の有った時代(舞台は平安時代だが、実際は江戸時代と思うべし)に生きていず良かったよ。
奈河 篤助(二代目亀助)
「敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)」
★★浄瑠璃「敵討襤褸錦」にも似た敵討ちもので、家宝を巡る騒動が出て来る辺りも型通り。江戸時代のお話を無理に室町時代にするからしっくり来ないところが出て来る(毎度のことながら)。
桜田 治助
「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」
★★★★所謂伊達騒動に“累もの”の要素を加えて相当面白い。僕が読んだのは作者のオリジナルではなく、他作から導入して再編集したものだが、この題名では桜田のものになる。時代物によくある身代わりにも新味あり。
プロスペル・メリメ
「エトルリアの壺」
★★★★恋人への誤解を解いた直後に何故か死ぬ道を選ぶ男の心理の不条理。「カルメン」という代表作のあるメリメはいつも暗鬱でやりきれない。
ジョン・キーツ
「エンディミオン」
★★★ギリシャ神話に基づき月の女神ディアナと羊飼いエンディミオンの関係を綴った長編叙事詩。25歳で夭折した作者は女神をシンシアと呼び、どうもインドの女神を想定していたようだ。英国ロマン主義の代表作。
並木 正三
「宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)」
★★作者本人が出て来るメタフィクション的な作劇が新鮮。僕が読んだ台本では主人公が死ぬまでは描いていないもののすれ違い悲劇と言えるものながら、序盤の人名を使った洒落などは可笑しい。
近松 徳三
「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」
★★歌舞伎・浄瑠璃のお家騒動には家宝がつきもので、それを取り戻すのが主題となることも多い。本作もそれに倣っているが、歌舞伎オリジナルの台本にしてはお話が解りにくい。
金沢 竜玉(三代目中村 歌右衛門)
「渡雁恋玉章(わたるかりこいのたまずさ)」
★★通称“雁のたより”。歌舞伎全体の傾向でもあるが、竜玉さんは偶然性が高すぎる。落ちぶれた元武士がたまたま訪れた殿様の妾が自分の元許嫁と判明する大団円。
「積情雪乳貰(つもるなさけゆきのちもらい)」
★★★通称“乳もらい”。自分が雪の日に犯した女性が自分の元妻で、貰い受けた子供が彼女が生んだ子供で、妾として彼女いる家に乳を貰いに行くというのだから、偶然の積み重ねが凄い。作為的すぎて気に入らないが、こちらのほうが面白い。
ジョンストン・マッカレー
「地下鉄サム」
★★★地下鉄専門のスリであるサムと、彼を追う刑事(訳書に探偵とあるのは公立探偵の意味なり)の関係は、ルパン三世ととっつぁんの関係を思い出させる。ユーモラスな連作短編集。
P・G・ウッドハウス
「専用心配係」
★★無数にあるジーヴズものの短編集。日本独自の編集かもしれないが、余りに多くて調べる気にもならない。ジーヴズは賢い執事で、八面六臂の活躍をする。できればミステリーものを読みたかったな。
吉行 淳之介
「砂の上の植物群」
★★★★主人公の心理を文字通り細胞分裂を顕微鏡で見るように見るところが面白い。映画版を先に観ているせいもあるが、文章が鮮烈な映像として頭に浮かぶ印象がある。
石川 達三
「人間の壁」
★★★★昭和三十二年頃の小学校教師の実話に取材する。日本の政治が選挙で票の取れる層が喜ぶ政策を選んで教育を蔑ろにしているのは、今と全く変わらない。あの時代は生徒の長期欠席は家業(農業・漁業)の為であり、現在はいじめの為であるというのが違うくらい。小学校の先生は益々大変になっている。
アンリ・ベルグソン
「創造的進化」
★★生命は衝動で進化を始めたという分析。これを理解するには機械論でも目的論でもダメ。即ち知性ではなく直観で分析する必要があるということ。以上が内容であろうが、進化論という実証科学的理論を哲学的見地から裏打ちしようとするのを読むうち、哲学の成長が科学の進歩と不可分であり、それと共に発展してきたことが理解できるような感じ。
この記事へのコメント
挙手。前期後期にわけたほうが、読むほうも楽だと思いまする。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
我が家は、図書館のレンタル期間2週間で読みやすそうなものばかり、借りてきています。年間36冊は死守していますが。
(ついでに映画は120本死守。ダメでも死にはしないですが。)
>挙手。前期後期にわけたほうが、読むほうも楽だと思いまする。
早速の挙手、有難うございます。
読む方の立場を考慮すると、余計にそうしたほうが良さそうですね。
本年もよろしくお願いいたします。
「ギヴァー」と「デュ・モーリア短編集」
高評価で嬉しいです。
>「番(つがい)」
★★★★★書き手も或いは?という落ちのある物語。
なるほど・・・そのオチには気づきませんでした。
おっしゃる通り、タイトルの訳がいけませんね。翻訳じたいは違和感なく良い感じだったのに残念です。
上の2冊以外で私の既読本はこの辺です。
丸谷才一、ディケンズ、E・クイーン、谷崎、梅崎春生、モーパッサン、ドーデ、中井英夫、乱歩、林芙美子、チェーホフ、吉行。 ノーマルなラインですね。(笑)
新年明けましておめでとうございます。
こちらこそ、本年も宜しくお願いいたします。
>高評価で嬉しいです。
紹介されたからではなく、どちらも作品として秀逸でした。
デュ・モーリアのセンスは抜群ですね。時代を先取っている感じ。
>タイトルの訳がいけませんね。
訳者が決めたのではないかもしれませんね。大人の事情というのがあったのかも。
>中井英夫
この奇書を読まれていますか。
僕も、日本ミステリー三大奇書のうち、これが最後の作品でした。面白かったな。
>紹介されたからではなく、どちらも作品として秀逸でした。
デュ・モーリアのセンスは抜群ですね。時代を先取っている感じ。
「いま見てはいけない」も面白い短編集でした。
表題作が「赤い影」というタイトルで映画化されていますが未見です。 もちろんご覧になってますよね?
「虚無への供物」って奇書だったんですか! 知りませんでした。
読んだのがもう40年くらい前で面白かったという記憶はありますが、話の筋はまったく覚えていません。
タイトルの割りに登場人物がベタで船室かなんかで麻雀をやりながらグダグダしゃべっていたような・・・それと洞爺丸が遭難したとか・・・? 「奇書」って感じじゃなかったような・・
これはもう一度読まねば。
実は先日、こちらの記事に刺激されて、アイリッシュの「幻の女」をこれも40年ぶりくらいに再読しました。
綾小路きみまろじゃないけど、「あれから40年!」です。
ミステリー3大奇書・・・誰が選んだんでしょうね。
「ドグラ マグラ」は夫が読んだらしく家にありますが、未読です。
70年代って澁澤とか中井英夫とかがブームでしたがこの辺のテイストの今の作家では、皆川博子女史なんかは結構好きですね。
お時間と興味があれば「蝶」とか「ジャムの真昼」あたりが短編集なのでお勧めです。
>表題作が「赤い影」というタイトルで映画化されていますが未見です。
「ジェラシー」というのが話題になったので、監督のニコラス・ローグとしては旧作に属する「赤い影」が公開されたんですねえ。映画館に足繁く通っていた時時期でもあり、映画館で観ました。文字通り赤が印象的な作品でしたよ。
>「虚無への供物」って奇書だったんですか! 知りませんでした。
麻雀や洞爺丸は確かに出てきますね。
容疑者にもなりそうな人物たちが自らの推理を作品として読ませたりする入れ子構造や本作全体が実は誰か関係者の書いた作品なのではないかと思わせるメタフィクション的な要素が奇書たる所以なのでしょう。
三作の中では最も本格ミステリーの構図なのですが、その中で一種のアンチ本格ミステリーを打ち出している感じもあり、その辺りも奇書なのでしょうね。
>アイリッシュの「幻の女」
僕も大学時代の1980年頃に読んでいるはずですから、そろそろ40年ですね。面白くて一日で読んでしまい、損をした気がしました(笑)。
>「ドグラ マグラ」は夫が読んだらしく家にありますが、未読です。
多分これが一番変な作品ですね。読んでいるうちに頭がおかしくなりそうな感じ?
>皆川博子女史なんかは結構好きですね。
>お時間と興味があれば
色々な作家、作品に興味は結構あるんですよ。問題は時間です。速読はできないもので。松岡正剛のようには読めない(笑)。
>速読はできないもので。松岡正剛のようには読めない(笑)。
何をおっしゃいますか! 1年間にこんなに読めるのは速読力がおありの証拠ですよ。
しかし松岡正剛はまぁその道のプロ?ですから(笑)
2年くらい前でしょうか、京都の壬生に「おもちゃ映画博物館」というのがありまして、そこで宮川一夫と淀川さんがかつてご健在の頃に京都シネマで対談をされたときの映像を公開されまして、観に行ったんですが、松岡正剛らしき御仁がいらっしゃいました。
多分・・・そうだと思います。
読書は老後の楽しみにはならないようです。集中力がなくなってすぐに疲れてしまいます。
映画もあんまり期待できそうにない新作を観るより、お気に入りを何度も観るほうが人生思い残すことが少ないように思います。
音楽が最後まで残る道楽でしょうね。
>宮川一夫と淀川さんがかつてご健在の頃に京都シネマで対談を
>されたときの映像を公開されまして、観に行ったんですが、
>松岡正剛らしき御仁がいらっしゃいました。
おおっ、それは素敵ですね。
僕は、東京時代に地下鉄に乗った時に、田原総一朗らしき人物を見かけましたよ。国会議事堂のある永田町で降りたので、多分そうだと思います。
それと近い時期に、やはり地下鉄で、当時名前が知られ始めたギタリストの渡辺香津美らしき人物を見かけました。楽器らしきものは抱えていなかったし、こちらは他人の空似かもしれません。
>読書は老後の楽しみにはならないようです。
同意。僕は金にならない仕事みたいな意識で取り組んでいるような気がしています。特に誰も読まないような本を読むときは(笑)。
>映画もあんまり期待できそうにない新作を観るより、お気に入りを何度も
>観るほうが人生思い残すことが少ないように思います。
200%同感です。新作は見なくてももはや公開もとい後悔はありません。
>音楽が最後まで残る道楽でしょうね。
同意。
僕にとって、純粋な趣味・道楽は音楽だけです。これだけは本格的に評価することもないし、時間があれば聴くという具合で、映画のように毎日一本観て必ず映画評を書くなどという義務感を感じる必要もありません。
映画に関しては、既に大学時代の友達に「君のはもはや趣味とは言えないよ」と言われ、結局40年経ちました^^;