映画評「8年越しの花嫁 奇跡の実話」
☆☆★(5点/10点満点中)
2017年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
TVの再現ドラマではないのだから、サブタイトルとは言えタイトルに“実話”を謳うのは余りに安易で気に入らない。鑑賞者側にも、“実話”であることを知ると評価を上げる人が多いという困った問題がある。2週間ほど前に観た「嘘を愛する女」は新聞ネタからヒントを得たフィクションだが、この映画を検索しようとすると“実話”が付録のように現れる。それだけ“実話”で検索する人が多いということだろう。
ドイツの劇作家レッシングよろしくフィクションは“知られていない実話”と思えばこんな差別も起こらないのだろうが、いずれにしても、そういう観客が多い(ことと創作力のある脚本家が少ない)から特にアメリカにおいて実話ものが目立つのである。
ところが、この作品は(サブタイトルは問題外だが)冒頭に“実話に基づく物語”と出ることが通常とは別の意味で効果を発揮する。誠に本当らしくない話だからである。さもなければ“ふん、下手な作りごとだ”で終わってしまいかねなかった。
2006年3月17日自動車修理工の尚志(佐藤健)と合コンで知り合った麻衣(土屋太鳳)と恋に落ちて婚約、知り合った3月17日を結婚の日と決めるが、直前に卵巣腫瘍から難病の抗NMDA受容体脳炎を発症(この病名が確立したのは2007年1月だから、日本においてこの病名で扱われたごく初期の患者ということになる)、間もなく昏睡状態に陥る。
彼は勤めながら毎日彼女の許に通い、彼女の両親(杉本哲太、薬師丸ひろ子)に“家族ではない”と言われながらも結局通い続け、やがて彼女の目覚めに遭遇する。
しかし、この病気の特徴でもある記憶障害のために彼女は彼のことを一切思い出せず、精神的に疲弊する。それを知った彼は潔く遠ざかることを決意、会社も辞めて海を隔てた(四国?の)小さな自動車工場に就職する。彼女は結局彼の記憶を戻さないが、彼が携帯に残した映像記録を見て感激、単身海を渡って彼に会いに行く。
2014年に二人は結婚する。似たタイトルに作品に「余命1ヶ月の花嫁」があり、この手のお涙頂戴の実話には全く関心がないのだが、監督が奇々怪々の瀬々敬久なのでどんな作品に仕上がっているか見ることにしたのである。びっくりすると言っては大袈裟だろうが、力作「64-ロクヨン-」並みに正攻法で進め、特に前半は調子が整っている。珍作「感染列島」のように桁外れに荒唐無稽ではなく、「ヘヴンズ・ストーリー」のように純文学を気取らない。
ただ、後半はまずい部分が散見される。一番良くなかったのは、麻衣嬢が病院を抜け出して彼の家に近づいた時に車椅子から落下して地面でもがき始め、そこへバイクに乗った尚志君が駆けつけて来るという場面である。そこで雨を降らせる必要もない上に、わざわざバイクを降りて何十メートルも走ってくる理由はない。しかも雨を回避もせずに抱きしめ続ける。こういうのは“お涙頂戴”とは言わないまでも、いかにも感動を強要する過剰にして安直な見せ方と言うしかない。脚本は別人(TV畑の岡田惠和)だから、一概に瀬々監督の責任とは言えないものの、彼の大袈裟になる傾向がここでは回避できなかったという印象を持つ。
作劇上の巧拙はともかく、一番の奇跡は、尚志君の根性である。余程できた人間でも相手の親から“家族でない”と言われれば諦めると思うが、彼は通い続けた。並の人間に出来ることではなく、生還した麻衣嬢は実に恵まれた恋人を持ったと言えよう。親の“家族ではない”も恐らく文字通り彼に対する“親心”であって、冷たい態度ではないと理解したい。このお話を知らない人には一見する価値があるのではないか。
この手の作品は、当ブログ読者(いますか?)の関心が及ばないのが通例。さて今回は?
2017年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
TVの再現ドラマではないのだから、サブタイトルとは言えタイトルに“実話”を謳うのは余りに安易で気に入らない。鑑賞者側にも、“実話”であることを知ると評価を上げる人が多いという困った問題がある。2週間ほど前に観た「嘘を愛する女」は新聞ネタからヒントを得たフィクションだが、この映画を検索しようとすると“実話”が付録のように現れる。それだけ“実話”で検索する人が多いということだろう。
ドイツの劇作家レッシングよろしくフィクションは“知られていない実話”と思えばこんな差別も起こらないのだろうが、いずれにしても、そういう観客が多い(ことと創作力のある脚本家が少ない)から特にアメリカにおいて実話ものが目立つのである。
ところが、この作品は(サブタイトルは問題外だが)冒頭に“実話に基づく物語”と出ることが通常とは別の意味で効果を発揮する。誠に本当らしくない話だからである。さもなければ“ふん、下手な作りごとだ”で終わってしまいかねなかった。
2006年3月17日自動車修理工の尚志(佐藤健)と合コンで知り合った麻衣(土屋太鳳)と恋に落ちて婚約、知り合った3月17日を結婚の日と決めるが、直前に卵巣腫瘍から難病の抗NMDA受容体脳炎を発症(この病名が確立したのは2007年1月だから、日本においてこの病名で扱われたごく初期の患者ということになる)、間もなく昏睡状態に陥る。
彼は勤めながら毎日彼女の許に通い、彼女の両親(杉本哲太、薬師丸ひろ子)に“家族ではない”と言われながらも結局通い続け、やがて彼女の目覚めに遭遇する。
しかし、この病気の特徴でもある記憶障害のために彼女は彼のことを一切思い出せず、精神的に疲弊する。それを知った彼は潔く遠ざかることを決意、会社も辞めて海を隔てた(四国?の)小さな自動車工場に就職する。彼女は結局彼の記憶を戻さないが、彼が携帯に残した映像記録を見て感激、単身海を渡って彼に会いに行く。
2014年に二人は結婚する。似たタイトルに作品に「余命1ヶ月の花嫁」があり、この手のお涙頂戴の実話には全く関心がないのだが、監督が奇々怪々の瀬々敬久なのでどんな作品に仕上がっているか見ることにしたのである。びっくりすると言っては大袈裟だろうが、力作「64-ロクヨン-」並みに正攻法で進め、特に前半は調子が整っている。珍作「感染列島」のように桁外れに荒唐無稽ではなく、「ヘヴンズ・ストーリー」のように純文学を気取らない。
ただ、後半はまずい部分が散見される。一番良くなかったのは、麻衣嬢が病院を抜け出して彼の家に近づいた時に車椅子から落下して地面でもがき始め、そこへバイクに乗った尚志君が駆けつけて来るという場面である。そこで雨を降らせる必要もない上に、わざわざバイクを降りて何十メートルも走ってくる理由はない。しかも雨を回避もせずに抱きしめ続ける。こういうのは“お涙頂戴”とは言わないまでも、いかにも感動を強要する過剰にして安直な見せ方と言うしかない。脚本は別人(TV畑の岡田惠和)だから、一概に瀬々監督の責任とは言えないものの、彼の大袈裟になる傾向がここでは回避できなかったという印象を持つ。
作劇上の巧拙はともかく、一番の奇跡は、尚志君の根性である。余程できた人間でも相手の親から“家族でない”と言われれば諦めると思うが、彼は通い続けた。並の人間に出来ることではなく、生還した麻衣嬢は実に恵まれた恋人を持ったと言えよう。親の“家族ではない”も恐らく文字通り彼に対する“親心”であって、冷たい態度ではないと理解したい。このお話を知らない人には一見する価値があるのではないか。
この手の作品は、当ブログ読者(いますか?)の関心が及ばないのが通例。さて今回は?
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