映画評「切腹」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1962年日本映画 監督・小林正樹
ネタバレあり

6年ほど前に観た「一命」はなかなか立派な出来栄えだったが、オリジナルのこちらとは相当の差がある。滝口康彦の時代小説「異聞浪人記」を橋本忍が脚色した脚本は同じでも、現在の役者に時代劇は荷が重いのである。30年ぶりくらいの再鑑賞。

寛永年間というから徳川三代将軍家光の頃。江戸の井伊家に津雲半四郎(仲代達矢)という食い詰め浪人が現われ、切腹したいので庭を貸せと言う。井伊家の家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は近頃流行りの騙りであろうと高をくくるが、彼の目的がもっと大きなものと悟る。実は、先に井伊家で無残な死に方をさせられた若い浪人が娘・美保(岩下志麻)の夫・千々岩求女(石浜朗)で、簡単に述べれば復讐に参じたのである。

容易に切腹しようとしない半四郎が徐々に明らかにしていく内容が緊張感たっぷりに語られ見応え十分で、途中まで狂言回しとして活躍した後最後の三分の一では紛れもない主役となる。
 この構成が大変面白く、徳川政治の歪みへの糾弾が説得力を持って表現される。そもそもが城の改築の疑い有りという理由による改易、これにより下級武士は浪人になって食い詰める。妻子が病気でも収入源がなく、手をこまねくだけである。切羽詰まった浪人は切腹の騙り狂言を演ずる羽目に陥る。

求女の悲劇は井伊家の思い切った処置がもたらすものであるとは言え、粛々と事を運んだ井伊家の罪悪というより、封建主義に立脚する武士道という虚飾の犠牲になったものである。娘夫婦と孫を失って絶望する老浪人は井伊家で大立回りを演じて果てるが、下級武士の恨みは深い。美しく述べられることの多い武士道を批判の矢面にした点に大変興味深いものがあるのである。

しかし、「一命」でも述べたように、時代劇に、現在の権力による構造的な問題を内包させたと理解するのが正しい。つまり、現代の我々庶民に通底するお話と思って観れば感動も倍増する筈なのである。民主主義・自由主義の現在の日本でも会社への忠誠心など封建主義的なものは残っている。まして1962年製作の映画であるから尚更。本作に限らず、そもそも時代劇を現在の観客に見せる意味は現代人とオーヴァーラップする下級武士や庶民の生活感情にある。

配役陣では仲代達矢と三國連太郎の対立が見応え満点。撮影は宮島義勇で、ハイキーの画質にロングを多めに使い建築物内部の見せ方に腐心、重苦しさに圧倒される思いがする。音楽は武満徹で、琵琶を使って観客に緊張を強いるようなインパクトあり。端正な絵作りと進行ぶりでご贔屓の小林正樹がこれらの名人を上手くまとめて抜群の出来栄えと言うべし。

江戸中期に書かれた「葉隠」に何気なく恐ろしいことが書いてある。“時に人を斬るのは気分爽快である”という趣旨の文章である。為になる教訓の多い書物ではあるが、現代人には理解しがたい死生観に立脚している。

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  • 切腹

    Excerpt: 井伊家の庭先で、切腹を申し出た浪人者を通し、武士道の非人間性が暴かれていく。 時代劇ドラマ。 Weblog: 象のロケット racked: 2018-12-05 01:50