映画評「エターナル」
☆☆★(5点/10点満点中)
2017年韓国=オーストラリア合作映画 監督イ・ジュヨン
重要なネタバレあり。未鑑賞の方は要注意。
或る程度勘の良い人なら半ばで仕掛けに気付くかもしれない。家族の絆を問うドラマのように見せて、勿論それもあるのだが、仕掛けが眼目の映画である。とりあえずお話を記してみる。
証券会社の支店長イ・ビョンホンは会社の破綻により顧客を騙す結果となって失意に沈み、勢いのある時にオーストラリアへまだ幼い息子と共に語学留学させた妻コン・ヒョジョンから帰国を延期するという電話に益々落ち込むと同時に、自分が二人をないがしろにしていたことに気付いて、オーストラリアへ渡る。
二人が暮らしている家を訪れ、勝手に家に入り込むが、彼女が7歳くらいの息子と同じ年頃の娘のいる男性ジャック・キャンベルと親しくしているのを咎めることもない。逆に近所の老婦人に見咎められても平気の平左。飼い犬に追われても平気の平左、犬はそれどころか彼になついてしまい、ついて歩く。
彼はワーキング・ホリデーでやって来たが帰国費用を同国人に騙し取られて途方に暮れる少女アン・ソヒの面倒を見、奪った犯人グループの家を探し回るが、家は既にもぬけの殻。やがて入院した息子をイは見舞う。
一方、夫が携帯に反応しないことを不審に思った妻はアパートの管理人に部屋を調べてもらうが、マスターキーでも入ることは出来ない。留守なのであろう。さて、イは家族をどうするつもりなのか?
というお話なのだが、実は相当変なのである。特に変なのは、イが妻の家とは言え勝手に入り込み、その癖誰とも接触しない。老婦人は“不審な奴”と見咎めても警察に訴えたりしない。それは何故か? これが仕掛けのヒントである。
勿体ぶっても仕方がないのでネタを明かすと「シックス・センス」の仕掛けと事実上同一という次第。一番最初に映画が答えを出すのは、警察が細君の家を訪れて“犬が(死んで)発見された”と告げる件、続いてソヒ嬢が自分の死体を発見する件(くだり)。
ということは、イ・ビョンホン氏も死人であり、老婦人も声をかけて来る大工も死人である。死んだ人間だけが互いを見出すということになる。彼は生前のソヒを見ているが、口を利くのは彼女が殺されてから。自動車の下から出て来た犬は轢かれて死んだ犬である。
この辺りは一貫しているものの、“誰に見えるか”という疑問に関して解りにくいのは、まずキャンベル氏の夫人。彼女は長期入院中とは言え死んでいない。しかし植物状態であるから“死んだも同然”という解釈であろうか? もっと解りにくいのは息子で、見舞いに来た父親を見出し会話をしている。“死の間際にいる人”ということなのか? これは納得しにくい。
それ以外はきちんと伏線を敷いているので、今更驚きはしない一方で概ね納得ができる。「シックス・センス」を観ていない若い人たちにはある程度感動を喚起すると思う。家族の問題は仕掛けを見せる為の単なる要素で、取り立てて問題にするレベルにあらず。
仕掛けが物語を効果的に見せるのが本来の在り方だが、本作では逆で、仕掛けを見せる為に物語がある。本末転倒ではあります。
2017年韓国=オーストラリア合作映画 監督イ・ジュヨン
重要なネタバレあり。未鑑賞の方は要注意。
或る程度勘の良い人なら半ばで仕掛けに気付くかもしれない。家族の絆を問うドラマのように見せて、勿論それもあるのだが、仕掛けが眼目の映画である。とりあえずお話を記してみる。
証券会社の支店長イ・ビョンホンは会社の破綻により顧客を騙す結果となって失意に沈み、勢いのある時にオーストラリアへまだ幼い息子と共に語学留学させた妻コン・ヒョジョンから帰国を延期するという電話に益々落ち込むと同時に、自分が二人をないがしろにしていたことに気付いて、オーストラリアへ渡る。
二人が暮らしている家を訪れ、勝手に家に入り込むが、彼女が7歳くらいの息子と同じ年頃の娘のいる男性ジャック・キャンベルと親しくしているのを咎めることもない。逆に近所の老婦人に見咎められても平気の平左。飼い犬に追われても平気の平左、犬はそれどころか彼になついてしまい、ついて歩く。
彼はワーキング・ホリデーでやって来たが帰国費用を同国人に騙し取られて途方に暮れる少女アン・ソヒの面倒を見、奪った犯人グループの家を探し回るが、家は既にもぬけの殻。やがて入院した息子をイは見舞う。
一方、夫が携帯に反応しないことを不審に思った妻はアパートの管理人に部屋を調べてもらうが、マスターキーでも入ることは出来ない。留守なのであろう。さて、イは家族をどうするつもりなのか?
というお話なのだが、実は相当変なのである。特に変なのは、イが妻の家とは言え勝手に入り込み、その癖誰とも接触しない。老婦人は“不審な奴”と見咎めても警察に訴えたりしない。それは何故か? これが仕掛けのヒントである。
勿体ぶっても仕方がないのでネタを明かすと「シックス・センス」の仕掛けと事実上同一という次第。一番最初に映画が答えを出すのは、警察が細君の家を訪れて“犬が(死んで)発見された”と告げる件、続いてソヒ嬢が自分の死体を発見する件(くだり)。
ということは、イ・ビョンホン氏も死人であり、老婦人も声をかけて来る大工も死人である。死んだ人間だけが互いを見出すということになる。彼は生前のソヒを見ているが、口を利くのは彼女が殺されてから。自動車の下から出て来た犬は轢かれて死んだ犬である。
この辺りは一貫しているものの、“誰に見えるか”という疑問に関して解りにくいのは、まずキャンベル氏の夫人。彼女は長期入院中とは言え死んでいない。しかし植物状態であるから“死んだも同然”という解釈であろうか? もっと解りにくいのは息子で、見舞いに来た父親を見出し会話をしている。“死の間際にいる人”ということなのか? これは納得しにくい。
それ以外はきちんと伏線を敷いているので、今更驚きはしない一方で概ね納得ができる。「シックス・センス」を観ていない若い人たちにはある程度感動を喚起すると思う。家族の問題は仕掛けを見せる為の単なる要素で、取り立てて問題にするレベルにあらず。
仕掛けが物語を効果的に見せるのが本来の在り方だが、本作では逆で、仕掛けを見せる為に物語がある。本末転倒ではあります。
この記事へのコメント