映画評「アズミ・ハルコは行方不明」
☆☆★(5点/10点満点中)
2016年日本映画 監督・松居大悟
ネタバレあり
原作者の山内マリコ女史は映画好きということだから、サスペンス映画「バニー・レークは行方不明」(1965年)を意識して付けたタイトルだろう。で、僕もどちらかと言えばあの映画のような内容を期待して観始めたのだが、全然違いましたがな。
認知症の祖母、全くやる気のなさそうな両親と一緒に暮らしている27歳のOL安曇春子(蒼井優)は、小さな会社で社長(国広富之)や専務にセク・ハラ三昧を受けてうんざりしている。幼馴染の曽我(石崎ひゅーい)と恋人関係になろうとするが、意外な経緯の末に捨てられて蒸発する。
成人したばかりのギャル愛菜(高畑充希)は、まともな仕事もしていない同窓生のユキオ(太賀)と懇ろであるが、友人の学(葉山奨之)と組んで描く落書きが評判になりグラフィティ・アーティスト気取りをし始める彼に捨てられ、二人のどちらからも相手にされなくなる。この二人が盛んに描くのは蒸発した春子。
この二つのエピソードに時系列的にまたがり、時に二人の女性の前に現れるのが、男と見たら攻撃を加えてくる女子高生軍団である。
時系列は二つしかないのだが、全く要領を得ず、ある投稿者が言う“ストーリーは行方不明”が傑作である。中身は何のことだがよく分らないのに、しかし、これほど作者の言いたいことが解る作品も珍しい。要は、パワ・ハラ、セク・ハラ、その他やりたい放題の男性に対して女性諸君は決起しろ、ということだ。従って、保守的な男性には全くお薦めできない。アメリカ映画がファンタジーの形でフェミニズムを実践している(一連のヒロイン映画を見よ)のに対し、この作品は比較的現実的に見せたわけである。
“完全に現実的に”と言い難いのは、女子高生のエピソードは男性に対する決起のファンタジー的寓意にすぎないから。
技術的には、ユキオと学の扱いの為にお話が分かりにくくなっていることを指摘しておきたい。彼らは愛菜の立場を説明する為に出て来ているだけのはずなのにあたかもお話の主体であるかのように扱っている。春子のエピソードにおける社長・専務の扱いと同じにすればぐっと解りやすい映画になったのである。
そう見えないだけで実は男性批判であるスーパー・ヒロイン映画を“格好良い”と思っている保守的男性も多いのではないかな。
2016年日本映画 監督・松居大悟
ネタバレあり
原作者の山内マリコ女史は映画好きということだから、サスペンス映画「バニー・レークは行方不明」(1965年)を意識して付けたタイトルだろう。で、僕もどちらかと言えばあの映画のような内容を期待して観始めたのだが、全然違いましたがな。
認知症の祖母、全くやる気のなさそうな両親と一緒に暮らしている27歳のOL安曇春子(蒼井優)は、小さな会社で社長(国広富之)や専務にセク・ハラ三昧を受けてうんざりしている。幼馴染の曽我(石崎ひゅーい)と恋人関係になろうとするが、意外な経緯の末に捨てられて蒸発する。
成人したばかりのギャル愛菜(高畑充希)は、まともな仕事もしていない同窓生のユキオ(太賀)と懇ろであるが、友人の学(葉山奨之)と組んで描く落書きが評判になりグラフィティ・アーティスト気取りをし始める彼に捨てられ、二人のどちらからも相手にされなくなる。この二人が盛んに描くのは蒸発した春子。
この二つのエピソードに時系列的にまたがり、時に二人の女性の前に現れるのが、男と見たら攻撃を加えてくる女子高生軍団である。
時系列は二つしかないのだが、全く要領を得ず、ある投稿者が言う“ストーリーは行方不明”が傑作である。中身は何のことだがよく分らないのに、しかし、これほど作者の言いたいことが解る作品も珍しい。要は、パワ・ハラ、セク・ハラ、その他やりたい放題の男性に対して女性諸君は決起しろ、ということだ。従って、保守的な男性には全くお薦めできない。アメリカ映画がファンタジーの形でフェミニズムを実践している(一連のヒロイン映画を見よ)のに対し、この作品は比較的現実的に見せたわけである。
“完全に現実的に”と言い難いのは、女子高生のエピソードは男性に対する決起のファンタジー的寓意にすぎないから。
技術的には、ユキオと学の扱いの為にお話が分かりにくくなっていることを指摘しておきたい。彼らは愛菜の立場を説明する為に出て来ているだけのはずなのにあたかもお話の主体であるかのように扱っている。春子のエピソードにおける社長・専務の扱いと同じにすればぐっと解りやすい映画になったのである。
そう見えないだけで実は男性批判であるスーパー・ヒロイン映画を“格好良い”と思っている保守的男性も多いのではないかな。
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