映画評「坂道のアポロン」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・三木孝浩
ネタバレあり
中学生以降コミックは殆ど読まない。それだけでなく関心もないから大昔のものを別にすれば作者も作品名も知らないことが多い。僕が知っているのは頭の体操の為に連日やっているクイズで出て来る作品くらいで、本作もそれで知った。この漫画で扱われている音楽ジャンルは何かという問題である。アポロンというギリシャ神話の神様の名前が付けられているからクラシックと答えたら大外れ、ジャズと知って興味を持った。
前置きはこれくらしにして、原作は小玉ユキなる女性漫画家で、監督は完全に青春コミック映画版御用達監督となった三木孝浩。さすがに手慣れたものという印象を受ける。
1966年。父親が死んで孤児になり、東京から医者の家系である長崎は佐世保の親戚の家の住人となった高校2年生・馨(知念侑李)は、登校初日にバンカラな茶髪少年・千太郎(中川大志)と知り合いになり、彼の幼馴染であるクラス委員の美少女・律子(小松菜奈)とも親しくなる。家で疎外感を味わう彼は律子にレコード店を教えてくれと頼むと、自分の家に連れて行かれる。父親がレコード店を経営していたのだ。しかも、家には演奏練習用の地下があり、そこで千太郎がドラムを叩いているのを見て驚く。彼が演奏するのは馨の守備範囲外のジャズだが、しかし、ジャズ・ファンなら知らぬ者のいない“モーニン”に惹かれ、やがて彼らは帰郷中の先輩・淳一(ディーン・フジオカ)を加えて演奏するうち虜になっていく。
一方、その為彼らの青春模様は悩ましいものになっていく。薫は律子に憧れ、律子は千太郎が好きで、千太郎は淳一の恋人(とは知らずに)百合香(真野恵里菜)を思慕する、という奇妙な連鎖が出来るのである。さあ彼らの青春模様はこの後どうなっていくか。
というお話で、熱中するものと恋愛という二つのレールに沿って物語が展開するのは青春コミックの定石中の定石であるが、なかなか爽やかに作られている。21世紀になって作られた同種の青春恋愛映画の中でも嫌味の少ないほうで、なかなか気に入った。
音楽好きとしてはジャズ演奏の場面が思いのほか少ないのが不満であるも、突発事故の間(ま)を持たせる為に喧嘩中の薫と千太郎が“マイ・フェイバリット・シングズ”などを演奏する場面がアメリカ映画の秀作「セッション」への意識を感じさせるもので楽しめる。
気になるのは例によって時代考証。
一つ。非常に細かいことながら、1966年はグループ・サウンズ胚胎期に過ぎず、学生ロック・バンドが演奏するオックスの「ガールフレンド」はGS最盛期1968年の発表だから全くあり得ない。1966年であれば演奏するのはオリジナルでないと奇妙だ。
主人公の妙なペンの持ち方も、周囲の目が煩い60年代にはあり得ないと思う。70年代の部分でも“ナース・ステーション”という言葉があったかどうか(定かではないが、相当疑問)。
映画では事実と違っても記号として済ませられることも多いし、重箱の隅をつつくようなことかもしれないが、時代が今に近ければ近いほどちょっとしたことにも気を使わないといけない。
先日NHKの番組で、「チャコの海岸物語」でグループ・サウンズをパロった桑田佳祐は“実はGSが苦手(恐らくは照れてしまうという意味だと思う)だった”と言っていた。
2018年日本映画 監督・三木孝浩
ネタバレあり
中学生以降コミックは殆ど読まない。それだけでなく関心もないから大昔のものを別にすれば作者も作品名も知らないことが多い。僕が知っているのは頭の体操の為に連日やっているクイズで出て来る作品くらいで、本作もそれで知った。この漫画で扱われている音楽ジャンルは何かという問題である。アポロンというギリシャ神話の神様の名前が付けられているからクラシックと答えたら大外れ、ジャズと知って興味を持った。
前置きはこれくらしにして、原作は小玉ユキなる女性漫画家で、監督は完全に青春コミック映画版御用達監督となった三木孝浩。さすがに手慣れたものという印象を受ける。
1966年。父親が死んで孤児になり、東京から医者の家系である長崎は佐世保の親戚の家の住人となった高校2年生・馨(知念侑李)は、登校初日にバンカラな茶髪少年・千太郎(中川大志)と知り合いになり、彼の幼馴染であるクラス委員の美少女・律子(小松菜奈)とも親しくなる。家で疎外感を味わう彼は律子にレコード店を教えてくれと頼むと、自分の家に連れて行かれる。父親がレコード店を経営していたのだ。しかも、家には演奏練習用の地下があり、そこで千太郎がドラムを叩いているのを見て驚く。彼が演奏するのは馨の守備範囲外のジャズだが、しかし、ジャズ・ファンなら知らぬ者のいない“モーニン”に惹かれ、やがて彼らは帰郷中の先輩・淳一(ディーン・フジオカ)を加えて演奏するうち虜になっていく。
一方、その為彼らの青春模様は悩ましいものになっていく。薫は律子に憧れ、律子は千太郎が好きで、千太郎は淳一の恋人(とは知らずに)百合香(真野恵里菜)を思慕する、という奇妙な連鎖が出来るのである。さあ彼らの青春模様はこの後どうなっていくか。
というお話で、熱中するものと恋愛という二つのレールに沿って物語が展開するのは青春コミックの定石中の定石であるが、なかなか爽やかに作られている。21世紀になって作られた同種の青春恋愛映画の中でも嫌味の少ないほうで、なかなか気に入った。
音楽好きとしてはジャズ演奏の場面が思いのほか少ないのが不満であるも、突発事故の間(ま)を持たせる為に喧嘩中の薫と千太郎が“マイ・フェイバリット・シングズ”などを演奏する場面がアメリカ映画の秀作「セッション」への意識を感じさせるもので楽しめる。
気になるのは例によって時代考証。
一つ。非常に細かいことながら、1966年はグループ・サウンズ胚胎期に過ぎず、学生ロック・バンドが演奏するオックスの「ガールフレンド」はGS最盛期1968年の発表だから全くあり得ない。1966年であれば演奏するのはオリジナルでないと奇妙だ。
主人公の妙なペンの持ち方も、周囲の目が煩い60年代にはあり得ないと思う。70年代の部分でも“ナース・ステーション”という言葉があったかどうか(定かではないが、相当疑問)。
映画では事実と違っても記号として済ませられることも多いし、重箱の隅をつつくようなことかもしれないが、時代が今に近ければ近いほどちょっとしたことにも気を使わないといけない。
先日NHKの番組で、「チャコの海岸物語」でグループ・サウンズをパロった桑田佳祐は“実はGSが苦手(恐らくは照れてしまうという意味だと思う)だった”と言っていた。
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