映画評「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」
☆☆★(5点/10点満点中)
2017年スウェーデン=デンマーク=フィンランド合作映画 監督ヤヌス・メッツ
ネタバレあり
1973年頃からTVでテニスを見始めた。そのきっかけとなったのが当時17歳のビョルン・ボルグとベテランで当時40歳くらいだったケン・ローズウォールの試合であった。四大大会の一つだろうが、どの大会の何回戦だったかは憶えていない。しかし、妙に面白かったのである。
本作はそのボルグが全盛期を迎え、5連覇のかかるウィンブルドン(全英オープン)での圧力に負けそうになる自己との闘いをフィーチャーした作品で、邦題にもあるように、決勝で当たることになる暴言連発のジョン・マッケンローを対照的な存在として打ち出し綴っている。
面白いのは、プロになってからは氷の男と呼ばれて冷静なボルグが少年時代実はマッケンローそっくりだったということである。彼(スヴェリル・グドナソン)は、デ杯監督で現コーチのレナート(ステラン・スカーシュゴード)に引き抜かれて15歳にしてデ杯に出場させてもらうことになるのだが、その条件が“冷静でいること”。結局これを守った結果彼は世界一位を続けることになるのである。
対してマッケンロー(シャイアー・ルブーフ)は自分に不利な際どい判定があると頻繁かつ執拗に審判に食って掛かる悪癖があり、英国観衆は皆敵方の応援に回ってしまうのだが、決勝ではボルグの冷静沈着ぶりに引き込まれるように明らかなミスジャッジにさえ文句を付けず、4時間近い激闘の末に潔く負ける。しかし、その態度にテニス・ファンの意識が変わる。かくして彼は翌年再戦となったボルグを倒し、ランキングも1位になる。
結果的にボルグがマッケンローを1位にしたとも言える形で、ボルグは程なく26歳で現役を退いた。確かにテニスはハードなスポーツであるが、さすがにまだ早いと思い、僕はがっかりしたものである。彼がこういう決断をしたのは、或いは母親の“96点で学校で1位になっても、他にいっぱい生徒がいるから(100点でなければ)ダメだ”という教育方針の影響だったのかもしれない。1位或いは優勝でなければ彼にはダメであったのであろう。 僕の記憶違いだったので訂正致します。母親に“96点でもダメだ”と言われたのはマッケンローの方で、当時1位で5連覇をかけたボルグに対するモチヴェーションとして紹介されたのである。しかるに、同時にこれはボルグが選手を続けたモチヴェーションにも敷衍できるエピソードと思う。
かつて与党時代に蓮舫議員が“2位ではダメなんですか”と言ったが、何かを成し遂げようとする個人は目標を1位にしなければダメだ。結果2位以下でも通常の人ならOK。結果と目標は別であるが、ボルグや王貞治(本塁打30本に終わった年に引退)のように栄光を長く続けた人ともなるとそういうわけには行かないのだろう。王ちゃんの場合は本塁打以上に2割3分代に終わった打率が引き金だったと僕は思う。
上で述べたように、冷静さは身を助くという主題で構成した物語はきちんとまとまっているが、有名な俳優を使った再現ドラマの域を出ていないのではないか。映画としては薄味である。
配役陣ではスヴェリル・グドナソンはなかなかご本人の雰囲気を出している一方、シャイアー・ルブーフは余り似ていない。余り知られていない俳優でも良かったような気がする。似ている似ていないは映画の価値に関係ないとは言え、よく知っている人物だけに気になった。
ボルグ以降長期にわたりATPランキング1位を維持した選手の名前を順番通りに言えた時代もあった。スウェーデン勢では、ビランデル、エドベリ(エドバーグ)と続く。僕はエドベリに似ていると言われた。
2017年スウェーデン=デンマーク=フィンランド合作映画 監督ヤヌス・メッツ
ネタバレあり
1973年頃からTVでテニスを見始めた。そのきっかけとなったのが当時17歳のビョルン・ボルグとベテランで当時40歳くらいだったケン・ローズウォールの試合であった。四大大会の一つだろうが、どの大会の何回戦だったかは憶えていない。しかし、妙に面白かったのである。
本作はそのボルグが全盛期を迎え、5連覇のかかるウィンブルドン(全英オープン)での圧力に負けそうになる自己との闘いをフィーチャーした作品で、邦題にもあるように、決勝で当たることになる暴言連発のジョン・マッケンローを対照的な存在として打ち出し綴っている。
面白いのは、プロになってからは氷の男と呼ばれて冷静なボルグが少年時代実はマッケンローそっくりだったということである。彼(スヴェリル・グドナソン)は、デ杯監督で現コーチのレナート(ステラン・スカーシュゴード)に引き抜かれて15歳にしてデ杯に出場させてもらうことになるのだが、その条件が“冷静でいること”。結局これを守った結果彼は世界一位を続けることになるのである。
対してマッケンロー(シャイアー・ルブーフ)は自分に不利な際どい判定があると頻繁かつ執拗に審判に食って掛かる悪癖があり、英国観衆は皆敵方の応援に回ってしまうのだが、決勝ではボルグの冷静沈着ぶりに引き込まれるように明らかなミスジャッジにさえ文句を付けず、4時間近い激闘の末に潔く負ける。しかし、その態度にテニス・ファンの意識が変わる。かくして彼は翌年再戦となったボルグを倒し、ランキングも1位になる。
結果的にボルグがマッケンローを1位にしたとも言える形で、ボルグは程なく26歳で現役を退いた。確かにテニスはハードなスポーツであるが、さすがにまだ早いと思い、僕はがっかりしたものである。
かつて与党時代に蓮舫議員が“2位ではダメなんですか”と言ったが、何かを成し遂げようとする個人は目標を1位にしなければダメだ。結果2位以下でも通常の人ならOK。結果と目標は別であるが、ボルグや王貞治(本塁打30本に終わった年に引退)のように栄光を長く続けた人ともなるとそういうわけには行かないのだろう。王ちゃんの場合は本塁打以上に2割3分代に終わった打率が引き金だったと僕は思う。
上で述べたように、冷静さは身を助くという主題で構成した物語はきちんとまとまっているが、有名な俳優を使った再現ドラマの域を出ていないのではないか。映画としては薄味である。
配役陣ではスヴェリル・グドナソンはなかなかご本人の雰囲気を出している一方、シャイアー・ルブーフは余り似ていない。余り知られていない俳優でも良かったような気がする。似ている似ていないは映画の価値に関係ないとは言え、よく知っている人物だけに気になった。
ボルグ以降長期にわたりATPランキング1位を維持した選手の名前を順番通りに言えた時代もあった。スウェーデン勢では、ビランデル、エドベリ(エドバーグ)と続く。僕はエドベリに似ていると言われた。
この記事へのコメント
僕もそのころからでして、新世代のジミーコナーズやボルグがローズウォールやニューカムらの旧世代を次々と破っていくあたりでした。
僕の中では、ボルグのライバルはマッケンローではなくてコナーズでして、彼の両手打ちバックハンドショットは、所謂ダウンザラインと呼ばれるコーナーぎりぎりに鋭い球を落とすもので、ローズウォールの優雅で美しい片手打ちとは全く違った恐ろしい威力でした。
そのスピードに線審も付いてゆけず、際どいプレーには選手のクレームも多くなり、現在のチャレンジシステムが採用されたと聞きます。
当時は、マッケンローに見苦しさも感じましたが、今では日本人の錦織なども当たり前のように審判に物言いをしますからね。
スポーツ実話ものとしては、F1のジェームス・ハントとニキ・ラウダのライバル関係を描いた「ラッシュ/プライドと友情」ほどの感銘は受けませんでしたね。
>スヴェリル・グドナソンはなかなかご本人の雰囲気を出している
ボルグによく似ていましたし、ゲルライテスもそっくり(笑)ジミーコナーズは言われなければ誰だかわかりませんでした。
貴公子の異名をとったステファンエドベリに似てるとは、若き日のプロフェッサーは蓋し二枚目だったのでしょう!
ところで、8月は、群馬県立図書館まで車で通われるとか。
僕も、小学校のころから高校まで、当時、木造2階建ての県立図書館にほぼ、毎日のように寄っていました。
高校卒業後に現在の県民会館(ベイシアホール)後方の新館に移りましたが、駐車場もあり、土、日にたまに通っています。
館内でエドベリ似の紳士を見かけたら、お声を掛けさせていただくことにしましょう!
>ボルグのライバルはマッケンローではなくてコナーズ
そう思いますね。
僕の記憶では彼らが頑張り過ぎて、なかなかトップになれなかったのがレンドルだったでしょう? ボルグが引退した後浮上した記憶があります。それからの彼はなかなか強かった。
>チャレンジシステム
確かにあのスピードで人間の眼で判断するのは大変ですよ。これは大分近年になってからの導入ですが、タイブレークがこの数年前に導入されたということを、この作品が思い出させてくれました。スポーツのルールも色々変わりましたね。
>「ラッシュ/プライドと友情」ほどの感銘
僕もそうですね。多分描写がボルグに偏り過ぎていたせいでしょう。テストの点のエピソードはマッケンローのほうだったかもしれないなあ(確認する必要あり)。
>ジミーコナーズは言われなければ誰だかわかりません
あれほど面長ではなかったですよね。しかもロングショットでほんの少しだけ。
>蓋し二枚目
“それはちと持ち上げ過ぎだ”と僕は言っていましたよ。
>県立図書館
“幽霊の正体見たり枯れ尾花”にならないように気を付けないといけませんね(笑)