映画評「俺たちに明日はない」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1967年アメリカ映画 監督アーサー・ペン
ネタバレあり
1973年リバイバルの時に映画館で観た。それ以来10年に一度くらいは観ているので今回が4回目か5回目になると思う。それでも細かいところは色々と忘れているもので、結構新鮮な気持ちで楽しめる。しかし、ブログ開始後14年経つ今日まで扱っていないところを見ると、もう15年以上観ていないことになる。
本作がニュー・シネマの嚆矢である。“タイム”誌が“ニュー・シネマ”と名付けたのだ。性的なこと、いかがわしい言葉などを自主規制するヘイズ・コードが1968年に完全に終了し、現在のレイティング・システムが導入された。暴力についてはさほど厳しくなかったとは雖も、せいぜいジョン・ウェインの西部劇で見られる程度の暴力が限界で、本作の幕切れのような激しい描写はまずなかっただろう。
事実一部に拒否反応があり、その為に当初アメリカでは当たらなかったと聞く。開放的な欧州で評判を呼んだのが逆輸入されて本国アメリカでもその位置を確立する。恐らく1967年に作られた本作は「卒業」と共に効力を失いつつあったヘイズ・コードにとどめを刺したと言って良いと思う。
1930年。しがないウェイトレスのボニー(フェイ・ダナウェイ)が母親の車を盗もうとした若者クライド(ウォーレン・ベイティ)と意気投合する。彼はボニーに良いところをみせようとして働いた食料品店強盗を皮切りに銀行強盗を重ね、ある時仲間に加えたC・W・モス(マイケル・J・ポラード)の駐車のミスがきっかけで殺人をすることになり、以降警官らを多数殺すことになる。
兄バック(ジーン・ハックマン)とその妻ブランチ(エステル・パースンズ)を加えたことで活動がうまく行かなくなることが多くなり、やがて兄は殺され、ブランチは逮捕される。負傷したボニーとクライドをC・Wが実家に連れ帰って手当てをするが、これが仇になり、息子の助命と引き換えに父親が二人を官憲に売り、二人は100発近い銃弾を体に受けて息絶える。
現在の映画のように見た目の人体損壊度が激しいわけではないが、問答無用のマシンガンでの射撃にまだ中学生だった僕は言葉を失った。同時に、映画全体に対しては、当時ロマンティストの小僧であった僕は、ドライな内容に心から没入したわけではない。しかし、非常に気になった作品でもあって、直後にノベライズ本を買っている。
監督をしたアーサー・ペンは前年に「逃亡地帯」という秀作を撮ってい、その即実的なタッチをさらに強化した感じで、中学時代を別にするといつも感心するのである。彩度を抑えた画調と相まって時代色の醸成も抜群だ。序盤の写真を連ねる開巻部分は「明日に向って撃て!」(1969年)など後続の作品に強い影響を与えているように思う。
ブルーグラスの名曲「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」が主題曲に選ばれていて、使う場面により印象も変わるのだが、前半快調に逃走を重ねるシークエンスではこの映画の為に書かれたような気がするほど。後半彼らがうらぶれた場面で使われるとこの曲の明るい感じとそぐわず、それがうらぶれた感じを強調する効果がある。乾いた空気感の作品に実に合っている音楽だ。
本作は、アメリカでベトナム戦争反対運動が盛んになり、日本にも飛び火した頃作られた作品。ボニーとクライドは単なる強盗にすぎないものの、1960年代の若者は銀行に体制を仮託し、彼らが見せるちょっとした義賊ぶりに拍手喝采を送ったのではないか。彼らより数年遅れて生を受けた世代の僕はそう想像する。そうした反体制的な内容は“ニュー・シネマ”の半ば共通したテーマになっていくように思う。
ベイティ(当時はビーティと呼ばれていた)は既にスターで本作の製作もしているが、フェイ・ダナウェイが本作により女優としての地位を確実なものとし、その後10年くらい全盛期を誇ることになる。
今日、邦画「止められるか、俺たちを」を見る。この映画が作られた時代の気分が味わえると思う。
1967年アメリカ映画 監督アーサー・ペン
ネタバレあり
1973年リバイバルの時に映画館で観た。それ以来10年に一度くらいは観ているので今回が4回目か5回目になると思う。それでも細かいところは色々と忘れているもので、結構新鮮な気持ちで楽しめる。しかし、ブログ開始後14年経つ今日まで扱っていないところを見ると、もう15年以上観ていないことになる。
本作がニュー・シネマの嚆矢である。“タイム”誌が“ニュー・シネマ”と名付けたのだ。性的なこと、いかがわしい言葉などを自主規制するヘイズ・コードが1968年に完全に終了し、現在のレイティング・システムが導入された。暴力についてはさほど厳しくなかったとは雖も、せいぜいジョン・ウェインの西部劇で見られる程度の暴力が限界で、本作の幕切れのような激しい描写はまずなかっただろう。
事実一部に拒否反応があり、その為に当初アメリカでは当たらなかったと聞く。開放的な欧州で評判を呼んだのが逆輸入されて本国アメリカでもその位置を確立する。恐らく1967年に作られた本作は「卒業」と共に効力を失いつつあったヘイズ・コードにとどめを刺したと言って良いと思う。
1930年。しがないウェイトレスのボニー(フェイ・ダナウェイ)が母親の車を盗もうとした若者クライド(ウォーレン・ベイティ)と意気投合する。彼はボニーに良いところをみせようとして働いた食料品店強盗を皮切りに銀行強盗を重ね、ある時仲間に加えたC・W・モス(マイケル・J・ポラード)の駐車のミスがきっかけで殺人をすることになり、以降警官らを多数殺すことになる。
兄バック(ジーン・ハックマン)とその妻ブランチ(エステル・パースンズ)を加えたことで活動がうまく行かなくなることが多くなり、やがて兄は殺され、ブランチは逮捕される。負傷したボニーとクライドをC・Wが実家に連れ帰って手当てをするが、これが仇になり、息子の助命と引き換えに父親が二人を官憲に売り、二人は100発近い銃弾を体に受けて息絶える。
現在の映画のように見た目の人体損壊度が激しいわけではないが、問答無用のマシンガンでの射撃にまだ中学生だった僕は言葉を失った。同時に、映画全体に対しては、当時ロマンティストの小僧であった僕は、ドライな内容に心から没入したわけではない。しかし、非常に気になった作品でもあって、直後にノベライズ本を買っている。
監督をしたアーサー・ペンは前年に「逃亡地帯」という秀作を撮ってい、その即実的なタッチをさらに強化した感じで、中学時代を別にするといつも感心するのである。彩度を抑えた画調と相まって時代色の醸成も抜群だ。序盤の写真を連ねる開巻部分は「明日に向って撃て!」(1969年)など後続の作品に強い影響を与えているように思う。
ブルーグラスの名曲「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」が主題曲に選ばれていて、使う場面により印象も変わるのだが、前半快調に逃走を重ねるシークエンスではこの映画の為に書かれたような気がするほど。後半彼らがうらぶれた場面で使われるとこの曲の明るい感じとそぐわず、それがうらぶれた感じを強調する効果がある。乾いた空気感の作品に実に合っている音楽だ。
本作は、アメリカでベトナム戦争反対運動が盛んになり、日本にも飛び火した頃作られた作品。ボニーとクライドは単なる強盗にすぎないものの、1960年代の若者は銀行に体制を仮託し、彼らが見せるちょっとした義賊ぶりに拍手喝采を送ったのではないか。彼らより数年遅れて生を受けた世代の僕はそう想像する。そうした反体制的な内容は“ニュー・シネマ”の半ば共通したテーマになっていくように思う。
ベイティ(当時はビーティと呼ばれていた)は既にスターで本作の製作もしているが、フェイ・ダナウェイが本作により女優としての地位を確実なものとし、その後10年くらい全盛期を誇ることになる。
今日、邦画「止められるか、俺たちを」を見る。この映画が作られた時代の気分が味わえると思う。
この記事へのコメント
私もこれは特別な映画です。公開時、多分中学2年か3年くらいで、定期テストのど真ん中、まったくやる気なしで、家にいるのも鬱陶しい、図書館に行くと偽って一人で観に行きました。
家に帰っても勉強なんて手につくわけもなく、その後の記憶はありませんが。公開時、中1じゃなくてよかった。中1なら観てないかもです。
”フォギー・マウンテン・ブレイクダウン” 良いですね!
あの疾走感はコミカルにも感じるし終末に向かってフェイドアウトしていくようにも感じますね。サントラのレコードを買ったら、映画の音声を初めから終わりまで入れてる代物でした。
反体制ってキーワードはどうなんでしょう? 団塊世代の友人がこの映画を一言寸評して、「滅びの美学だね」と言ってました。
反体制の滅びの美学でしょうか。
それはともかく、フェイ・ダナウェイのファッションがカッコよかった!
博士と同じく封切りでは観てなくて、案外同じタイミングだったかも。
満点評価にならなかったのは、時間経過の表現が手薄だったと書いてますね。
数年の年月があったはずなのに、それが感じられなくて、途中で頭の中に?マークが灯ったと・・。
>「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」
僕も大好きです。
元々カントリーが好きなので。
>分中学2年か3年くらい
うん、計算が合っている(笑)
>サントラのレコードを買ったら
ある意味本当のサントラだったということですね。
「鉄道員」のサントラが正に映画のままで、光学録音だから音が悪かった。それはそれで気分があります。
>反体制
脚本を書いたロバート・ベントンらも監督のアーサー・ペンもそういうつもりで作ったのではないでしょうが、観客が勝手にそう思った感じ。
この映画の体制とは警察や搾取する銀行。「卒業」は子供・若者たちから見た大人。「イージー・ライダー」は自由奔放からヒッピーたちから見た南部保守層。「バニシング・ポイント」もやはり官憲。「ダーティ・ハリー」では警察の規律。「ソルジャー・ブルー」ではインディアンから見た白人。これらの映画にとって、映画をかつてがんじがらめにした清教徒的なヘイズ・コードこそ体制。
大人、エスタブリッシュメント、清教徒的な思想。
権威と安定に対する反感を扱ったものがニュー・シネマであったろうと。
>滅びの美学
ニュー・シネマの多くが主人公たちの死で終わりますね。そういう共通性もありました。
今の若者に閉塞感を感じます。今日ピンク映画で頑張っていた若松孝二の周辺を描いた「止められるか、俺たちを」を観て、60年代末から70年代初めの文化的活気が羨ましくなりました。僕は小学生高学年から中学生としていきていたので多少は解りますが、何年か足りなかったですねえ。
“総括”だの“自己批判”だの言う共産主義的ながんじがらめは大嫌いだけど、あの時代の活気は何だか良い。音楽も最後の光を放った感じがします。その後の音楽は惰性のような気がしますね。
>時間経過の表現が手薄
それは確かに感じました。いつの間にか時間が経っていましたね。
ただ、余り欠点とは感じませんでした。その野放図な印象もアウトローを主人公にした作品に合っているかもしれないと。
>「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」
評判良いですねえ^^
バンジョーの魅力が最高に発揮されていますね。
私もProf.と競うぐらい何回も観ています。
名画は古びませんね、何かしら新しい発見があります。
時代に閉塞感を感じる若者はどんな時代にも何%かは存在すると思います。
ボニーとクライドに拍手喝采したのは映画にも描かれている大不況下で家を追われ野宿する人々じゃないでしょうか。
反体制って突き詰めれば負け戦で、命をかければ命をなくすしかないわけで、60年代末にはもう既にそういう空気感はあったように思います。
だから、70年代に入って負け戦が自明のものになってきたら、ほとんどの輩は離れていきましたね。(敢えて、逃げたなんて失礼なことは申しません)
そういう意味では日本の当時のある種の若者にとっては来るべき暗澹たる明日を見る思いだったと思います。
邦題つけた人、時世が読めてましたね。
僕が「俺たちに明日はない」を観たのはリバイバルの1973年で、学生運動が全く退潮した時代。本作が日本で公開された1968年の空気はよく解らないのですが、アメリカも欧州も日本も映画界が大きく変わりましたね。
先日観た「止められるか、俺たちを」は、1969年から71年までの若松プロ(ピンク映画)の活動を描いたものですが、実際にその時代に日活、大映といった大会社が発表した「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」や「野良猫ロック」シリーズなどのドロップアウトした若者たちと共通するムードやそれらが発散した時代色を感じ、割合面白かったです。にっかつロマン・ポルノにも一部こういうムードの作品がありました。
>時代に閉塞感を感じる若者
今の若者は実際には閉塞感を味わっているのに閉塞感として認識していない気がします。
この間新聞を読んでいて、何故若者は選挙に行かないかと言えば、現状維持を望むからと書いてありました。僕はそれが解らない。
彼らは自民党を保守ではなく革新(野党を保守)と思っているらしいくせに、現状維持(保守)が良いってどういうこと? 矛盾しているじゃありませんか?
批判すること・批評することは悪い事と考えているともありましたね(故に野党はダメ)。だから、映画評なんてのもダメらしいです。
十年くらい前に小学生から「孫悟空」を批判的に批評したら“ひどい大人だ”と文句を付けられましたが、彼女(多分)がそのまま成長したらそういう人間になる。小学生だから“批評”と“悪口”との区別がつかないと思い、諭してやりましたが、どういう大学生になっているでしょうかねえ。
とにかく、今の若者は僕らの時代よりぐっと保身的です。現在伝統のある言葉が破壊されているのは、保身ばかり考えているから。彼らは決して僕の映画評のように断定しない。
出鱈目の言葉のオンパレードのTVを観ていると、ニュース番組を含めてぶん殴りたくなりますよ(若者から大人に伝染する。大人もなっていない)。
ちょっと話がずれましたね。どうもすみません。
孫悟空批判、聞いてみたいです!
出鱈目言葉のオンパレードは無自覚な "愚民政策" だと思います。
フェイ・ダナウェイと衣装デザイナーはアカデミー賞を取っていないのかな? と wikをみたらノミネートだけでしたね。
同年のアカデミー外国映画賞は ”厳重に監視された列車”でした。私、これも大好きなんですよ。「性的な悩みが解消された後には死がある」ところがこの二つの全く違う外観をもつ映画の共通点ですが、これも68年問題なんでしょうか? (笑)
とにかく70年前後は傑作オンパレードでしたね。
ぼくが、本作品を観たのもやはり、73年で「ゴッドファーザー」は、それより1年早い72年の夏休みに新宿プラザで封切りで観ています。(その年の冬に、前橋の映画館で「バラキ」を観たのですが、姉妹館で上映中の大信田礼子主演の「同棲時代」にアンノン族の若い女性が行列シテタのを強く覚えています)
時系列で言うと、お手本をあとから観た訳ですが、撃たれたのがカーンよりも美形の二人ということもあって、インパクトはむしろこちらのほうが中学生には強かったです!
>若者の閉塞感
よく言われるのが、不況期に生まれ育って成功体験に乏しく、結果、保守に。。
ですが、成功体験が少ないなら、それはむしろハングリーさを増幅させてくれるでしょうから明らかに違いますね。
つくづく思いますが、現代の若者は、僕らのときの親世代との差とは比較にならないほど、物質的に恵まれすぎている。
安部さんは現代以外の宰相だったなら、疾うの昔に失脚していたでしょうね。
>「孫悟空」の批評
相手が小学生ということなので、「西遊記」を、有難いお経というアイテムをゲットするTVゲーム的な冒険活劇としか理解できなかったのでしょうね。
物語に内包された主題である、三蔵を含めた欠点の多い4人が天竺への道中を共にしー、さまざまな困難を乗り越えるうちに協調性と忍耐力を養い、お互いを認め合い、思いやるようになる行程。
それこそが、お経よりも大切な魂の成長であり、行く手に待ち受ける数々の妖怪たちも、天界の菩薩の”壮大な自作自演”による試練でしかなかったという。
プロフェッサーの諌めが効いて、思いやりのある大学生になってくれていれば良いですが!
>老人からみた若者批判は永遠の課題?
でしょうね。
新人類と言われた世代(厳密にはそれより少し早い生まれですが、僕らの世代の中にも新人類の文化を醸成した人がいる)の僕らが、今や若者をあれやこれやと批判しているのですから。
或いは、江戸時代の戯作を読んでも、平安時代の貴族物語を読んでも似た表現が出て来て、変わらんなあと思いますよ
>フェイ・ダナウェイと衣装デザイナーは
>・・・wikをみたらノミネートだけでしたね。
獲れない方が本当は良いということもあります。
この映画は1930年代初めが舞台ですが、そう言えばニューシネマ後期に何故か30年代の作品が多く発表され、衣装デザイナーが頑張ることになりましたね。
>”厳重に監視された列車”
未見です。正式には比較的最近日本で劇場公開されたようですね。
同じようなものの繰り返しが多いNHKには、アカデミー外国語映画特集でも組んでこの手の日の当たらない作品を放映してほしいものです。
>性的な悩みが解消された後には死がある
そう言えば、岡本喜八の「肉弾」もそういう風に理解できないこともない。あれも1968年の作品でした。
この時代に良い作品が多いのは、やはり時代の転換期だったということでしょう。僕は社会的な評論家ではないので、よく解りませんが。
>「ゴッドファーザー」
担任が言及するくらいだから物凄い騒動でしたが、ひねくれていた僕は当時観ませんでしたね。TVを別にすれば、大学で上京してから見ました。
だから、一応順番通りに、ジェームズ・カーンの殺害場面を見、この作品を思い出していましたね。
>現代の若者は、僕らのときの親世代との差とは
>比較にならないほど、物質的に恵まれすぎている。
僕らは高度経済成長の始まり位に生を受けていますから断然違いますね。白熱灯に代わる蛍光灯を初めて買ったのも、電気洗濯機や冷蔵庫を買ったのも憶えているくらいですからね。
電話も中学になるくらいに加入したかな。通信手段が一番違いますよね。勤め始めた時はまだテレックスでしたもの(笑)。ワープロも使っていなかった。
僕が人生の中で最も感動したのが、百科事典を買ってもらったことですが、映画評の☆★をワープロで打てる歓びを知ったことも加えて良いと思います。それまではノートに手書きでしたから(笑)。こんな原始的な喜びは今の若者には解らないと思いますよ。
>孫悟空
もっと単純なことですが、浅野さんの考察は正確なので、興味深いですよ。
図書館で朝日ソノラマのCDがありましたので、全部借りてきました。昔わが家にあった「悟空の大冒険」も勿論入っています。すっかり忘れていた「戦え!オスパー」とか「遊星少年パピィ」とか。歌はちゃんと憶えていました。
京都アニメーションの放火はひどいことになりましたね。浅野さんもショックでしょう。アニメが好きかどうか別にして、人道的に許しがたい。
僕が持っていたのは、悪人を殴るときにアメコミのような擬音が画面に合成されるのが特徴の、TV版「バットマン」のソノシートで、ラジオドラマと同じく物語の合間に、あのロック調の主題歌がガンガンかかるゴキゲンな一枚で擦り切れるほど聞きました(笑)
昔からバットマン、スーパーマン等のDCコミックスヒーローが好きなので、マーベル勢(ブライアンシンガー作品の「XーMEN」しか観てませんが)に比べて分が悪い最近の現状は忸怩たる思いがありますね!
当時の日本アニメは、「西遊記」「安寿と厨子王丸」など良質でしたが、キャラクターの動きや絵柄は畢竟、ディズニーの二番煎じであり、せっかく日本や中国の古典を素材にしながら、どこか西洋っぽいところがぬぐえませんでした。
その呪縛を打ち破ったのが高畑勲が演出助手をした「わんぱく王子の大蛇退治」でして、埴輪など日本古来の意匠をモチーフにしたシンプルなキャラクターデザイン、洗練されたストーリーなど素晴らしく、この時点で僕は日本のアニメは「ピノキオ」に並んだ、と思います。(当時は、幼いですからただ夢中になっていたわけですが)
スサノウが、天馬アメノハヤコマを駆って、八岐大蛇に挑む映像はCG全盛の今の基準で見ても美しく、図書館にDVDがあるならば是非、ご覧ください!
>京都アニメーション火災
ただただ、驚いています。
高崎経済大の漫研に所属する姪とも、メールと電話でつい、さきほどまで話題にしていました。
台湾、中国はもとより、BBSニュースなど欧米メディアも一報を伝えていて、関心の高さを窺わせます。
犯人は,「パクられた」などと言っているようですが、単に個人的な恨みというよりも、昨今の社会全体を標的にした劇場型犯罪に近いような気がしてなりません。
>TV版「バットマン」
これも勿論入っていました。
日本のTVアニメの音楽が格好良くなってきたのはスポ根ドラマあたりで、「アタックNo.1」のエレキは渋い。「ひみつのアッコちゃん」では水森亜土が歌うエンディング・ソングにおけるエレクトーンがとんでもないことになっています。
>マーベル勢に比べて分が悪い
好きか嫌いかで言えばDCですが、昨今の映画作品群の出来栄えはマーベルが圧倒しています(しかし乱造気味)。「ダークナイト」は凄いですが、その後の「バットマン」「スーパーマン」は全然いけない。残念ですよね。
>「わんぱく王子の大蛇退治」
題名は知りませんでしたが、DVDの絵には見覚えがありました。
買って買えないことはないけれど、モカさんからも色々お勧めがあり、どうしたら良いのでしょう(笑)。
>個人的な恨みというよりも、昨今の社会全体を標的にした
断片的に触れる情報を信じれば、妄想気味の人かもしれませんね。自分の小説がぱくられたと本当に言ったのだとしたら相当変。とにかく、自分の不遇を社会に帰する輩は僕は大嫌いです。
何と言っても、そんな変な人物に少なくとも33もの若い有望な人間の命が失われたことが痛ましい。原画が全て失われたという文化的損失も大変なことですが、比較にならない。
同世代の人と昔のテレビ談義をするのは楽しいですね。
京都アニメーションの火災ですが、何ともやりきれない事件が起こってしまいました。
日本はアメリカのように銃の乱射はないけれど、こんな事が起こってしまうんですね。
今後、追随者が出ないことを願うのみです。
それにしてもあほな市長があほな発言をしました。
考えようであほが公になって良かったのかも・・・
(私は選挙で一度も「門川」と書いた覚えのない京都市民です)
やっぱり、アニメよりストーンズですよ。(笑)
前に ladies&gentlemen をお勧めしましたが、夫がずっとブートで聴いてすごいすごいと言っていたのは、73年のヨーロッパ
ツアーの方でした。 こっちのほうが、ミック・テイラーがこなれてきてます。
マーキークラブ1971+ブラッセルズ・アフェア1973 ¥8924
マーキークラブがDVDでツアーの方がCDだし、ちょっとお高いので我が家も躊躇しております。
ツアーもDVDなら即買うんですが・・・動く映像に弱い世代なんです。
>アメリカのように銃の乱射はないけれど
それは僕も感じましたね。
ナイフや包丁では5人以上の犠牲者を出すのは相当難しいと思いますが、あのような場所でガソリンを使えば二桁まで行くことも可能と今更ながら気づかされました。
>京都市民
ほぼ地元だったわけですか。
市長の件はネットで読みました。福沢諭吉が“民間では優秀な人間も、政治家になると馬鹿になる”旨の発言をしていたと思いますが、本当にこの手の馬鹿な発言を聞くと、それは本当の事だと思いますよ。
>アニメよりストーンズですよ。(笑)
あはは。素直でよろしいです。
>動く映像に弱い世代
長野に高級オーディオを聴かせるペンションがありまして、30年くらい前に泊まりに行ったところ、オーナーがロック系やR&BアーティストのLD(まだDVDが発表される何年か前)をたくさん持っていました。恐らくモカさんより少し上くらいの年齢だったでしょうか。
「わんぱく王子の大蛇退治」の情報ありがとうございます。
週に2回ほど我が家に乱入してくる孫のために、さっそく図書館に予約入れました。
うちの子供たちの小さいころのお気に入りの「パンダ コパンダ」も
親子2代、3代で楽しめますね。
そういえば、モカさんも同じく盆地の京のお人ですから。
年に数回は訪れる大好きな場所ですが、ただでさえ暑いのに今時分は、リュック背負った疲れた外国人観光客を避けて歩かなければならないウンザリする場所でもあります(笑)。
プロフェッサーのお住まいは涼しくてうらやましい。
>アタックナンバー1のエレキ
これは、初期の小鳩くるみバージョンではない、セカンドシリーズのロック調の歌なんでしょうかねぇ。小鳩くるみの声は、いかにも唱歌、童謡調でそれもいいんですがね。
>秘密のアッコちゃんのエンディング
これは、ハモンドオルガンでしょうか。恐ろしくセンスいいですね!エレクートンもジャズ用の機材を使用すれば似た音は出せますが。
「太陽にほえろ」の主題歌もハモンドオルガンが間奏に効果的に使われてました。
ここからはモカさんへ
うれしいですねぇ、「わんぱく王子」をお孫さん用に図書館にご予約とは素敵です!
きっと喜びますよ、保証します。
お孫さんの年齢が「ポケモン」世代(小学低学年以下)だと、アメノウズメが「岩戸隠れ」したアマテラスを呼び出すダンスの場面は(秀逸なんですが)、ちょっと飽きてしまうかもしれませんが、後半のスサノウと大蛇の戦いの迫力と美しさに画面に釘付けになることでしょう。
>選挙速報
NHKは知事選の為に前橋からの放送でしたね。
結果はともかく、投票率が50%を割ってしまったことに暗然とした思いです。
死票だって実は意味があるのに。誰がやっても同じというのは全くの無知。
>プロフェッサーのお住まいは涼しくてうらやましい。
実際、今日は涼しかったですよ。
エアコンは八月になって少し使う程度です。
>小鳩くるみ
断然、大杉久美子バージョンが良いと思います。
>ハモンドオルガン
あはは。失敗しました。
確認もしないでエレクトーンと書きましたが、さきほどパソコンに入れておいた音源を聴いたらエレクトーンではないですね。
いずれにせよ、凄い演奏でしょう。だからアニメ用の音楽も侮れない。
ついでに、新藤恵美が主演したボウリングもの「美しきチャレンジャー」のベースも物凄いので必聴です。何をやっても超絶技巧のベーシスト寺川正興の演奏ですが、この曲は最初から最後までのべつまくなく弾いています。パソコンではちと解りにくいでしょうけど、ヘッドフォンで聴けば大丈夫。音量が控えめすぎるのが難点ですが、ドラマの主題歌ですからねえ。
>「わんぱく王子の大蛇退治」
当ブログが思わぬ形で役に立ちましたね。
調べたところ、群馬県の図書館にはありません。図書館に申し込めば買ってくれるかな?
「わんぱく王子の・・」図書館に取りにいったら絵本でした。
まったく同じタイトルなので、DVDだと思い込んでました。
DVDはないようです。「白蛇伝」ならあるといわれました。
仕方なし本を借りて帰ったところに、娘が孫を連れてやってきたので
「これこれしかじかで本を借りてきたよ」といって見せたら、「これ、宮崎駿の幻のアニメやん!」と知っておりました。
ジブリファンの間では有名なんですね。
ちょっと調べたらスカパーの東映チャンネルで来月オンエアするようです。うちはスカパーに加入しているので、チャンネルの組み合わせ変えてしばらく東映を見ることにしました。
近所にお住まいならダビングして差し上げるんですが・・・
群馬ですね・・・上州ですよね・・・三日月村って実在するんですか? (笑)
>わんぱく王子の・・」
絵本でもお孫さんが楽しめれば良いですね。
群馬県では太田市立図書館にLDがありますが、帯出禁止ですし、東部の僕が借りる資格はありません。惜しいなあ。
>スカパーの東映チャンネルで来月オンエア
物凄いタイミングですね。
>三日月村って実在するんですか? (笑)
村自体は昔から実在しませんが、その名前のテーマパークはあります。遠くて行ったことがないので詳細は分かりません^^;