映画評「勝負師」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1958年フランス映画 監督クロード・オータン=ララ
ネタバレあり

ドストエフスキーの数少ない未読作品たる中編小説「賭博者」を今日読み終えた。そこで、それをフランスのクロード・オータン=ララが映画化したこの作品を久しぶりに観て、比べてみることにする。

ドイツの温泉地バーデン=バーデン(原作では架空の町)。
 モスクワに住む老伯爵夫人アントニーダ(フランソワーズ・ロゼー)の遺産を当てにする、正体不明の美女との結婚をもくろむ甥っ子の将軍(ベルナール・ブリエ)やその養女ポリーナ(リゼロッテ・プルファ―)らが、一家の家庭教師であるアレクセイ(ジェラール・フィリップ)の帰りを待っているが、彼は老夫人の死亡の通知を持ち帰ることが出来ない。その旨を伝える電報もやって来ない。
 そこへ当の伯爵夫人が車椅子とは雖も元気いっぱいにやって来、バーデンバーデンの名物である賭博場を見学したところ、その様子にすっかり魅かれて、遂にほぼ全財産をすってしまう。財産を当てにする将軍らはこれにがっくり。
 アレクセイが夢中のポリーナはフランス貴族に借金を抱えているが、それは言わば妾のような状態を意味する。アレクセイは老夫人が渡したごく一部のお金を使って借金分を獲得しようとして賭博場へ急行、やはりすってしまう。ところが、ディーラーの勘違いが彼に20万フランものの大金をもたらすことになり、漸くポリーナの許に帰るが、彼女は愛するフランス貴族が去ってしまったことに絶望、拳銃自殺をしてしまう。彼は呆然として同地を去る。

原作は賭博の中毒性を批判する意図が濃厚(ドストエフスキー自身がバーデン=バーデンで痛い目に遭った)だが、その主題をある程度維持しつつ、映画版ではお金で恋ごころは買えないという人生観に立脚した悲劇性に変えられているような気がする。それを導き出すため終盤は小説から相当の変更が加えられている。
 小説では、ポリーナは死ぬ代わりに精神を病みスイスへ逃避、ポリーナに無視された形のアレクセイが、将軍が結婚しようとしていた謎の美女マドモワゼル・ブランシェによりパリで大金を散財させられるという形で終わるのである。

ドストエフスキー自身がその名もポリーナという女性によりひどい目にあったことがあり、小説にもお金の恋に与える力に関する疑問が打ち出されているとは思われるが、映画版は、ロシア的皮肉というより、フランス流の悲恋・悲劇という印象が強く、より大衆的・ドラマ的であると感じられる。ドストエフスキーの映画化としてより、フランス的メロドラマとして観た方が楽しめると思う。

折しも日本でもカジノを含む統合型リゾートが始まろうとしている。映画でも賭博依存症の問題が十分感じられるも、小説の方は否応なくその気分が味わえるので、この機を逃さず読んでもらいたい。

この作品を初めて観たのは1973年のTV洋画劇場で。四半世紀後再鑑賞した時にモノクロと記憶していたのにカラー映画であったこと、全財産を失うのはアレクセイと思っていたのに老夫人であったことに、人の記憶の全く当てにならないことを思い知ったものである。

統合型リゾートは経済には良いかもしれないが、日本における大事なものを破壊するのではないかと危惧する。やめたほうが良い。依存症以外にも日本にマフィアが大量にやって来るという懸念もあるらしい。

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