古典ときどき現代文学:読書録2020年上半期
一年に一度の読書録を半年に一回に変更しました。一年間記録を保存しておくのも億劫でして。ということで、今後ともよろしくお願いいたします。
最初の一年なのに、例のコロナ禍によって、4月上旬から5月中旬にかけてひと月以上に渡って図書館を利用できない日々がありました。長期の読書予定を立てている僕には計画立て直しを強いられ、kindle で読む時間を増やしたり、家にある本を再読するなどして誤魔化しましたが、お金をかけず現物を持たないスタイルではなかなか有意義な時間は過ごせなかったというのが実際ですね。
本文の中で “今年はオリンピックの年”と書いたのに、そのオリンピックも一年延期(それも100%確かに実現できるとは言えない)されて、空しさも覚えてくる次第。
さてさて、例によって、古い作品、古典という以上に歴史的と言うのがふさわしい作品が多いわが読書録でありますが、わがブログを訪れてくれる方々がコメントで紹介してくれる本もぼちぼち読むことにしているので、比較的新しい作品も少しずつ増えています。乞うご期待。しかし、絶対量としてはまだまだ。
歌舞伎台本は現代文に近いので原文でほぼ問題なく、最重要で無数の代表作がある河竹黙阿弥も大分読んだ。浄瑠璃・文楽はそこまで易しくはないが、コロナ禍の時に少しだけ開いていた小さな山の図書館(即ち純地元)で借りて来た近松門左衛門は原文のみで読む。何とか読解したと思う。今回読んだことで、近松も代表的なところはほぼ読み終えた。
以前擬古文「折りたく柴の記」を原文のみで悪戦苦闘して読んだ新井白石。今回の「西洋紀聞」は現代語訳のみで読み、随分楽が出来たが、基本的に日本の古典は原文と現代語訳で読む事にしている。現代語訳だけ読んでも満足できないのがわが性分でござる。まして、文学性が高いものは。
日本に影響を与えた中国の大古典はまだまだ残っている。今年の前期はさほど読めなかった。と言いつついきなり中国古典で始まりまする。
フランス文学はどちらかと言えば短めの作品に著名な作品が多いのだが、一時期大河小説をなした時代もあり、その嚆矢となったロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」をKindle で再読。18世紀初めの「マリヤンヌの生涯」は欧州で小説時代が始まった頃のフランス文学には珍しい大長編。これは図書館にもなかなかなく、アマゾンで中古本を全部買って読んだ。
大古典踏破の旅も先が見えて来たので、若い時代に読み終えた戦前の本格ミステリー群をぼつぼつ再読中。SFは、ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズといった先駆者を別にすると、古典と言っても比較的新しい。その辺りを少しずつ開拓するつもり。
後は網羅したリストを見てのお楽しみ。感想文・紹介分も以前より長くなり、中にはなかなか良い出来のものもあるので、なるべく読んでくださいね。それではご笑覧あれ。
村松 梢風
「残菊物語」
★★昨年末に読んで書き落としたのでこちらに記載。梨園の愛憎劇をめぐる実話の短編小説化だが、舞台化されてより有名になったらしい。溝口健二の映画版もなかなかの秀作で、この小説より味わい深いと思う。
ヒュー・ロフティング
「ドリトル先生アフリカゆき」
★★★映画にもなったシリーズの第一作。黒人に関する表現に問題が指摘されて1970年代はシリーズ全般が読めなくなっていたそうな。それを考えると、エディ・マーフィーがドリトル先生になったのは意味深長でござる。
瞿 佑(く・ゆう)
「剪燈新話(せんとうしんわ)」
★★★★日本でよく知られた「牡丹燈籠」など幽霊譚を多く収録する怪異短編集(本編20篇+2篇)。作者は明朝初期の文人で、元末に乱を起こした張士誠に相当怨みを持っているようで、頻出する。日本に残した影響力は大きく、「銭湯新話」というパロディも生まれた。
李 禎(り・てい)
「剪燈余話(せんとうよわ)」
★★上記作品に傾倒した同じく明朝の作者による模倣作品。作者は詩作と詩への深い造詣に自信があったのか、自作の詩や、或いは古い詩を自在に組み合わせた詩を大量に用いている。文学的には「新話」を上回るとも言われるが、怪異譚としての迫力は劣る。
古呉 墨浪子(撰)
「西湖佳話(せいこかわ)」
★★★清朝17世紀に上梓。こちらは時代ではなく西湖周辺に起きた実話を取り上げた中編集である。但し僕が読んだのは16編中の6編。現在これしか読めないのだから、仕方がない。本作を元ネタとした「雨月物語」の「蛇性の淫」を読んでいるので都合7編になろうか。しかし、予想と違って怪異譚は少ない。
桂 万栄(撰)
「棠陰比事(とういんひじ)」
★★★★編者は南宋の人。十三世紀の上梓。それまでに伝えられた144の判例集で、多くは裁判官たるものの教育となるものを取り上げるが、中には反面教師のものもある。有名な子供を巡る母親の争いに関する大岡裁きはソロモンと関連付けられるが、直接的にはこちらに収められた前漢の判例(第八話)からであろう。紀元前の話なので、実話ではなく、ソロモンの話が中国に伝わった可能性がある。
ロマン・ロラン
「ジャン・クリストフ 第一巻:曙」(再)
★★★★★ジャン=クリストフ生誕から音楽の才能を発揮する幼少時代までのお話。詩的な文章が美しい。
「ジャン・クリストフ 第二巻:朝」(再)
★★★★★宮廷音楽家になった主人公の十代前半から中盤にかけての青春物語。前半は精神的同性愛の顛末、後半は夢破れる初恋模様。
「ジャン・クリストフ 第三巻:青年」(再)
★★★★前半は若いシングルマザーのサビーネへの思慕。彼女の死後は奔放な女性アーダとの関係。アーダが弟と関係があることを知り酒に逃げる。詩的な印象が薄くなり、大分散文的になってきた。
「ジャン・クリストフ 第四巻:反抗」(再)
★★★容赦ない批評に乗り出したことで零落していき、能動的にも受動的にも隣国フランスへ脱出しなければならなくなる。
「ジャン・クリストフ 第五巻:広場の市」(再)
★★★独仏芸術論の趣き。ジャン・クリストフに希望が見えて来る。
「ジャン・クリストフ 第六巻:アントアネット」(再)
★★★★四巻に出て来たドイツ女性が主人公として扱われる。ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」における「美しき魂の告白」に相当する感じ。恐らく意識しているのではないか? しかし、ジャン=クリストフの希望は彼女ではなく、その弟オリヴィエなのであった。
「ジャン・クリストフ 第七巻:家の中」(再)
★★ジャン=クリストフとオリヴィエの周囲にいる人々の群像。後半独仏政治論も出て来るなど些か散文的で僕は気に入らない。但し、終盤ドイツに残してきた母親の重態に際しジャンが駆けつける辺りはじーんとさせられる。
「ジャン・クリストフ 第八巻:女友達」(再)
★★オリヴィエとジャクリーヌの結婚生活の破綻。ジャン=クリストフはかつて影響を与え現在は貴婦人になったグラチアに自らのピンチを救われたことを知る。全体として重厚である一方で面白味に欠ける気がする。
「ジャン・クリストフ 第九巻:燃ゆる荊」(再)
★★★その気もないのに社会主義革命に巻き込まれてオリヴィエは死に、ジャン=クリストフは逃亡する。逃亡先で知人の妻と道ならぬ恋。この部分の心理が面白い。
「ジャン・クリストフ 第十巻:新しき日」(再)
★★★★主人公は成功し、同時に達観し、天国に迎えられるような最期に臨む。些か仰々しい印象はあるが、物凄い。円環して第一巻に繋がるような幕切れに圧倒されるのである。
清岡 卓行
「アカシアの大連」
★★★第62回芥川賞(1969年下半期)受賞作。作者の経験を綴った詩的で随想的な小説。主語が私であれば、そのまま随想となる内容で、割合好きなタイプ。
古山 高麗雄
「プレオ―8の夜明け」
★★第63回芥川賞(1970年上半期)受賞作。インドシナの捕虜収容所の戦争犯罪者の生活をユーモラスに描くが、僕が好むタイプではない。
吉田 知子
「無明長夜」
★★★同じく第63回芥川賞受賞作。泉鏡花の世界をぐっと病的に歪めたような心象風景が一人称で綴られる。三島由紀夫は内容を主人公の分裂症的な内面と理解し、高く評価している。今年はオリンピックの年でもあるが、三島由紀夫没後50年でもある。
古井 由吉
「杳子」
★★★★第64回芥川賞(1970年下半期)受賞作。ヒロインが、谷に下ると頂にいる時を思い起こして高所の恐怖を感じるというのは、その精神の均衡が取れていないことを象徴する。そんな病的なヒロインと恋人関係になっていく主人公の妙な恋模様を綴る。同じような表現がくり返されるが、何故か面白い。
テオドール・シュトルム
「白馬の騎手」
★★★★防波堤の建設に奮闘する堤防監督官の壮絶な物語が数十年後に回顧される入れ子(枠物語)構造。近年の日本の水害を考えると、他人事とは思えない恐怖と迫力がある。厳しいと同時に詩的な美しさもある。シュトルム最後の作品。
「ドッペルゲンガー」
★★これも入れ子構造で、今では結婚により幸福を手に入れた女性の、幼女時代の悲惨な生活を作者の分身である弁護士が思い出す。タイトルの印象とは内容が違うし、庶民の生活に視線を下降するゾラ的な内容であるが、自然描写の詩的な美しさがいかにもシュトルムらしい。
「告白」
★★★シュトルムお得意の回想形式。妻を安楽死させた医師の苦悩が描くが、その自己に厳しい内面が胸を打つ。抒情性が絶品。
ジュール・ルナール
「葡萄畑の葡萄作り」
★★★ルナールは日本で人気のある「にんじん」の作者。確かな観察眼による、微笑ましい連作コントあり、対話篇あり、箴言集あり、ルナールらしく奔放な短編集。芥川龍之介「闇中問答」「侏儒の言葉」、三好達人の詩集「測量船」、高見順の日記などにルナールは大きな影響を残している。その他、太宰治、岸田国士、等々にも。
「怪鳥」
★★少し前の短編集。大体似たような奔放なスタイルで、本作でスタイルを確立したようだが、ユーモア以上に残酷な後味が残り、「葡萄畑」ほどピンと来ず。
竹田 出雲(二世)、三好 松洛、並木 千柳
「双蝶蝶曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」
★★★★近松門左衛門を別にすると、浄瑠璃の世話物を代表する傑作と思う。丁々(ちょうちょう)発止と火花を散らすライバルであった長吉と長五郎(二人の長で蝶蝶という洒落)は最終的に人情の掛け合いをする。親子の情、他人の情、人の情けにぐっと来るところ多し。
紀 上太郎、容 楊黛、他
「碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)」
★★★南北朝の権力争いが主題だが、「太平記」とは由井正雪の乱をテーマにした実録「慶安太平記」のことで、「忠臣蔵」同様時代を移して誤魔化した形。それに実際にあった姉妹の仇討を加えて賑やか。忍者映画のようなところも多いので江戸時代の話にすれば映画化もできそう。
近松 半二、松田 ばく、他
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」
★★★★大化の改新をテーマにした浄瑠璃時代物の傑作中の傑作。実に面白い。しかし、浄瑠璃も歌舞伎も時代考証はデタラメの限りで少々興覚める。例えば、鉄砲、ちょんまげ、遠眼鏡、煙草など当時ない物が平気で出て来る。ご存知のようにこれらの古典芸能では風俗は書かれた当時のままなのだ。多分に作者たちは昔に見せかけて “今”を描こうとしていたということもあるのではないか。三段目は日本版「ロミオとジュリエット」の趣き。但し、こちらは親が直接に夫々の子供を殺める。
チャールズ・ラム
「エリア随筆」
★★★19世紀初めの英国風俗の一端が垣間見えるエッセイ集。作者の正体を隠し精神を病んだ姉を従姉とするなど日本の私小説に近い感じがある。注釈が本文より多いという物凄い訳書だが、確かに注釈がないとピンと来ないのも事実。スムーズに読めないのは難点ではありますが。
「エリア随筆・続編」
★★正編に比べ評価が落ちるらしいが、日本の随筆に近いのはこちらと思う。
皆川 博子
「蝶」
★★★★短編集。作者が十代を過ごした開戦直前から終戦直後を生きる少女・少年のお話が殆ど。「空の色さえ」「妙に清らの」「龍騎兵は近づけり」「幻燈」では読者に現実と幻想の狭間を歩ませるかのようなエロ・グロの世界に作者が戦争への思いを沈潜させている気がする。特に「幻燈」でそれが顕著。タイトルとなった「蝶」や「艀」「思ひ出すなよ」はリアリズムのうちにファンタジーを見せる感があって面白い(が前二作やや難解か?)。「蝶」が短編集全体のタイトルになったのは"胡蝶の夢”を意識しているのではと思ったりもする。
S・S・ヴァン・ダイン
「グリーン家殺人事件」(再)
★★★★エラリー・クイーン「Yの悲劇」に与えた影響は大。犯人の行動はほぼ同じである。横溝正史「犬神家の一族」は本作の設定を生かして犯人だけ変え、日本的はおどろおどろしさを加え、アガサ・クリスティー風に綴った感じ。しかし、検事・刑事の他に、素人探偵(私立探偵のこと)と語り手が同席するのは実際に照らすと相当変。だから、次第にこの手の本格ミステリーは衰退したのだろう。ファイロ・ヴァンスが活躍するシリーズ第3弾。
「僧正殺人事件」(再)
★★★★所謂見立て殺人の最高峰と言われる作品。横溝正史は、マザーグースの童謡になぞった殺人事件が連続する本作から「悪魔の手毬唄」を着想したと思われる。ヴァンスが活躍するシリーズ第4弾。
ニッコロ・マキャベッリ
「フィレンツェ史」
★★イタリアの地理に精通しないとピンと来ない。固有名詞の多さにも閉口するが、合間合間に出て来るマキャベッリらしい政治論は面白い。歴史書としての正確さは欠けるようだが、メディチ家が平民から権力者にのし上がったのが解るのは収穫。ミラノを暫く支配した貴族ヴィスコンティ家、カルディナーレ(=枢機卿)、ポデスタ(=執政長官)など映画ファンにお馴染みの名詞が出て来て由緒ある苗字なのだなあと感慨も覚える。
河竹 黙阿弥
「土蜘(つちぐも)」
★★★同名の能の歌舞伎舞踊への翻案。歌舞伎舞踊も台本を読むと意外に面白いことが解ったのが収穫。
森 鴎外
「生田川」
★★★「万葉集」「大和物語」に取材する詩劇。蘆屋処女(あしやおとめ)は、母親によって鵠(くぐい)を射落とした若者を夫にすると決められてしまうが、射落とされる鵠に自分の運命を見る。口語を導入した最初の時代物らしい。
「最後の一句」
★★★冤罪の父に代わり若年の子供4人が死のうと奉行に訴えるお話の顛末。奉行が彼らの話を聞き入れるわけではないが、運良く恩赦で商人の父親が追放処分になって終わる。明治政府官僚への批判が根底にあるようで、後味が良い。
坪内 逍遥
「新曲浦島」
★★★★★浦島太郎の伝説をモチーフにした、和洋の音楽と舞踊を折衷した舞踊劇。ト書き自体が超絶的な美文で圧倒され、その記す内容を想像するだけで感動してしまう。凄いわあ。
「役の行者(えんのぎょうしゃ)」
★★★修験行者と獣神との戦いなどを描く戯曲。ベースは写実主義だが、神秘主義的な内容で、シェークスピアを模範とする坪内らしく「マクベス」辺りからの影響を感じる。
「小説神髄」
★★まだ文語体から抜け出ない頃に書かれたもので、西洋の小説をベースにしつつ、江戸時代の小説類(滝沢馬琴の合巻など)で良し悪しを比較するなど、現在から見ると具合が悪いところがあるが、典型的な小説のあるべき姿を考える時に参考になる。
モーリス・ルブラン
「奇巌城」(再)
★★★★★初めて読んだアルセーヌ・ルパンがこれ。今回は菊池寛の訳で読む。小学生の時に血沸き肉躍った池田宣政版を読みたいが、現在はまず読めない。どこの図書館にもあるのは実は池田と同一人物である南洋一郎版だが、これは子供向けすぎて物足りない。かと言って大人向け過ぎる訳は潤いを欠く。★の数は他の再読作品と違い、小学生の時の印象。今回の印象は★★★くらいだが、当時大感激した理由が見出せる感じがして嬉しい。
「水晶の栓」(再)
★★★★これも好きだったなあ。新青年編輯局の訳は時代劇的な感覚で古めかしいが、それでも僕がこの作品が気に入った理由が、クラリスという、ルパン最初の夫人と同名の中年夫人の為にルパンが奸智に長けた悪漢を向うに回して大奮闘するロマンティシズムにあることはよく解る。
水上 勉
「雁の寺」
★★★殆ど不具と言っても良いくらい背の低い少年坊主(小僧)の見も知らぬ母親への慕情が事件を起こす。ミステリー趣向でその心理を間接的に焙り出すが、謎解きの部分に難点(ちょっとした説明不足)があるような気がする。映画版がまた観たい。
「越前竹人形」
★★★★「雁の寺」の変奏曲で、テーマは非常に似ているが、こちらには事件性がなく、只管登場人物の心情に胸が熱くなる。不具のような背の低い若者とその母親への慕情というのは当時の作者の一大テーマだったのだろう。元娼妓のヒロインは「飢餓海峡」の八重に通ずる人物像。
小山内 薫
「第一の世界」
★★★明治・大正時代の舞台演出家として有名な作者の出世戯曲。俗世間(第一の世界)を避けていた学者がふとしたことからそこに帰り、今度は避けるでもなく去っていく。
ヘルマン・ブロッホ
「夢遊の人々:第一部 一八八八年 パーゼノウまたはロマン主義」
★★★形而上的な思索が沈潜するが、パーゼノウなる若い軍人が二人の対照的な女性を天秤にかけて結局貴族の女性と結ばれる迄の心理を描く大枠は大衆的に読める。ロシア文学的な香りが少しあるので、割合好み。
「夢遊の人々:第二部 一九〇三年 エッシュまたは無政府主義」
★★エッシュもまた三人の女性の間をうろつき、結局三十代半ばの中年未亡人=カフェ経営者と結婚する。彼の心理は夢幻的だが、印象は散文的。第一部の“無限の無縁が愛である”という哲学はここでより先鋭化して完成する辺りは実に文学的。もう一つのテーマは秩序か? 第一部でパーゼノウの行動を左右した友人が男色実業家として悲劇的に再登場する。
「夢遊の人々:第三部 一九一八年 ユグノオまたは即物主義」
★秩序の権化と化したエッシュが、その新聞経営を乗っ取った脱走兵ユグノオに暴動に乗じて殺され、殺したユグノオは名士になる。初老の少佐として再登場するパーゼノウも彼に利用される。テーマは価値の崩壊ということらしいが、三人称の文章の中に突然 “わたし”による思索が加わり、作者のものか作者が仮託する誰かのものか判然としない社会に関する哲学的考察が随時挿入され、最後は小説というより哲学になる。全体小説と言うらしい。難解至極。
三島 由紀夫
「憂国」
★★★国家への献身と切腹によるエロティシズム(切腹に倒錯的な快感を覚える人がいる)とを交えた異色作。発表の9年後に三島自身がこのお話を自ら体現することになろうとは、当時誰も想像しなかっただろう。
「仮面の告白」(再)
★★★★★赤裸々で刺激的な自伝的小説。主人公の同性愛は一般のそれと違う。彼が同性なかんずく軍人などに憧れるのは死すなわち滅びに美を感じるから。戦争が近づいている時代にあって男性は死の象徴になりえた。逞しい男性ほど死に近いわけで、病弱な主人公がそのコンプレックスの先に見出した一種のサディズムであろう。後半、そんな彼が平均的な女性と歪な恋らしきものに陥るのだが、彼の心理は常に同性愛と両性愛との狭間で揺れ動くのである。同性愛と異性愛との狭間でないと思う。あるいはアンドレ・ジッドが同性愛が西洋で半ば犯罪とされていた時代に同性愛を告白した「一粒の麦もし死なずば」に影響されているかもしれない。
「金閣寺」(再)
★★★★1950年に実際に起きた鹿苑寺舎利殿放火事件に取材しているが、同じ素材でも反対のアングルから描いた水上勉「五番町夕霧楼」とは趣がまるで違う。三島が、コンプレックスから偏執性を帯びる人間の心理を描くという好みの主題に事件を当てはめたと思いたくなる心理小説の傑作だ。極論すれば、犯人が三島の為に事件を起こしたような気さえする。
「午後の曳航」
★★★40年前に本作の英国映画版を映画館で観ていたので、読んでみる。こんな話だったか。「ロープ」の主人公たちをもっと若くしたような秀才少年たちが凡俗な父親になった海の男を抹殺する、という何とも嫌なお話。当時僕は若かったので少年側に傾いて見たらしい(当時の映画評による)が、今はこういう背伸びした子供は大嫌いだ(笑)。
テネシー・ウィリアムズ
「やけたトタン屋根の上の猫」
★★★映画「熱いトタン屋根の猫」の原作戯曲。同性愛の問題から不和となった夫婦と、その親の遺産をめぐる兄夫婦と、譲る方の父親との葛藤を綴るが、改訂版との比較で舞台では演じられなかったオリジナル版の完成度が際立つ。映画版は同性愛要素を事実上排除。
永井 荷風
「濹東綺譚」(再)
★★★★荷風が得意とする花柳小説の一種。私小説的な内容で、2・26事件直後の玉ノ井を舞台に「濹東綺譚」みたいな小説を書こうとしている専業作家が主人公。その小説中の主人公も同タイプの作家で・・・と言う具合に、昨年読んだレオーノフ「泥棒」みたいな着想。しかし、荷風は性愛をテーマにしても山水画のようであって生々しさがなく、非常に美しい。
「冷笑」
★★★心境小説。ゾラ辺りの自然主義に追従していた荷風が、西洋流を入れようとしている日本に美を感じず、江戸風俗に郷愁を持ち始めたことを、自身を投影した作家・吉野紅雨に語らせるのである。彼は、世間のスノビズムに飽き足らず厭世的になった銀行頭取・小山清と共に、江戸時代の戯作「八笑人」を地で行く集まりを考える。この集まりに参加する人々はいずれも荷風の一面を示す。名は体を表すを地で行く小説であり、自然主義の面影を残すこの小説の少し前に、彼は「すみだ川」で、日本的叙情への傾倒を示す。
「すみだ川」
★★★★樋口一葉「たけくらべ」と同工異曲と言って良い。芸者になった幼馴染との恋を失った少年の心境と行動を綴る内容で、ここにあるのは日本的叙情という以上に江戸的情緒と言うべきだろう。漱石とは別種の文章の巧さも圧巻。もっと読まれて良い短編小説だ。
黒島 伝治
「渦巻ける烏の群」
★★ロシア革命後に参加したシベリア出兵における日本軍一部隊の悲劇を描く短編。プロレタリア小説に通じるミニマルな文体で、テーマは反戦というより反軍だろう。
管 仲
「管子」
★★孔子より200年くらい前の春秋時代の国・宋の宰相である管仲が書くなり言うなりしたのはごく一部だろう。その他の一部は直接の弟子たちが書き足し、大半は後世の人が儒家・法家・兵家・道家の思想を幅広く取り込んで敷衍的に語ったもののように思われる。管仲の発言と思われる最初の一編にほぼ全てが集約されてい、膨大な残りはその冗長な繰り返しに過ぎず退屈。頗る興味深いのは、参勤交代の原型のような制度、及びごく一部のインフレ以外はデフレを推奨する経済理論。さらに驚かされるのは、遅くても戦国時代に、君主制社会主義とでもいう政策が念頭にあったことだ。
アーサー・C・クラーク
「幼年期の終り」
★★★★「2001年宇宙の旅」の発案者として名高いだけに、最後に同作と似たテーマが出て来る。人類が進化して神(オーヴァーマインド)と一体化する話と僕は理解。天使に相当するオーヴァーロードが悪魔そのものの風体をしているのは、人類が未来の記憶を持っていたことを意味する。科学的知識で他を圧倒する作者が、神秘学を科学のアンチテーゼと考えずに、超科学として位置付けているところが面白い。
ニコライ・A・ネクラーソフ
「だれにロシアは住みよいか」
★★★農奴解放が農民たちをさらに苦境に追い込んだ現実を綴った長編叙事詩。生活詩とでも言うべき部分の迫力。ロシアには、絶対君主制→社会主義→資本主義体制と変遷しても、常に大衆を押さえつける権力がある。面白いものだ。
夏目 漱石
「道草」(再)
★★★漱石が作家として成功し始めた頃を回顧したような自伝的小説。極めて冷徹かつ低回的で、同じように低回的でも良い意味で作り物めく後期三部作に比べて楽しめず。ただ、漱石の私生活を想像させるという点では相当興味深い。
「明暗」(再)
★★★★ヘンリー・ジェイムズに通ずるものを覚える。つまり、三人称の語りで一人称小説を成すところである。主題は夫婦関係をめぐる心理。この作品は最初会社員の津田由雄の心理から始まり、突然その妻お延の心理へと移行し、また由雄に戻る。その徹底した心理描出にやや辟易するところがあるも、彼が湯治場で昔の恋人・清子と再会しこれから面白くなるぞというところで、漱石の死により未完に終わる。
北原 白秋
「雲母集」
★★★短歌集で、読み方は“きららしゅう”。失明との戦いの中に書かれた後年の「黒檜」とは違っておちゃめな白秋が随時顔を出す。
「海豹と雲」
★★詩集で、読み方は “かいひょうとくも”。あざらしと読ませないのが却って詩的だ。比較的解りやすい文語詩と、時に口語詩を交える。この時代の詩集としては解りやすい部類。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ
「戦争論」
★戦争を避けようとする立場ではない戦争論。戦争が起きる理由などを分析する総論は面白いが、戦争の技術を延々と説く各論は現在では意味を成さず退屈千万。文字面だけを読むにも難儀を強いられる。
高木 彬光
「刺青殺人事件」
★★★作者の長編デビュー作であり、名探偵神津恭介初登場の一編。日本の本格ミステリーにはどうも異常性への傾倒がある。本作は、刺青愛好者が絡んで起こる連続殺人を名探偵神津が解く。同じ頃書かれた純文学・三島由紀夫の「仮面の告白」などと通底する淫靡さがあるのは、終戦直後という時代性か。
大下 宇陀児
「情獄」
★★温泉地で友人を未必の故意で殺してその妻と再婚する男のお話だが、現在の読者には余り受けまい。
「虚像」
★★終戦直後混乱した中での殺人。被害者の娘が加害者を探り出し復讐を図る一種の素人探偵もので、犯人の工まざるトリックに彼女が嵌っていく。それが判明する最終幕は面白いが、全体としてまだるっこい。
エクトール・マロ
「家なき子」
★★★ “同情するなら金をくれ”という台詞は出て来ない。養父にレンタルされた少年が食べていく為にフランス各地(最終的には英国にも行く)を彷徨する羽目に陥る波乱万丈のお話で、雪の森林で狼に襲われかけたり、炭鉱に閉じ込められたり、余りに波乱がありすぎて少々鼻白むが、それぞれ別々の少年の経験と考えれば、19世紀中葉に実際あったにちがいない挿話として身に染みる。それが非常に具体的に描写され、なかなか凄味がある。学級図書などにあったのはどうも抄訳で、今回読んだ文庫本1000ページのバージョンが珍しい完訳に当たるらしい。
近松 門左衛門
「夕霧阿波鳴門(ゆうぎりあわのなると)」
★★★★注釈者はなかなか厳しい評価を下しているが、最後に病床のヒロインが踊り出すのは、現実の描写ではなく寓意と考えるのが妥当。
「槍の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」
★★★実話をベースにした世話物。完成度は高いが、儒教故の貞操観念が不愉快。武家の片隅にも置けないと道行をする主人公権三とおさゐは冤罪で、彼女にモーションをかけていた仲間・伴之丞が諸悪の根源。折角彼が成敗されるのに、その彼に真相を打ち明けさせないという展開は後味が悪い。江戸時代でも大逆転のハッピーエンドはあるわけだから。
「山崎與次兵衛壽の門松(やまざきよじべえ ねびきのかどまつ)」
★★★ハッピーエンドで比較的後味の良い世話物だが、遊女吾妻が妾に収まり万々歳というのは現在の道徳観からすると相当変。
「博多小女郎波枕」
★★★★海賊が出て来ること、九州弁が使われるのが珍しく(但し理解しにくい)、新味を買う。夫が自害して残った遊女上がりの内妻が父親の面倒を見ることになるという暗示は極めて儒教的。現在ではなかなか考えられない。
「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」
★★★男色の付文の描写に驚く。井原西鶴「男色大鑑」でもここまで生々しいのは出て来ない。元侍の町人という主人公の設定による複雑な精神構造が作劇のキモであるが、当時の感覚では場面場面で齟齬するように感じられたか?
「丹波与作待夜の小室節(たんばよさく まつよのこむろぶし)」
★★後世の有名浄瑠璃「恋女房染分手綱」の原案となった世話物。先に「恋女房」を読んでいたので面白味を欠くも、近松門左衛門の措辞は別格に凄いので、どんなに梗概が凡庸でも楽しめる。
「五十年忌歌念仏」
★★★西鶴も「好色五人女」で取り上げたお夏清十郎もの。性格描写甘く完成度は高くないが、近松の名調子ぶりは他の追随を許さない。
「嫗山姥(こもちやまんば)」
★★★★時代物。童話「金太郎」として後世に蘇った坂田金時誕生のお話。平安時代のお話に煙草が出て来るなど時代考証は例によってデタラメ。映画ではないからその辺りを突っ込むのは無粋。
江戸川 乱歩
「算盤が恋を語る話」
★★正確には “算盤が恋文になる話”と言うべき内容で、謎解きのない短編暗号ミステリー。
「白髪鬼」
★★マリー・コレリの小説を黒岩涙香が翻案したものをさらに翻案した復讐小説。「幽麗塔」と同じ流れですが、今読むと倫理観が古臭すぎる。
「人間豹」
★★大人向け明智小五郎もの。しかし、ご本人も認めているように、内容は児戯に等しい。人間と豹の獣姦から生まれた子供が悪漢の正体であるように理解できる部分は、乱歩らしい変態ぶり。
「青銅の魔人」(再)
★★★子供向け明智小五郎もの。子供向けだけにハラハラドキドキがストレートなので、中途半端な「人間豹」より楽しめる。
武田 泰淳
「ひかりごけ」
★★★戦時中の人食い事件に取材。紀行文か若しくは偽紀行文に始まり、途中で読む為の戯曲となり、読者に演出家たるを求める異色作。大体映画版と同じで、映画を見ていなければかなりビックリしただろう。
「蝮のすえ」
★★★終戦直後の上海が主な舞台。一人のファム・ファタール的な悪女を巡る三人の男の関係が主題で、日本に戻って来た主人公を通し、作者は敗戦の日本に虚無感を覚えざるを得ない。林美智子「浮雲」同様この時代を描いたものは果てしなくモヤモヤとした空気が漂う。
中村 真一郎
「死の影の下に」
★★★★明らかにプルーストに影響された作品で、主人公はふとしたきっかけで自身の幼少期から中学(現在の高校)時代までの過去を思い出す。亡父と関係を主に綴るもので、生命の生物学的死だけでなく、時間の経過による変化という一種の死にも敷衍していく。プルーストほどには入り組んでいず、読みやすい。
カズオ・イシグロ
「日の名残り」
★★★★★自分も一通りの品格を持った人間、素晴らしい主人に仕えた執事であるという主人公の誇りが、かつての女中頭と再会することで粉々に崩れていく。読者である僕らが気づいていた彼女の恋心に全く気付かなった自分のボンクラぶりに彼は悄然とするのである。そこに英国の退潮を重ねる目的がある作品だが、それでも元来日本人であったイシグロが英国の気品に敬意を送っているのを感じる。映画化作品同様絶品だ。
太宰 治
「庭」
★私小説の掌編なのか、エッセイなのか判然としないところが本作の取り得だろうか?
「ヴィヨンの妻」(再)
★★売れない詩人に翻弄される内縁の妻の苦労話を描いた有名な短編小説だが、どうも読んだそばから話を忘れてしまう。ヒロインに楽観的な一言を言わせ、ただの苦労話にしないところが太宰らしいひねくれ方で、“女性に語らせた太宰の自画像”という映画版を観た時に書いた僕の分析はあながち的外れでもないだろう。
「斜陽」(再)
★★★★GHQの農地解放の影響を受けた実家を見て太宰は、敗戦後の日本版「桜の園」を書こうと思い立ったらしいが、段々その目的は外れ、やがて彼の自画像になっていった模様。ヒロインかず子のモデルは恋人の太田静子で、彼女の記す文章は多く静子の日記から取り入れたという。うらぶれたその弟・直治や恋人の作家・上原は勿論太宰自身である。戦後の太宰は陰鬱なのだが、日本の戦後文学にそういうものが多いのは必然。我が家は地主というほどではないが、隣の宅地を農地解放の名の下に騙されて取られた。
ピエール・ド・マリヴォー
「マリヤンヌの生涯 第一部~第三部」
★★★今から300年ほど前に書かれたフランス小説勃興期の作品。思うに17世紀末から始まる英仏の小説はスペイン発祥の悪漢小説のバリエーションで、女性が主役となる場合には教育小説の趣きになり、例外なく一人称若しくは書簡体小説である。その教育性が逆説的に表われたのがマルキ・ド・サドの作品群ということになろうか。ここでは、恐らくは貴族出身の娘が赤ん坊の時に移動中の両親を山賊に殺されて孤児になり、それなりに良い人に巡り合い続けるものの、好事魔多しの人生を続ける。貴族ミラン夫人母子と別々に知り合うところで終り。
「マリヤンヌの生涯 第四部~第六部」
★★★★ミラン母子は見上げた人々なのであるが、周囲がマリヤンヌと息子ヴァルヴィルとの結婚を妨害する。当時の家柄主義がそこはかとなく風刺されている。展開が早いのか遅いのかよく解らないが、中年になったマリヤンヌの人々の省察などなかなかに面白い。
「マリヤンヌの生涯 第七部~第八部」
★★★やっと障害を乗り越えたと思ったら今度はヴァルヴィルが別の女性に目移りする。激しい恋は成就した途端に醒めるを地で行く伝で、この後どうなるかと思いきや、マリヤンヌのお話はここで事実上終了、未完のままに終わる。残念。
「マリヤンヌの生涯 第九部~第十一部」
★★★ここからは話し相手の修道女の波乱万丈が語られる。マリヤンヌのそれと似たようなものの繰り返しだから、くどい印象もあるが、マリヴォーはこういうお話を考えるのが得意とは思わせる。とにかく、未完のままこれにて終了。
エラリー・クイーン
「ニッポン樫鳥の謎」
★★密室殺人のヴァリエーション。探偵小説作家エラリー・クイーンが探偵役として活躍する国名シリーズ最後の作品、とも言われるし、そうでもないという説もある。作者の日本に関する知識は詳しいが、琉球と本土の区別など正確な部分と怪しい部分とが併存する。本作はドルリー・レインのシリーズより面白いとは思わないものの、最後の展開はちょっとしたどんでん返しと言うべきか。
「Xの悲劇」(再)
★★★★聾の老俳優ドルリー・レインが活躍するシリーズ第一作。その昔読唇術という行為を知ったのがこの作品。最初の殺人は電車において毒針をさした球による。ニコチンというのはそれほど猛毒なのか。世界的にはこちらが名高いようだが、日本では第二作の「Yの悲劇」の評価が圧倒的に高い。江戸川乱歩が強く推したということに加えて、日本で受ける本格推理は静的な密室殺人系ということではないかと思う。
有吉 佐和子
「恍惚の人」
★★★★序盤の老母の急死と初めての葬儀の様は正に我が家が経験したそのものであった。その後の老父の認知症(当時は一般的にボケと言われ、ヒロインは痴呆症という言葉すら知らない)とその介護、さらに来たる高齢者社会への言及は凄味がある。しかし、そこまでなら実務的な本にすぎない。本作が文学たる所以は、今は老人をそういう視点で見ている我々もいつかは老人になるという事実に随時触れるところにある。
「女二人のニューギニア」
★★★★可笑しすぎる紀行文。友人の文化人類学者・畑中幸子とのやり取りはコント。正に関西人同士ならではと言うべきで、可笑し過ぎるので減点(笑)。その一方で、20年後に言及する畑中の言葉が僕には悲しく響く。1968年に本書を著した有吉は、16年後に53歳という若さで急死するからである。本書で自身記したように、彼女はやはり病弱であった。彼女が長生きすると予言した畑中女史はまだご存命だ。
セーレン・キルゲゴール
「あれかこれか 第一部」
★★★★哲学論文集であるが、核となるのは、初恋を全ての恋と断じてその永遠性を説き、結婚愛を否定する青年Aの手記とされる部分。殆どドストエフスキーでも読むような感じで、小説と言っても良い程。青年Aの立場は美的生活を優位とする人生観である。
「あれかこれか 第二部」
★★★その反論に相当する、倫理的生活を優位とする熟年Bの手記。実はこちらが先に書かれたのだそう。哲学用語が増えてぐっと哲学書的にはなる。
水村 美苗
「続 明暗」
★★★★夏目漱石の「明暗」が未完だったので、続編として書かれたパスティーシュ。登場人物の心理が解明されていく、特に主人公・津田の細君お延が彼が湯治へ出かけた理由と流れを知っていくところはミステリー趣味とも言っても良いくらい。謂わば犯人役は二人の媒酌人を務めた吉川夫人。「明暗」だけを徹底的に読んでもこれだけのものは書けず、「虞美人草」「こころ」「門」が行間から匂って来る。「虞美人草」で言うところの“真面目さ”で生きたのは、津田ではなく、敗残者のような悪友・小林だ。
井原 西鶴
「西鶴置土産」
★★★遺作となった浮世草子。遊女に金をつぎ込むなどして零落した元大尽たちの十五話で、落ちぶれても誇りを失わない様々な様相が感慨を呼ぶ。中には協力者による偽作も交じっているようで、完成度にバラツキがある。
「万の文反古(よろずのふみほうぐ)」
★★★死後刊行された浮世草子。全十七話。書簡体で様々な人々の生活を浮き彫りにする。印象としては商人の話が生き生きしているように思う。
ヨーン・スウェンソン
「ノンニとマンニの冒険」
★★★★賢いノンニとマンニの兄弟が活躍するシリーズの一編。この作品では、母親に嘘を付いて山に登って帰れなくなり、殺人犯の噂のある男との遭遇などを経て帰宅するまでの波乱万丈の冒険談。ちょっと出来過ぎのところもあるが、面白い。
本庄 睦男
「石狩川」
★★勝手に庶民たちの生活を描く内容を想像していたが、全然違って、明治になって廃藩の憂き目で没落した仙台藩の元侍たちが石狩平野の開拓団として苦闘する時代小説なのでござった。
新井 白石
「西洋紀聞」
★★★★新井白石が、捕縛したイタリア人宣教師ジョヴァンニ・シドッチに審問した内容を記した記録。特に興味深いのは、オランダ人のみが貿易を認められた由来らしきものが読み取れるところ。つまり、プロテスタントのオランダ人が、カトリックの諸国(スペイン、ポルトガルなど)は宗教をたてに日本を半ば植民地化すると幕府に訴えた結果らしいのである。カトリックが極東にやってきたのが新勢力プロテスタントに押されて信心者を増やそうとした結果ということも解る。
ニコライ・レスコフ
「ムツェンスク郡のマクベス夫人」
★★中編。マクベス夫人に相当するカテリーナは、間男セルゲイと組んで、舅、夫、共同相続人たる夫の甥(幼児)を殺害する悪女であるが、作者が19世紀中葉の父権主義的なロシアで極めて弱い立場の女性に同情しているという印象を持つ。多分ショスタコーヴィチのオペラで現在は知られるだろうが、このオペラもソ連時代故に不運を被った。
最初の一年なのに、例のコロナ禍によって、4月上旬から5月中旬にかけてひと月以上に渡って図書館を利用できない日々がありました。長期の読書予定を立てている僕には計画立て直しを強いられ、kindle で読む時間を増やしたり、家にある本を再読するなどして誤魔化しましたが、お金をかけず現物を持たないスタイルではなかなか有意義な時間は過ごせなかったというのが実際ですね。
本文の中で “今年はオリンピックの年”と書いたのに、そのオリンピックも一年延期(それも100%確かに実現できるとは言えない)されて、空しさも覚えてくる次第。
さてさて、例によって、古い作品、古典という以上に歴史的と言うのがふさわしい作品が多いわが読書録でありますが、わがブログを訪れてくれる方々がコメントで紹介してくれる本もぼちぼち読むことにしているので、比較的新しい作品も少しずつ増えています。乞うご期待。しかし、絶対量としてはまだまだ。
歌舞伎台本は現代文に近いので原文でほぼ問題なく、最重要で無数の代表作がある河竹黙阿弥も大分読んだ。浄瑠璃・文楽はそこまで易しくはないが、コロナ禍の時に少しだけ開いていた小さな山の図書館(即ち純地元)で借りて来た近松門左衛門は原文のみで読む。何とか読解したと思う。今回読んだことで、近松も代表的なところはほぼ読み終えた。
以前擬古文「折りたく柴の記」を原文のみで悪戦苦闘して読んだ新井白石。今回の「西洋紀聞」は現代語訳のみで読み、随分楽が出来たが、基本的に日本の古典は原文と現代語訳で読む事にしている。現代語訳だけ読んでも満足できないのがわが性分でござる。まして、文学性が高いものは。
日本に影響を与えた中国の大古典はまだまだ残っている。今年の前期はさほど読めなかった。と言いつついきなり中国古典で始まりまする。
フランス文学はどちらかと言えば短めの作品に著名な作品が多いのだが、一時期大河小説をなした時代もあり、その嚆矢となったロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」をKindle で再読。18世紀初めの「マリヤンヌの生涯」は欧州で小説時代が始まった頃のフランス文学には珍しい大長編。これは図書館にもなかなかなく、アマゾンで中古本を全部買って読んだ。
大古典踏破の旅も先が見えて来たので、若い時代に読み終えた戦前の本格ミステリー群をぼつぼつ再読中。SFは、ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズといった先駆者を別にすると、古典と言っても比較的新しい。その辺りを少しずつ開拓するつもり。
後は網羅したリストを見てのお楽しみ。感想文・紹介分も以前より長くなり、中にはなかなか良い出来のものもあるので、なるべく読んでくださいね。それではご笑覧あれ。
***** 記 *****
村松 梢風
「残菊物語」
★★昨年末に読んで書き落としたのでこちらに記載。梨園の愛憎劇をめぐる実話の短編小説化だが、舞台化されてより有名になったらしい。溝口健二の映画版もなかなかの秀作で、この小説より味わい深いと思う。
ヒュー・ロフティング
「ドリトル先生アフリカゆき」
★★★映画にもなったシリーズの第一作。黒人に関する表現に問題が指摘されて1970年代はシリーズ全般が読めなくなっていたそうな。それを考えると、エディ・マーフィーがドリトル先生になったのは意味深長でござる。
瞿 佑(く・ゆう)
「剪燈新話(せんとうしんわ)」
★★★★日本でよく知られた「牡丹燈籠」など幽霊譚を多く収録する怪異短編集(本編20篇+2篇)。作者は明朝初期の文人で、元末に乱を起こした張士誠に相当怨みを持っているようで、頻出する。日本に残した影響力は大きく、「銭湯新話」というパロディも生まれた。
李 禎(り・てい)
「剪燈余話(せんとうよわ)」
★★上記作品に傾倒した同じく明朝の作者による模倣作品。作者は詩作と詩への深い造詣に自信があったのか、自作の詩や、或いは古い詩を自在に組み合わせた詩を大量に用いている。文学的には「新話」を上回るとも言われるが、怪異譚としての迫力は劣る。
古呉 墨浪子(撰)
「西湖佳話(せいこかわ)」
★★★清朝17世紀に上梓。こちらは時代ではなく西湖周辺に起きた実話を取り上げた中編集である。但し僕が読んだのは16編中の6編。現在これしか読めないのだから、仕方がない。本作を元ネタとした「雨月物語」の「蛇性の淫」を読んでいるので都合7編になろうか。しかし、予想と違って怪異譚は少ない。
桂 万栄(撰)
「棠陰比事(とういんひじ)」
★★★★編者は南宋の人。十三世紀の上梓。それまでに伝えられた144の判例集で、多くは裁判官たるものの教育となるものを取り上げるが、中には反面教師のものもある。有名な子供を巡る母親の争いに関する大岡裁きはソロモンと関連付けられるが、直接的にはこちらに収められた前漢の判例(第八話)からであろう。紀元前の話なので、実話ではなく、ソロモンの話が中国に伝わった可能性がある。
ロマン・ロラン
「ジャン・クリストフ 第一巻:曙」(再)
★★★★★ジャン=クリストフ生誕から音楽の才能を発揮する幼少時代までのお話。詩的な文章が美しい。
「ジャン・クリストフ 第二巻:朝」(再)
★★★★★宮廷音楽家になった主人公の十代前半から中盤にかけての青春物語。前半は精神的同性愛の顛末、後半は夢破れる初恋模様。
「ジャン・クリストフ 第三巻:青年」(再)
★★★★前半は若いシングルマザーのサビーネへの思慕。彼女の死後は奔放な女性アーダとの関係。アーダが弟と関係があることを知り酒に逃げる。詩的な印象が薄くなり、大分散文的になってきた。
「ジャン・クリストフ 第四巻:反抗」(再)
★★★容赦ない批評に乗り出したことで零落していき、能動的にも受動的にも隣国フランスへ脱出しなければならなくなる。
「ジャン・クリストフ 第五巻:広場の市」(再)
★★★独仏芸術論の趣き。ジャン・クリストフに希望が見えて来る。
「ジャン・クリストフ 第六巻:アントアネット」(再)
★★★★四巻に出て来たドイツ女性が主人公として扱われる。ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」における「美しき魂の告白」に相当する感じ。恐らく意識しているのではないか? しかし、ジャン=クリストフの希望は彼女ではなく、その弟オリヴィエなのであった。
「ジャン・クリストフ 第七巻:家の中」(再)
★★ジャン=クリストフとオリヴィエの周囲にいる人々の群像。後半独仏政治論も出て来るなど些か散文的で僕は気に入らない。但し、終盤ドイツに残してきた母親の重態に際しジャンが駆けつける辺りはじーんとさせられる。
「ジャン・クリストフ 第八巻:女友達」(再)
★★オリヴィエとジャクリーヌの結婚生活の破綻。ジャン=クリストフはかつて影響を与え現在は貴婦人になったグラチアに自らのピンチを救われたことを知る。全体として重厚である一方で面白味に欠ける気がする。
「ジャン・クリストフ 第九巻:燃ゆる荊」(再)
★★★その気もないのに社会主義革命に巻き込まれてオリヴィエは死に、ジャン=クリストフは逃亡する。逃亡先で知人の妻と道ならぬ恋。この部分の心理が面白い。
「ジャン・クリストフ 第十巻:新しき日」(再)
★★★★主人公は成功し、同時に達観し、天国に迎えられるような最期に臨む。些か仰々しい印象はあるが、物凄い。円環して第一巻に繋がるような幕切れに圧倒されるのである。
清岡 卓行
「アカシアの大連」
★★★第62回芥川賞(1969年下半期)受賞作。作者の経験を綴った詩的で随想的な小説。主語が私であれば、そのまま随想となる内容で、割合好きなタイプ。
古山 高麗雄
「プレオ―8の夜明け」
★★第63回芥川賞(1970年上半期)受賞作。インドシナの捕虜収容所の戦争犯罪者の生活をユーモラスに描くが、僕が好むタイプではない。
吉田 知子
「無明長夜」
★★★同じく第63回芥川賞受賞作。泉鏡花の世界をぐっと病的に歪めたような心象風景が一人称で綴られる。三島由紀夫は内容を主人公の分裂症的な内面と理解し、高く評価している。今年はオリンピックの年でもあるが、三島由紀夫没後50年でもある。
古井 由吉
「杳子」
★★★★第64回芥川賞(1970年下半期)受賞作。ヒロインが、谷に下ると頂にいる時を思い起こして高所の恐怖を感じるというのは、その精神の均衡が取れていないことを象徴する。そんな病的なヒロインと恋人関係になっていく主人公の妙な恋模様を綴る。同じような表現がくり返されるが、何故か面白い。
テオドール・シュトルム
「白馬の騎手」
★★★★防波堤の建設に奮闘する堤防監督官の壮絶な物語が数十年後に回顧される入れ子(枠物語)構造。近年の日本の水害を考えると、他人事とは思えない恐怖と迫力がある。厳しいと同時に詩的な美しさもある。シュトルム最後の作品。
「ドッペルゲンガー」
★★これも入れ子構造で、今では結婚により幸福を手に入れた女性の、幼女時代の悲惨な生活を作者の分身である弁護士が思い出す。タイトルの印象とは内容が違うし、庶民の生活に視線を下降するゾラ的な内容であるが、自然描写の詩的な美しさがいかにもシュトルムらしい。
「告白」
★★★シュトルムお得意の回想形式。妻を安楽死させた医師の苦悩が描くが、その自己に厳しい内面が胸を打つ。抒情性が絶品。
ジュール・ルナール
「葡萄畑の葡萄作り」
★★★ルナールは日本で人気のある「にんじん」の作者。確かな観察眼による、微笑ましい連作コントあり、対話篇あり、箴言集あり、ルナールらしく奔放な短編集。芥川龍之介「闇中問答」「侏儒の言葉」、三好達人の詩集「測量船」、高見順の日記などにルナールは大きな影響を残している。その他、太宰治、岸田国士、等々にも。
「怪鳥」
★★少し前の短編集。大体似たような奔放なスタイルで、本作でスタイルを確立したようだが、ユーモア以上に残酷な後味が残り、「葡萄畑」ほどピンと来ず。
竹田 出雲(二世)、三好 松洛、並木 千柳
「双蝶蝶曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」
★★★★近松門左衛門を別にすると、浄瑠璃の世話物を代表する傑作と思う。丁々(ちょうちょう)発止と火花を散らすライバルであった長吉と長五郎(二人の長で蝶蝶という洒落)は最終的に人情の掛け合いをする。親子の情、他人の情、人の情けにぐっと来るところ多し。
紀 上太郎、容 楊黛、他
「碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)」
★★★南北朝の権力争いが主題だが、「太平記」とは由井正雪の乱をテーマにした実録「慶安太平記」のことで、「忠臣蔵」同様時代を移して誤魔化した形。それに実際にあった姉妹の仇討を加えて賑やか。忍者映画のようなところも多いので江戸時代の話にすれば映画化もできそう。
近松 半二、松田 ばく、他
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」
★★★★大化の改新をテーマにした浄瑠璃時代物の傑作中の傑作。実に面白い。しかし、浄瑠璃も歌舞伎も時代考証はデタラメの限りで少々興覚める。例えば、鉄砲、ちょんまげ、遠眼鏡、煙草など当時ない物が平気で出て来る。ご存知のようにこれらの古典芸能では風俗は書かれた当時のままなのだ。多分に作者たちは昔に見せかけて “今”を描こうとしていたということもあるのではないか。三段目は日本版「ロミオとジュリエット」の趣き。但し、こちらは親が直接に夫々の子供を殺める。
チャールズ・ラム
「エリア随筆」
★★★19世紀初めの英国風俗の一端が垣間見えるエッセイ集。作者の正体を隠し精神を病んだ姉を従姉とするなど日本の私小説に近い感じがある。注釈が本文より多いという物凄い訳書だが、確かに注釈がないとピンと来ないのも事実。スムーズに読めないのは難点ではありますが。
「エリア随筆・続編」
★★正編に比べ評価が落ちるらしいが、日本の随筆に近いのはこちらと思う。
皆川 博子
「蝶」
★★★★短編集。作者が十代を過ごした開戦直前から終戦直後を生きる少女・少年のお話が殆ど。「空の色さえ」「妙に清らの」「龍騎兵は近づけり」「幻燈」では読者に現実と幻想の狭間を歩ませるかのようなエロ・グロの世界に作者が戦争への思いを沈潜させている気がする。特に「幻燈」でそれが顕著。タイトルとなった「蝶」や「艀」「思ひ出すなよ」はリアリズムのうちにファンタジーを見せる感があって面白い(が前二作やや難解か?)。「蝶」が短編集全体のタイトルになったのは"胡蝶の夢”を意識しているのではと思ったりもする。
S・S・ヴァン・ダイン
「グリーン家殺人事件」(再)
★★★★エラリー・クイーン「Yの悲劇」に与えた影響は大。犯人の行動はほぼ同じである。横溝正史「犬神家の一族」は本作の設定を生かして犯人だけ変え、日本的はおどろおどろしさを加え、アガサ・クリスティー風に綴った感じ。しかし、検事・刑事の他に、素人探偵(私立探偵のこと)と語り手が同席するのは実際に照らすと相当変。だから、次第にこの手の本格ミステリーは衰退したのだろう。ファイロ・ヴァンスが活躍するシリーズ第3弾。
「僧正殺人事件」(再)
★★★★所謂見立て殺人の最高峰と言われる作品。横溝正史は、マザーグースの童謡になぞった殺人事件が連続する本作から「悪魔の手毬唄」を着想したと思われる。ヴァンスが活躍するシリーズ第4弾。
ニッコロ・マキャベッリ
「フィレンツェ史」
★★イタリアの地理に精通しないとピンと来ない。固有名詞の多さにも閉口するが、合間合間に出て来るマキャベッリらしい政治論は面白い。歴史書としての正確さは欠けるようだが、メディチ家が平民から権力者にのし上がったのが解るのは収穫。ミラノを暫く支配した貴族ヴィスコンティ家、カルディナーレ(=枢機卿)、ポデスタ(=執政長官)など映画ファンにお馴染みの名詞が出て来て由緒ある苗字なのだなあと感慨も覚える。
河竹 黙阿弥
「土蜘(つちぐも)」
★★★同名の能の歌舞伎舞踊への翻案。歌舞伎舞踊も台本を読むと意外に面白いことが解ったのが収穫。
森 鴎外
「生田川」
★★★「万葉集」「大和物語」に取材する詩劇。蘆屋処女(あしやおとめ)は、母親によって鵠(くぐい)を射落とした若者を夫にすると決められてしまうが、射落とされる鵠に自分の運命を見る。口語を導入した最初の時代物らしい。
「最後の一句」
★★★冤罪の父に代わり若年の子供4人が死のうと奉行に訴えるお話の顛末。奉行が彼らの話を聞き入れるわけではないが、運良く恩赦で商人の父親が追放処分になって終わる。明治政府官僚への批判が根底にあるようで、後味が良い。
坪内 逍遥
「新曲浦島」
★★★★★浦島太郎の伝説をモチーフにした、和洋の音楽と舞踊を折衷した舞踊劇。ト書き自体が超絶的な美文で圧倒され、その記す内容を想像するだけで感動してしまう。凄いわあ。
「役の行者(えんのぎょうしゃ)」
★★★修験行者と獣神との戦いなどを描く戯曲。ベースは写実主義だが、神秘主義的な内容で、シェークスピアを模範とする坪内らしく「マクベス」辺りからの影響を感じる。
「小説神髄」
★★まだ文語体から抜け出ない頃に書かれたもので、西洋の小説をベースにしつつ、江戸時代の小説類(滝沢馬琴の合巻など)で良し悪しを比較するなど、現在から見ると具合が悪いところがあるが、典型的な小説のあるべき姿を考える時に参考になる。
モーリス・ルブラン
「奇巌城」(再)
★★★★★初めて読んだアルセーヌ・ルパンがこれ。今回は菊池寛の訳で読む。小学生の時に血沸き肉躍った池田宣政版を読みたいが、現在はまず読めない。どこの図書館にもあるのは実は池田と同一人物である南洋一郎版だが、これは子供向けすぎて物足りない。かと言って大人向け過ぎる訳は潤いを欠く。★の数は他の再読作品と違い、小学生の時の印象。今回の印象は★★★くらいだが、当時大感激した理由が見出せる感じがして嬉しい。
「水晶の栓」(再)
★★★★これも好きだったなあ。新青年編輯局の訳は時代劇的な感覚で古めかしいが、それでも僕がこの作品が気に入った理由が、クラリスという、ルパン最初の夫人と同名の中年夫人の為にルパンが奸智に長けた悪漢を向うに回して大奮闘するロマンティシズムにあることはよく解る。
水上 勉
「雁の寺」
★★★殆ど不具と言っても良いくらい背の低い少年坊主(小僧)の見も知らぬ母親への慕情が事件を起こす。ミステリー趣向でその心理を間接的に焙り出すが、謎解きの部分に難点(ちょっとした説明不足)があるような気がする。映画版がまた観たい。
「越前竹人形」
★★★★「雁の寺」の変奏曲で、テーマは非常に似ているが、こちらには事件性がなく、只管登場人物の心情に胸が熱くなる。不具のような背の低い若者とその母親への慕情というのは当時の作者の一大テーマだったのだろう。元娼妓のヒロインは「飢餓海峡」の八重に通ずる人物像。
小山内 薫
「第一の世界」
★★★明治・大正時代の舞台演出家として有名な作者の出世戯曲。俗世間(第一の世界)を避けていた学者がふとしたことからそこに帰り、今度は避けるでもなく去っていく。
ヘルマン・ブロッホ
「夢遊の人々:第一部 一八八八年 パーゼノウまたはロマン主義」
★★★形而上的な思索が沈潜するが、パーゼノウなる若い軍人が二人の対照的な女性を天秤にかけて結局貴族の女性と結ばれる迄の心理を描く大枠は大衆的に読める。ロシア文学的な香りが少しあるので、割合好み。
「夢遊の人々:第二部 一九〇三年 エッシュまたは無政府主義」
★★エッシュもまた三人の女性の間をうろつき、結局三十代半ばの中年未亡人=カフェ経営者と結婚する。彼の心理は夢幻的だが、印象は散文的。第一部の“無限の無縁が愛である”という哲学はここでより先鋭化して完成する辺りは実に文学的。もう一つのテーマは秩序か? 第一部でパーゼノウの行動を左右した友人が男色実業家として悲劇的に再登場する。
「夢遊の人々:第三部 一九一八年 ユグノオまたは即物主義」
★秩序の権化と化したエッシュが、その新聞経営を乗っ取った脱走兵ユグノオに暴動に乗じて殺され、殺したユグノオは名士になる。初老の少佐として再登場するパーゼノウも彼に利用される。テーマは価値の崩壊ということらしいが、三人称の文章の中に突然 “わたし”による思索が加わり、作者のものか作者が仮託する誰かのものか判然としない社会に関する哲学的考察が随時挿入され、最後は小説というより哲学になる。全体小説と言うらしい。難解至極。
三島 由紀夫
「憂国」
★★★国家への献身と切腹によるエロティシズム(切腹に倒錯的な快感を覚える人がいる)とを交えた異色作。発表の9年後に三島自身がこのお話を自ら体現することになろうとは、当時誰も想像しなかっただろう。
「仮面の告白」(再)
★★★★★赤裸々で刺激的な自伝的小説。主人公の同性愛は一般のそれと違う。彼が同性なかんずく軍人などに憧れるのは死すなわち滅びに美を感じるから。戦争が近づいている時代にあって男性は死の象徴になりえた。逞しい男性ほど死に近いわけで、病弱な主人公がそのコンプレックスの先に見出した一種のサディズムであろう。後半、そんな彼が平均的な女性と歪な恋らしきものに陥るのだが、彼の心理は常に同性愛と両性愛との狭間で揺れ動くのである。同性愛と異性愛との狭間でないと思う。あるいはアンドレ・ジッドが同性愛が西洋で半ば犯罪とされていた時代に同性愛を告白した「一粒の麦もし死なずば」に影響されているかもしれない。
「金閣寺」(再)
★★★★1950年に実際に起きた鹿苑寺舎利殿放火事件に取材しているが、同じ素材でも反対のアングルから描いた水上勉「五番町夕霧楼」とは趣がまるで違う。三島が、コンプレックスから偏執性を帯びる人間の心理を描くという好みの主題に事件を当てはめたと思いたくなる心理小説の傑作だ。極論すれば、犯人が三島の為に事件を起こしたような気さえする。
「午後の曳航」
★★★40年前に本作の英国映画版を映画館で観ていたので、読んでみる。こんな話だったか。「ロープ」の主人公たちをもっと若くしたような秀才少年たちが凡俗な父親になった海の男を抹殺する、という何とも嫌なお話。当時僕は若かったので少年側に傾いて見たらしい(当時の映画評による)が、今はこういう背伸びした子供は大嫌いだ(笑)。
テネシー・ウィリアムズ
「やけたトタン屋根の上の猫」
★★★映画「熱いトタン屋根の猫」の原作戯曲。同性愛の問題から不和となった夫婦と、その親の遺産をめぐる兄夫婦と、譲る方の父親との葛藤を綴るが、改訂版との比較で舞台では演じられなかったオリジナル版の完成度が際立つ。映画版は同性愛要素を事実上排除。
永井 荷風
「濹東綺譚」(再)
★★★★荷風が得意とする花柳小説の一種。私小説的な内容で、2・26事件直後の玉ノ井を舞台に「濹東綺譚」みたいな小説を書こうとしている専業作家が主人公。その小説中の主人公も同タイプの作家で・・・と言う具合に、昨年読んだレオーノフ「泥棒」みたいな着想。しかし、荷風は性愛をテーマにしても山水画のようであって生々しさがなく、非常に美しい。
「冷笑」
★★★心境小説。ゾラ辺りの自然主義に追従していた荷風が、西洋流を入れようとしている日本に美を感じず、江戸風俗に郷愁を持ち始めたことを、自身を投影した作家・吉野紅雨に語らせるのである。彼は、世間のスノビズムに飽き足らず厭世的になった銀行頭取・小山清と共に、江戸時代の戯作「八笑人」を地で行く集まりを考える。この集まりに参加する人々はいずれも荷風の一面を示す。名は体を表すを地で行く小説であり、自然主義の面影を残すこの小説の少し前に、彼は「すみだ川」で、日本的叙情への傾倒を示す。
「すみだ川」
★★★★樋口一葉「たけくらべ」と同工異曲と言って良い。芸者になった幼馴染との恋を失った少年の心境と行動を綴る内容で、ここにあるのは日本的叙情という以上に江戸的情緒と言うべきだろう。漱石とは別種の文章の巧さも圧巻。もっと読まれて良い短編小説だ。
黒島 伝治
「渦巻ける烏の群」
★★ロシア革命後に参加したシベリア出兵における日本軍一部隊の悲劇を描く短編。プロレタリア小説に通じるミニマルな文体で、テーマは反戦というより反軍だろう。
管 仲
「管子」
★★孔子より200年くらい前の春秋時代の国・宋の宰相である管仲が書くなり言うなりしたのはごく一部だろう。その他の一部は直接の弟子たちが書き足し、大半は後世の人が儒家・法家・兵家・道家の思想を幅広く取り込んで敷衍的に語ったもののように思われる。管仲の発言と思われる最初の一編にほぼ全てが集約されてい、膨大な残りはその冗長な繰り返しに過ぎず退屈。頗る興味深いのは、参勤交代の原型のような制度、及びごく一部のインフレ以外はデフレを推奨する経済理論。さらに驚かされるのは、遅くても戦国時代に、君主制社会主義とでもいう政策が念頭にあったことだ。
アーサー・C・クラーク
「幼年期の終り」
★★★★「2001年宇宙の旅」の発案者として名高いだけに、最後に同作と似たテーマが出て来る。人類が進化して神(オーヴァーマインド)と一体化する話と僕は理解。天使に相当するオーヴァーロードが悪魔そのものの風体をしているのは、人類が未来の記憶を持っていたことを意味する。科学的知識で他を圧倒する作者が、神秘学を科学のアンチテーゼと考えずに、超科学として位置付けているところが面白い。
ニコライ・A・ネクラーソフ
「だれにロシアは住みよいか」
★★★農奴解放が農民たちをさらに苦境に追い込んだ現実を綴った長編叙事詩。生活詩とでも言うべき部分の迫力。ロシアには、絶対君主制→社会主義→資本主義体制と変遷しても、常に大衆を押さえつける権力がある。面白いものだ。
夏目 漱石
「道草」(再)
★★★漱石が作家として成功し始めた頃を回顧したような自伝的小説。極めて冷徹かつ低回的で、同じように低回的でも良い意味で作り物めく後期三部作に比べて楽しめず。ただ、漱石の私生活を想像させるという点では相当興味深い。
「明暗」(再)
★★★★ヘンリー・ジェイムズに通ずるものを覚える。つまり、三人称の語りで一人称小説を成すところである。主題は夫婦関係をめぐる心理。この作品は最初会社員の津田由雄の心理から始まり、突然その妻お延の心理へと移行し、また由雄に戻る。その徹底した心理描出にやや辟易するところがあるも、彼が湯治場で昔の恋人・清子と再会しこれから面白くなるぞというところで、漱石の死により未完に終わる。
北原 白秋
「雲母集」
★★★短歌集で、読み方は“きららしゅう”。失明との戦いの中に書かれた後年の「黒檜」とは違っておちゃめな白秋が随時顔を出す。
「海豹と雲」
★★詩集で、読み方は “かいひょうとくも”。あざらしと読ませないのが却って詩的だ。比較的解りやすい文語詩と、時に口語詩を交える。この時代の詩集としては解りやすい部類。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ
「戦争論」
★戦争を避けようとする立場ではない戦争論。戦争が起きる理由などを分析する総論は面白いが、戦争の技術を延々と説く各論は現在では意味を成さず退屈千万。文字面だけを読むにも難儀を強いられる。
高木 彬光
「刺青殺人事件」
★★★作者の長編デビュー作であり、名探偵神津恭介初登場の一編。日本の本格ミステリーにはどうも異常性への傾倒がある。本作は、刺青愛好者が絡んで起こる連続殺人を名探偵神津が解く。同じ頃書かれた純文学・三島由紀夫の「仮面の告白」などと通底する淫靡さがあるのは、終戦直後という時代性か。
大下 宇陀児
「情獄」
★★温泉地で友人を未必の故意で殺してその妻と再婚する男のお話だが、現在の読者には余り受けまい。
「虚像」
★★終戦直後混乱した中での殺人。被害者の娘が加害者を探り出し復讐を図る一種の素人探偵もので、犯人の工まざるトリックに彼女が嵌っていく。それが判明する最終幕は面白いが、全体としてまだるっこい。
エクトール・マロ
「家なき子」
★★★ “同情するなら金をくれ”という台詞は出て来ない。養父にレンタルされた少年が食べていく為にフランス各地(最終的には英国にも行く)を彷徨する羽目に陥る波乱万丈のお話で、雪の森林で狼に襲われかけたり、炭鉱に閉じ込められたり、余りに波乱がありすぎて少々鼻白むが、それぞれ別々の少年の経験と考えれば、19世紀中葉に実際あったにちがいない挿話として身に染みる。それが非常に具体的に描写され、なかなか凄味がある。学級図書などにあったのはどうも抄訳で、今回読んだ文庫本1000ページのバージョンが珍しい完訳に当たるらしい。
近松 門左衛門
「夕霧阿波鳴門(ゆうぎりあわのなると)」
★★★★注釈者はなかなか厳しい評価を下しているが、最後に病床のヒロインが踊り出すのは、現実の描写ではなく寓意と考えるのが妥当。
「槍の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」
★★★実話をベースにした世話物。完成度は高いが、儒教故の貞操観念が不愉快。武家の片隅にも置けないと道行をする主人公権三とおさゐは冤罪で、彼女にモーションをかけていた仲間・伴之丞が諸悪の根源。折角彼が成敗されるのに、その彼に真相を打ち明けさせないという展開は後味が悪い。江戸時代でも大逆転のハッピーエンドはあるわけだから。
「山崎與次兵衛壽の門松(やまざきよじべえ ねびきのかどまつ)」
★★★ハッピーエンドで比較的後味の良い世話物だが、遊女吾妻が妾に収まり万々歳というのは現在の道徳観からすると相当変。
「博多小女郎波枕」
★★★★海賊が出て来ること、九州弁が使われるのが珍しく(但し理解しにくい)、新味を買う。夫が自害して残った遊女上がりの内妻が父親の面倒を見ることになるという暗示は極めて儒教的。現在ではなかなか考えられない。
「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」
★★★男色の付文の描写に驚く。井原西鶴「男色大鑑」でもここまで生々しいのは出て来ない。元侍の町人という主人公の設定による複雑な精神構造が作劇のキモであるが、当時の感覚では場面場面で齟齬するように感じられたか?
「丹波与作待夜の小室節(たんばよさく まつよのこむろぶし)」
★★後世の有名浄瑠璃「恋女房染分手綱」の原案となった世話物。先に「恋女房」を読んでいたので面白味を欠くも、近松門左衛門の措辞は別格に凄いので、どんなに梗概が凡庸でも楽しめる。
「五十年忌歌念仏」
★★★西鶴も「好色五人女」で取り上げたお夏清十郎もの。性格描写甘く完成度は高くないが、近松の名調子ぶりは他の追随を許さない。
「嫗山姥(こもちやまんば)」
★★★★時代物。童話「金太郎」として後世に蘇った坂田金時誕生のお話。平安時代のお話に煙草が出て来るなど時代考証は例によってデタラメ。映画ではないからその辺りを突っ込むのは無粋。
江戸川 乱歩
「算盤が恋を語る話」
★★正確には “算盤が恋文になる話”と言うべき内容で、謎解きのない短編暗号ミステリー。
「白髪鬼」
★★マリー・コレリの小説を黒岩涙香が翻案したものをさらに翻案した復讐小説。「幽麗塔」と同じ流れですが、今読むと倫理観が古臭すぎる。
「人間豹」
★★大人向け明智小五郎もの。しかし、ご本人も認めているように、内容は児戯に等しい。人間と豹の獣姦から生まれた子供が悪漢の正体であるように理解できる部分は、乱歩らしい変態ぶり。
「青銅の魔人」(再)
★★★子供向け明智小五郎もの。子供向けだけにハラハラドキドキがストレートなので、中途半端な「人間豹」より楽しめる。
武田 泰淳
「ひかりごけ」
★★★戦時中の人食い事件に取材。紀行文か若しくは偽紀行文に始まり、途中で読む為の戯曲となり、読者に演出家たるを求める異色作。大体映画版と同じで、映画を見ていなければかなりビックリしただろう。
「蝮のすえ」
★★★終戦直後の上海が主な舞台。一人のファム・ファタール的な悪女を巡る三人の男の関係が主題で、日本に戻って来た主人公を通し、作者は敗戦の日本に虚無感を覚えざるを得ない。林美智子「浮雲」同様この時代を描いたものは果てしなくモヤモヤとした空気が漂う。
中村 真一郎
「死の影の下に」
★★★★明らかにプルーストに影響された作品で、主人公はふとしたきっかけで自身の幼少期から中学(現在の高校)時代までの過去を思い出す。亡父と関係を主に綴るもので、生命の生物学的死だけでなく、時間の経過による変化という一種の死にも敷衍していく。プルーストほどには入り組んでいず、読みやすい。
カズオ・イシグロ
「日の名残り」
★★★★★自分も一通りの品格を持った人間、素晴らしい主人に仕えた執事であるという主人公の誇りが、かつての女中頭と再会することで粉々に崩れていく。読者である僕らが気づいていた彼女の恋心に全く気付かなった自分のボンクラぶりに彼は悄然とするのである。そこに英国の退潮を重ねる目的がある作品だが、それでも元来日本人であったイシグロが英国の気品に敬意を送っているのを感じる。映画化作品同様絶品だ。
太宰 治
「庭」
★私小説の掌編なのか、エッセイなのか判然としないところが本作の取り得だろうか?
「ヴィヨンの妻」(再)
★★売れない詩人に翻弄される内縁の妻の苦労話を描いた有名な短編小説だが、どうも読んだそばから話を忘れてしまう。ヒロインに楽観的な一言を言わせ、ただの苦労話にしないところが太宰らしいひねくれ方で、“女性に語らせた太宰の自画像”という映画版を観た時に書いた僕の分析はあながち的外れでもないだろう。
「斜陽」(再)
★★★★GHQの農地解放の影響を受けた実家を見て太宰は、敗戦後の日本版「桜の園」を書こうと思い立ったらしいが、段々その目的は外れ、やがて彼の自画像になっていった模様。ヒロインかず子のモデルは恋人の太田静子で、彼女の記す文章は多く静子の日記から取り入れたという。うらぶれたその弟・直治や恋人の作家・上原は勿論太宰自身である。戦後の太宰は陰鬱なのだが、日本の戦後文学にそういうものが多いのは必然。我が家は地主というほどではないが、隣の宅地を農地解放の名の下に騙されて取られた。
ピエール・ド・マリヴォー
「マリヤンヌの生涯 第一部~第三部」
★★★今から300年ほど前に書かれたフランス小説勃興期の作品。思うに17世紀末から始まる英仏の小説はスペイン発祥の悪漢小説のバリエーションで、女性が主役となる場合には教育小説の趣きになり、例外なく一人称若しくは書簡体小説である。その教育性が逆説的に表われたのがマルキ・ド・サドの作品群ということになろうか。ここでは、恐らくは貴族出身の娘が赤ん坊の時に移動中の両親を山賊に殺されて孤児になり、それなりに良い人に巡り合い続けるものの、好事魔多しの人生を続ける。貴族ミラン夫人母子と別々に知り合うところで終り。
「マリヤンヌの生涯 第四部~第六部」
★★★★ミラン母子は見上げた人々なのであるが、周囲がマリヤンヌと息子ヴァルヴィルとの結婚を妨害する。当時の家柄主義がそこはかとなく風刺されている。展開が早いのか遅いのかよく解らないが、中年になったマリヤンヌの人々の省察などなかなかに面白い。
「マリヤンヌの生涯 第七部~第八部」
★★★やっと障害を乗り越えたと思ったら今度はヴァルヴィルが別の女性に目移りする。激しい恋は成就した途端に醒めるを地で行く伝で、この後どうなるかと思いきや、マリヤンヌのお話はここで事実上終了、未完のままに終わる。残念。
「マリヤンヌの生涯 第九部~第十一部」
★★★ここからは話し相手の修道女の波乱万丈が語られる。マリヤンヌのそれと似たようなものの繰り返しだから、くどい印象もあるが、マリヴォーはこういうお話を考えるのが得意とは思わせる。とにかく、未完のままこれにて終了。
エラリー・クイーン
「ニッポン樫鳥の謎」
★★密室殺人のヴァリエーション。探偵小説作家エラリー・クイーンが探偵役として活躍する国名シリーズ最後の作品、とも言われるし、そうでもないという説もある。作者の日本に関する知識は詳しいが、琉球と本土の区別など正確な部分と怪しい部分とが併存する。本作はドルリー・レインのシリーズより面白いとは思わないものの、最後の展開はちょっとしたどんでん返しと言うべきか。
「Xの悲劇」(再)
★★★★聾の老俳優ドルリー・レインが活躍するシリーズ第一作。その昔読唇術という行為を知ったのがこの作品。最初の殺人は電車において毒針をさした球による。ニコチンというのはそれほど猛毒なのか。世界的にはこちらが名高いようだが、日本では第二作の「Yの悲劇」の評価が圧倒的に高い。江戸川乱歩が強く推したということに加えて、日本で受ける本格推理は静的な密室殺人系ということではないかと思う。
有吉 佐和子
「恍惚の人」
★★★★序盤の老母の急死と初めての葬儀の様は正に我が家が経験したそのものであった。その後の老父の認知症(当時は一般的にボケと言われ、ヒロインは痴呆症という言葉すら知らない)とその介護、さらに来たる高齢者社会への言及は凄味がある。しかし、そこまでなら実務的な本にすぎない。本作が文学たる所以は、今は老人をそういう視点で見ている我々もいつかは老人になるという事実に随時触れるところにある。
「女二人のニューギニア」
★★★★可笑しすぎる紀行文。友人の文化人類学者・畑中幸子とのやり取りはコント。正に関西人同士ならではと言うべきで、可笑し過ぎるので減点(笑)。その一方で、20年後に言及する畑中の言葉が僕には悲しく響く。1968年に本書を著した有吉は、16年後に53歳という若さで急死するからである。本書で自身記したように、彼女はやはり病弱であった。彼女が長生きすると予言した畑中女史はまだご存命だ。
セーレン・キルゲゴール
「あれかこれか 第一部」
★★★★哲学論文集であるが、核となるのは、初恋を全ての恋と断じてその永遠性を説き、結婚愛を否定する青年Aの手記とされる部分。殆どドストエフスキーでも読むような感じで、小説と言っても良い程。青年Aの立場は美的生活を優位とする人生観である。
「あれかこれか 第二部」
★★★その反論に相当する、倫理的生活を優位とする熟年Bの手記。実はこちらが先に書かれたのだそう。哲学用語が増えてぐっと哲学書的にはなる。
水村 美苗
「続 明暗」
★★★★夏目漱石の「明暗」が未完だったので、続編として書かれたパスティーシュ。登場人物の心理が解明されていく、特に主人公・津田の細君お延が彼が湯治へ出かけた理由と流れを知っていくところはミステリー趣味とも言っても良いくらい。謂わば犯人役は二人の媒酌人を務めた吉川夫人。「明暗」だけを徹底的に読んでもこれだけのものは書けず、「虞美人草」「こころ」「門」が行間から匂って来る。「虞美人草」で言うところの“真面目さ”で生きたのは、津田ではなく、敗残者のような悪友・小林だ。
井原 西鶴
「西鶴置土産」
★★★遺作となった浮世草子。遊女に金をつぎ込むなどして零落した元大尽たちの十五話で、落ちぶれても誇りを失わない様々な様相が感慨を呼ぶ。中には協力者による偽作も交じっているようで、完成度にバラツキがある。
「万の文反古(よろずのふみほうぐ)」
★★★死後刊行された浮世草子。全十七話。書簡体で様々な人々の生活を浮き彫りにする。印象としては商人の話が生き生きしているように思う。
ヨーン・スウェンソン
「ノンニとマンニの冒険」
★★★★賢いノンニとマンニの兄弟が活躍するシリーズの一編。この作品では、母親に嘘を付いて山に登って帰れなくなり、殺人犯の噂のある男との遭遇などを経て帰宅するまでの波乱万丈の冒険談。ちょっと出来過ぎのところもあるが、面白い。
本庄 睦男
「石狩川」
★★勝手に庶民たちの生活を描く内容を想像していたが、全然違って、明治になって廃藩の憂き目で没落した仙台藩の元侍たちが石狩平野の開拓団として苦闘する時代小説なのでござった。
新井 白石
「西洋紀聞」
★★★★新井白石が、捕縛したイタリア人宣教師ジョヴァンニ・シドッチに審問した内容を記した記録。特に興味深いのは、オランダ人のみが貿易を認められた由来らしきものが読み取れるところ。つまり、プロテスタントのオランダ人が、カトリックの諸国(スペイン、ポルトガルなど)は宗教をたてに日本を半ば植民地化すると幕府に訴えた結果らしいのである。カトリックが極東にやってきたのが新勢力プロテスタントに押されて信心者を増やそうとした結果ということも解る。
ニコライ・レスコフ
「ムツェンスク郡のマクベス夫人」
★★中編。マクベス夫人に相当するカテリーナは、間男セルゲイと組んで、舅、夫、共同相続人たる夫の甥(幼児)を殺害する悪女であるが、作者が19世紀中葉の父権主義的なロシアで極めて弱い立場の女性に同情しているという印象を持つ。多分ショスタコーヴィチのオペラで現在は知られるだろうが、このオペラもソ連時代故に不運を被った。
この記事へのコメント
70年代は読めなくなっていたのですか。最近のニュースを見ているとまた不安になってきて、本が買えるうちに買っておこうかと思いました。イラストともあわせて、名作です、ちびくろサンボもそうだったと思うんですよ。
英国は、ドリトル先生、プーさん、ピーターラビット、パディントン、など、いずれもすばらしくて、あの作品群がある限り英国への敬意は持ち続けられます。
楽しみに待ってました。7月と予告されたら律儀に1日にアップされるところが頭が下がります。 (下がりっぱなしですが)
徒や疎かには読めませんです。とは言うものの古典はさっぱりダメですが・・・
「ドリトル先生」と言えば私の場合、レックス・ハリソン主演のディズニー映画です。
メリー・ポピンズとよく似た感じでしたかね。
これと「俺たちに明日はない」が同じ1967年製作で同年のアカデミー賞候補なんですね。
そして両方、公開時に見ています。
「ドリトル先生」は映画好きの身内に連れていかれて、「俺達に・・」は単独で行きました。 この辺のギャップが今思うと面白いです。
この身内の映画好きは「奇跡の人」や「鳥」や黒澤映画にも連れて行ってくれましたから子供扱いばかりしていた訳ではないのですが・・・
「ジャン・クリストフ」を2回読んだ人って全国に何人くらい現存していらっしゃるんでしょうか。
3桁には届かないと思いますよ。
京都に「ロマン・ロラン研究所」というのが、(全然関係ないですが)沢田研二や上田正樹の生家の近くにあります(笑)
HPにユニテという季刊誌みたいなのが掲載されていてロラン好きなら面白いかもしれません。
「ドリトル先生不思議な旅」はディズニー映画じゃなかったですね。
メリー・ポピンズと混同しているようです。すいません。
>70年代は読めなくなっていたのですか。最近のニュースを見ていると
解説に書いてありました。
過去の問題点にきちんと向き合う代わりに、像を撤去するなど、余り賢くないと思います。その反応が本の出版や映画の上映・放映にまで及ぶと映画や本が好きな我々は非常に困りますよね。日本は欧米とは別の考えがありますので、欧米がダメでも即座に利用できなくはならないと思いますが、いずれということは十分にあり得ますね。
日本は出演者の事件で上映・放映がなくなることが欧米より多くなっていますが。
>「ドリトル先生」と言えば私の場合、レックス・ハリソン主演のディズニー映画です。
ディズニー映画でなくても、ミュージカル仕立てですし、似たようなものでしょう。
僕も二度ばかり見ています。最初は、地上波で前後編放映だったと思います。昔はこのような児童向けのような映画が前後編で放映された時代もあったわけですから、時代を感じますね。
>この辺のギャップが今思うと面白いです。
14歳くらいの中学生くらいだったわけですよね?
そう言えば、僕も「俺たちに明日はない」をリバイバルで初めて観たのは14歳くらいだったと思います。映画は気に入って(でも本格的に解ったわけではないと思う)、ノベライズも買いました。
>「ジャン・クリストフ」を2回読んだ人って全国に何人くらい現存
>3桁には届かないと思いますよ。
確かに長いので、通読となると一回でも限られるでしょうねえ。しかし、「失われた時を求めて」より多いのではないかと思います。僕はこれはもう読まんと思います(笑)
>京都に「ロマン・ロラン研究所」というのが、(全然関係ないですが)
有名人が多いところなんですね。良いなあ。
>HPにユニテという季刊誌みたいなのが掲載されていてロラン好きなら
>面白いかもしれません。
僕は、フランスではバルザックとモーパッサンが好きで、ロランはそこまでではないですが、行ってみたらありました。興味がないわけではないので、暇な時に(殆どないわけですが)斜め読みくらいできるかも。
「ジャン・クリストフ」がインテリ層の必読書だったのは団塊世代くらいまででしょうね。
そこまで好きではないと言いながら2回も読むなんて、超人ですか???
読んで理解するスピードが並じゃないんですね。
☆ シュトルム ☆
懐かしいですね。小学校の時子供用の本で読みました。
しかし全く覚えておりません。
はい、出してきました。
昭和37年発行 結城信一訳
「みずうみ」「三色菫」「水死」 250円也
パラパラっとページを繰って見ていたら何となく読んだ時の気分は思い出しました。
この頃のこういう子供向け翻訳本の翻訳者って謎だと思いませんか? 最近昔の本の翻訳者を調べるのが面白くて・・・
ウィキでみたらこの結城さんも翻訳はこれだけしかなくて、経歴が早稲田の英文科卒って・・シュトルムってドイツでしょ?
この全集は監修が川端康成、村岡花子、山室静です。
という事は、このお三方が当時駆け出しの小説家に、下訳さんの原稿を推敲するお仕事をあげていたんじゃないかと推測しています。
ちなみに「若草物語」は川端康成訳です。( ほんまか? )
でも、このシリーズは今読み返しても、文章に品があって読みやすいです。こういう本の装丁や挿絵に”アニメ”が侵入していない時代なのも好感度高いです。
子供の本の表紙がアニメのような絵になったのはいつからでしょうね。 たぶん、テレビで「アルプスの少女ハイジ」なんかを放送するようになった頃からでしょうか?
ハイジでもセーラでもアンでもみんな同じような顔で同じようなアニメ声を出すからいやでしたね。
>「ジャン・クリストフ」がインテリ層の必読書だったのは団塊世代くらいまで
「チボー家の人々」同様そうでしょうね。でも、まだ僕らの時代にはそれなりに知名度がありました。僕だか姉だかが買いましたもの。
>そこまで好きではないと言いながら2回も読むなんて、超人ですか???
根性だけは、超人並みかもしれません。子供の時から親が呆れるくらい。
>シュトルム
>「みずうみ」「三色菫」「水死」
中学生時代に読んだ「みずうみ」が大好きでした。当時「春の嵐」とか「若きウェルテルの悩み」とか、結実しない恋のお話が好きだったようです。
>英文科卒って・・シュトルムってドイツでしょ?
明治時代などにたまにあったのが、翻訳本の翻訳。さすがに昭和になると、それはなくなったと思いますが。
>この全集は監修が川端康成、村岡花子、山室静です。
このリストの最後の方にあるスウェンソンの「ノンニとマンニの冒険」が山室静の訳ですね。北欧文学の専門家。
>子供の本の表紙がアニメのような絵になったのはいつからでしょうね。
モカさんのご指摘した頃(恐らく1970年代後半)からでしょう。最近は太宰治「人間失格」、夏目漱石「こころ」といった作品の表紙も漫画みたいになったと聞きました。読まれた方が良いということでしょうが。安っぽい時代ですなあ。
>中学生時代に読んだ「みずうみ」が大好きでした。当時「春の嵐」とか「若きウェルテルの悩み」とか、結実しない恋のお話が好きだったようです。
「みずうみ」昨夜読みました。あきれる程憶えていませんでしたが、読んだ形跡は十分ありました。小学3,4年生で読むにはちょっと早かったのかもしれません。
翻訳の事が気になって、ちょっと調べてみました。
やはりこの結城訳はその前に新潮文庫から出た高橋義孝訳を踏襲しているように思いました。 翻訳ですから似て当たり前とは言うもののかなり似ています。
「春の嵐」「若きウェルテル・・」これらも小学生で読みましたが、やはりせめて中学生になってからが読み時だったと思います。
古井由吉 最近亡くなりましたね。
「杳子・円陣を組む女たち」新潮文庫版で70年代頃に読みました。 ”古井由吉 杳子” の字面の面白さにひかれて手に取ったような記憶があります。 内容はこれまた忘れました。
語り手(僕?)が杳子に翻弄されるというよりは微妙に侵食されていくような感じでしたかね?
☆ 皆川博子「蝶」
私は「空の色さえ」と「幻燈」が特に気に入っています。
中島京子の「小さいおうち」は「幻燈」から毒気を抜いて万人向けにしたような印象を持ちました。
中島京子の「FUTON」は現代のお話の中に田山花袋の「布団」を「イトウの恋」ではイザベラ・バードの「日本奥地紀行」を入れ子にしていて、面白くて気に入っていました。
それで「小さなおうち」がタイトルと装幀から、バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」が入れ子になったお話だと期待して読んだら「幻燈」の毒抜きバージョンみたいでがっくりきてしまいました。
姫野カオルコの直木賞受賞作もそうでしたけど、ふさわしいものに上げないでさんざん放置したあげく、駄作に近いものに進呈しているように思えてなりません。
>「みずうみ」昨夜読みました。あきれる程憶えていませんでしたが、
>読んだ形跡は十分ありました。小学3,4年生で読むにはちょっと早かった
「みずうみ」は、「ウェルテル」や「春の嵐」よりは年少者向けのような気がしますが、それでも小学生には理解しにくいかもしれません。
現在アンデルセン「即興詩人」の森鷗外訳を現代語訳した、変な翻訳本を再読していますが、僕もとんと憶えていない。中学時代に読んだ時は非常に気に入ったのになあ。これも「春の嵐」系。
>古井由吉 最近亡くなりましたね。
>語り手(僕?)が杳子に翻弄されるというよりは
>微妙に侵食されていくような感じでしたかね?
春先でしたね。新聞の文芸欄で触れられていました。
「杳子」の内容は凡そそんなものでしょう。芥川賞は60年代辺りからかなり病的な登場人物の出て来る作品が多くなってきた気がしますよん。
>私は「空の色さえ」と「幻燈」が特に気に入っています。
「空の色さえ」は最初の、幽霊が出て来る?お話ですね。「幻燈」は大正~昭和初期のエロ・グロ作品のよう。
>中島京子の「小さいおうち」は「幻燈」から毒気を抜いて
>万人向けにしたような印象を持ちました。
映画版を観る限り、そんな感じがありますね。
>姫野カオルコの直木賞受賞作もそうでしたけど、
>ふさわしいものに上げないでさんざん放置したあげく、
>駄作に近いものに進呈しているように思えてなりません。
あははは。
賞というものは、運・不運があり、強力な数編が競合する時に受賞できず、そうでもない時に受賞すると、モカさんの指摘するようなことが起きるのかもしれません。
芥川賞も直木賞も、僕の印象では、映画の受賞と違って、作品以上に作家個人の名誉になる傾向があるようですから、僕は特段気にしないかな?
>「幻燈」は大正~昭和初期のエロ・グロ作品のよう。
皆川の美文に免じてせめて”淫靡”と言ってあげてくださいませ(笑)
しかし、「蝶」の作品は全部「オール読物」掲載ですって。
「オール読物」(今でもあるんですかね?)侮れません。
父親がよく読んでましたよ。昔のおっさん読書家御用達。
父親はオカピーさんと同様、中国古典好きでしたね。
芥川賞にも直木賞にもましてや本屋大賞にも興味はないんですが、同業者が内輪で選んで、選ばれた本はそれなりに売れるという風潮が気に入りませんのよ。業界内の大人の事情があって云々なのは百も承知ですが・・・
中島の「小さいおうち」なんか、担当編集者が「中島さん、こんどこそ直木取りましょうね。だから最後はこんな感じで行きましょう」とか、はっぱかけた形跡を感じますね。
映画のアカデミー賞狙いと一緒で3日経つと鮮度が落ちる(泣)
アカデミー賞のスコセッシ「ディパーテッド」は、ここらであげとかないとあかんやろう的作品賞(笑)
>即興詩人
またもや、少女世界文学全集の出番です!
伊藤佐喜雄訳
これも同じく森鴎外文語版の子供向け口語訳でしょうね。
アンデルセンってデンマーク語?ですか?
これも中身は覚えていませんね。
この偕成社の少女世界文学全集って今の眼でみると変わったセレクトなんです。当時の少女向け御三家「赤毛のアン」「あしながおじさん」「若草物語」は当然入っていますが、ちょっと変わってましたね。ハイジや小公女は入ってないんです。
シェークスピアが4作品! これは面白かったです。
さすがシェークスピアです。
この全集の中で愛読していたのはプーシキン、クオ・ヴァディス、緑の館、ツヴァイクのマリー・アントワネットとか。
ヘッセ、ゲーテ系はあまり印象に残っていませんね。ドーデなんてのもありました。内省的なのは印象薄いのかもしれませんね。
私も、姫野カオルコ、『ツ、イ、ラ、ク』か『リアル・シンデレラ』で直木賞を獲っていれば、もっと本も売れたしファンも増えたんじゃないかと思っています。『リアル・シンデレラ』は読みやすかったし、小説読むの好きな人にはわりと受け入れやすいおもしろさがあったんですよね。
個人的には、姫野カオルコはエッセイで、芸能人に対してであれ「誰々さんはきれいね」と自分の見た印象で何気なく言っても、それが伝わらない相手が多い(つまり、きれいねということは誰々さんが好きなんだ、と早合点するというか誤解する人が多い)ので、しばしば日常で困ったことになります、というのを書いてくれて、ああ私もそれあるわ、私ひとりじゃなかったんだわと励まされたというか、なぐさめられた記憶が残る書き手です。
芸能人に対してであれそうなんです。学校の級友とか職場の同僚とかの姿かたちを指してうかつにそういうことを言うと、ほんとうにひどい目に遭いますね、自業自得かもしれませんが。しかも、誤解した人は、誤解したことを反省することはまずないです。
>皆川の美文に免じてせめて”淫靡”と言ってあげてくださいませ(笑)
本来エロ・グロはさほど下劣な意味ではないのですが、昔の日本人が下卑た意味にしてしまった(笑)
>「蝶」の作品は全部「オール読物」掲載ですって。
>「オール読物」(今でもあるんですかね?)侮れません。
現在年間10回にして継続中のようです。
文芸雑誌を購読するとは、御父上はなかなかですね。
>選ばれた本はそれなりに売れるという風潮が気に入りません
それは多少ありますね。話題作りのような目的で読むのは、読書家として好かないです。
>>即興詩人
>またもや、少女世界文学全集の出番です! 伊藤佐喜雄訳
実は、オリジナルは長いんですよ。多分文庫本にすると600ページ以上ありそう。
僕が中学の時に読んだシリーズ(緑色の本だった記憶があります)の中の「即興詩人」はその半分くらいだったと思います。
メルヴィルの「白鯨」もオリジナルはひどく長く、完全版を読んだ時に、お話より作者の蘊蓄ばかりでうんざりしました。子供版とは全然違いました。しかし、こちらは抄訳が簡単。蘊蓄部分だけを除けば良いわけですから。
>アンデルセンってデンマーク語?ですか?
ですね。鴎外は、ドイツ語版を訳したのでしょう。舞台がイタリアなのに、ビックリしました(笑)
>プーシキン
有難うございますm(__)m
ロシア文学の中でも好きなんです。映画にもなった「オネーギン」がお気に入り。
>ツヴァイクのマリー・アントワネットとか。
ツヴァイクの伝記ものは、多少は読まないといけないと思いつつ、未だに挑戦せず。子供時代のモカさんに負けました(笑)
>芸能人に対してであれそうなんです。学校の級友とか職場の同僚とかの
>姿かたちを指してうかつにそういうことを言うと、
>ほんとうにひどい目に遭います
今日の新聞に、“ルッキズム”という新語に絡めて、“きれい””美しい”という言葉は余り発しない方が無難ということが書かれていました。確かに色々と誤解を生む言葉群です。
姫野カオルコは、「整形美女」という小説や「ブスのくせに」というエッセイを書いていることから推して、容貌に強い関心があるようですね。
こちらへのコメントは何だか連載みたいになってきました。
>姫野カオルコ、『ツ、イ、ラ、ク』か『リアル・シンデレラ』で直木賞を獲っていれば、もっと本も売れたしファンも増えたんじゃないかと思っています。
同感です!!!
何で姫野カオルコが出てきたかというと、先日探し物をしていたら(しょっちゅうやっとりますが)「ツ、イ、ラ、ク」が出てきまして思わずラストシーンを(あの再会シーン)を読んでしまいました。 (年甲斐もなくウルル・・・)
「整形美人」も昔読みましたが、容貌に関心があるというよりは「容貌」に関する大多数の人の思い込みに対して「それはちょっと違うんと違いますか?」と突っ込みを入れている内容で、なかなかラジカル(笑)でブラックな作風なんですよ。
☆ ヴァン・ダイン
エラリー・クイーンより面白かった気がします。
クイーンは多作だから駄作も多いと思います。二人でどう書き分けていたのか知りませんが歩調が合わなかったことも多かったのかな?
ヴァン・ダインはまた読みたいんですが、最近マーガレット・ミラー(ロス・マクの妻)に久々にはまってしまいまして、あと2冊ほど待機させておりまして、再読の機会はまだ先になりそうです。
姫野カオルコについては、よく解らないのでこの辺にして・・・
>☆ ヴァン・ダイン
>エラリー・クイーンより面白かった気がします。
僕も今回一部読み直してそんな気がしました。ヴァン・ダインは典型的な衒学趣味ですけど、本格推理にはこの手の作家が多い。
>二人でどう書き分けていたのか知りませんが
>歩調が合わなかったことも多かったのかな?
彼等は完全な分業制で、一方がアイデアを出し、一方が文章化していたそうです。お互いにないものを補完する関係だったようです。
>最近マーガレット・ミラー(ロス・マクの妻)に久々に
>はまってしまいまして、あと2冊ほど待機させておりまして
ロス・マクドナルドの夫人もミステリー作家ですか。知らなかったなあ。
女性のミステリー作家では、ヒッチコックがご贔屓にしていたジョゼフィン・テイに興味があり、いずれは読もうかなと思っています。
>ヒッチコックがご贔屓にしていたジョゼフィン・テイに興味があり、いずれは読もうかなと思っています。
ジョゼフィン・テイ? 全然知らんなぁ・・という事でアマゾンで検索したら、「時の娘」が出てきて、以前に半分くらい読んだ本でした。 何故に半分かは、まぁその教養不足というか・・・・興味が湧かないというか・・・(笑)でした。
三島は「仮面の告白」と「金閣寺」のみ昔に読みました。
今年で没後50年ですね。 それに合わせたのか69年の東大全共闘との公開討論会の映像が公開されて結構評判になってましたね。
オカピー先生はもちろん「豊穣の海」も既読ですよね。
家に本はあるんですけどね・・・
有吉佐和子、読まれましたか! 良かった、良かった。
ニューギニア、面白すぎですよね。
最近読み返した時、グーグルマップの航空写真で足跡を辿ろうとしましたが緑ばっかりで道がなかったです。
>「時の娘」が出てきて、以前に半分くらい読んだ本でした。
歴史ミステリーなんですね。知らなかった^^;
しかし、僕は嫌いではなさそうです。
>オカピー先生はもちろん「豊穣の海」も既読ですよね。
読みましたよ。第一作が好きですが、最後(第4作)の最後はちょっとびっくりかな。
>ニューギニア、面白すぎですよね。
★5つにしようと思いましたが、照れちゃって(笑)
その可笑しさを支えているのは文章のうまさですね。もっと長生きしてほしかった。