映画評「マイ・プレシャス・リスト」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2016年アメリカ映画 監督
ネタバレあり

採点は程々だが、日本映画ではなかなか観られない、アメリカ映画らしい青春映画の佳作と言って良い。

舞台はニューヨークはマンハッタン。IQ185で19歳でハーバード大を卒業したキャリー・ピルビー(ベル・パウリー)は、天才故に凡人と付き合うのは苦手で引きこもり気味。彼女の嫌いなロンドンに暮らす父親ガブリエル・バーンの知人であるセラピスト(ネイサン・レイン)に幸せになる為のリストを渡される。父親に不信を覚えている彼女は、リストに従って金魚を飼ってもデートをしても幸福になれそうもない。
 しかし、無理やり押しつけられた法律事務所の校正の仕事をするうち同僚の女性とは気が合い、リストの一つはクリアする。再婚を予定している父親が娘の様子が心配になってNYへやって来、彼女が一時思いを寄せていた文学教授(コリン・オドナヒュー)に貸した「フラニーとゾーイ」の初版本を一緒に取り戻したことで父親との不和が解消される。
 この勢いに乗り、キャリーは隣に居候している変人だが感じの良い音大卒サイ(ウィリアム・モーズリー)に恋人を見出す(英語的な表現にしてみました)。

終盤明らかにされるのだが、彼女が孤独をかこつのは何ということはない、母親と死別したことと父親との不和に原因がある。その意味では知能の高さとは真逆の、19歳よりもっと年下の少女的な感傷である。父親との不和も恐らく母親との死別に関連があり、生前の母親に渡された「フラニーとゾーイ」初版本を取り返したことで不和を解消するのはある意味必然なのであって、特段拙速ではない(そうした意見に対する反論)。

近頃の作品らしく、現在進行形の時系列に教授と過ごした時間を綴る時系列がさりげなく挿入される。ヒロインは男性との関係で失意に陥ると教授との時間を思い出すのである。余り親切な往来ではないので、昨今の映画は全く油断がならない。

全体の感覚は1970年代後半のハーバート・ロスやポール・マザースキー(台詞劇としては当時のウッディー・アレンもあろうか)に似て、個人的にはこれを特に評価したい。
 それに、リチャード・リンクレイターの影響であろう、話をする二人を延々とドリー・バックで捉える長回しがあり、矢継ぎ早に繰り出される気の利いた台詞群は「JUNO/ジュノ」(2007年)を書いた脚本家デュアブロ・コディを思い出させる。といった具合に、作者たちは古い映画を色々と勉強しているのではないかと思う。

温故知新、というやつですかな。

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