映画評「かぞくいろ-RAILWAYS わたしたちの出発-」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・吉田康弘
ネタバレあり

「RAILWAYS」シリーズは全て観て来た。毒にも薬にもならぬ感じという表現が近い作品ばかりだが、いずれも人情を丁寧に見せて好感が持てる。3作のうちこの作品が小差ではあるも一番身に染みた。

妙齢美人・有村架純が夫の青木崇高を失い、その連れ子・歸山龍成君を連れて、義父・國村隼の家を鹿児島に訪れる。鉄道マニアだった夫の父親は寡夫で、今は第3セクターで経営されている肥薩おれんじ鉄道の運転士をしている。
 亡夫がイラストレーターの企業を設立しようとして仲間に金を持ち逃げされた為すっからかんの彼女は居場所がなく、義父に置いてもらうように頼む。それには仕事も探さなければならない。継子の継母の運転士姿を見たいという願いを聞いて彼女は、自動車免許もないのに、義父の勤める肥薩おれんじ鉄道の機関士を目指す。

というのが鉄道絡みのお話。他方、田舎故ということもあるだろうが、夫のいない彼女や継子、或いは不倫相手の子供を妊娠した少年の担任教師桜庭ななみへの冷たい風当たりと二人の同病相憐れむ関係が横糸のように綴られ、ここに親子の問題を浮かび上がらせる趣向である。

映画サイト等の解説に“血の繋がらない三人”とあるが、國村隼と少年は血が繋がっていますよ。

最近“家族”を大事にする映画が少なくない一方、その素晴らしさや絆の強さは家族形態とは直接関係ないものだ、という主張を成すものが多いような気がする。ここ数十年間核家族が定着し、シングル・マザーやファーザーが増えた現状を反映しているのだろう。
 僕は、家族は友人より大事と思うとは言え、こういう疑似家族が時に真の家族より“家族”たりうるという主張を大いに歓迎したい。それが如実に感じられるのは、継子君が良い意味で架純ちゃんを決して母親と思わないと宣言するところである。家族は形式に依らないということである。一部自民党議員(日本会議に所属するような方々?)の考える家族の形はさすがにもう古い。官僚も税金控除などの扱いを現実に即して考え直した方が良いだろう。

少しだけ技術の問題について。マッチカットに近い形で回想形式に入って行くところが多いのだが、その呼吸が甚だ良くない。ここで場面が変わればすっと入って行けると思うところで変わってくれない。凡ての回想への切り替えが一呼吸二呼吸遅いのである。と言いつつ、これが恐らく3本目の鑑賞作に当たる吉田康弘監督の作品の中では一番きちんとできていると思う。

高校の先輩・中曾根康弘氏が101歳で大往生した。先輩だから言うわけではないが、当時の自民党は良かったねえ。僕は2000年頃までずっと自民党に投票してきた。それに比べ少し前の文科大臣・下村博文氏は品格が落ちる。何年か先輩だけれど敢えて言う。利権政治は良くない。発言も古すぎる。

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