映画評「風と共に去りぬ」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1939年アメリカ映画 監督ヴィクター・フレミング
ネタバレあり
ブログを始めて15年も経つのにまだ取り上げていなかった。上映時間が長いからねえ。
1970年代から80年代までに4回くらい観たが、90年代は1回だけだと思う。その後マーガレット・ミッチェルのなが~い原作小説を読んだ。それから初めての鑑賞ということになる。やはり、面白く、かつ、感動的。4時間近い上映時間を一瞬たりとも飽きさせない。
奴隷制度を巡って北部と対立構造のでき始めた南部はジョージア州。タラ(プランテーションの名前)を所有するオハラ家の三人娘の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、近隣のアシュレイ・ウィルクス(レスリー・ハワード)にぞっこん惚れ込んでいるが、勃発した南北戦争の出征前に彼がその従妹メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と結婚した為、腹いせにアシュレイの妹の恋人と強引に結婚してしまうが、好きでもない夫は戦地で病死。
そこでアシュレイを待つメラニーのいるアトランタに移動するが、優勢の北軍に火を付けられて全市がほぼ壊滅、彼女を知る船長レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)がスカーレットに援助を差し延べ、出産したばかりのメラニーを連れタラを目指す必死の逃避行。然しレットは途上で入隊を決意して去る。
やっとたどり着いたタラは残っていたが、母は亡くなり、父は正気を失い、食料は全て持ち去れている現実にスカーレットは愕然とする。
というのが休憩前までのお話。
スカーレットはタラの綿畑を細腕で再生し、徐々に家計を立て直すのに成功するが、北部の要求する高額の税金を支払う余裕はない。北軍の捕虜となっているレットと再会するも協力を得られない。そこで今度は妹の恋人を奪って再婚し得た資金で彼女は製材所を始め、復員したアシュレイにも仕事を与える。
が、スカーレットを襲おうとした北軍関係者を懲らしめようとした夫が死亡すると、レットからプロポーズされて三度目の結婚。しかし、子供が乗馬中に亡くなるなどしたことからレットは彼女の許から立ち去ってしまう。メラニーの死に際して本当に愛しているのがレットであると気付いた彼女は一家の原点であるタラに希望を託して立ち上がる。
南北戦争をめぐるスペクタクル、人生再生劇、等々色々な要素があるが、やはり大スケールの恋愛心理映画と言って良いのではないか。
スカーレットは高慢だが、挫折に耐える昆虫的な強さはお嬢さん離れしている。しかし、アシュレイへの恋心は初恋の幻に過ぎないのに真の恋と信じ、本当は愛しているレットへの自らの思いに気付かない。その点レットは解りやすく、彼女への独身時代の強い言葉は愛情の裏返しであることは凡そ見当が付く。
アシュレイはレットが見抜いてスカーレットに告げたように色々な面で弱い。人間的に一番強いのはメラニーだ。彼女の徹底した他人への優しさは自己に対する強さの証明であり、宗教色もなく、本当に感服させられる。他人に親切を施す時、彼女は自分もしくは自分の家族が同じことをされる可能性を信じている。こうした考えは人生を生きる上で頗る大事であると思う。本作が優れた人生劇でもある所以。
スカーレットのタラを土台にした希望も感動的なのだが、今回の鑑賞ではそれ以上にメラニーの強い優しさにこそ感銘を覚える僕である。同時に、高慢なスカーレットの内なる弱さにも人間として心を揺さぶられる。ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルが実に適役好演で、この二人なしにこの映画の感銘もなかったと思う。
ヴィクター・フレミングに落ち着くまでの監督交代劇(ジョージ・キューカー、フレミング、サム・ウッドと進み、最終的にフレミングとウッドが交代で演出したらしい)、スカーレット役を狙う女優たちの野心等々色々あり、製作者デーヴィッド・O・セルズニックの映画と皮肉も囁かれるが、出来上がった作品は映画史上に残る力強さを誇る。失敗に終わっても不思議ではなかったこの作品が、これほどのものに結実したことは我々観客にとって僥倖であった。
アメリカの一部の州では、本作がポリティカル・コレクトネスの観点から(黒人たちの類型的描写が問題なのか?)見られないと聞く。本当にどうかしている。「アンブロークン」を公開中止に追い込んだ日本の右派もどうかしているが。右派も左派もやることは同じ。
1939年アメリカ映画 監督ヴィクター・フレミング
ネタバレあり
ブログを始めて15年も経つのにまだ取り上げていなかった。上映時間が長いからねえ。
1970年代から80年代までに4回くらい観たが、90年代は1回だけだと思う。その後マーガレット・ミッチェルのなが~い原作小説を読んだ。それから初めての鑑賞ということになる。やはり、面白く、かつ、感動的。4時間近い上映時間を一瞬たりとも飽きさせない。
奴隷制度を巡って北部と対立構造のでき始めた南部はジョージア州。タラ(プランテーションの名前)を所有するオハラ家の三人娘の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、近隣のアシュレイ・ウィルクス(レスリー・ハワード)にぞっこん惚れ込んでいるが、勃発した南北戦争の出征前に彼がその従妹メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と結婚した為、腹いせにアシュレイの妹の恋人と強引に結婚してしまうが、好きでもない夫は戦地で病死。
そこでアシュレイを待つメラニーのいるアトランタに移動するが、優勢の北軍に火を付けられて全市がほぼ壊滅、彼女を知る船長レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)がスカーレットに援助を差し延べ、出産したばかりのメラニーを連れタラを目指す必死の逃避行。然しレットは途上で入隊を決意して去る。
やっとたどり着いたタラは残っていたが、母は亡くなり、父は正気を失い、食料は全て持ち去れている現実にスカーレットは愕然とする。
というのが休憩前までのお話。
スカーレットはタラの綿畑を細腕で再生し、徐々に家計を立て直すのに成功するが、北部の要求する高額の税金を支払う余裕はない。北軍の捕虜となっているレットと再会するも協力を得られない。そこで今度は妹の恋人を奪って再婚し得た資金で彼女は製材所を始め、復員したアシュレイにも仕事を与える。
が、スカーレットを襲おうとした北軍関係者を懲らしめようとした夫が死亡すると、レットからプロポーズされて三度目の結婚。しかし、子供が乗馬中に亡くなるなどしたことからレットは彼女の許から立ち去ってしまう。メラニーの死に際して本当に愛しているのがレットであると気付いた彼女は一家の原点であるタラに希望を託して立ち上がる。
南北戦争をめぐるスペクタクル、人生再生劇、等々色々な要素があるが、やはり大スケールの恋愛心理映画と言って良いのではないか。
スカーレットは高慢だが、挫折に耐える昆虫的な強さはお嬢さん離れしている。しかし、アシュレイへの恋心は初恋の幻に過ぎないのに真の恋と信じ、本当は愛しているレットへの自らの思いに気付かない。その点レットは解りやすく、彼女への独身時代の強い言葉は愛情の裏返しであることは凡そ見当が付く。
アシュレイはレットが見抜いてスカーレットに告げたように色々な面で弱い。人間的に一番強いのはメラニーだ。彼女の徹底した他人への優しさは自己に対する強さの証明であり、宗教色もなく、本当に感服させられる。他人に親切を施す時、彼女は自分もしくは自分の家族が同じことをされる可能性を信じている。こうした考えは人生を生きる上で頗る大事であると思う。本作が優れた人生劇でもある所以。
スカーレットのタラを土台にした希望も感動的なのだが、今回の鑑賞ではそれ以上にメラニーの強い優しさにこそ感銘を覚える僕である。同時に、高慢なスカーレットの内なる弱さにも人間として心を揺さぶられる。ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルが実に適役好演で、この二人なしにこの映画の感銘もなかったと思う。
ヴィクター・フレミングに落ち着くまでの監督交代劇(ジョージ・キューカー、フレミング、サム・ウッドと進み、最終的にフレミングとウッドが交代で演出したらしい)、スカーレット役を狙う女優たちの野心等々色々あり、製作者デーヴィッド・O・セルズニックの映画と皮肉も囁かれるが、出来上がった作品は映画史上に残る力強さを誇る。失敗に終わっても不思議ではなかったこの作品が、これほどのものに結実したことは我々観客にとって僥倖であった。
アメリカの一部の州では、本作がポリティカル・コレクトネスの観点から(黒人たちの類型的描写が問題なのか?)見られないと聞く。本当にどうかしている。「アンブロークン」を公開中止に追い込んだ日本の右派もどうかしているが。右派も左派もやることは同じ。
この記事へのコメント
久しぶりに語れる映画の登場です(笑)!
これは多分ビートルズ来日の頃、劇場でリバイバル上映されていて叔母に連れられて観に行きました。
正直、スカーレットって嫌いです。 女の敵です。
近づいて来られたら、MY MANを連れて逃げますよ。(笑)
まぁそれはともかく、その中学生で初見の折、連れて行ってくれた叔母が上映後に一言、「あんた、これはメラニーが良いねんで」(だいたいこんな意味)と申しまして、それが非常にインパクトのある一言として心に残っています。
あ、叔母はオリビア デ ハビランドのほうが美人だとも言ったと思います。(この辺は個人的好みの問題ですが)
今回の先生の評を読んで、当時メラニーをちゃんと評価していた叔母は慧眼であったと思います。多分、叔母は原作を先に読んでいたので、そういう評価につながったのかな、とは思いますが。
最近、その叔母から回ってきた原作本を実家から回収してきましたが、大久保訳、字が小さいし下巻が行方不明で、新訳をリサーチしましたら岩波の荒このみ訳に行き当たりました。
先生の母校の教授ですね? YOUTUBEに新訳について語っておられる動画もあります。面白いのでお時間あればご覧になってください。(長いです。2時間くらいあったかな)
やはり荒先生も「メラニーあっての風と共に去りぬ」の方でした。
>近づいて来られたら、MY MANを連れて逃げますよ。(笑)
逃げないと取られちゃいます。
"ローリング・ストーン”誌のレコードレビューで、ブラス・ロックのChaseを酷評し、"追って来るなら、逃げちゃえ”というのがあり、大受けでした。
>叔母はオリビア デ ハビランドのほうが美人だとも言ったと思います。
とは思いませんが(笑)、この映画のオリヴィアは綺麗ですね。
多分最初に監督した女性映画の特異なジョージ・キューカーが良かったのでしょう。彼女はキューカーなしにこの映画の成功はなかった(主旨)と言っているようです。
>荒このみ
おおっ、荒正人の娘さんですね。うちの名誉教授をやっています。
僕とは学科が違いますが。
名前が面白く、「あら、好み!」とからかわれたのではないでしょうか。
2時間は長い(笑)。一気には無理でしょうねえ。
荒このみ女史、動画の中でポリティカルコレクトネスについても語っておられます。
「あら、好み 」って優しいですね。先生のお人柄が偲ばれます。
関西の口の悪いおっさんなら、「あれ、好み?」(後に、蓼食う虫も好き好きとかが続くニュアンス。) と言いそうです。
荒さん御本人は好感度高い素敵な方ですが。
番組のタイトル忘れてしまいましたが、最近見た風と共に…のドキュメントが面白かったです。さすがのヴィヴィアン リーも撮影半ばで辞めたくなったらしいです。
「こんな嫌な女はやりたくない」と 。 いえいえ、適役でございますが(笑)
>荒このみ女史、動画の中でポリティカルコレクトネスについても語って
そうですか。なら観ないといけませんね(笑)。
人権は大事ですが、大昔の事まで掘り起こして糾弾するなど異常事態と思います。
>さすがのヴィヴィアン リーも撮影半ばで辞めたくなったらしいです。
妹や知り合いの恋人をあのような形で奪うような女性ではねえ。
でも、人は弱い者・愚かな者というのが僕の人間観ですので、(ジャンル映画ではなく)ドラマにおいては″即ち憎らしい”とはならないことが多いですよん。
>ドラマにおいては″即ち憎らしい”とはならないことが多いですよん
私、悪女は好きなんですが、スカーレットはどうにも子憎たらしい(笑)
でもそれも作者の意図のうちなんでしょうね。
荒先生も指摘されてましたが、名前がスカーレットですからね。緋文字の人です。
最近アメリカ図書館協会のようなところが、ローラ インガルス ワイルダーの名前を冠していた文学賞からワイルダーの名前を外したとか。
うちの子供たちに寝る前の読み聞かせタイムに「大草原の小さな家」を読んでいたのでちょっと驚きました。
そんなに差別的な表現があったような記憶がなくて、久しぶりにパラっと見てみましたが、巻末に「アメリカインディアンのこと」という解説がついていましたし、翻訳された折に何らかな配慮がされているように感じました。さすが岩波ですね。
たとえ差別的表現があったとしても逆にそういう時代であったという証として受け止めたらいいと思いますが、どうなんでしょう?
こんなこと言いだしたら「ベニスの商人」なんてどうなるんでしょう。子供心にもあれは相当ひどい話だと思いましたけど。
今、胸に手を当てて「なぜにスカーレットが嫌いなのか、正直に言ってみなさい」と問いただしてみました。
正直に言います!
1.美人じゃないけど男好きのする魅力がある。
2.州で一番ウエストが細い。
3.自分のバカに無自覚である、あるいは気にしていない。
結局、嫉妬でしょうか?
こんな女に生まれつきたかった!(笑)
>緋文字の人です。
緋文字は激しさの象徴なんでしょう。
ホーソーンの「緋文字」にも心を揺さぶられましたねえ。
>3.自分のバカに無自覚である、あるいは気にしていない。
気付いているのでしょうが、無視できるのだと思います。それが即ち″気にしていない”ということですね。
>文学賞からワイルダーの名前を外したとか。
僕が言葉狩りにうるさいと知った姉が、昨年あたりひどく騒いでいましたので、僕も知りました。
>たとえ差別的表現があったとしても逆にそういう時代であったという
>証として受け止めたらいいと思いますが、どうなんでしょう?
全くその通りと思います。
差別の描写はそれがあった歴史的事実を示しているわけですし、仮に作者が実際にも差別をしていたとしても、それが許された時代があるということも歴史的事実として反面教師になるわけですから、消さないほうが却って良いはずです。
行き過ぎは何でもダメですよね。
200年ほど前にイギリスで出された「エリア随筆」で、注釈担当者が、ポリティカル・コレクトネスについて複雑な感想を漏らしています。そのうるさいことに首を傾げると同時に、逆に作者チャールズ・ラムのスコットランド人やユダヤ人への差別表現にも不快感を禁じ得ない、と言うのです。
しかし、ラムのは差別というより嫌悪なので、具体的に彼らに対して何かをするというわけではなく、現在の日本で嫌韓人種がやっているようなのとはかなり違うものと僕は感じるのですが。
>「エリア随筆」
すいません、全然知りません。
それに比べると、書かれてから100年少ししかたっていないといも言える「赤毛のアン」ですが、やはりその手のネタは色々出てきます。
一番多いのがフランス人蔑視でしょうか。他にも「アイルランド人の言い草じゃないけど、首をくくられるのにも慣れるってもんさ」なんて意味のセリフがあります。面白いです。
歴史の教科書ではわからないその時代の普通の人の普通の感覚がよくわかります。
ニューオリンズがニューオルレアンだという事ぐらいしか知らなかった無学なモカはフランス人蔑視の件は解説を読んで真相がわかりました。
ザ バンドの「アケイディアの流木」とルーツは同じなんですね。
スカーレットの母方がフランス系という事は先祖はカナダから南下してきたか、ハイチ革命で北米に逃げ出したかどちらかという設定らしいです。
こんな風に、お勉強じゃなくて小説や音楽を通じて色んな物事の繋がりを発見するのはすごく楽しいです。
ヴィヴィアン・リーは、英国女優ですが、「風と共に去りぬ」と「欲望という名の電車」で、いずれも米国南部の女性を演じてオスカーを得たのかな。ちょっとおもしろい偶然でしょうか。
じつは白黒写真で見ると、口元のあたりが写真によってはメイウエストに通じる映り方をしていて、きれいなんだけど? みたいな顔なんですね。メイウエストだと安心して見られるけれども、ヴィヴィアン・リーはね。
>「赤毛のアン」
人権の意識が強くなったのは第二次大戦後、実際的になってきたのは70年代からですから、それ以前特に戦前の書物・映画では当たり前のように差別的な発言が表現されていますね。今でも差別をする人を描写するのに必要なはずですが、多くの場合そうしたことまでも取り沙汰されてしまいます。これが特によくないです。
僕のように1970年代以前に発売された本ばかり読んでいると、現在差別用語や自粛用語に当たる言葉が平気で出て来てきてのびのびしているのが実に快い(当然ですが差別用語が快いのではない)です。だから、今回「エリア随筆」(どうもすみません)の新訳を読んだ時に、近年封印されてきた″びっこ”″ちんば”という訳語に出会ってびっくりしましたよ。
逆に、一昨年読んだ「ノートルダム・ド・パリ」では、「この耳の悪い男め」という罵詈雑言が出てきて噴飯しました。悪口になっていない。
>その時代の普通の人の普通の感覚がよくわかります。
そう思います。だから、翻訳ものでは訳語が大事なんですがねえ。
>ザ バンドの「アケイディアの流木」とルーツは同じなんですね。
「南十字星」ですね。これから勉強するところです^^
>カナダから南下してきたか、ハイチ革命で北米に逃げ出したかどちらか
なるほど。移動距離を考えれば、ハイチのほうが考えやすいですけど。これは確かに勉強になりますね。
>水曜ロードショーで二週にわたって放送していたのを見ただけです。
僕も初めて見たのはこれですね。十代後半でした。
>いずれも米国南部の女性を演じてオスカーを得たのかな。
これは面白いですよね。ヴィヴィアン・リーの、気の強そうな感じが生かされて適役だったのだと思います。
>メイウエストに通じる映り方
また珍しい方が(笑)。今ではこの人の映画を実際に観た人は少ない(僕は一本だけ)でしょうねえ。映画デビューが40歳という珍しい方です。
>僕のように1970年代以前に発売された本ばかり読んでいると
私は1970年代半ば以降の音楽シーンがまったくわかりません。本は今時のものも読むんですが音楽は懐古趣味もいいとこです。
たまに良いな、と思ったら60年代の申し子のようなレニー・クラヴィッツだったり・・・
「南十字星」は原題「オーロラと南十字星」なのにこれでは収まりが悪いと思ったのか「片手落ち」(使用禁止用語?)です。
>私は1970年代半ば以降の音楽シーンがまったくわかりません。
僕は2003年くらいまでは一通り聞いていました。曲を完全に流してくれる衛星ラジオを契約していたので。しかし、よく聞くのは70年代初めくらいまでです。
それでもレニー・クラヴィッツをご存知なだけでも大したものです。娘さんが女優をやっていますね。
>「南十字星」は原題「オーロラと南十字星」なのにこれでは収まりが悪いと思ったのか「片手落ち」(使用禁止用語?)です。
図書館にあるのでいずれ借りるつもりですが、モカさんが話題にしたジャズ(チャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウン、リー・モーガンなど)を集中して借りていますので、後手後手になっています。
仰るように、「片手落ち」は放送自粛用語です。本来は片・手落ちであって片手・落ちでないので問題はないのですが、拡大解釈されて自粛扱いになっているようです。
「片・手落ち」 知りませんでした。色々勉強になります。
>ノートルダム・ド・パリ」では、「この耳の悪い男め」という罵詈雑言が出てきて噴飯しました。悪口になっていない。
そもそも相手に聞こえたんでしょうかね。
>レニー・クラヴィッツの娘さん
パパに較べると何だか存在感が薄い・・・
マッドマックス 怒りのデスロード、タイトルを忘れても、マッドマックスの行って帰ってきただけのやつ、で通じる(笑)
シャーリーズ・セロンのスキンヘッドが良かったですね。
美人は尼さん頭がよく似合う!
でも面白かったけど、疲れる・・・テンション高すぎ。
メル・ギブソンがドッグフードの缶詰を食べていた第1作目が懐かしいです。 ティナ・ターナーが出てたのもありましたね。
トム・ハーディよりパパ・クラヴィッツに出てほしかったです。
ビバップの聞きすぎで疲れた時の箸休めにザ・バンドはぴったりですね。 きっとホットすると思います。
>そもそも相手に聞こえたんでしょうかね。
あははは。なるほど(笑)。
それで思い出しましたが、「ノートルダム・ド・パリ」の鐘つき男カジモドは鐘をついている為に片方の耳だけが悪く、彼らは聞こえる方の耳に向かって言うんです。意地の悪い奴ら!
そう言えば、この作品、昔は「ノートルダムのせむし男」として小説も映画も知られていましたが、新訳では原題に則ったこの邦題になりました。
例の「エリア随筆」にはせむしという表現も出てきました。訳者には相当反骨精神がある!
>美人は尼さん頭がよく似合う!
そうかもしれませんねえ。
昔「スター・トレック」の映画版第一作に出演したインド女優バーシス・カンバッタが綺麗で、よくガンバッタと洒落など言ってみました。ところが、その後髪の毛ふさふさの彼女を見ると、髪の毛がないほうが綺麗に見えました。
>ティナ・ターナーが出てたのもありましたね。
3作目で、一旦シリーズはこれで終わったんですね。
僕の上司の奥方が日本における彼女の専任通訳でした(創価学会の関係らしい)。今思うに、上司に頼めばティナ・ターナーのサインくらいは貰えたかも。
>ビバップの聞きすぎで疲れた時の箸休め
ビバップは割合聞きやすいですね。
リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」(曲)は、前から知っていました。曲名と曲が一致していませんでした。実に格好良い曲ですね。
>リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」
半世紀近く前に2,3回聞いただけなのに、最近聞いたらものすごく覚えていました。 イントロが始まったら、あの「パパラパッパパー~」(分かります?) がいつ来るかと(なかなか来ない)ワクワクしてしまって、我ながらよく覚えていたもんだと感心しました。
>>リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」
>イントロが始まったら、あの「パパラパッパパー~」(分かります?)が
>いつ来るかと(なかなか来ない)ワクワクしてしまって
僕もそうなんです。あれがやって来るのが待ち遠しい^^
「風と共に去りぬ」。これは永遠に残る名作です。
>高慢なスカーレットの内なる弱さにも人間として心を揺さぶられる。
そのあたりを演じたヴィヴィアン・リー。さすがです!
>「南部の反逆者」
大昔に観ていて、昨年NHKで録画しましたが、再鑑賞はまだしていないので、ブログへの掲載なくて、すみません。
「風と共に去りぬ」を意識した作品だったようですね。僕は余り憶えていないのですが。
>「風と共に去りぬ」。これは永遠に残る名作です。
ポリ・コレで批判の対象になっていますが、何だか野暮です。
1857年の西部が舞台。奴隷制度の賛成派と反対派の争いも出てきます。そして、字幕を見ると準州と自由州と言う言葉がよく出てきました。
本日「西部無法伝」をアップしましたので、そちらにコピペし、レスします。