映画評「シャザム!」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年アメリカ=カナダ合作映画 監督デーヴィッド・サンドバーグ
ネタバレあり
DCコミックスの映画版はマーヴェル・コミックスのそれに比べると概ね脚本が出来が落ち、余りパッとしないことが多いが、本作は少し面白い。丁寧に書くとかなり長くなるお話だが、簡単にまとめてしまいましょう。
プロローグは1970年代のエピソード。父と兄に邪険にされている少年サデウスが謎の宮殿に飛ばされ、魔術師シャザムに後継者に選ばれそうになるが、無垢さに問題があるとされて失権し、その後交通事故を起こす原因を作った為に益々邪険にされる。
現在。里親を転々としていた14歳の少年ビリー(アッシャー・エンジェル)が5人の“兄妹”のいるグループホームの住人となった直後、プロローグで出て来た宮殿に飛ばされ、後継者に指名され、“シャザム!”と言うと、大人の超人となりビックリ。弟に相当するフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)にやっと認知してもらった後、“シャザム!”と唱えると元に戻ることに気付く。
変身すると凄い力を発揮する彼はやがてスーパーヒーローになっていくが、やがて宮殿で“七つの大罪”を具象化する悪魔を取り込んだ中年サデウス(マーク・ストロング)に襲撃されて相手の強さに慄く。しかし、兄妹たちが二人の争いに巻き込まれたのを逆手に取り、英雄ビリーは彼らも“シャザム”の一員にして彼の野望を挫こうとする。
最近のアメリカ映画に多いのだが、本作もまた、本当であろうと疑似であろうと家族は良いものだというお話である。9・11事件以降家族の再生を描く作品が急増したのが2010年代初めに落ち着いたと思っていたら、また似たようなことになっている。今回の現象の背景には或いはトランプ大統領がぐっと深化させたアメリカの分断があるのかもしれない。
最近のDCにしては作品全体が面白いと感じさせるのは、英雄ビリーのコミカルな人物像のおかげである。一つの工夫なのではあるが、首を傾げさせるのは、しんねりむっつりした少年ビリーと異様に明るい英雄ビリーの性格の格差である。14歳の少年だからスーパーヒーローになって浮かれるという映画サイトの説明はある程度理解できるにしても、それならば少年である時も浮かれていないと整合性が取れない。
実際にはこの部分が一番楽しいので余り突っ込まないことにするが、いずれにしてもコミカルなキャラクターということ自体が先行するマーヴェル・コミックスの後塵を拝している印象。幕切れ後に色々な映像を繰り出すのもマーヴェル式で、DCは完全にマーヴェルの映画手法に降参した言わざるを得ない。映画の多様性を考える時、それはそれでつまらないのではないか?
一番肝心であるはずの終盤のアクションは早めに飽きる。もう一工夫が必要だったと思う。
三日後には内容を忘れました。生より死を考えることが多くなった老人の記憶にこの手のお話は残らない。
2019年アメリカ=カナダ合作映画 監督デーヴィッド・サンドバーグ
ネタバレあり
DCコミックスの映画版はマーヴェル・コミックスのそれに比べると概ね脚本が出来が落ち、余りパッとしないことが多いが、本作は少し面白い。丁寧に書くとかなり長くなるお話だが、簡単にまとめてしまいましょう。
プロローグは1970年代のエピソード。父と兄に邪険にされている少年サデウスが謎の宮殿に飛ばされ、魔術師シャザムに後継者に選ばれそうになるが、無垢さに問題があるとされて失権し、その後交通事故を起こす原因を作った為に益々邪険にされる。
現在。里親を転々としていた14歳の少年ビリー(アッシャー・エンジェル)が5人の“兄妹”のいるグループホームの住人となった直後、プロローグで出て来た宮殿に飛ばされ、後継者に指名され、“シャザム!”と言うと、大人の超人となりビックリ。弟に相当するフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)にやっと認知してもらった後、“シャザム!”と唱えると元に戻ることに気付く。
変身すると凄い力を発揮する彼はやがてスーパーヒーローになっていくが、やがて宮殿で“七つの大罪”を具象化する悪魔を取り込んだ中年サデウス(マーク・ストロング)に襲撃されて相手の強さに慄く。しかし、兄妹たちが二人の争いに巻き込まれたのを逆手に取り、英雄ビリーは彼らも“シャザム”の一員にして彼の野望を挫こうとする。
最近のアメリカ映画に多いのだが、本作もまた、本当であろうと疑似であろうと家族は良いものだというお話である。9・11事件以降家族の再生を描く作品が急増したのが2010年代初めに落ち着いたと思っていたら、また似たようなことになっている。今回の現象の背景には或いはトランプ大統領がぐっと深化させたアメリカの分断があるのかもしれない。
最近のDCにしては作品全体が面白いと感じさせるのは、英雄ビリーのコミカルな人物像のおかげである。一つの工夫なのではあるが、首を傾げさせるのは、しんねりむっつりした少年ビリーと異様に明るい英雄ビリーの性格の格差である。14歳の少年だからスーパーヒーローになって浮かれるという映画サイトの説明はある程度理解できるにしても、それならば少年である時も浮かれていないと整合性が取れない。
実際にはこの部分が一番楽しいので余り突っ込まないことにするが、いずれにしてもコミカルなキャラクターということ自体が先行するマーヴェル・コミックスの後塵を拝している印象。幕切れ後に色々な映像を繰り出すのもマーヴェル式で、DCは完全にマーヴェルの映画手法に降参した言わざるを得ない。映画の多様性を考える時、それはそれでつまらないのではないか?
一番肝心であるはずの終盤のアクションは早めに飽きる。もう一工夫が必要だったと思う。
三日後には内容を忘れました。生より死を考えることが多くなった老人の記憶にこの手のお話は残らない。
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