映画評「リオ・ブラボー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1959年アメリカ映画 監督ハワード・ホークス
ネタバレあり
何回も引き合いに出しているのにアップしていない作品の代表格「十二人の怒れる男」は先日遂に上げた。これもそれに次ぐ作品で、どういうわけか、二回目の鑑賞は映画館であった(1980年頃)。Allcinemaで調べる限りはリバイバルはされていないのだが。その後一度観ていると思うので、今回が4回目になるだろう。しかし、久しぶりではござる。
メキシコ国境に近いテキサスの小さな町。酔いどれのディーン・マーティンを揶揄ったクロード・エイキンズが一悶着の末に丸腰の男性を殺害、この出入りに関わった保安官ジョン・ウェインが逮捕して詰所(留置所)に留め置く。
エイキンズの兄の大牧場主ジョン・ラッセルが弟を移送させまいと町を封鎖した為、保安官はマーシャル(=連邦保安官)の到着を待つことにするが、その間にも、保安官に協力しようという旧友ウォード・ボンドが殺されるなど、エイキンズを解放しろという圧力がかかる。実際ウェインや助手に加わった元部下マーティンも襲われ、結果的にマーティンを拉致され、エイキンズとの交換を要求される。
かくして保安官は窮地に追い込まれるが、ボスを殺されたボンドの若い子分リッキー・ネルスンや詰所で頑張っている足の悪い老人ウォルター・ブレナンの力を借りて、反撃を試みる。
というお話だが、ハワード・ホークス監督は極めて安定したリズムでお話を進め、場面転換の呼吸も良く、物凄いスピードで見せるわけではないが小気味いい。
総じて静の後の動という構成が鮮やか。その代表は、ウェインとネルソンが敵と見つめ合ったままじっと相手の動向を伺う最中、ウェインにすっかり惚れ込んでしまう元踊り子アンジー・ディキンスンが花瓶を投げて窓ガラスを割り、そちらに向いた敵側三人をウェインとネルスンが撃つという場面。ここでネルスンが一人を撃つと同時にライフルをウェインに渡して更に彼と共に一発ずつ撃ち込んで三人を仕留める、という離れ業に魅了されるのである。
他方、マーティンは酔いどれだが、元来拳銃の腕前は超一流で、手綱を射撃で切るという当時としては珍しい離れ業に活躍する。ウェイン一人に見せ場を集中させないのがこの作品の工夫である。
そして、マーティンとネルスンは人気歌手でもあったから、二人が歌って音楽ファンを楽しませる場面がある。余興に過ぎる印象があるも、敵側が相手を威嚇する為に流す“皆殺しの唄”との対照を成す目的が明確なので、無駄とは言い切れない。
終幕のスペクタクルになっている爆弾投入は、後年色々と使われるようになるが、この時点のガンファイター系西部劇では珍しかったと思う。
脚本を書いたリー・ブラケットは本作がお気に入りだったか、或いは内容に不満足だったのか、1966年に同じくホークスとのコンビで「エル・ドラド」という事実上のリメイクを発表している。あちらも悪くない出来。
銃の離れ業、爆弾の使用、「皆殺しの唄」の哀愁漂う曲調。5年後に本格始動するマカロニ・ウェスタンへの影響がありそうな気がします。
1959年アメリカ映画 監督ハワード・ホークス
ネタバレあり
何回も引き合いに出しているのにアップしていない作品の代表格「十二人の怒れる男」は先日遂に上げた。これもそれに次ぐ作品で、どういうわけか、二回目の鑑賞は映画館であった(1980年頃)。Allcinemaで調べる限りはリバイバルはされていないのだが。その後一度観ていると思うので、今回が4回目になるだろう。しかし、久しぶりではござる。
メキシコ国境に近いテキサスの小さな町。酔いどれのディーン・マーティンを揶揄ったクロード・エイキンズが一悶着の末に丸腰の男性を殺害、この出入りに関わった保安官ジョン・ウェインが逮捕して詰所(留置所)に留め置く。
エイキンズの兄の大牧場主ジョン・ラッセルが弟を移送させまいと町を封鎖した為、保安官はマーシャル(=連邦保安官)の到着を待つことにするが、その間にも、保安官に協力しようという旧友ウォード・ボンドが殺されるなど、エイキンズを解放しろという圧力がかかる。実際ウェインや助手に加わった元部下マーティンも襲われ、結果的にマーティンを拉致され、エイキンズとの交換を要求される。
かくして保安官は窮地に追い込まれるが、ボスを殺されたボンドの若い子分リッキー・ネルスンや詰所で頑張っている足の悪い老人ウォルター・ブレナンの力を借りて、反撃を試みる。
というお話だが、ハワード・ホークス監督は極めて安定したリズムでお話を進め、場面転換の呼吸も良く、物凄いスピードで見せるわけではないが小気味いい。
総じて静の後の動という構成が鮮やか。その代表は、ウェインとネルソンが敵と見つめ合ったままじっと相手の動向を伺う最中、ウェインにすっかり惚れ込んでしまう元踊り子アンジー・ディキンスンが花瓶を投げて窓ガラスを割り、そちらに向いた敵側三人をウェインとネルスンが撃つという場面。ここでネルスンが一人を撃つと同時にライフルをウェインに渡して更に彼と共に一発ずつ撃ち込んで三人を仕留める、という離れ業に魅了されるのである。
他方、マーティンは酔いどれだが、元来拳銃の腕前は超一流で、手綱を射撃で切るという当時としては珍しい離れ業に活躍する。ウェイン一人に見せ場を集中させないのがこの作品の工夫である。
そして、マーティンとネルスンは人気歌手でもあったから、二人が歌って音楽ファンを楽しませる場面がある。余興に過ぎる印象があるも、敵側が相手を威嚇する為に流す“皆殺しの唄”との対照を成す目的が明確なので、無駄とは言い切れない。
終幕のスペクタクルになっている爆弾投入は、後年色々と使われるようになるが、この時点のガンファイター系西部劇では珍しかったと思う。
脚本を書いたリー・ブラケットは本作がお気に入りだったか、或いは内容に不満足だったのか、1966年に同じくホークスとのコンビで「エル・ドラド」という事実上のリメイクを発表している。あちらも悪くない出来。
銃の離れ業、爆弾の使用、「皆殺しの唄」の哀愁漂う曲調。5年後に本格始動するマカロニ・ウェスタンへの影響がありそうな気がします。
この記事へのコメント
>「十二人の怒れる男」
こちらのコメントに長い間付き合って下さってありがとうございました。
>俳優は演技力、歌手は歌唱力、作家は文章力が全て、etcという考えです。
そういう事ですね。「世界で一つだけの花」削除は変です。
>ネルスンが一人を撃つと同時にライフルをウェインに渡して更に彼と共に一発ずつ撃ち込んで三人を仕留める
まさに離れ業です(拍手!)。それを演じた役者達も演出した監督も凄いです。
>アンジー・ディキンスン
彼女が演じる踊り子はホークス的女性像の典型だそうですね(笑)。
>こちらのコメントに長い間付き合って下さってありがとうございました。
どういたしまして。
>そういう事ですね。「世界で一つだけの花」削除は変です。
今のところは話題ということですが。
しかし、それが話題になること自体が、日本の忖度文化の変なところです。今アメリカはセク・ハラにうるさく、これをやると製作中の映画であれば撮り直し、当事者が製作者や監督であれば、企画そのものが没になる感じになっています。これもちょっと行き過ぎの感じもありますが、日本の麻薬での処理よりはマシでしょう。
>まさに離れ業です(拍手!)
こういうのはマカロニにありそうですね。
>彼女が演じる踊り子はホークス的女性像の典型だそうですね(笑)。
映画用語になっていて、ホークスを離れても、頭の回転が速く強気な言い方をし、かつ女性的な魅力も備えているような女性を指すようです。
用語にまではなっていませんが、ヒッチコック的女性像というのもあるでしょう。ホークス的女性像に比べればお淑やか。ヒッチコックの映画で一番ホークス的女性像だったのは「鳥」のティッピ・ヘドレンですかね。
>「鳥」のティッピ・ヘドレン
頭の回転が速い女性でした。強気だし。
>マーティンは酔いどれだが、元来拳銃の腕前は超一流
やっぱり大スターです。しかし、1980年代後半以降は晩節を汚してしまいましたね・・・。
>クロード・エイキンズ
1926年5月25日 – 1994年1月27日。
どうしても「続・荒野の七人」を思い出してしまいます。
無愛想な巨漢。中途半端な死に方をする役。
>新型ウィルス
名古屋高速の料金所の人も感染。ETC搭載車しか通れない。どうなる事やら・・・。
>やっぱり大スターです。晩節
僕はジェリー・ルイスとの底抜けコンビで知った人ですが、歌手に比べると、俳優としては少しなまなかという気がします。最後はシナトラとの喧嘩別れですね。大スター同士というのは時に起こりがちですね。
>クロード・エイキンズ
>どうしても「続・荒野の七人」を思い出してしまいます。
「荒野の七人」は何度も観ていますが、「続」は大昔に一度しか見ていず、余り憶えていません。ライブラリーにあるので、観てみましょうかねえ。
彼は、60年代の出演作は殆ど西部劇でした。たまに戦争映画。
>新型ウィルス
何とか抑え込みたいですねえ。抑え込むために経済的なことは暫し我慢しないといけないのかもしれません。
スポーツも暫くは無観客試合や延期など色々考えないといけません。凡そ3週間後の高校野球はどうなるでしょう? 無観客では味気ない。
>ジェリー・ルイスとの底抜けコンビ
子供の頃、「底抜け西部へ行く」(1956年)の日本語版をテレビで見て楽しんだ記憶があります。吹き替えは広川太一郎と愛川欣也。
>彼は、60年代の出演作は殆ど西部劇でした。たまに戦争映画。
クロード・エイキンズ。日本語版ウィキでは何も出てきませんね(苦笑)。英語版だとたくさんの映画に出た事がわかります。
>凡そ3週間後の高校野球はどうなるでしょう?
まさか無観客なんて・・・それが起こりそうなのが新型ウィルスです!
>リッキー・ネルスン
1985年12月31日、飛行機事故によってネルソンは45歳で死去。その数日後テレビで「リオ・ブラボー」の日本語版を見ました。歌う場面はもちろん英語。
お父さんはバンドリーダー、お母さんは女優。才能がある血筋だったんですね。
>吹き替えは広川太一郎と愛川欣也。
小学生の頃は底抜けコンビが好きで、10本以上見たと思います。吹き替えは主に、羽佐間道夫(ディーン・マーティン)と近石真介(ジェリー・ルイス)でした。僕の場合、ルイスと言えば近石真介なんです。本当によく放映されていました。
>まさか無観客なんて・・・それが起こりそうなのが新型ウィルスです!
そう、今日政府が学校の春休みまでの休校を指示したように、かなり現実味が帯びてきました。試合はできそうです。
>飛行機事故によってネルソンは45歳で死去。
彼も飛行機事故でしたっけねえ。本当にアメリカの歌手はこの事故で亡くなる人が多いですねえ。
>才能がある血筋だったんですね。
双葉師匠も、その辺りから紹介に入っていましたよ。
>久しぶりに観てみようかな。
「カジノロワイヤル」(1967年版)今のところ記事にされた事はないですよね?期待しております!
>女性からの三行半が出て来た
「木枯し紋次郎」の「駈入寺に道は果てた」にそういう話が出て来ました。演出は森一生氏。
>「エルダー兄弟」を見ました。
僕も☆☆☆★★だったと思います。多分ブログを始める直前に再鑑賞しました。
>「カジノロワイヤル」(1967年版)
>今のところ記事にされた事はないですよね?期待しております!
中学の時にTVで観て以来半世紀近く見ていないと思います。確か、あれは土曜の昼間で前編・後編でやったと思います。正統派「007」と区別ができない同級生が“つまらねえじゃねえの”と言っていましたよ。
>>女性からの三行半が出て来た
>「木枯し紋次郎」の「駈入寺に道は果てた」にそういう話が
ほおっ、そうですか。
比較的最近まで男性が書くというのが常識でしたが、そうでもないことが判ったのが1970年代ではないでしょうか。
丁度そういう実際の三行半が出て来たのを脚本に利用したのかもしれませんね。