映画評「鍵 THE KEY」
☆☆★(5点/10点満点中)
1997年日本映画 監督・池田敏春
ネタバレあり
谷崎潤一郎の作品には表記上の理由で読みにくいのが多いのだが、「鍵」もその例に洩れず、漢字にカタカナで綴られていて非常に読みにくかったという記憶がある。それでも、明治時代の政治小説に比べれば遥かに読みやすい(東海散士の「佳人之奇遇」などを一見すれば、気が遠くなると思う)。
5年前に市川崑版を観たが、本作も20年くらい前に既に一度観ている。忘れていてまた観てしまったのだ。谷崎潤一郎は割合よく読むので、仕方がない。
美術専門の学者(柄本明)が若い後妻・郁子(川島なお美)に惚れ込んでいて、自分の日記を故意に読ませるように仕向けて反応を伺ううちに、二人がカメラマン青木(大沢樹生)と知り合い、妻が彼に靡くことを刺激剤に夜の営みに励む。妻も日記を読んでその意向に気付いているからその目論見に乗るわけだが、学者は主治医の忠告を無視して不摂生した為に死んでしまう。
妻も同様に夫に読ませるように日記を書いている。相当屈折した人々のお話である。
特に夫は激しく倒錯(俗に言う変態趣味。サディスティックであり同時にマゾヒスティック)しているが、文学的には、一種の枠物語として読めるところに面白さがある。配偶者に読ませるのを目的とした日記が事実を書いているかどうか解らないので、回想といった常套的な形式を使わずとも、その日記の外に見えない大枠の物語があると理解できるのである。
ただ、この歪な交換日記の形式は文字で読んだ方が遥かに面白く、通常に映像化するとエロ性だけが勝負になってしまって面白味に欠ける。
それでも、この映画の場合、ヒロインに扮した川島なお美の肌の美しさに感嘆させられる。彼女の肌を見るだけでも一見の価値があるかもしれませんな。
川島なお美は、亡くなるのが早過ぎた。アップの時に、黒木瞳との間でよく混乱したのも懐かしい。
1997年日本映画 監督・池田敏春
ネタバレあり
谷崎潤一郎の作品には表記上の理由で読みにくいのが多いのだが、「鍵」もその例に洩れず、漢字にカタカナで綴られていて非常に読みにくかったという記憶がある。それでも、明治時代の政治小説に比べれば遥かに読みやすい(東海散士の「佳人之奇遇」などを一見すれば、気が遠くなると思う)。
5年前に市川崑版を観たが、本作も20年くらい前に既に一度観ている。忘れていてまた観てしまったのだ。谷崎潤一郎は割合よく読むので、仕方がない。
美術専門の学者(柄本明)が若い後妻・郁子(川島なお美)に惚れ込んでいて、自分の日記を故意に読ませるように仕向けて反応を伺ううちに、二人がカメラマン青木(大沢樹生)と知り合い、妻が彼に靡くことを刺激剤に夜の営みに励む。妻も日記を読んでその意向に気付いているからその目論見に乗るわけだが、学者は主治医の忠告を無視して不摂生した為に死んでしまう。
妻も同様に夫に読ませるように日記を書いている。相当屈折した人々のお話である。
特に夫は激しく倒錯(俗に言う変態趣味。サディスティックであり同時にマゾヒスティック)しているが、文学的には、一種の枠物語として読めるところに面白さがある。配偶者に読ませるのを目的とした日記が事実を書いているかどうか解らないので、回想といった常套的な形式を使わずとも、その日記の外に見えない大枠の物語があると理解できるのである。
ただ、この歪な交換日記の形式は文字で読んだ方が遥かに面白く、通常に映像化するとエロ性だけが勝負になってしまって面白味に欠ける。
それでも、この映画の場合、ヒロインに扮した川島なお美の肌の美しさに感嘆させられる。彼女の肌を見るだけでも一見の価値があるかもしれませんな。
川島なお美は、亡くなるのが早過ぎた。アップの時に、黒木瞳との間でよく混乱したのも懐かしい。
この記事へのコメント
「鍵」は市川版しか観ていませんが、原作は20歳頃に読みました。
>「鍵」もその例に洩れず、漢字にカタカナで綴られていて非常に読みにくかったという記憶がある
同感です。亡くなった義母もカタカナを多用する人で、書かれれたことの意味を取り違えたことが度々あったのを思い出しました。
昭和40年代に出版された文春の現代日本文学館の谷崎を1巻から4巻まで所有していて、特別好きなわけでもないのに「細雪」以外は一応読んだという、「?」なモカでございます。
国文科でもなかったのに・・・それで「細雪」だけ放置するなんて不可解な奴です。(死ぬまでに読むつもりですが←さっさと読まねば)
この頃はまだ本の装丁や挿絵が素晴らしく贅沢で「鍵」は桑田雅一(宮田雅一)のなんとも妖しく艶めかしい切り絵か版画で全集の装丁も西山寧の素晴らしいものでした。ジャケ買いならぬ装幀買いの可能性があります。
あ、邪魔が入りました。 続きはまた後程・・・
さっき何を書こうとしていたか失念・・・多分大したことではないですが。
装幀は西山寧ではなくて杉山寧(三島由紀夫の義父)でした。
なぜに日本文学なるものを殆ど読まないサイケな時代の小娘が谷崎に手を出したのか、さっき夕食の支度をしながら考えたんですが、多分谷崎に道徳臭さや説教臭さが感じられなかったからだと思い至りました。
>同感です。亡くなった義母もカタカナを多用する人で
戦前、学校では漢字とカタカナで勉強していたので、そういう人も多かったのでしょうね。僕の母親も小学校は戦前だったわけですが、ひらがなで書いていました。これまで当たり前と思っていましたが、あの時代に育った人には必ずしも当たり前ではなかったということですね。
>それで「細雪」だけ放置するなんて不可解な奴です
あははは。MORに対する反骨精神ですね。
谷崎にしては真面目な(?)小説ですし、日本の小説にしては長いですし、ちょっと根性がいります。
僕は、「源氏物語」の現代語訳もした谷崎が、昭和版「源氏物語」にするという意図をもって書いたのではないかと、勝手に想像していますが。こんなことを書くと益々遠のきそう(笑)。
>この頃はまだ本の装丁や挿絵が素晴らしく贅沢で
今は、文庫本ではコミックにして、漱石や太宰を読ませようとする時代。読んでもらうのが肝心というのは解りますが、少々寂しい。
>ジャケ買いならぬ装幀買いの可能性
モカさんらしい。書物を買う理由としてそういうのも面白いです。
>多分谷崎に道徳臭さや説教臭さが感じられなかったからだ
そう言われてみると、これまで紹介されてきた作品は、確かに道徳や説教からは遠いような気がします。
>MORに対する反骨精神ですね。
すいません、MORって何ですか?
>谷崎にしては真面目な(?)小説ですし、日本の小説にしては長いですし、ちょっと根性がいります。
え~そうなんですか? (あっ、これ禁句でした!)
市川崑の映画が面白かったので期待しているんですけど。
>僕は、「源氏物語」の現代語訳もした谷崎が、昭和版「源氏物語」にするという意図をもって書いたのではないかと、勝手に想像していますが。こんなことを書くと益々遠のきそう(笑)。
私は日本の「若草物語」くらいに思ってるんですけど、違いますよね(笑)
谷崎源氏は(これも挿絵と装幀が美しい)6巻くらいで途中下車しました。昔比較的元気な入院生活したときに読みましたが、退院して現実生活を送りながら谷崎源氏を読むのは無理でした。
田辺聖子版くらいが良いです。
反骨精神なんて立派なものは持ち合わせていませんが、明治生まれの説教好きの祖父と同居していたので、説教アレルギーなんです。 関係ないですけど、今日は226ですね。
>すいません、MORって何ですか?
元来は音楽用語で、middle of the road(道の真ん中)。まあカーペンターズとか、オリヴィア・ニュートン・ジョンとか、ポール・アンカみたいな音楽でしょう。
まあ、無難なもので、“ローリング・ストーン”誌が大嫌いなタイプ。
「細雪」は谷崎にしたら変態性は全くないですし、作品群の中ではMORですよね。若者言葉で言えば、ベタなもの?
>ちょっと根性がいります。
>え~そうなんですか? (あっ、これ禁句でした!)
禁句は“そうなんですね”です(笑)。
いや、僕は非常に面白く読みましたし、外国文学に比べれば長いうちに入りません。あくまで一般論で、「風と共に去りぬ」を読み終えられているのなら楽勝でしょう。
市川崑の「細雪」は素敵でしたねえ。あれが楽しめたのであれば、大丈夫。
>私は日本の「若草物語」くらいに思ってるんですけど
言われてみれば、そのものですね!
>田辺聖子版くらいが良いです。
僕は紫式部版((笑)を読みました(一応現代語訳に当たりながら)が、現代語訳版も死ぬまでに全部読みたいと思っています。瀬戸内寂聴版もありますよね。英語版の和訳も図書館にありました。
>説教アレルギーなんです。
なるほど。僕は祖父母は事実上いなかったし、両親も説教しない人でしたから、そういうのはなく、反抗期もなかったですね。
>今日は226ですね。
ああ、そうか。そんなことも気づかずに昨日三島由紀夫の短編「憂国」を読みましたよ。世の中の性倒錯者の中に切腹マニアというのがあるので、一種の変態小説として読めました。
亡夫の月命日で、線香をあげました。
善は急げ、と昨夜から「細雪」を読み始めました。
>僕は、「源氏物語」の現代語訳もした谷崎が、昭和版「源氏物語」にするという意図をもって書いたのではないかと、勝手に想像して
さすがです! 昨夜パラパラっと井上靖の解説を見ていたら、
同じことが書かれていました。
>善は急げ、と昨夜から「細雪」を読み始めました。
モカさんはやはり“すぐやる課”ですね^^
>さすがです! 昨夜パラパラっと井上靖の解説を見ていたら、
>同じことが書かれていました。
おっ、そうですか。井上先生(普段は先生などと敬称をつけませんが、笑)もそう仰っていますか^^v
僕は、花鳥風月に関する描写などを読むうちに、何だかそんな気がしてきたのですよ。
50年近くも放置していて、”すぐやる課”もあったもんじゃないです。
今まで背中を押してくれるきっかけがなかっただけです。
きっかけを下さってありがとうございます。
きっかけと言えば、思い出したのですが最初のきっかけは植草甚一でした。 何かのエッセイに谷崎潤一郎に「過酸化マンガン水の夢」という作品があると書いてあって、タイトルに惹かれて探したところ文庫では見つからなくて箱入りの綺麗な本に出合ってしまったのでした。
記憶っていい加減ですね。装幀がきれいだの説教臭くないだの、
きっかけにはなっていませんでした。 「年寄りは記憶を捏造する」典型的例でした。
源氏の影響云々は井上靖ではなく谷崎本人の発言でした。
「細雪」源氏の現代語訳の次の仕事だったので自他ともに影響はあったと認めているようです。
ついでに白状しますが、「細雪」を放置したのはMORだからではなくて、単に本が部厚かったからです。(笑)
「細雪」を踏破できたら次は30年来放置している辻邦生の「フーシェ 革命暦」に挑んでみます。 お読みになりましたか?
>きっかけを下さってありがとうございます。
しかし、長く実行できなかったのは、やはり、なかなか実行できないものですから。
僕の場合、長くて実行できなかった書籍に関しては、自分で背中を押すしかないもので、どうしても捗らないものがありますね。モカさんには興味がないでしょうが、「南総里見八犬伝」など長いですからなかなか読まないです。現代のものでも「青年の環」「人間の条件」など長いものはどうしても手に取りにくいですね。
大学でぱったり再会した中学の同級生女子が、中学の時に「青年の環」の感想文を書いていたので「すげえ」と思ったものです。とにかく頭の良い女の子で、今インドネシア語通訳として活躍中です。国家レベルの会談の場合は彼女が欠かせないそうです。
閑話休題。
とは言え、ここ数年長くかつ難しい哲学書なども読んできましたから、長いものに対する抵抗は小さくなっています。お互い頑張りましょう(何のこっちゃ)!
>「過酸化マンガン水の夢」という作品がある
タイトルだけ知っています。面白いタイトルですよね。芥川龍之介的。
>辻邦生の「フーシェ 革命暦」に挑んでみます。
古典を踏破することに専念してきた僕ですので、現在やっと9合目に到達、1960年代以降という頂点が見えて来たところ。従って、辻邦生はこの作品に限らず、未開拓です。「背教者ユリアヌス」が僕にとってはmust。来年あたりいけるかな。
「八犬伝」はもちろんオリジナル馬琴版ですよね。
私は山田風太郎の「新八犬伝」なら読みました。(昔のNHKの人形劇が面白かったので)
辻邦生なら「背教者ユリアヌス」がMUSTっていうのがいかにもオカピー先生らしい (笑)
でもフーシェも面白かったらしいですよ。
買ってきて積んどきましたら夫が先に2巻とも読んでしまい、面白いからと、続きを所望しておりましたが、結局辻先生は続きを書かずに亡くなってしまいました。
私は短編体質なんですが、夫は長編体質みたいで「大菩薩峠」を読破しよりました。何だかスピンオフバージョンまで読んだらしいです。
「人間の条件」は父が読んだようです。映画を観た話をしたら登場人物の名前をスラスラ言いだして(何とか一等兵とか)、あぁそういう世代の人なんだと納得しました。
辻邦生も「廻廊にて」で漢字カタカナ混じり(さらに人名がひらがな)の表記があって面倒くさかったです。確か映画ならカラーだけど回想場面で白黒になる感じでしたか・・・
「西行花伝」も良かったですよ。 ふふふ・・・
頑張りましょう!
そういえば、私の十代の頃の読書界のMORは大江に三島が2大巨頭で少し上の世代なら高橋一巳、辺りでしょうか。
なので反骨ではありませんが、MORから外れた全く政治色のない谷崎に惹かれたのかもしれません。
なんせ、男友達から「おまえはプチブル的である」と言われるような時代でしたから・・
>「八犬伝」はもちろんオリジナル馬琴版ですよね。
もつろん。
しかし、これは現代語訳で読もうと思っています。江戸時代の文学なら何とか原文でも読めますが、さすがに長いので。
>買ってきて積んどきましたら夫が先に2巻とも読んでしまい、
旦那さんも読書家ですか? いずれにしても共通の趣味があるのは良いです。
>「大菩薩峠」を読破
おおっ。それは凄い。
僕は今年の後半から電子図書で寝る前に少しずつ読もうと思っております。1年以上かかるかもしれませんが(41巻ありますからね。目標は一週間に一巻)。
>「人間の条件」は父が読んだようです。
我が家とは違うなあ。うちは僕以外に本格的な読書家はいないんです。母親の晩年、図書館から大活字版を借りてきたら喜んで次々と読破していましたが。国語が得意で根は好きだったらしい。
>「西行花伝」も良かったですよ。 ふふふ・・・
その笑いは何でしょうか。いや、答えなくて良いです^^
>高橋一巳
和巳だったと思いますが、高校の教科書で読んだだけです。
何と言っても「悲の器」ですね。北原白秋と勘違いしそうな「邪宗門」にも興味がありました。
>男友達から「おまえはプチブル的である」
まるで映画を観るようですが、本当に言っていたんですね⁉ 僕らの頃は全くそんなことはなかったなあ。
>男友達から「おまえはプチブル的である」
本当に言っていたんですね⁉
ホントです。 ごく一部の人達ですけど、ほんとに左翼思想にはまってて政治的でしたね。
>高橋和巳、でした。 巳の変換に気を取られてました。
この方も京大全共闘のシンパでしたね。教科書に載るような作品も書いていたんですね。
>ごく一部の人達ですけど、ほんとに左翼思想にはまってて政治的でしたね。
人権の思想を持つのは良いけど、型にはめてしまうのが良くない気がします。結局右翼と同じ全体主義に陥る。
貴族にも資本階級にも色々な人がいるわけで、階級で決めつけるのはやはり間違っていると思うことが多いですよ。
> >高橋和巳、でした。 巳の変換に気を取られてました。
こういう些末なことは指摘しないでおこうかなと思いましたが、もしかしたら間違えて憶えていらっしゃるかなとも考えまして、言ってみました^^
>この方も京大全共闘のシンパでしたね。
同大学で中国文学(漢籍)を学んだらしいですね。
彼のような人を見てのことか、百田尚樹のように、高校で漢文を習うと中国好きになるから止めるべき、という暴論を言う人もいます。しかし、漢籍を研究すると共産党中国を好きになる、という因果関係は本来ありますまい。
日本の正史や公式書類はずっと漢文で書かれてきたので、漢文に興味を持つチャンスを失うことは日本文化を研究する上で大きなマイナスになるでしょう。断固反対ですね。
>教科書に載るような作品も書いていたんですね。
作品名は憶えていませんけど。最後の作者紹介のところに「悲の器」や「邪宗門」が紹介されていたと思います。
>漢籍を研究すると共産党中国を好きになる、という因果関係は本来ありますまい。
あるわけないです。私は漢文も古文も苦手ですが、通算20年くらい書道をやってましたて、日本のかなより中国の古典の漢字のほうが好きですし、そっちの方が褒められることも多かったですが、中国共産党を好きだと思ったことは一度もないです。
中国人の先生に習っていたこともありましたが、先生によると昔(漢とか宋とか明とか)の有名な書家はみんな政治家か武人で、良い字を書けないと高位にはつけなかったとのことです。今の中国の政治家はみんな字が下手だと言ってました。(もう20年くらい前の話ですが)
中国は毛沢東の時代からでしょうか?字をどんどん簡単にしていきましたね。 学生運動の頃のアジびら、アジ看のあれです。
同級生であの字の上手い女子がいました。ずっと書道をやっていたらしく普通の文字もうまかったです。面白い時代でしたね。
悲惨な事件はいっぱいありましたけど。
右翼も左翼も極端に突き詰めていくと結局同じところに着地するみたいですね。
>中国共産党を好きだと思ったことは一度もないです。
僕は漢籍をかなり勉強している方ですが、中国共産党は大嫌いです。毛沢東も後学の為にいつか読んでやろうと思っていますが、ああいうひどいことをやったというよりやらせた人間ですから、なかなか。
大体、1970年代に孔子批判をやった中国共産党を、「論語」や儒教を学ぶ連中が好きになるわけがありません。
>有名な書家はみんな政治家か武人で、良い字を書けないと
>高位にはつけなかったとのことです。
文学者も同様で、多分明になるくらいまでは、現在のような専門の文学者というのは殆どいなかった時代。二年かけて読んだ「文選」に選ばれた作者たちは皆政治家・官僚・武人です。
>中国は毛沢東の時代からでしょうか?
>字をどんどん簡単にしていきましたね。
簡体字ですね。僕は嫌いなんですが。
日本の字も本来(繁体字)から見ると簡略化されているものも少なくないわけですが、漢字への敬意は感じられるので大分ベターと思います。その点未だに繁体字を使っている台湾はえらい。
>右翼も左翼も極端に突き詰めていくと
>結局同じところに着地するみたいですね。
イエース、高校生くらいからそういう風に思っていました。
思想というのは、一見直線だが実は円なのだ、と。右をずっとつっ走っていくといつか左と同じことになってしまう。
>思想というのは、一見直線だが実は円なのだ、と。右をずっとつっ走っていくといつか左と同じことになってしまう。
わぁ~ 前回、まるで同じことを書きそうになってました。
円→地球に替えて、背中合わせで歩き出したら地球の反対側で出会う、と。
途中で太平洋で溺れたりヒマラヤで遭難したりするからあり得ない例えだし長くなるからやめましたけど、と言いながら今書いてしまいました。
60年代のゴダールって毛沢東主義者? マルキスト?でしたね。 あれは一体何だったんでしょう。
フランス系インテリにはあの人民帽がおしゃれに見えたんでしょうか?
革命前の中国は識字率が低かったから、革命思想を浸透させるには漢字を簡単にして識字率を上げて全国民に毛沢東語録を読ませる必要があったからでしょうか?
ご存じだと思いますが、漢字の字体で一番新しいのが楷書なんですよね。
何となく行書や草書は楷書を崩したものだと思いがちですが、実は篆書→隷書→草書→行書→楷書らしいです。
推測ですけど紙と筆の発明で草書ができたんじゃないかな。
それにしてもお若いのに(?)漢文通とは恐れ入りました。
まさか詩吟なんぞも嗜まれていたりして?
>わぁ~ 前回、まるで同じことを書きそうになってました。
>長くなるからやめましたけど、
ご遠慮なくどうぞ。こういう話は面白い。
>60年代のゴダールって毛沢東主義者?
ジョン・レノンは案外ゴダールが五月革命に邁進するのを見て「レボリューション」を書いたような気さえします。実際には、ゴダールの映画は見ていないでしょうが。
フランスは、フランス革命以降、欧州で一番社会主義的で、アメリカ人のように、社会主義もしくは共産主義に嫌悪感が薄いのでしょう。
>漢字を簡単にして識字率を上げて全国民に
>毛沢東語録を読ませる必要があったからでしょうか?
そんなところでしょうね。
毛沢東以前からその目標をあったようですが、全体主義の力を遺憾なく発揮して完全な実行に移したということでしょう。
>実は篆書→隷書→草書→行書→楷書らしいです。
僕の説は少し違って、楷書と行書は同時期に隷書から分化し、草書は同じく隷書からまた違うルートで分化したと考えています。
いずれにしても、楷書が行書になり、行書が草書になったというのは間違いですね。
>お若いのに(?)漢文通とは恐れ入りました。
文章であれば何でも興味を持つもので。
しかし、社会人になった後も漢籍に当たっていたおかげで、高校時代より漢文の力がつきましたね。今年の共通テストの漢文をやってみましたが、見事に1分くらいで全問正解でした。簡単すぎました。
>まさか詩吟なんぞも嗜まれていたりして?
さすがにそれはないです^^