映画評「リンクル・イン・タイム」

☆☆(4点/10点満点中)
2019年アメリカ映画 監督エヴァ・デユヴァネイ
ネタバレあり

マデリーン・レングルという女性児童文学者の「五次元世界のぼうけん」「惑星カマゾツ」をディズニーが映画化したファンタジーだが、何と本邦劇場未公開。知らずに見てしまった。日本でお蔵入りになったのも頷ける出来栄えでした。

ワープを可能にする五次元の探求にはまってしまった科学者の父親クリス・パインが行方不明になる。それ以来頭は良いのにすっかり不貞腐れ、自己嫌悪と物事に対する不信の塊となった13歳の少女ストーム・リードの前に正体不明のミセス・ホワットイット(リース・ウィザースプーン)が現れる。少女は彼女の仲間たちと接近遭遇、彼らの正体を最初から知っている不思議な弟デリク・マッケイブ君にリードされるような形で、何万光年も彼方の惑星に瞬間移動する。同級生の少年リーヴァイ・ミラーも付いてくる。
 ここで父親のいる場所が(精神的な意味での)光がない惑星カマゾツにいることが判明するのだが、光の化身であるミセスたちのお供はここまでで、ストームちゃんは到着したカマゾツの邪悪に取り込まれた弟と精神的に対決する。

というお話は極めて観念的・抽象的で、子供向けなのに解りにくい。大人が解らないのだから子供はなおさらと思うのは早計かもしれないが、多分解らないと思う。
 一番解りにくいのは、欠点(傷)が光になるということ。傷(の隙間)から光が入るという理屈は、具体的なものであれば解らないことはないにしても、精神の傷ではまるでピンと来ない。しかも、続いて起こる、人間の邪悪さを求める惑星が"愛”を唱えるストームちゃんに降参するという流れは余り欠点(傷)とは関係ないように見える。いきなり愛を唱えても変わらないようにも思われる。まあそれを導き出すリード線みたいなものなのかもしれないが、とにかく抽象的で解りにくい。
 お話の構図としては冒険を通して少女が自己嫌悪と他人や物事への不信を払拭していく成長物語だから、それが理解できれば良いということか。

商業映画として主役の少女にもっと可愛らしさが必要だっただろう。恐らくそういうところ(どういうところ?)も女性が引っ張るこの作品の狙いなのかもしれぬ。僕はそういう遠回しのフェミニズムは好かないし、ディズニーの脚本家の中では評価してきたジェニファー・リーが絡んでいるにしてはパッとしない出来栄えと言わざるを得ない。

惑星カラマツとしか読めない。その昔一部で注目された「未来惑星ザルドス」が久しぶりに観たくなってきた。

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