映画評「マイ・ブックショップ」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2017年イギリス=スペイン=ドイツ合作映画 監督イザベル・コイシェ
ネタバレあり
監督はスペインのイザベル・コイシェであり、純粋な英国映画ではないが、英国を舞台に英国人らしい俳優が出て来ると、英国映画そのものになってしまう。ペネロピ・フィッツジェラルドという女流作家のブッカー賞受賞作の映画化で、ビター・エンドなから実に味わい深い作品・・・と大いに気に入った。棺桶に片足を突っ込んだ爺の僕にふさわしい。
1943年に戦死で夫を失った未亡人エミリー・モーティマーが、1959年本好きが高じて一念発起、使わずにおかれている古い家を買い取って高品位の書店を開店する。お手伝いとして12歳くらいの少女オナー・ニーフシーを彼女の空き時間に雇う。敷地から一向に出て来ないが読書が趣味と言われる古屋敷の老人ビル・ナイの眼力に頼って評判の「ロリータ」が良い本かどうか(道徳家の言う良書の意味ではない)意見を伺ううちに、孤高の二人は意気の通ずるものを覚える。
ところが、古い家を芸術センターにしたがっている実権を持つ初老婦人パトリシア・クラークスンは、所期の目的を達成しようと、混雑を理由に裁判にしようとしたり、手伝いの少女を法律の名で排除させたり、遂には価値のある古い家は行政府が強制収用できるという法律を作らせる。その前にパトリシアを翻意させようと、ナイ老は滅多に離れない屋敷を出て、彼女と談判するがにべもない態度を取られ、激昂した結果帰らぬ人となってしまう。
かくして不自然な法律が実際に適用され、エミリーは土地を離れる。エミリーと店がお気に入りだったオナーは彼女にいつか読めと薦められた本を持ち出すと、家に火を放つ。
ビター・エンドだが、ある意味痛快である。苦い味だが、悪い後味ではない。このお話を無理筋にハッピー・エンドにしたらそれこそ何にも残らないし、寧ろ心ある観客にとっては後味の悪い作品になってしまう。後味を安易に語るなかれ。
権力者の横暴にヒロインは形としては敗れるが、彼女は人との交流を避けて来た老人という信ずるべき人を得、彼もまた亡くなる前に信ずるべき人を得る。それだけの価値が本にはあり、世知辛い世の中にあって僅かにでも希望が持てたことは彼女の人生の糧になったはずである。
それから半世紀近く経ち、初老になった少女は、読書が嫌いだったのに、エミリーと同じように素敵な書店の店主となる。
英国一地方の風景が湛える厳しさに似た酷烈なお話ながら、行間に心温まるものがある。コイシェは元来好きな監督だが、これは彼女の中でも上位に入れたい作品だ。
ディケンズの精神ここにあり。
2017年イギリス=スペイン=ドイツ合作映画 監督イザベル・コイシェ
ネタバレあり
監督はスペインのイザベル・コイシェであり、純粋な英国映画ではないが、英国を舞台に英国人らしい俳優が出て来ると、英国映画そのものになってしまう。ペネロピ・フィッツジェラルドという女流作家のブッカー賞受賞作の映画化で、ビター・エンドなから実に味わい深い作品・・・と大いに気に入った。棺桶に片足を突っ込んだ爺の僕にふさわしい。
1943年に戦死で夫を失った未亡人エミリー・モーティマーが、1959年本好きが高じて一念発起、使わずにおかれている古い家を買い取って高品位の書店を開店する。お手伝いとして12歳くらいの少女オナー・ニーフシーを彼女の空き時間に雇う。敷地から一向に出て来ないが読書が趣味と言われる古屋敷の老人ビル・ナイの眼力に頼って評判の「ロリータ」が良い本かどうか(道徳家の言う良書の意味ではない)意見を伺ううちに、孤高の二人は意気の通ずるものを覚える。
ところが、古い家を芸術センターにしたがっている実権を持つ初老婦人パトリシア・クラークスンは、所期の目的を達成しようと、混雑を理由に裁判にしようとしたり、手伝いの少女を法律の名で排除させたり、遂には価値のある古い家は行政府が強制収用できるという法律を作らせる。その前にパトリシアを翻意させようと、ナイ老は滅多に離れない屋敷を出て、彼女と談判するがにべもない態度を取られ、激昂した結果帰らぬ人となってしまう。
かくして不自然な法律が実際に適用され、エミリーは土地を離れる。エミリーと店がお気に入りだったオナーは彼女にいつか読めと薦められた本を持ち出すと、家に火を放つ。
ビター・エンドだが、ある意味痛快である。苦い味だが、悪い後味ではない。このお話を無理筋にハッピー・エンドにしたらそれこそ何にも残らないし、寧ろ心ある観客にとっては後味の悪い作品になってしまう。後味を安易に語るなかれ。
権力者の横暴にヒロインは形としては敗れるが、彼女は人との交流を避けて来た老人という信ずるべき人を得、彼もまた亡くなる前に信ずるべき人を得る。それだけの価値が本にはあり、世知辛い世の中にあって僅かにでも希望が持てたことは彼女の人生の糧になったはずである。
それから半世紀近く経ち、初老になった少女は、読書が嫌いだったのに、エミリーと同じように素敵な書店の店主となる。
英国一地方の風景が湛える厳しさに似た酷烈なお話ながら、行間に心温まるものがある。コイシェは元来好きな監督だが、これは彼女の中でも上位に入れたい作品だ。
ディケンズの精神ここにあり。
この記事へのコメント
これは本好き
送信されてしまいました。 すいません。
これは本好きには堪りませんね。本を開いて紙の匂いを嗅ぐシーンで「これは本物だわ」と嬉しくなりました。
子供の頃、新しい本の紙の匂いを嗅ぐのが好きでした。
実家から持って帰ってきたその本たちは今や古道具屋の店先のような臭いを放っていますが、それはそれで良いものです。
女性監督だからでしょうか、細部にまで神経が行き届いていて、目にも楽しい映画でした。
ウィリアム・モリスの壁紙、リバティプリントかな?イギリスのあの時代らしいプリント模様のブラウス。
手伝いの少女が着ているカーディガンが「あ、手編みだわ」と思った瞬間に「編んだの?」というセリフが入って、思わずにんまりしてしまいました。この時着ていたちょっと面白いピンクのカーディガンがラストのシーンに繋がっていて、またもやにんまりでした。
衣装さん、良いお仕事されていますね。どっかの映画祭で衣装賞を貰ってませんかね~
ラストの本屋のシーンに原作が並んでましたね。
ナレーターはジュリー・クリスティ?
京都は街の角々に本屋があるといわれていましたが、それも昔話になってしまいました。
うちの近所には結構有名な本屋があって、セレクトも良いしインテリアもこの映画に似ていて素敵なんですが、昨今有名になりすぎて、観光名所みたいになってきて店の前で記念写真を撮ったりする人がゾロゾロいたりするので、ちょっとメンドクサイ感じになってきました。
古本屋さん組合が頑張ってくれていますので、もっぱら古本市通いです。
日本映画の悪口は言いたくないけど、同じ素材を映画にしたら、言葉は悪いですが「臭い」代物になりそうです。
言いたくないと言いながらしっかり言いましたが・・・
>送信されてしまいました。 すいません。
これはウェブリが悪い。コメント投降に関しては改悪と言って良いですね。
一点良くなったのは、コメントの長さが事実上無制限になったと思われること。
>子供の頃、新しい本の紙の匂いを嗅ぐのが好きでした。
本の匂いって良いですね。
これから就職するなら図書館の仕事がいいなあ。本に囲まれているだけで幸せ。
>衣装さん、良いお仕事されていますね。
この辺は僕には解らないことが多いです。少なくともそこまで注意が回らない。
>ラストの本屋のシーンに原作が並んでましたね。
作者名が大きかったですね。すると、映画版は一種のメタフィクションになっているわけだ!
>ナレーターはジュリー・クリスティ?
IMDbで確認しましたら、そうでした^^/
>ちょっとメンドクサイ感じになってきました。
ネットの時代の嫌なところですね。自分が密かに愛していたものが突然人気が出たりすると、面白くなくなるということあり。
>もっぱら古本市通いです。
群馬県にはそういう文化が余りないので、もっぱら図書館通い。図書館にもない外国の文庫本の中古をたまにネットで買います。
>言いたくないと言いながらしっかり言いましたが・・・
あははは。
文芸ものなら、1960年代の水上勉の映画化作品には秀作が多かった。日本映画は、本作のような内容は、今も昔もうまく捌ける監督が殆どいない。
なるほど!
昨日、この映画のHPを覗いてみたら、上野千鶴子のコメントが面白かったです。さすがフェミニスト、目の付け所が違います。
そこまで考えられないというか、本屋の佇まいと衣装さん、美術さんのお仕事をうっとり観ていたぼんやりモカとは違いました。
>ディケンズの精神
精神じゃないですけど、ビル・ナイの屋敷の寂れ様が「大いなる遺産」のグリシャム夫人の屋敷みたいでした。
図書館は、たまにクレーマーがやってきたり、一日中暇つぶしにくる高齢男性が多く加齢臭が堪らない(友人の言葉)とかあるので、古本屋の雇われ店主がよろしいかと・・・あっ、群馬県はあまり古本屋がないんでしたか・・・
こちらは古書組合が年に3回ほど、お寺や神社の境内で近隣他府県からの参加書店も交えて古本祭が開催されるのですが、例年ならまずは5月の連休のはずですがどうなる事やら、です。
大学と神社仏閣が多い土地柄故、学術書や仏教関係の本を専門にしている書店もあるので、この辺りは素通りです。
映画を観るのではなく”読まされる”ような作品でしたね・・。数多の書物がカメラで舐めるようにとらえられ、イザベル・コイシェの尋常ならざる書物愛が垣間見えるようでした。
書店好きで活字中毒者のデリケートな急所を突いてくる、おもわず”泣けて”くるようなエピソードの詰まった良作!
余談ですが、トニー谷が「心配ご無用」と言いながら「シェーッ」のポーズを決めている看板のある京都の萩書房に何度か行きました・・。
京都も、今はオサレなカフェと併設したツタヤ書店もどきの本屋が跋扈し、これなら規模が小さいだけで前橋の書店と変わりないようですよ‥トホホ。
だいたい、なんで本を選ぶのにその場でコーヒー飲まなくちゃならないのかなぁ(笑)
いくら本の持ち込み自由といっても、帰宅後ゆっくり読みながら飲みますって・・。
>もっぱら図書館通い
おっしゃる通り、群馬県は古本を商う店が少なすぎる(子供の頃行っていた店はほとんど潰れた)。たまにデパートの催事場で古本市が開かれることがあるくらい。
東京の神田神保町へ行ったときは足が棒になるほど古本行脚できました。
プロフェッサーもお好きなようですが、この監督はとても繊細でけれん味が無く、人生の機微を上手に表現できるのですが、僕はいつもフェードアウト気味の映画作りに不満を覚えていました。
今回漸く長打を打ってくれたと思います!
僕は、アメリカ人女性アン・バンクロフトとロンドンの古書店主アンソニー・ホプキンスの20年の繋がりを描いた「チャーリング・クロス街84番地」を思い浮かべながら鑑賞しました。
かの作品は、古本を媒介にした手紙だけの交流を横糸に、ディケンズの世界の古き良き書店街を舞台にして、人生の機微を描いた珠玉のラブストーリィでした・・。
本作も、主人公の女性と、洗練されたスマートさの中におかしみがにじみ出る演技が素晴らしいビル・ナイとの最初の交流が手紙だけというのも似ている。
ナボコフや、僕が50年近く愛読しているブラッドベリがリアルタイムで読めた時代のお話で、劇中に出てくる「華氏451度」(トリュフォーの映画版も傑作)が、なんにでも自主規制する昨今の風潮に警鐘を鳴らし、社会を変革するには知性こそが唯一の人間の鶴嘴(ツルハシ)になることを象徴していると感じますね。
ラストも、超一流の読書家のトリュフォーが、自作を抑圧された人間のささやかな抵抗で締めくくったのと同様に、本作も理不尽な同調圧力に美しく抗う姿が炎となって映し出される瞬間で秀逸でした・・。
ただ、こういうビター・エンドで終わる映画は、単館系映画館に来られる女性陣の覚えが目出度くないです(笑)
ご婦人方の中には、ポスターと予告で期待し、映画から元気を貰おうとして観に来る人も多いですからねぇ(笑)
>上野千鶴子のコメントが面白かったです。
ロリータのくだりですか。僕もそこまでは気づかなんだな。
>ビル・ナイの屋敷の寂れ様が「大いなる遺産」のグリシャム夫人
良いですねえ、英国の古い屋敷。
ディケンズの場合、時代故の勧善懲悪の為に最後はまずハッピーエンドですけど、ヒロインVS有力者なんて彼好み。今生きていたら彼はこんなお話を書きますよ。英国の伝統でしょう。
>あっ、群馬県はあまり古本屋がないんでしたか・・・
県庁のある前橋には多少ありますが、お住みの浅野佑都さんの仰るには良い状態ではないようです。
図書館で本の整理をやるだけで良いです。対人は正職員に任せます(笑)
>大学と神社仏閣が多い土地柄故、・・・この辺りは素通りです。
買いはしませんが、仏典も読むデス。鬼のいぬ間に京都へ行きたいですねえ。
>なんで本を選ぶのにその場でコーヒー飲まなくちゃならないのかなぁ(笑)
タクシー代りをしているおじさんに「図書館なら一日居てもいいなあ」と言ったら、「飲み物も飲めるところもある(からね)」と反応したので、「そんなのは関係ない。本の前にいるだけで良いのですよ」と僕。
>東京の神田神保町へ行ったときは足が棒になるほど古本行脚できました。
神保町は学生時代は庭でしたが、古書店覗きはほんの格好だけで(少し後悔しているのは、白水社から出ていたラシーヌとコルネイユの戯曲集を買わなかったこと)、スキー用品だけでなくレコードも大量に売っていたヴィクトリアによく寄りました。僕は買わなかったけれど、友人はビートルズのブートレッグに手を出したいたっけ。
>「チャーリング・クロス街84番地」
うわっ、観ておりません。評判が良いですねえ。これはいつか観ないと。
>劇中に出てくる「華氏451度」
本作に出て来る有力婦人の書物への無理解と書店への扱いを暗示・予言する名著ですね。
>知性こそが唯一の人間の鶴嘴(ツルハシ)になる
ふむ、世界各国の元首・首相の顔ぶれを見ても、本当に知性のありそうな人は少なくなりましたね。
我が国の安倍ちゃんも例外ではなく、国語全般の能力は何とかしてもらいたい。
>単館系映画館に来られる女性陣の覚えが目出度くないです(笑)
そうなんでしょうねえ。だから「幸福の~」という邦題が多くなる。幸せを貰ったり、あるいは涙を誘われる為に映画を見るような志には、映画愛好家としては悲しくなりますがね。
「チャーリング・クロス街84番地」を観ておられません?
こんなに一杯観ていてそこが抜けるとは・・・そんな事もあるんですね。
私は1年に一回は観ていますよ。一生モンの映画です。
ヘレン・ハンフの原作(往復書簡)も良いですけど、映画のほうが好きです。アン・バンクロフトの旦那さん(誰でしたっけ)が誕生日だったか結婚記念日だったかのプレゼントに映画化権を買ったとか。
浅野様
萩書房に来ておられるんですね。という事は恵文社から商店街をぞろぞろ歩いて叡電の踏切を超えて・・・
恵文社がなかったら萩書房だけではこんなところまで来ませんよね。
昔の恵文社は普通の本屋さんで、向かいの市場の上が伝説になってしまった「京一会館」という映画館でした。
>「チャーリング・クロス街84番地」を観ておられません?
はいな。
モカさんも浅野さんもお勧めなので、コロナが終息して金回りが良くなったらDVDを買ってみます。アマゾンに安く新古品がでていましたし。
>アン・バンクロフトの旦那さん(誰でしたっけ)
メル・ブルックスですね。映画化権とは素敵なプレゼントだな。
この作品はミニシアターで見たかったんですが、見逃してしまったので、わざわざDVDを購入しましたし、原作も購入し読みました。
出演した俳優さんや情景描写のカメラワーク、ストーリーなども素敵だったですけれども、原作からの脚色も素晴らしかったです。実に映画的だったと思いました。
私が最も刺激されたのは、「ロリータ」や「華氏451」がテーマとしてのアイテムで上手に使われていたことです。私は影響を受けてどちらも再読してしまいましたよ。
こういった本当の意味での良品、もっと量産して欲しいですね。
では、また。
>実に映画的だったと思いました。
情景と心情の絡め方が巧かったです。僕が好きな言い方をすれば、景色に登場人物の心情をうまく沈潜させていたように思います。
>「ロリータ」や「華氏451」がテーマとしてのアイテムで
「華氏451」は狂言回しに近い本で、ヒロインが屋敷の老人と親交を深めるきっかけであり、町の権力者による書籍の排除(焚書)の意向をダブらせますね。最後に権力者の手に渡る前に家が焼かれてしまうのも、本を燃やすことに通じる皮肉。