映画評「ネバーエンディング・ストーリー」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1984年西ドイツ映画 監督ヴォルフガング・ペーターゼン
ネタバレあり

新米の社会人だった頃観ました。映画館ではなく秋葉原へ行った帰りに子供たちが「本のほうが面白い」と言っているのを聞き、修行が足りんと思った記憶がある(笑)。
 当時、児童文学にはさほど詳しくない僕は、この映画を観るまでミヒャエル・エンデの名を知らなかったが、この後彼の小説を原作にした「モモ」も作られ、旧作や続編も見られ、人気のほどに遅まきながら気づいたものだ。

いじめられっ子の少年バスチアン(バレット・オリヴァー)が、追われて逃げた書店で「終わりのない物語」という本を発見、家に持ち帰って読み始める。本の中では、架空の国が“虚無”と呼ばれる魔物に襲われ壊滅状態に陥り、女王の危篤を救う為に少年勇士アトレーユ(ノア・ハサウェイ)が魔物と闘う冒険に出る。

これが原作を含めた本作の面白いところで、魔物の正体は読者特にバスチアンの絶望感であるから、ここから物語は本と本の中の現実の間を交錯・往来していくことになる。

アトレーユは冒険を続け、竜に乗って遂に女王(タミー・ストロナッハ)のいる宮殿に舞い戻るが、肝要なのは本の外にいるバスチアンが女王に新しい名前を付けることなのだ。

通常の枠物語にはない面白さと言うべきで、観ているうちに「主人公は僕だった」(2006年)を書いた脚本家ザック・ヘルムは本作を参考にしたのではないかと思えて来た。
 これは本来サブ的な面白味なのだろうが、僕はこの手のメタフィクション若しくはそれに準ずる仕掛けには弱く、たまらないものがある。勿論、児童文学として眼目たる冒険模様が、奇妙だが微笑ましい生き物たちとの交流に支えられて、ストレートな面白さに横溢、こちらも文句なし。SFX時代の作品だから、見せ方が過剰でなく素朴なのが良い。アトレーユが木に捕まって暴風に抵抗するショットは、ノア・ハサウェイを木にぶら下げ、カメラを横にして撮ったらしい。

ところで、現在、坪内逍遥の「小説神髄」を読んでいる。その中で「イソップ物語」のようなお伽話から「フェアリ・クイーン(妖精の女王)」のような寓意物語に進展し、これが小説の原型になると同時に一部は小説そのものになったと述べられている。寓意性という意味では、本作など典型的なものであろう。本作の寓意は、人間の絶望との闘いである

幼女にしか見えない女王にもびっくりしたね。

この記事へのコメント

モカ
2020年03月31日 18:19
こんにちは。

これ、懐かしいです。 子供たちが小さいころ何度か観ました。
原作を読むほどの年齢ではなかったので「本のほうが面白い」なんて生意気なことも言いませんでした。
 これがきっかけで、その後娘は「モモ」を読んだりしていました。
「どんな本を読んでるの?」とある国語教師に聞かれて「モモ」と答えたら「は? 桃?」と言われて、家に帰って「ミヒャエル・エンデを知らんのか」と怒ってました、というような話を思い出しました。
オカピー
2020年03月31日 21:19
モカさん、こんにちは。

>「どんな本を読んでるの?」とある国語教師に聞かれて
>「モモ」と答えたら「は? 桃?」と言われて、
>家に帰って「ミヒャエル・エンデを知らんのか」と怒ってました、
>というような話を思い出しました。

あはは。
僕も、本作を観るまでは、その教師と似たようなものでしたね。しかし、国語教師なら知っていたほうが良かったかもしません。

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