映画評「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・大森立嗣
ネタバレあり

君の膵臓をたべたい」のパクリみたいな題名だが、2015年発表の同作に対しこちらは2013年の発表なので、パクリがあるとしたら向うになるようだ。宮川サトシという漫画家のエッセイ漫画の映画化。エッセイだから実話ものということになる。

母親が死んだ2012年春の時点から過去に遡り(作者が語っている現在からするとその死も一年以上前の過去に当たる)、33年前に幼児の時の万引きの際に現れる母親(倍賞美津子)の頼もしさとは対照的に、主人公サトシ(成人後:安田顕)の弱虫ぶりが印象付けられる。23年前の中学3年生の時には急性白血病を患い、兄(村上淳)の骨髄で生き永らえるが、母親の根拠なき自信がサトシの脳裡に焼き付けられる。
 2010年母親は末期ガンに倒れ、サトシや恋人(松下奈緒)らの親身な看病を受けて、二年後に亡くなるのである。

映画としては母親の死後の叙述が間延びしていて落ちるが、そこに至ってもこの母親の偉大さが解るようなエピソードが残されていて、作者と同じようにマザコン気味の末っ子で似た体験(母親の晩年に絡んでのこと)をしてきた僕は、それ自体には大いに共感するものを覚える。
 ただ、亡母は心肥大に因る心房細動でできた血栓が脳に止まって呆気なく亡くなったので、彼のような見送りが出来なかった。そういう意味では癌死は辛いと同時に残された者には幸運でもある。
 本作でこの母親が震災のニュースを聞く場面があるが、僕の母親は震災の一か月後亡くなった。その直前に本作の母親のように写真の整理もしていた。草むしりも。僕ら兄弟が状況を知らされて呆然としたのも夜の病院で、この映画と似ている。

主題について。恋人後の細君の“愛しているからこそ、長生きを願うのではなく、その肉体の辛さから早く解放させてあげるという気持ちを持つことも大事”(主旨)という発言が、この作品が真に告げたかったことではないかと思う。母親に恵まれ、妻にも恵まれた、実に女運の良い男性でござる。

基調がコミカルなので、監督が大森立嗣であることに意外という印象を持ったが、フィルモグラフィーを眺めるとそうでもないらしい。僕には「さよなら渓谷」や「」の印象が強すぎるらしい。

昨日の「チコちゃん」によれば、40歳を過ぎて涙もろくなるのは人として当たり前らしい。20歳を過ぎると加齢と共に脳のブレーキが利かなくなってくるのだそうだ。

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