映画評「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
☆☆★(5点/10点満点中)
2019年アメリカ=日本=カナダ=メキシコ合作映画 監督マイケル・ドハティ
ネタバレあり
「GODZILLA ゴジラ」の続編である。「ゴジラ」はもういいよ、というのが僕の偽らざる心境なので、少なくとも観る前の心境としてワクワクもドキドキもしない。マーヴェル・コミックスの映画版も大体同じだが、あちらは脚本の出来が良いものが多く、大概観ているうちに手に汗を握っている。
怪獣との共生を図ろうとしているモナークという組織の女性科学者ヴェラ・ファーミガと娘ミリー・ボビー・ブラウンが、元軍人チャールズ・ダンスに率いられる環境テロリスト・グループに拉致される。彼女の元夫カイル・チャンドラーが開発した怪獣との周波数同調装置を狙ったもので、誰でも使える機器ではないので母娘の生命に危機はないと知りつつ、モナークの渡辺謙(役名:芹沢猪四郎)博士は、チャンドラーと協力してグループの動向を探ると共に母娘の奪還を目指す。
が、何故かヴェラが怪獣を解放し、しかもその結果他の怪獣までも次々と活性化してしまい、世界中は大混乱に陥る。渡辺=芹沢博士らは三つの頭を持つ怪獣ギドラに引き寄せられていることに気付き、しかも宇宙怪獣である為に地球生物の常識が当てはまらず苦戦する。
こうなっては怪獣の王ゴジラが頼りとなるが、軍隊が勝手に最終兵器オキシジェン・デストロイヤーを使って抹殺してしまう。しかし、ここで死んではゴジラがすたる、ゴジラが深海で休眠している証拠を得た一行はゴジラ覚醒を企てる、云々。
怪獣映画ファンに概して評判が良い。モスラ、キングギドラ、ラドンが出て来るし、怪獣映画へのオマージュぶりがきちんとしているからである。
しかし、怪獣ファンでもない僕には余り意味を成さない。全ては映画として面白いかどうか、にかかっている。登場人物の行動がかなり出たとこ勝負的で首を傾げるところがないでもないが、お話自体はある程度格好になっていると思う。
反面、画面は前作程ではないにしても暗いところが多く、ゴジラとキングギドラとの闘い、モスラとラドンとの闘いの模様など、細かくカットを割っているわけでもなく、全体を捉えやすいロングショットで見せているのにも拘らず、よく解らないところが目立つ。怪獣映画ファンはこれでよく満足するな、と思う程。
黒人もしくは女性の指揮官(本作の場合は両方を兼ねている)、物語の動向を左右する子供の存在なども最近のスペクタクル映画の定石。どうもバカの一つ憶えみたいで白ける。
一つ憶えで思うこと。僕らが中学生の時、“おぼえる”は記憶については“憶”を、感覚の意味では“覚”を使うこと・・・と教えられたはずだが、最近TVテロップや映画字幕は記憶に関しても“覚”ばかり使う。この漢字に記憶の意味もあるのは知っているが、“覚”を記憶の意味で使う熟語を僕は知らないので、昨今のこの流行は賦に落ちない。調べたら、常用漢字として憶は音読みだけに留め、訓読みを教えないのだそうだ。それなら僕は一体どこで冒頭の決まりを教わったのか。別の疑問が生じた。
2019年アメリカ=日本=カナダ=メキシコ合作映画 監督マイケル・ドハティ
ネタバレあり
「GODZILLA ゴジラ」の続編である。「ゴジラ」はもういいよ、というのが僕の偽らざる心境なので、少なくとも観る前の心境としてワクワクもドキドキもしない。マーヴェル・コミックスの映画版も大体同じだが、あちらは脚本の出来が良いものが多く、大概観ているうちに手に汗を握っている。
怪獣との共生を図ろうとしているモナークという組織の女性科学者ヴェラ・ファーミガと娘ミリー・ボビー・ブラウンが、元軍人チャールズ・ダンスに率いられる環境テロリスト・グループに拉致される。彼女の元夫カイル・チャンドラーが開発した怪獣との周波数同調装置を狙ったもので、誰でも使える機器ではないので母娘の生命に危機はないと知りつつ、モナークの渡辺謙(役名:芹沢猪四郎)博士は、チャンドラーと協力してグループの動向を探ると共に母娘の奪還を目指す。
が、何故かヴェラが怪獣を解放し、しかもその結果他の怪獣までも次々と活性化してしまい、世界中は大混乱に陥る。渡辺=芹沢博士らは三つの頭を持つ怪獣ギドラに引き寄せられていることに気付き、しかも宇宙怪獣である為に地球生物の常識が当てはまらず苦戦する。
こうなっては怪獣の王ゴジラが頼りとなるが、軍隊が勝手に最終兵器オキシジェン・デストロイヤーを使って抹殺してしまう。しかし、ここで死んではゴジラがすたる、ゴジラが深海で休眠している証拠を得た一行はゴジラ覚醒を企てる、云々。
怪獣映画ファンに概して評判が良い。モスラ、キングギドラ、ラドンが出て来るし、怪獣映画へのオマージュぶりがきちんとしているからである。
しかし、怪獣ファンでもない僕には余り意味を成さない。全ては映画として面白いかどうか、にかかっている。登場人物の行動がかなり出たとこ勝負的で首を傾げるところがないでもないが、お話自体はある程度格好になっていると思う。
反面、画面は前作程ではないにしても暗いところが多く、ゴジラとキングギドラとの闘い、モスラとラドンとの闘いの模様など、細かくカットを割っているわけでもなく、全体を捉えやすいロングショットで見せているのにも拘らず、よく解らないところが目立つ。怪獣映画ファンはこれでよく満足するな、と思う程。
黒人もしくは女性の指揮官(本作の場合は両方を兼ねている)、物語の動向を左右する子供の存在なども最近のスペクタクル映画の定石。どうもバカの一つ憶えみたいで白ける。
一つ憶えで思うこと。僕らが中学生の時、“おぼえる”は記憶については“憶”を、感覚の意味では“覚”を使うこと・・・と教えられたはずだが、最近TVテロップや映画字幕は記憶に関しても“覚”ばかり使う。この漢字に記憶の意味もあるのは知っているが、“覚”を記憶の意味で使う熟語を僕は知らないので、昨今のこの流行は賦に落ちない。調べたら、常用漢字として憶は音読みだけに留め、訓読みを教えないのだそうだ。それなら僕は一体どこで冒頭の決まりを教わったのか。別の疑問が生じた。
この記事へのコメント
「憶える」は、私、習った記憶はないですし、あんまり使わないです。
>「GODZILLA ゴジラ」は大好きなのですが、
>こっちは、まるでだめおくん、でした!
前作は、お話は面白かったものの、画面が暗いのが難点で良い☆★を挙げる気になれず、今回はお話もよからず、まるでだめおくん、でしたね。
“まるでだめおくん”なる言葉が出て来るあたり、ボーさんは僕とほぼ同世代ですなあ!
>「憶える」は、私、習った記憶はないですし、あんまり使わないです。
僕は、半世紀に渡ってこの漢字を使ってきました。ふーむ、幼稚園の時から国語辞典を開くのが趣味だった僕が特殊であったのか⁉ これには気づかなかったなあ。しかし、記憶の意味で「覚」を使っているのを見ると違和感ありまくり。
最近では、TV局やSNSで“終息”と“収束”とが区別なしに使われているように思います。TV局は半々くらいですが、SNSは圧倒的に収束が多い。しかし、コロナの場合は完全に終わることを意味する終息でないと困ります。
モスラがゴジラをかばって戦う場面では、テレビのエヴァンゲリオンのレイの台詞「あなたは死なないわ 私が守るもの」を思い出しましたね。
>前作にくらべると、全体にゴシックテイストというか、
>神話的壮大さに傾いた内容になっていましたね。
なるほど。ゴシックテイストという言い方もできますか。
前作は直球な風刺めいたものがあり、まあアメリカ的な娯楽作という感じでしたね。
>作り手の怪獣愛を感じました。
怪獣映画ファンではありませんが、それは感じました。
>モスラがゴジラをかばって戦う場面では、テレビのエヴァンゲリオンの
>レイの台詞「あなたは死なないわ 私が守るもの」を思い出しました
エヴァンゲリオンを知らない(劇場版を批判をしたブログが炎上して結果的に閉鎖されたのを知ってから、完全に観るのを止めました。観れば文句を言わないわけには行きませんから)のですが、その台詞とあの場面を重ねて思い出しますと、涙が出そうになる涙もろい僕です。