映画評「大地のうた」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1955年インド映画 監督サタジット・レイ
ネタバレあり
現在の若者はインド映画と言えば、マサラ・ムービーしか思い浮かべられないだろうけれど、僕らにとってインド映画と言えばサタジット・レイのセミ・ドキュメンタリーである。イタリアのネオ・レアリスモのインド版みたいなものだ。歌も踊りも出て来ず、ひたすら人々の生活を観照的に描出する。
本作は1955年に作られたが、日本で公開されたのは1966年。その頃小学生だった僕は、後年「大河のうた」「大樹のうた」と併せて一気に映画館で観た。その後衛星放送で観ていると思うので、今回が多分3回目。
西ベンガルの寒村。僧侶の家に生まれた父親(カヌ・バナルジー)は教養があって楽天的であるが故に無能ぶりを発揮、先祖代々の土地を奪った地主に頭が上がらない。気苦労は母親(コルナ・バナルジー)が一人で背負っていて、特に思春期に入って来た娘ドゥルガ(幼少期ルンキ・バナルジー、思春期ウマ・ダス・グプタ)に当たることが多い。居候の老婆(チュニバラ・デヴィ)にも強くあたって時々追い出しては迎えることの繰り返し。7、8歳くらいの息子オプー(スビル・バナルジー)はわんぱく盛りだが、姉ほどには叱られない。
姉弟が葦原を通り抜けて汽車を見に行く場面が、実に素敵だ。
父親は修行の為に聖地ヴァラナシに向かうが、その間に老婆が亡くなり、サイクロンの大雨に打たれ肺炎を起こしたドゥルガが死んでしまう。葬式の手伝いなどして小銭を稼ぎほくほくして帰って来た父親は、しかし、娘の死に泣き崩れ、良いことのなかったこの土地を離れることを決意する。
しっかりしたお話はある部類だが、それでも貧民一家の生活を捉えるスタイルは生活詩というほうが相応しく、ビートルズにも影響を与えたラヴィ・シャンカールの緩急自在の音楽が登場人物の感情を効果的に浮かび上がらせる。母親がドゥルガの死を見て悲しむ時の音楽の激しさ。闘病中のドゥルガがオプーに言う“また汽車を見に行こう”という言葉の余韻と相まって、僕も涙を禁じ得なかった。現在はともかく、あの時代のベンガルの寒村では多かれ少なかれこの一家のような状態だったのであろう。
子供達の場面には陽気な或いは微笑ましいものも少なくなく、重苦しいだけの作品にしていないのが殊勲で、そのシンプルながら力強い画面と相まって、大いに胸を打たれるのである。
暑いけれど寒村。
1955年インド映画 監督サタジット・レイ
ネタバレあり
現在の若者はインド映画と言えば、マサラ・ムービーしか思い浮かべられないだろうけれど、僕らにとってインド映画と言えばサタジット・レイのセミ・ドキュメンタリーである。イタリアのネオ・レアリスモのインド版みたいなものだ。歌も踊りも出て来ず、ひたすら人々の生活を観照的に描出する。
本作は1955年に作られたが、日本で公開されたのは1966年。その頃小学生だった僕は、後年「大河のうた」「大樹のうた」と併せて一気に映画館で観た。その後衛星放送で観ていると思うので、今回が多分3回目。
西ベンガルの寒村。僧侶の家に生まれた父親(カヌ・バナルジー)は教養があって楽天的であるが故に無能ぶりを発揮、先祖代々の土地を奪った地主に頭が上がらない。気苦労は母親(コルナ・バナルジー)が一人で背負っていて、特に思春期に入って来た娘ドゥルガ(幼少期ルンキ・バナルジー、思春期ウマ・ダス・グプタ)に当たることが多い。居候の老婆(チュニバラ・デヴィ)にも強くあたって時々追い出しては迎えることの繰り返し。7、8歳くらいの息子オプー(スビル・バナルジー)はわんぱく盛りだが、姉ほどには叱られない。
姉弟が葦原を通り抜けて汽車を見に行く場面が、実に素敵だ。
父親は修行の為に聖地ヴァラナシに向かうが、その間に老婆が亡くなり、サイクロンの大雨に打たれ肺炎を起こしたドゥルガが死んでしまう。葬式の手伝いなどして小銭を稼ぎほくほくして帰って来た父親は、しかし、娘の死に泣き崩れ、良いことのなかったこの土地を離れることを決意する。
しっかりしたお話はある部類だが、それでも貧民一家の生活を捉えるスタイルは生活詩というほうが相応しく、ビートルズにも影響を与えたラヴィ・シャンカールの緩急自在の音楽が登場人物の感情を効果的に浮かび上がらせる。母親がドゥルガの死を見て悲しむ時の音楽の激しさ。闘病中のドゥルガがオプーに言う“また汽車を見に行こう”という言葉の余韻と相まって、僕も涙を禁じ得なかった。現在はともかく、あの時代のベンガルの寒村では多かれ少なかれこの一家のような状態だったのであろう。
子供達の場面には陽気な或いは微笑ましいものも少なくなく、重苦しいだけの作品にしていないのが殊勲で、そのシンプルながら力強い画面と相まって、大いに胸を打たれるのである。
暑いけれど寒村。
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