映画評「岬の兄妹」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・片山慎三
ネタバレあり

悲惨なお話なのにパワーと可笑し味を感じさせる辺り韓国映画のようと思っていたら、本作が初メガフォンとなる片山慎三は、ポン・ジュノの助監督をしたこともあるそうだ。なるほど。

ある岬の町。造船所に勤める足の悪い良夫(松浦祐也)は、重度の自閉症の妹・真理子(和田光沙)を抱えて、悪戦苦闘している。今日も、彼女は勝手に家を出て、彼が探し回った挙句、見知らぬ人に連れて来てもらう。何故か一万円を持っている。彼女に激怒する兄は、しかし、不況で造船所を首になった後、これをヒントに彼女を使って売春斡旋をし始める。
 難儀はするものの商売になって、窓を覆っていた段ボールをはぎ取る。

この突然明るくなる場面はいわば生活できるだけのお金が入って身を隠す必要もなくなった現実の表現であると共に、多少の光(幸福感)を味わう彼の心の象徴になっているわけだが、彼女が妊娠したので別の心配が始まる。買春した相手の中から小人症の青年と結婚させようとしてもそう上手く事が運ぶわけはなく、紆余曲折の末に堕胎をするが、彼女がその悲しみを感じることはない。

やがて再び彼女が勝手に家を出て、兄が探し回る。余りのそっくりぶりに序盤の繰り返しなのかと思いきや、全く別の場面で、要は二人の人生が同じようなことを繰り返しながら続いていく、ということを示唆しているのであろう。

テーマは、障碍者が陥りがちな貧困を徹底的に扱ったもので、生活保護、それ以前に障碍年金のようなものを利用できるのに、と思わせるが、それ自体が監督の狙いにちがいない。
 というのも、概して制度を知らないことの多い貧困の当事者に、周囲の知恵のある人々、特に知人(北山雅康)は警官であるのだから、そうした情報を授けることもできるのではないか。警官は福祉とは直接関係がないにしても貧困が生む犯罪者を少なからず知っているはずだから無縁でもないと思われるのに、彼はちょっとだけ個人的な親切をする程度で日本国が提供する福祉制度を教えようともしない。女医(風祭ゆき)にしても似たようなものだ。そうした周囲の無関心という問題を訴えているように思う次第である。

良夫が客の家に入れない描写が多いのは、社会のバリアの寓意になっていて、これに関してカメラも色々工夫されている。

不良高校生が集まっているプールでの描写は韓国映画的にパワフルであるが、悪趣味で僕は買わない。もう少し違う見せ方もあっただろうと思う。

病気と障碍は、甘く描けば実際はこんなものではないと言われ、リアルに描けば当事者はどう思うかと批判される、なかなか難しい素材であるが、日本映画が避けることの多い障碍(特に知的障碍)を正面から扱ったところを買いたい。

「男はつらいよ」シリーズ後期の店員役で知る人ぞ知る北山雅康を一つの作品でこれほど長く見たのは初めて。

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