映画評「ザ・ファブル」

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・江口カン
ネタバレあり

南勝久という漫画家のコミックを実写映画化したアクション映画。

ファブルとは何かと思っていたら、劇中に“都市伝説”という言葉が出て来たところで、英語のフェーブル(寓話)のこととピンと来た。フランス語のファブルのことなのだろう。

殺し屋の人生がテーマだから、No.1を決める為に殺し屋が互いに殺し合う鈴木清純監督「殺しの烙印」(1967年)の亜流みたいなところがあり、殺し屋で思い出すジャン=ピエール・メルヴィル監督「サムライ」(1967年)の主人公アラン・ドロンのように主人公が鳥を飼う(羽目になる)設定まで出て来る。

余りの凄腕の為に“ザ・ファブル”と呼称される殺し屋・岡田准一が、父親代わりのボス佐藤浩市に却ってその凄腕ぶりを心配され、一年間殺しはせず、ごく普通の暮らしをしろと命じられ、妹分の木村文乃を文字通り妹ということにして、大坂の暴力団系列の会社に送られる。
 普通の生活をするのにわざわざ暴力団系企業の許に送る必要があるのかという疑問はさておいて、普通の生活を送る為に生れて初めて仕事に就く。何故か事務所の幹部・安田顕が肩入れしている苦労人の美人・山本美月の勤める広告会社?が勤務先で、ヘタウマなイラストが好評で給料も上がる。
 ところが、安田の元子分で出所したばかりの柳楽優弥が、昔の悪い癖を出して彼女をAV業界に売ろうとし、そこへ安田派を倒そうと図る幹部・向井理の子分たちが現れて二人を誘拐、それを知った安田が岡田に奪還を依頼する。

面白いのはこの部分で、殺しをすれば佐藤に殺すと言われている岡田は殺すことなく奪還を敢行する難しい立場に追い込まれる。僕はこのジレンマを全編に敷衍して一貫してシリアスに作った方が映画として面白くなったのではないかという気がする。
 実際のところは、サバイバル的な訓練をずっとしてきた孤児の岡田が一般市民の常識を全く知らないのを見どころとするコメディー仕立てで、やや韓国映画的なノリである。笑わせ方は韓国映画と大分違うが。

常識がないという設定なのに、車は平気で運転する。銃器類を始め機械には強いということか。この辺は余り徹底されていない感じ。

アクションは正統派ではないがなかなか良く、スタントマンを使ってはいるのだろうが、岡田准一も頑張っている。序盤の長い殺しのシーンは英国の「キングスマン」を少し想起させ、日本製としては迫力がある部類。

ファブルで思い出したが、「昆虫記」で有名なファーブルは進化論を信じなかった。

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