映画評「(ハル)」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1996年日本映画 監督・森田芳光
ネタバレあり
森田芳光監督は、「家族ゲーム」「それから」と秀作を続けて発表したが、個人的に、「そろばんずく」から不調に陥り余り期待できなくなっていたところ、この「(ハル)」で10年ぶりに復活した、という印象を覚えさせた。
日本にパソコンが定着し始めた頃のお話で、パソコン通信とメール交換をフィーチャーし台詞ではなく文字が画面に大量に躍った点が物凄く新鮮であった一方、そこに現れる若い男女の感情が古風にしてロマンティック、少なからぬ人々、なかんずく古臭い人間の僕の琴線を打ったのであった。
映画を囲むパソコン通信のグループの中で、“ほし”というハンドルネームの人物が“ハル”という人物に共感を覚え、チャットではなくメール交換を致しましょうということになる。
男性を騙るほしは実は藤間美津江(深津絵里)という名の女性で、一年前に恋人を事故で失った傷心で職業を転々とし、自分探しをしている最中。彼女の告白に応えて速水昇(内野聖陽)という本名を告げるハルは、怪我の為にアメフト選手を止めた鬱屈した気持ちをかこちつつ、結婚を考えるほどの女性(山崎直子)を恋人に持っているが、彼女が父親の海外赴任と共に海外へ転居することになった為に、パソコン通信で積極的にアプローチしてくる“ローズ”(戸田菜穂)とデートを重ねるようになる。
通信やメールでは厭らしいことを囁く“ローズ”は実は彼に兄のような存在を求めていただけで、結局小レストランの若いマスターと結婚してしまう。
ハルが東北への出張の折に新幹線の窓越しに互いをビデオを撮り合うことを実現し、慕情を高めていくのだが、美津江は積極的に昇と会っていたローズが自分の妹であることを知り、ゆっくりとしたメール交換に空しさを覚え、暫し中座する。彼が同じことをすると、それまでやって来たことの価値に気付き、遂には東京で落ち合うことになる。
パソコン通信に始まり、メールや小型ビデオカメラ、村上春樹等、当時流行り始めていたアイテムを駆使して紡がれる、日本人ならではと言って良いのであろう控えめな恋愛感情の表現とその推移に我が事のように気持ちが揺さぶられる。
森田監督は、本作で例証するに、メールの文章でお話の殆どを進めるという先鋭的なところがある反面、意外にも古風な感情や感覚を重んじる人だったのではないか、と思う。大昔の文字通りの古典をかなり読んでいる僕には、この映画の感覚は貴族が付け文に添えて歌を詠み合った平安時代の感覚に近いような気さえする。ぐっと積極的に恋愛感情を相手に押し付ける通い婚前の付け文とは違うところがある一方、直接会って話をしないまだっるこさに共通するものがあると思うのである。
いずれにしても、最新のツールが却って大昔の日本風な印象をもたらし実にゆっくりと醸成する日本的ロマンティシズムが爆発する幕切れに、僕はもはや陶然とするしかない。
気分は、遠距離通い婚といったところじゃね。
1996年日本映画 監督・森田芳光
ネタバレあり
森田芳光監督は、「家族ゲーム」「それから」と秀作を続けて発表したが、個人的に、「そろばんずく」から不調に陥り余り期待できなくなっていたところ、この「(ハル)」で10年ぶりに復活した、という印象を覚えさせた。
日本にパソコンが定着し始めた頃のお話で、パソコン通信とメール交換をフィーチャーし台詞ではなく文字が画面に大量に躍った点が物凄く新鮮であった一方、そこに現れる若い男女の感情が古風にしてロマンティック、少なからぬ人々、なかんずく古臭い人間の僕の琴線を打ったのであった。
映画を囲むパソコン通信のグループの中で、“ほし”というハンドルネームの人物が“ハル”という人物に共感を覚え、チャットではなくメール交換を致しましょうということになる。
男性を騙るほしは実は藤間美津江(深津絵里)という名の女性で、一年前に恋人を事故で失った傷心で職業を転々とし、自分探しをしている最中。彼女の告白に応えて速水昇(内野聖陽)という本名を告げるハルは、怪我の為にアメフト選手を止めた鬱屈した気持ちをかこちつつ、結婚を考えるほどの女性(山崎直子)を恋人に持っているが、彼女が父親の海外赴任と共に海外へ転居することになった為に、パソコン通信で積極的にアプローチしてくる“ローズ”(戸田菜穂)とデートを重ねるようになる。
通信やメールでは厭らしいことを囁く“ローズ”は実は彼に兄のような存在を求めていただけで、結局小レストランの若いマスターと結婚してしまう。
ハルが東北への出張の折に新幹線の窓越しに互いをビデオを撮り合うことを実現し、慕情を高めていくのだが、美津江は積極的に昇と会っていたローズが自分の妹であることを知り、ゆっくりとしたメール交換に空しさを覚え、暫し中座する。彼が同じことをすると、それまでやって来たことの価値に気付き、遂には東京で落ち合うことになる。
パソコン通信に始まり、メールや小型ビデオカメラ、村上春樹等、当時流行り始めていたアイテムを駆使して紡がれる、日本人ならではと言って良いのであろう控えめな恋愛感情の表現とその推移に我が事のように気持ちが揺さぶられる。
森田監督は、本作で例証するに、メールの文章でお話の殆どを進めるという先鋭的なところがある反面、意外にも古風な感情や感覚を重んじる人だったのではないか、と思う。大昔の文字通りの古典をかなり読んでいる僕には、この映画の感覚は貴族が付け文に添えて歌を詠み合った平安時代の感覚に近いような気さえする。ぐっと積極的に恋愛感情を相手に押し付ける通い婚前の付け文とは違うところがある一方、直接会って話をしないまだっるこさに共通するものがあると思うのである。
いずれにしても、最新のツールが却って大昔の日本風な印象をもたらし実にゆっくりと醸成する日本的ロマンティシズムが爆発する幕切れに、僕はもはや陶然とするしかない。
気分は、遠距離通い婚といったところじゃね。
この記事へのコメント
該当マイ拙記事、思わず懐かしくて持参しました。
14年前もプロフェッサーとの「質疑応答」(笑)も
また楽しからずや、な〜〜んてね。
あれ?私ってばDVD買ったんだっけ。(すっかり忘却)
プロフェッサーの記事拝読して
むらむらと観たくなりました。
森田監督の「間」の妙味、
本作は特にそれに惹かれました。
>14年前もプロフェッサーとの「質疑応答」(笑)も
>また楽しからずや、な〜〜んてね。
読み返してみましたが、ごく初期につき、僕のコメントは実に硬いですねえ。
>森田監督の「間」の妙味、
>本作は特にそれに惹かれました。
多分、森田芳光の作品の中では、本作が一番好きです。
本作では、地方都市に住む23歳の等身大の女性と、都会のサラリーマンとのメールのやり取りでほぼ全体を構成しています。
後年の「ユーガットメール」が、サイバースペース上のメールのやりとりは、結局は現実に直接遭うこと(オフライン)よりも劣ったものとして扱っていたのに対し、この作品は、「今までの二人のメールのやりとりがあるからこそ(つまり、真実であるからこそ)、ハルと会うのを怖れない」という考えにヒロインを到達させた・・
その一点だけ取り上げても、この作品以降の他のメールを題材にした映画とは一線を画しているでしょう・・。
互いのメールのやり取りの時に、叙情的な音楽を流す演出も良い。
二人が心を許しあってる事が伝わってきます。
(ローズからの嘘メールにハルが返答する時には、音楽が途切れて、彼女との関係はほしとのそれとは違う、と感覚的に理解させられる。実に上手い)
個人的に印象深かったのは、特急電車に乗ったハルと地上でカメラを構えて待つ赤いワンピに白い車の「ほし」が交差するシーン。
黒澤明の「天国と地獄」を想起しました・・。
>深津絵里
僕が知る一番綺麗な彼女が、本作における彼女です。
>「ユーガットメール」が、サイバースペース上のメールのやりとりは、
>結局は現実に直接遭うこと(オフライン)よりも劣ったものとして扱って
そういうのは、アメリカ人の合理主義というべきですね。全くつまらない連中だ(笑)。
>その一点だけ取り上げても、この作品以降の他の
>メールを題材にした映画とは一線を画しているでしょう・・。
同意いたします^^
>ローズからの嘘メールにハルが返答する時には、音楽が途切れて、
おおっ、確かにそういう演出がとられていた気がします。僕はそこには注意が行かなかったです^^;
>赤いワンピに白い車の「ほし」が交差するシーン。
>黒澤明の「天国と地獄」を想起しました・・。
見せ方を比べないとしかとは解りませんが、参考とは言わないまでも、意識していたかもしれませんね。