映画評「A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年アメリカ映画 監督デーヴィッド・ロウリー
ネタバレあり

デーヴィッド・ロウリーという監督は、「セインツ -約束の果て-」(2013年)でも初期のテレンス・マリックを思わせたが、この作品は最近のマリックを彷彿とする。しかとは解らないが、マリックのフォロワーではないか。この作品は、哲学的な映画を作っている頃のキム・ギドクがマリックに憑依したような内容である。

ケイシー・アフレックとルーニー・マーラの若い夫婦が郊外の感じの良い家に住んでいるが、変な物音がするなど不気味な様子を呈する。ルーニーは家を出て行きたがるが、夫君アフレックは家に愛着を覚えているらしく、仲の良い中に不協和音が生じる。しかし、彼が交通事故で急死、ルーニーはそれ以来悄然とする。
 彼は霊となって霊安室からシーツを被って妻を追いかけ、じっと様子を伺っている。妻が男性を連れて来ると面白くなさそうだ。
 彼女はやがて家を出て行き、家には別の家族が住み始める。霊体の彼は全く不愉快なので皿を割るなどして怖がらせ、追い出してしまう。
 さらに時間が経ち、家が壊されると、霊体は時空を飛び越えて、過去から再び現在へと近づき、家に住み始めた自分達の様子を見る。

そう、音を立てていたのは未来から過去を経てやって来た夫君自身だった、という円環の物語。この辺りが非常にキム・ギドクっぽい。
 主題はぐっと哲学的で解りにくいが、人をこの世に留まらせる愛情・愛着なるものについて言及する一方、人類どころか地球も太陽はいずれ終わりを遂げるという宇宙的なスケールでの諦念的なムードが画面に沈潜する。ジョージ・ハリスンが「オール・シングズ・マスト・パス」で歌った内容そのものと言うべきであろう。あの作品は仏教的な達観が主旨で、一種希望に溢れるものだが。

終盤はかなり面白く見せるものの、長回しの部分で退屈を催させるところが幾つかある。特に、アフレックの霊体が見守る中ルーニーがパイを吐くまで食べるショットを4分くらい続けるショット。台詞が全くなく、固定カメラだから絵の変化もない為、俗物の僕はひどく退屈させられた。
 実験的と言っても良い内容で、映画全体としては画面に色々と工夫が認められるが、映画芸術指向があるとは言え大衆派の僕が、もろ手を挙げて褒めるというわけには行きますまい。

"All Things Must Pass"と言えば、そのビートルズ・バージョンが"Get Back/Let It Be"セッションで聴ける。現在YouTubeにアップされている。パソコンでずっと聴くのは弥なので、随時CD化している。現在までアップされている5日間で19枚必要な計算。

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