古典ときどき現代文学:読書録2020年下半期
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
一年の初めを読書録とするのもお馴染みになりましたが、上半期・下半期スタイルに分けてからは初めての下半期の記録となります。相変わらずオカピーの爺は変なものばかり読んでいるなあと呆れられるでしょうが、例によってリストの前に少し前口上をば。
このところ年の後半に、皆さんがのけぞる歌舞伎台本が多いのには理由があります。少し説明いたします。
自分の住んでいるところにある蔵書の貧弱な図書館を山の図書館、日本のものなら大概読める提携図書館を町の図書館と称しています。もう山の図書館には行かず、町の図書館を主としていますが、そこでも読めないものを読む場合は県立図書館(貸出期間3週間と長い)に参ります。で、歌舞伎台本が読める県立は県央にあり、長野県に程近いところにある山に住んでいる僕にとっては遠いので、返す時に借りるということを繰り返す。その結果、時期が集中するわけです。
しかし、喜んでください(笑)。今回を以って県立でしか読めない歌舞伎台本は読み終えましたので、集中するのは今回が最後でございます。まだ読んでいない歌舞伎脚本、あるいは浄瑠璃もあるので、たまには出て来るでしょうが。
百科事典索引を基に作った読破予定リストにある小説類は日本も海外のものも殆ど読めたので、今後はリスト外即ち比較的新しいものが増えて来る予定。皆さんにお薦め作品があれば、かなりのところお応えできるかもしれません。
哲学書もサルトル「存在と無」を読んだことで、最重要なものはほぼ読破。残るのは気が向いたら読む程度となりましょうか。
一方、日本の大古典(江戸時代以前のもの)や中国古典文学や漢籍はまだ結構残っているので、こちらは例年より多少増えるでしょう。中国の白話小説をもじっている為実に長い「南総里見八犬伝」(これは現代語訳で良いか)も読みたい。今年はインドのやたらに長いもの(「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」等)も一つくらいはこなしたいですねえ。
長いと言えば、中里介山の時代小説「大菩薩峠」を7月から kindle で少しずつ読み始め、現在全41巻(但し未完)中24巻まで読破。半年で24巻ですから、単純計算で2021年上半期で読了できる可能性が高いですが、後半は前半より長い巻が多いような気もしますので油断大敵。巻別の感想については、以下にてどうぞ。
それでは、ご笑覧ください。
作者不明(日本)
「大和物語」
★★10世紀半ば成立の歌物語。人物や事件の共通性から次々と連想的にお話が展開していくので、些か散漫。有名な「伊勢物語」に大分及ばず。
「平中物語」
★★★歌物語。同一人物の面白可笑しい行状が続くので、同じ頃成立した「大和物語」より楽しめる。
「宇治拾遺物語」
★★★★全1000話以上に及ぶ「今昔物語」などから採録した作品が多い鎌倉初期に書かれた説話集。全197話。今に伝わる「こぶとり爺さん」「雀の恩返し」「わらしべ長者」の原点があり、或いは芥川龍之介「鼻」「芋粥」(「今昔物語」より採録)の原案がある。「地獄変」の着想源となったにちがいない火事の説話もある。続けて読むと飽きるが、ゆっくりと読むと相当面白いはず。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
「即興詩人」(再)
★★★★子供の時に読んで大感激した、アンデルセンの自伝的小説とも言われるデビュー作。今回はアンデルセンの直訳ではなく、ドイツ語版を訳した森鴎外の文語訳の現代語訳である。子供の時に読んだものに比べ2倍以上は優にある長さに少々びっくり。19世紀の自伝小説の例に洩れず、ロマン主義の教養小説的だが、イタリアを舞台に波乱万丈の物語で、主人公の女性への恋慕が色々と出て来るので、万人向きと思われます。小学生高学年から中学生時代の僕は、若者の恋模様を描いた小説を愛好していて、「若きウェルテルの悩み」「春の嵐」「みずうみ」がお気に入りだった。いずれも2回以上読んでいるが、本作もやっと再読できた。
野村 胡堂
「銭形平次捕物控 第二話:振袖源太」
★★★警護を頼まれた平次の目の前から子供が消え、平次が大恥をかくというしっかりミステリーしているお話。事件は解決するが、犯人を捕まえない平次の評価は芳しくない(笑)
「銭形平次捕物控 第三話:大盗懺悔」
★★★危険を冒して盗難をしてはすぐに返すという珍妙な泥棒がある逸品は帰そうとしない。平次は罪を憎んで人を憎まずの精神だから、今回も犯人は捕まえない。
洪 昇
「長生殿」
★★★★白居易「長恨歌」でお馴染みの玄宗と楊貴妃の愛情交換をしんみりと描いた、清朝初期の全50幕の戯曲(南戯)。50幕と言ってもそれほど時間をかけずに読める。中国古典は、長くて飽きる白話小説(大体百話構成)より戯曲が良い。
サマセット・モーム
「ひとめぐり」
★★★戯曲。結婚したばかりの青年の家のパーティーで、父親と、その父親を捨てて彼の友人と駆け落ちした母親が鉢合わせする。その気まずい雰囲気の中で、若い妻は母親に共感し、実は彼の友人と駆け落ちしようと思い始める。これを称して "ひとめぐり” というわけで、シリアスな物語でありながら一種の喜劇として楽しめる。TVで何度か映像化されているが、映画化はない模様。映画に向いている話と思うが。
ソーントン・ワイルダー
「わが町」
★★★★高校時代に英語の教科書で一部読み、よきアメリカの生活を活写した戯曲という記憶が埋め込まれたが、実際にはかなり前衛的な、暗い死生観に立脚した作品であると読んで解り、驚いた。
新井 白石
「読史余論」
★★武士が政治に絡んでから織豊時代までの日本政治史を俯瞰する。上半期に読んだ「西洋紀聞」ほど面白くないが、天皇の実権が南朝の終焉と共に終わったと理解させるところは興味深い。
長与 義雄
「青銅の基督ー名南蛮鋳物師の死ー」(再)
★★キリスト教徒ではないのに、踏絵をうまく作り過ぎて処刑されてしまう鋳物師の不条理。そこに宗教の怖さがある。と言いつつ、高校時代以来の再読に当たる今回も余りピンと来なかった。
ジャン=ジャック・ルソー
「新エロイーズ」
★★★書簡体という英仏小説の初期形式を忠実に守った、ロマンス風哲学小説。スイスの妙齢貴族令嬢ジュリとその若き家庭教師サン・プルー(仮名)の恋に始まり、やがて父の勧めにより彼女が結婚した無神論者の中年ロシア紳士の改心に終わる。お話のトレースはさほど難しくないが、終盤のルソーの目的は案外解りにくい。
深田 久弥
「日本百名山」
★★★山・登山に興味はないが、この本には興味があった。古来山は、自然を恐れるという意味で、信仰の対象となる。百のうち大半がそうした縁起があった。そうした縁起の紹介の外、他の文学者の作品の引用も多く、読み物として一流。わが群馬絡みで十山もあるが、個人的に毎日見ない日はない赤城の長い裾野を褒める深田に共感する。
アガサ・クリスティー
「そして誰もいなくなった」
★★★★見立て殺人の嚆矢はヴァン・ダイン「僧正殺人事件」だが、本作の場合その見立てを全て先に出してしまうところが巧い。戯曲版とも言うべき「ねずみとり」は読んだが、実はこれは初めて。時間がかかりましたな。
「春にして君を離れ」
★★★★クリスティーの一般小説。一人の中年英国女性が、娘のいるイラクから帰国する途上に足止めを食らい、自分の確信していた価値観が粉砕される。そこで目覚めた夫への罪悪感がいざ家に帰ると元の木阿弥? 心理の流れに近いモノローグの多用と幕切れを総合的に考えると、短編作家としてのモーパッサンの魂がヴァージニア・ウルフに憑依するとこんな小説を書くような気がする。また、この時代に流行った異国に精神的影響を受ける女性たちの物語(E・M・フォースター「インドへの道」等)に加えて良いかもしれない。
「鏡は横にひび割れて」
★★★初めて読むミス・マープルもので、インターナショナルなポワロものに比べて実にローカル。映画版「クリスタル殺人事件」を再鑑賞するに当たって読んでみるが、映画を先に観ているせいか映画女優役のエリザベス・テイラーに当て書きしたような錯覚さえ覚える。
「終りなき夜に生れつく」
★★★英国ゴシック・ホラーの伝統を感じるミステリアスな作品だが、ミステリーとしては通して一人称で綴らなかったほうが良かったのではないか。文芸作品としては青年に影響を及ぼす欲望に切なくなる。
邯鄲淳(撰)
「笑林」
★★中国後漢時代の全29話の笑い話集。古いですな。大半が愚か者のお話。
馮 夢竜(撰)
「笑府」
★★★中国明代の全708話に及ぶ大作笑い話集。選者の名前はふう・むりゅうと読む。下ネタが多いが、医者を揶揄った職業ネタが一番可笑しい。落語「饅頭こわい」はこの集の第631話をそのまま落語化したもの。
真船 豊
「鼬」
★★大正時代あたりの福島県が舞台で、欲にかたまった女性たちの激しい葛藤。100年前の福島県の言葉だから、現在の我々の感覚とは違うにしても、言葉遣いが荒い。
ジュール・ロマン
「プシケ第一部:リュシエンヌ」
★★恋愛小説と解釈されるらしいが、ヒロインの心理が全編を覆う。一々こんなことを考える人間は小説の中にしか存在しないと思いますが。僕が一番重要と思った部分が、解説者にとっても重要だったらしく、我が意を得たり。
「プシケ第二部:肉体の神」
★★ヒロインの心理が細かく綴られる理由がこの第二部を読むと解る。この第二部はピエールという男性の手記なのだが、それによると第一部は彼の妻となったリュシエンヌが婚約時代に書き留めた手記であったのである。原注がメタフィクション的。
「プシケ第三部:船が・・・」
★★★第三部だけどこれだけ図書館になかったので、中古本を購入。解説等を参考にして書くと、第一部が感情的恋愛、第二部が肉体的恋愛、第三部が精神(神秘)的恋愛ということで、第三部の本作では何と、船の事務長として航行中のピエールがリュシエンヌの生霊を見るのである。ああ魂消た(笑)。
正岡 子規
「竹の里歌」
★★★★「万葉集」を意識した歌の多い歌集。近代では稀な旋頭歌や長歌まである。歌人が嫌がることが多い同じ言葉の繰り返しも面白く、実に鑑賞しがいがある。
トルーマン・カポーティ
「冷血」
★★★アメリカ中部で起きた一家殺人事件に取材し、映画にもなったノンフィクション小説。カポーティが二人組の犯人の一人(インディアンの血を引く方)に少なからず同情的であることが伺われる。
モルナール・フェレンツ
「リリオム」
★★★戦前何度か映画化され、戦後ではミュージカル「回転木馬」になった有名戯曲。死んだ人間が冥界から地上に戻るという発想は、戦中から戦後に暫くの天使映画流行に影響を与えたと思われる。この手の作品を大量に観た後読むと弱いが、文学史上の価値は高い。
山中 峯太郎
「敵中横断三百里」
★★軍国少年を生むために書かれたような実話もの(?)。今読むと寧ろ苦笑が洩れる。
「亜細亜の曙」
★★想像と違って、かなり冒険SF寄りの内容。少年ものを書く時の江戸川乱歩と重なるところがあるが、科学的にはこちらのほうが正確かもしれない。しかし、余りに国家主義的なところが愉快ならず。
サアディ―
「薔薇園(グリスターン)」
★★★★ロマンティックな韻文かと思いきや、散文の中に韻文を交えたような箴言集のような趣。権力者に関する箴言が面白い。イスラム教を尊重しつつも、現代の原理主義とは全く正反対の考え方がある。例えば、古代から近世まで世界中で当たり前であった稚児のような存在もよく出て来る。
李 恢成
「砧をうつ女」
★★★第66回(1972年前期)芥川賞受賞作その一。登場人物が朝鮮・韓国人(厳密には当時は日本人)で、主な舞台が朝鮮半島(終戦直前で日本統治下とは言え)という作品の受賞は珍しいだろう。この小説の感覚は、在日家族を描いた日本映画「焼肉ドラゴン」に近い。主人公の若くして亡くなった母親への慕情即ち半島への郷愁に切なくなる。
新城 卓
「オキナワの少年」
★★第66回芥川賞受賞作その二。こちらも当時まだアメリカ統治下だった沖縄の少年が、あいまい宿のようなことをしている両親から解放されようともがくお話。直後に沖縄が返還されるものの、今の沖縄の文学を読むのとはまた違う意味合いがあったはずである。基地を抜きに語れない沖縄の問題は未だに変わっていないところもあると痛感させられる。
ジャン=ポール・サルトル
「存在と無」
★★実存主義というは、究極的には神を否定することと見つけたり(江戸時代の書「葉隠」のパロディー)。難しいのは即自と対自という概念だが、乱暴に言えば即自は物、対自は人ということ。人も自己を無くして初めて対自となる。この辺が実に難しい。
小林 多喜二
「一九二八年三月十五日」
★収監された社会主義者たちの様子を描く。当時の状況下では当然拷問の場面が伏字だらけになっている。これが却って想像を逞しくさせるが、かと言ってこの状態で感想なりをいうのも何です。
フリオ・コルタサル
「悪魔の涎・追い求める男」
★★★日本独自の短編集。犯罪小説を読んでいる男がいつの間にか本の中の登場人物となって円環する「続いている公園」、夢(ジャングルで追われて処刑される運命のアステカ人のお話)と現実が実は逆であったという「夜、あおむけにされて」(手塚治虫の短編集「クレーター」に採録された生贄前の少女がひと時現在の日本に転生する「いけにえ」はこの作品の影響を受けていまいか?)、写真を撮った男が拡大した写真の人物が動き出すのに対し自分は部屋の中に固定されてしまうと思い込む「悪魔の涎」(映画「欲望」の元ネタ)、現在フランスの火事とローマ帝国の火事がリンクする「すべての火は火」は、時に時空を飛び越えて現実と非現実をメビウスの輪のように繋げて綴る幻想譚群。ギミックが使われるこれらは実存主義文学的であると同時に、通俗的にも楽しめると思う。そこへ行くと、チャーリー・パーカーをモデルにしたというミュージシャンを主人公にした中編「追い求める男」はサルトルの哲学書「存在と無」を想起させる、文字通りの実存主義文学。高速道路で身動き取れなくなった乗客たちが一時的にコミュニティーを作る「南部高速道路」や観客が演技者に起用される「ジョン・ハウエルへの指示」はカフカ的な不条理性を感じる。兎を口から生み出す男の一人称小説「パリにいる若い女性に宛てた手紙」や“音”に住居が占拠される兄妹を描く「占拠された屋敷」は性的な意味を沈潜させているらしい。「正午の島」は全くピンと来ず。全て生存への不安という意識が基調にある内容。ギミック性が濃厚な上記4篇が万人向きかな。
段 成式
「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」
★中国唐時代の、一種の博物誌兼怪異伝という変わり種。まだ印刷ではなく筆写時代の作品ゆえに文字の脱漏や混入などが多々あるようで、訳者も時々首を傾げる。完全に読解できる状態であれば、もう少し面白いはずだが。
奈河 七五三助
「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」
★★★所謂「法界坊」である。この題名なら分る人もいらっしゃるだろう。極悪坊主なのにどこか憎めない存在とされるが、台本を読む限りはそうは思えず。エノケンの映画版の方がいかにもコミカルで楽しい。
福森 久助
「其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)」
★★振袖火事の原因を作り火あぶりになった “八百屋お七” は色々作品化され、歌舞伎も多い。世話物なのに時代劇要素を持ち込んで無理やり鎌倉時代辺りのお話にしているが、鎌倉時代に町や文化としての江戸はなかったのでこの題名は相当苦しい。想像に反して、コミカル度が強い。
桜田 治助(三世)
「三世相錦繍文章(さんぜそうにしきぶんしょう)」
★★★歌舞伎の夢落ちは初めてで、新鮮。江戸時代医者は多く極悪人扱いされるのだが、夢のなかとは言えあっさり殺されるのが珍しい。
「百人町浮名読売(ひゃくにんちょううきなのよみうり)」
★★侍鈴木主水(ずすきもんど)の心中事件をベースにしているらしいが、こちらでは心中には至らない。一応世話物に入るものの、時代物同様に家宝絡みの悲劇で、母親が主人公の代りに死ぬ。
河竹 黙阿弥
「都鳥廓白波(みやこどりながれのしらなみ)」
★★★家宝を失って落ちぶれた一族とその家臣が数奇の運命に翻弄され、盲目となった家臣の一人がお家再興の為にお金を奪おうと主人の跡継ぎを却って殺してしまう悲劇。一応世話物に分類されるが、結構として時代物に通ずる。
「網模様燈籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)」
★★巾着切りの男が父親が殺した若者の父親が営む庵室で因果の恐ろしさに気づき、仏門に入る。というのが江戸時代末期での筋書きだったが、明治に入り意識改革に則って刑罰に服する幕切れに改められた。両方のバージョンを読む。
「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」
★★「切られお富」として有名。「都鳥廓白波」のヴァリエーション。余り似たようなものを続けて読んでも・・・という感じ。歌謡曲「お富さん」と同一人物だが、あのお富さんは本作が基にした瀬川如皐の「与話情浮名横櫛」から。本作には源冶店(げんやだな)は出て来ない。
「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくはり)」
★★「慶安太平記」もの。浄瑠璃「碁太平記白石噺」のほうが面白い。
「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」
★★★★お馴染み「番町皿屋敷」のヴァリエーション。勧善懲悪的だが、義憤にかられやすい僕はこの手のお話が結構好み。映画でここまでやったら鼻白んでしまうだろう。
「高時」
★★★新歌舞伎十八番の舞踊劇。舞踊劇は必然的にお話の面白さ以上に、歌詞を読む楽しみが多い。
「船弁慶」
★★新歌舞伎十八番の舞踊劇。能を翻案した義経もの。能を翻案したものは「勧進帳」以外は読んでもピンと来ない。
「紅葉狩」
★★能を翻案した新歌舞伎十八番の舞踊劇。舞踊劇のほうが大作の狂言より衣装などの時代考証が正確。
「茨木」
★★新古典劇。順番は逆だが、後に書かれる「戻橋」の後日談で、悪鬼が切り取られた腕を取り戻しに叔母に化けて主人公の許にやって来る。順番を逆に読んだ方が面白いかもしれない。
「戻橋」
★★★新古典劇の一つである歌舞伎舞踊劇。武士が美女に化けた悪鬼の腕を切るお話。
ロベルト・ムージル
「特性のない男(第一巻)第一部:一種の序文」
★★★読むうちに主人公ウルリヒの代名詞“特性のない男”とは実利を求めない男の意味と解る。長大で未完の大作の中で主人公プラスαをごく簡単に紹介する。
「特性のない男(第一巻)第二部:千遍一律の世」
★★ドイツのヴィルヘルム2世の治世30周年と同じ年に起こるフランツ・ヨーゼフ1世戴冠70周年に合わせてウルリヒの従妹が平行運動なるオーストリア大愛国運動を起こす。ウルリヒはアドバイザー的な地位に就くが、彼はこうした平均的なことを実は嫌っている。作者の狙い通り空疎な会話が多いが、まだ面白味はある。
「特性のない男(第二巻)第三部:千年王国へ」
★法学者の父親が死んで5歳年下の妹と再会したウルリヒは結局妹と隠遁する。結局未完成で色々な書きかけの文章を含め、二人の抽象的な会話が多く飽きる。哲学書であればまだ懸命に食らいつくが、僕の悪い癖で小説における哲学的問答ではどうもそこまで本気になれない。ただ、この二人の会話に、ドイツ・ロマン主義の教養小説の香りを嗅ぎ取れたのが一応の収穫。
瀬川 如皐(じょこう)(三世)
「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」
★★★★黙阿弥の「処女翫浮名横櫛」、昭和の流行歌「お富さん」の元ネタ歌舞伎。歌舞伎でトップクラスの有名作。ベースは世話物で、時代物の要素を取り入れている。鎌倉時代を舞台にしているが、例によって時代考証はデタラメ。これもまた主家の重器が絡んで、最後に時代物らしくなる。河竹黙阿弥以外では断トツの面白さ。
アイザック・ディネーセン
「アフリカの日々」
★★★★映画「愛と哀しみの果て」の原作。小説ではなくエッセイのようなものだから、映画の脚本家はなかなか上手くストーリー化したと思う。映画は夫婦関係のもつれなど原作にない部分を作者の史実から加えている。こちらは有吉佐和子の紀行文「女二人のニューギニア」にも似た原住民との関係が中心で、白人との死生観の違いなどが実に面白く綴られる。
河竹 新七(三世)
「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのよいざめ)」
★★花魁八ッ橋に愛想を尽かされた朴訥な絹商人・佐野次郎左衛門が、呪われた由縁のある籠釣瓶と呼ばれる刀を振り回して、花魁を始め次々と斬り殺す。昨年観た時代劇「妖刀物語 花の吉原百人斬り」の原作で、実話もの。
「江戸育御祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」
★★★上の作品と共通するところが多い。こちらは、江戸の祭世話人佐七が芸者の小糸他を切り殺すのだが、小糸は彼女に入れあげる男たちや養母に徹底的に利用され、それを佐七が誤解するわけで、小糸にとって悲劇性が高い。現代人から見ると図式的すぎる悲劇だが、歌舞伎として割り切って読むと、面白い。
作者不明(海外)
「ラサリーリャ・デ・トルメスの生涯」
★★★下層階級の男が悪計にたけた盲人や吝嗇な僧侶などに仕えて酷い目に遭いながら、それを出し抜くことで成功を掴んでいく。ピカレスク小説(悪漢小説)を生み出したことで現在まで残る古典。
アゴタ・クリストフ
「悪童日記」
★★★★★映画も魅力的なのだが、この原作は壮絶にして抜群に面白い。虚無的とさえ言いたくなるくらい簡潔な文章で、(戦争に絡むものだけでなく)死や悲惨を綴って強烈。双子の日記の形で、作者の文章に対する取り組み方を表明しているところも実に興味深い。
有吉 佐和子
「非色」
★★★★黒人と結婚して渡米した日本の戦争花嫁が、夫の居住地ハーレムでの物凄い差別に圧倒される。差別は、肌の色ではなく、階級にあると彼女は気づく。勿論その階級が肌の色から作られてきたのは間違いないのだろうが、昭和20年代にはもはやそういう時は過ぎていた。雇い主の日本人夫婦の放つ階級差別的発言にヒロインはハーレムで生きていくことを決心する。昭和30年代にしてこの着想はその先見の明に感動させられる。有吉佐和子の話術は巧みではあるものの、解り易すぎるのが僕には難点。作者が主人公にニグロを連発させているのを差別と酷評する人がいるが、当然差別ではない。書かれた時代の背景と目的を考えないといけない。
市川 團十郎(七代)撰
「鳴神」
★★★歌舞伎十八番。狂言だが、雨を降らす龍神と美女の闘いが主題だから、舞踊劇っぽい。
「毛抜」
★★★★公家の娘のお輿入れが先延ばしされる理由を探りに来た家臣が謎解きをするミステリー仕立ての歌舞伎十八番。科学(磁石)が絡む変わり種。
「暫」
★ある人物が悪漢たちに「暫く」と言って止める以外に決まったお話はないらしい。歌舞伎十八番の中でもタイトルは有名だが、僕が読んだ台本は「暫く」ではなく「待て」になっていたので興醒め。全体の面白味も解らなかった。
「矢の根」
★★歌舞伎十八番。曾我兄弟ものの狂言。曾我兄弟についてはまだよく解らない。すみません。
「景清」
★★★同上。近松門左衛門「出世景清」以来色々と触れているので、景清ものはピンと来る。
「助六由縁江戸桜」
★★★歌舞伎十八番として有名なこれも実は曽我兄弟もの。しかし、鎌倉時代にはなかった江戸の吉原が出て来るのだから、例によって歴史考証はデタラメ。それによる違和感を別にすれば、時代物をベースにした世話物の感覚が楽しめる。尤も鎌倉時代の話と思って誰も観ないだろう。
「勧進帳」
★★★★歌舞伎十八番の中でも恐らく一番人気がある。元ネタは能の「安宅」だが、黒澤明監督「虎の尾を踏む男たち」を見ていれば説明の必要もない。歌舞伎で人気のある義経もので、弁慶の知恵が泣かせる。
「鎌髭」
★★歌舞伎十八番は短いので、戯曲として読むより見て楽しむものが多そうだ。本作などその典型だろう。宿の人間の振りをして首をかき切ろうとした敵将は不死身であったというお話。
福地 桜痴
「素襖落(すおうおとし)」
★★★★新歌舞伎十八番の一つで、同名の狂言を翻案したもの。褒美の衣服(素襖)を巡って主客が立場を入れ替わるところが可笑しい。
「鏡獅子」
★★新歌舞伎十八番の長唄舞踊劇。小津安二郎が撮った舞踊を観たことがある。その印象と違って、結構物語がありました。
岡村 柿紅
「身代座禅」
★★★歌舞伎の新古典劇の一つ。細君が夫君の身代わりの身代わりとなって、その女遊びを見破る。狂言を利用した作品らしい可笑しさがいっぱい。
ノーマン・メイラー
「裸者と死者」
★★★作者が太平洋戦争での経験を基にしたある小隊に所属する将校・兵卒の様子を綴る群像劇。戦場の緻密なドキュメントの間に、それらの人々の若い頃がフラッシュバックが挿入され、部の終りに短いコントが加わる、という形式も面白い。
武者小路 実篤
「人間万歳」
★★★★神様が自分の作った人間が潔く滅んでいった様を称えて天使と一緒に「人間万歳」と叫ぶ、星新一のSSみたいに皮肉な内容にして、人間賛歌を謳い上げる実篤らしい戯曲。
「愛欲」(再)
★★★戯曲。兄との関係を疑って妻を殺してしまった傀儡の画家を、それでも兄は死体をこっそり始末することで救う。これもヒューマニズムなのであろう。
オマル・ハイヤーム
「ルバイヤート」
★★11世紀の詩人による詩集。ルバイヤートは本来“四行詩・集”という意味であって、この作者の作品名ではない。訳者が韻律に気を配って翻訳しているが、完全に自然というわけには行かず。イスラムの戒律にどこか反駁するところがあるようで、酒を愛するところは李白のよう。
ダニエル・デフォー
「ロビンソン・クルーソー」(再)
★★★★新訳版。訳者の意見に反し、僕は小学生の時に児童版を読んだ際にも、フライデーに出会う前の主人公のサバイバルに断然惹かれた。今回完全版を読んでも、その具体的なところが大変興味深い。
中里 介山
「大菩薩峠 第一巻:甲源一刀流の巻」
★★★明治の言文一致化の際に実は”である”調、"だ”調、"です”調とで争われたのだが、地の文としては“である”調で落ち着き、“です”調は児童文学に使われるようになった。本作は大人向けでは珍しい“です”調なので柔らかい印象。ニヒルな剣士・机竜之助登場。時代小説だが、この巻の終盤になって新懲組(新選組)が絡んできて歴史小説の様相も示す。
「大菩薩峠 第二巻:鈴鹿山の巻」
★★★竜之助は妻のお浜を殺し、京都に逃げる。彼を敵と狙うお浜の前夫の弟・兵馬が新選組に加わって京都に追う。
「大菩薩峠 第三巻:壬生と島原の巻」
★★島原から推して知られるように遊郭も少し絡む。その遊郭に売られたのが、第一巻で竜之助に祖父を殺されたお松。いずれ竜之助に絡んで来るのだろうが、まだまだ時間がかかりそうだ。
「大菩薩峠 第四巻:三輪の神杉の巻」
★★★竜之助は、お浜に似た心中未遂の美女お豊と一緒に江戸に行くことにするが、お豊を追い回すストーカー金蔵への言葉を勘違いしてぷっつん。
「大菩薩峠 第五巻:龍神の巻」
★★★★お豊が金蔵に迫られて彼の故郷である紀州で無理やり宿をまかなう。その宿に兵馬が泊り、近くの森にある社では目を傷めた竜之助が養生している。波乱万丈で面白いが、甚だ作り物めいてもいる。
「大菩薩峠 第六巻:間(あい)の山の巻」
★★★★お豊が頼る芸妓お玉が新規に登場。お豊が自死してしまう代わりに、暫くお玉が重要な人物として活躍することになる。風俗的になかなか面白い。
「大菩薩峠 第七巻:東海道の巻」
★★★以前お松と関係したお絹が竜之介と絡み、お松の養父のような七兵衛が同じく盗人稼業の“がんりき”と知り合う。一巻ごとに重要な人物が出てきますなあ。
「大菩薩峠 第八巻:白根山の巻」
★★上州絡みの白根ではなく、山梨県の北岳のこと。偶然かかわった女性の家で静養中の竜之助が小悪党に絡んでチャンバラ。その前に“がんりき”の片腕を切り落とす。容赦ない竜之助!
「大菩薩峠 第九巻:女子と小人の巻」
★★★★お玉変じてお君とその幼馴染の小人・米友が軽業一座に身を投じる。波乱万丈で面白い巻。その代わり、竜之助の影が薄い。
「大菩薩峠 第十巻:市中騒動の巻」
★★★話として出て来るだけで竜之助が一度も出て来ない。兵馬も冤罪で捕縛される。幕末らしい不穏な空気が描かれ、酔いどれ医者も絡んで少々ユーモラス。
「大菩薩峠 第十一巻:駒井能登守の巻」
★★★お君が滞在する甲斐にやって来る新しい御支配・駒井能登守が新たに登場。
「大菩薩峠 第十二巻:伯耆の安綱の巻」
★★★お君が地方の素封家と縁が出来ると共に、実家に残した駒井の病弱な妻が彼女に似ていると判明。この後どうなるか。辻斬りの謎も加わり、兵馬を求めるお松も絡んで、色気(匠気とまではいかない)が多い展開ぶり。
「大菩薩峠 第十三巻:如法闇夜の巻」
★★★重要な関係者が甲斐に集結する。お君はついに駒井の側室状態になり、お松はライバル関係にある悪党武士・神尾主膳の家に落ち着く。この界隈で起きている辻斬りはどうも神尾宅にいる竜之助の所業らしい。
「大菩薩峠 第十四巻:お銀様の巻」
★★お君が流鏑馬の催し物に出たことから話が急展開する。その前段。タイトルに反しお銀様は余り出て来ないが、不思議なことに竜之助とくっつく。
「大菩薩峠 第十五巻:慢心和尚の巻」
★★★★神尾主膳によりお君が下層階級出身という噂を広められた駒井は江戸に戻り、お家取り潰しの憂き目に。インドのカースト制度も顔負けでござるね。姿を消したお君は慢心和尚が匿い、縁のある兵馬が江戸へ送り届ける。お松も神尾の家を出て男装して江戸へ向かう。命がけですぞ。
「大菩薩峠 第十六巻:道庵と鯔八の巻」
★★お話が江戸中心となる。道庵は人情味のある風変わりな医者だがこの巻では羽目を外し過ぎて余り感心できない。病気や薬を通じてお松、お君、米友とも関係する人物。造船所に潜伏した駒井は洋行して新しい砲兵技術を学ぼうと考える。
「大菩薩峠 第十七巻:黒業白業の巻」
★★★甲州で竜之助が久しぶりに本格的に登場。酒癖の悪い神尾と縁ができる妙。敵討ちに閉塞した兵馬も遊郭にはまり、波乱万丈。
「大菩薩峠 第十八巻:安房の国の巻」
★★★後に研究中の駒井がいると判る安房に住む盲目の小坊主が新登場。お君と米友と縁のあった女興行師お角が船で遭難する。過渡的な巻。
「大菩薩峠 第十九巻:小名路の巻」
★★★この巻は多数の人々が入れ交じる。兵馬が牢屋で知り合った南条に頼まれ山崎を暗殺しようとして他人を殺す辺りがハイライトか。冒頭で米友が、幕切れで竜之助が夢を見る。夢が通奏低音になっているかもしれない。
「大菩薩峠 第二十巻:禹門三級の巻」
★★★お喋り小坊主弁信と動物と会話ができる少年茂太郎の二人組が重要な人物として本格登場。
「大菩薩峠 第二十一巻:無明の巻」
★★★駒井の子供を産んだお君が死ぬ。悲しいねえ。しかし、僕は、介山が、西洋風の船を作ろうとする駒井、あるいは色々な人物と関わる子供のように小柄な槍遣いの名人・米友を出す為にお君を登場させたと理解する。
「大菩薩峠 第二十二巻:白骨の巻」
★★★竜之助がお雪という少女らと白骨温泉へ向かう前段のお話。駒井とお君の死にがっくりする米友が逢うという挿話もある。お雪は暫く需要人物となる。
「大菩薩峠 第二十三巻:他生の巻」
★★★★白骨温泉が主な舞台。またまた色々な人物が新登場する。弁信と茂太郎に関する描写が楽しい。
「大菩薩峠 第二十四巻:流転の巻」
★★★お銀と兵馬がそれとは知らずに呉越同舟的に竜之助を追って白骨を目指す。中国の白話小説「平妖伝」を読み始め、介山はどうも白話小説の感覚を時代小説に取り込んで書いたのではないかという気がしてきた。
一年の初めを読書録とするのもお馴染みになりましたが、上半期・下半期スタイルに分けてからは初めての下半期の記録となります。相変わらずオカピーの爺は変なものばかり読んでいるなあと呆れられるでしょうが、例によってリストの前に少し前口上をば。
このところ年の後半に、皆さんがのけぞる歌舞伎台本が多いのには理由があります。少し説明いたします。
自分の住んでいるところにある蔵書の貧弱な図書館を山の図書館、日本のものなら大概読める提携図書館を町の図書館と称しています。もう山の図書館には行かず、町の図書館を主としていますが、そこでも読めないものを読む場合は県立図書館(貸出期間3週間と長い)に参ります。で、歌舞伎台本が読める県立は県央にあり、長野県に程近いところにある山に住んでいる僕にとっては遠いので、返す時に借りるということを繰り返す。その結果、時期が集中するわけです。
しかし、喜んでください(笑)。今回を以って県立でしか読めない歌舞伎台本は読み終えましたので、集中するのは今回が最後でございます。まだ読んでいない歌舞伎脚本、あるいは浄瑠璃もあるので、たまには出て来るでしょうが。
百科事典索引を基に作った読破予定リストにある小説類は日本も海外のものも殆ど読めたので、今後はリスト外即ち比較的新しいものが増えて来る予定。皆さんにお薦め作品があれば、かなりのところお応えできるかもしれません。
哲学書もサルトル「存在と無」を読んだことで、最重要なものはほぼ読破。残るのは気が向いたら読む程度となりましょうか。
一方、日本の大古典(江戸時代以前のもの)や中国古典文学や漢籍はまだ結構残っているので、こちらは例年より多少増えるでしょう。中国の白話小説をもじっている為実に長い「南総里見八犬伝」(これは現代語訳で良いか)も読みたい。今年はインドのやたらに長いもの(「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」等)も一つくらいはこなしたいですねえ。
長いと言えば、中里介山の時代小説「大菩薩峠」を7月から kindle で少しずつ読み始め、現在全41巻(但し未完)中24巻まで読破。半年で24巻ですから、単純計算で2021年上半期で読了できる可能性が高いですが、後半は前半より長い巻が多いような気もしますので油断大敵。巻別の感想については、以下にてどうぞ。
それでは、ご笑覧ください。
***** 記 *****
作者不明(日本)
「大和物語」
★★10世紀半ば成立の歌物語。人物や事件の共通性から次々と連想的にお話が展開していくので、些か散漫。有名な「伊勢物語」に大分及ばず。
「平中物語」
★★★歌物語。同一人物の面白可笑しい行状が続くので、同じ頃成立した「大和物語」より楽しめる。
「宇治拾遺物語」
★★★★全1000話以上に及ぶ「今昔物語」などから採録した作品が多い鎌倉初期に書かれた説話集。全197話。今に伝わる「こぶとり爺さん」「雀の恩返し」「わらしべ長者」の原点があり、或いは芥川龍之介「鼻」「芋粥」(「今昔物語」より採録)の原案がある。「地獄変」の着想源となったにちがいない火事の説話もある。続けて読むと飽きるが、ゆっくりと読むと相当面白いはず。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
「即興詩人」(再)
★★★★子供の時に読んで大感激した、アンデルセンの自伝的小説とも言われるデビュー作。今回はアンデルセンの直訳ではなく、ドイツ語版を訳した森鴎外の文語訳の現代語訳である。子供の時に読んだものに比べ2倍以上は優にある長さに少々びっくり。19世紀の自伝小説の例に洩れず、ロマン主義の教養小説的だが、イタリアを舞台に波乱万丈の物語で、主人公の女性への恋慕が色々と出て来るので、万人向きと思われます。小学生高学年から中学生時代の僕は、若者の恋模様を描いた小説を愛好していて、「若きウェルテルの悩み」「春の嵐」「みずうみ」がお気に入りだった。いずれも2回以上読んでいるが、本作もやっと再読できた。
野村 胡堂
「銭形平次捕物控 第二話:振袖源太」
★★★警護を頼まれた平次の目の前から子供が消え、平次が大恥をかくというしっかりミステリーしているお話。事件は解決するが、犯人を捕まえない平次の評価は芳しくない(笑)
「銭形平次捕物控 第三話:大盗懺悔」
★★★危険を冒して盗難をしてはすぐに返すという珍妙な泥棒がある逸品は帰そうとしない。平次は罪を憎んで人を憎まずの精神だから、今回も犯人は捕まえない。
洪 昇
「長生殿」
★★★★白居易「長恨歌」でお馴染みの玄宗と楊貴妃の愛情交換をしんみりと描いた、清朝初期の全50幕の戯曲(南戯)。50幕と言ってもそれほど時間をかけずに読める。中国古典は、長くて飽きる白話小説(大体百話構成)より戯曲が良い。
サマセット・モーム
「ひとめぐり」
★★★戯曲。結婚したばかりの青年の家のパーティーで、父親と、その父親を捨てて彼の友人と駆け落ちした母親が鉢合わせする。その気まずい雰囲気の中で、若い妻は母親に共感し、実は彼の友人と駆け落ちしようと思い始める。これを称して "ひとめぐり” というわけで、シリアスな物語でありながら一種の喜劇として楽しめる。TVで何度か映像化されているが、映画化はない模様。映画に向いている話と思うが。
ソーントン・ワイルダー
「わが町」
★★★★高校時代に英語の教科書で一部読み、よきアメリカの生活を活写した戯曲という記憶が埋め込まれたが、実際にはかなり前衛的な、暗い死生観に立脚した作品であると読んで解り、驚いた。
新井 白石
「読史余論」
★★武士が政治に絡んでから織豊時代までの日本政治史を俯瞰する。上半期に読んだ「西洋紀聞」ほど面白くないが、天皇の実権が南朝の終焉と共に終わったと理解させるところは興味深い。
長与 義雄
「青銅の基督ー名南蛮鋳物師の死ー」(再)
★★キリスト教徒ではないのに、踏絵をうまく作り過ぎて処刑されてしまう鋳物師の不条理。そこに宗教の怖さがある。と言いつつ、高校時代以来の再読に当たる今回も余りピンと来なかった。
ジャン=ジャック・ルソー
「新エロイーズ」
★★★書簡体という英仏小説の初期形式を忠実に守った、ロマンス風哲学小説。スイスの妙齢貴族令嬢ジュリとその若き家庭教師サン・プルー(仮名)の恋に始まり、やがて父の勧めにより彼女が結婚した無神論者の中年ロシア紳士の改心に終わる。お話のトレースはさほど難しくないが、終盤のルソーの目的は案外解りにくい。
深田 久弥
「日本百名山」
★★★山・登山に興味はないが、この本には興味があった。古来山は、自然を恐れるという意味で、信仰の対象となる。百のうち大半がそうした縁起があった。そうした縁起の紹介の外、他の文学者の作品の引用も多く、読み物として一流。わが群馬絡みで十山もあるが、個人的に毎日見ない日はない赤城の長い裾野を褒める深田に共感する。
アガサ・クリスティー
「そして誰もいなくなった」
★★★★見立て殺人の嚆矢はヴァン・ダイン「僧正殺人事件」だが、本作の場合その見立てを全て先に出してしまうところが巧い。戯曲版とも言うべき「ねずみとり」は読んだが、実はこれは初めて。時間がかかりましたな。
「春にして君を離れ」
★★★★クリスティーの一般小説。一人の中年英国女性が、娘のいるイラクから帰国する途上に足止めを食らい、自分の確信していた価値観が粉砕される。そこで目覚めた夫への罪悪感がいざ家に帰ると元の木阿弥? 心理の流れに近いモノローグの多用と幕切れを総合的に考えると、短編作家としてのモーパッサンの魂がヴァージニア・ウルフに憑依するとこんな小説を書くような気がする。また、この時代に流行った異国に精神的影響を受ける女性たちの物語(E・M・フォースター「インドへの道」等)に加えて良いかもしれない。
「鏡は横にひび割れて」
★★★初めて読むミス・マープルもので、インターナショナルなポワロものに比べて実にローカル。映画版「クリスタル殺人事件」を再鑑賞するに当たって読んでみるが、映画を先に観ているせいか映画女優役のエリザベス・テイラーに当て書きしたような錯覚さえ覚える。
「終りなき夜に生れつく」
★★★英国ゴシック・ホラーの伝統を感じるミステリアスな作品だが、ミステリーとしては通して一人称で綴らなかったほうが良かったのではないか。文芸作品としては青年に影響を及ぼす欲望に切なくなる。
邯鄲淳(撰)
「笑林」
★★中国後漢時代の全29話の笑い話集。古いですな。大半が愚か者のお話。
馮 夢竜(撰)
「笑府」
★★★中国明代の全708話に及ぶ大作笑い話集。選者の名前はふう・むりゅうと読む。下ネタが多いが、医者を揶揄った職業ネタが一番可笑しい。落語「饅頭こわい」はこの集の第631話をそのまま落語化したもの。
真船 豊
「鼬」
★★大正時代あたりの福島県が舞台で、欲にかたまった女性たちの激しい葛藤。100年前の福島県の言葉だから、現在の我々の感覚とは違うにしても、言葉遣いが荒い。
ジュール・ロマン
「プシケ第一部:リュシエンヌ」
★★恋愛小説と解釈されるらしいが、ヒロインの心理が全編を覆う。一々こんなことを考える人間は小説の中にしか存在しないと思いますが。僕が一番重要と思った部分が、解説者にとっても重要だったらしく、我が意を得たり。
「プシケ第二部:肉体の神」
★★ヒロインの心理が細かく綴られる理由がこの第二部を読むと解る。この第二部はピエールという男性の手記なのだが、それによると第一部は彼の妻となったリュシエンヌが婚約時代に書き留めた手記であったのである。原注がメタフィクション的。
「プシケ第三部:船が・・・」
★★★第三部だけどこれだけ図書館になかったので、中古本を購入。解説等を参考にして書くと、第一部が感情的恋愛、第二部が肉体的恋愛、第三部が精神(神秘)的恋愛ということで、第三部の本作では何と、船の事務長として航行中のピエールがリュシエンヌの生霊を見るのである。ああ魂消た(笑)。
正岡 子規
「竹の里歌」
★★★★「万葉集」を意識した歌の多い歌集。近代では稀な旋頭歌や長歌まである。歌人が嫌がることが多い同じ言葉の繰り返しも面白く、実に鑑賞しがいがある。
トルーマン・カポーティ
「冷血」
★★★アメリカ中部で起きた一家殺人事件に取材し、映画にもなったノンフィクション小説。カポーティが二人組の犯人の一人(インディアンの血を引く方)に少なからず同情的であることが伺われる。
モルナール・フェレンツ
「リリオム」
★★★戦前何度か映画化され、戦後ではミュージカル「回転木馬」になった有名戯曲。死んだ人間が冥界から地上に戻るという発想は、戦中から戦後に暫くの天使映画流行に影響を与えたと思われる。この手の作品を大量に観た後読むと弱いが、文学史上の価値は高い。
山中 峯太郎
「敵中横断三百里」
★★軍国少年を生むために書かれたような実話もの(?)。今読むと寧ろ苦笑が洩れる。
「亜細亜の曙」
★★想像と違って、かなり冒険SF寄りの内容。少年ものを書く時の江戸川乱歩と重なるところがあるが、科学的にはこちらのほうが正確かもしれない。しかし、余りに国家主義的なところが愉快ならず。
サアディ―
「薔薇園(グリスターン)」
★★★★ロマンティックな韻文かと思いきや、散文の中に韻文を交えたような箴言集のような趣。権力者に関する箴言が面白い。イスラム教を尊重しつつも、現代の原理主義とは全く正反対の考え方がある。例えば、古代から近世まで世界中で当たり前であった稚児のような存在もよく出て来る。
李 恢成
「砧をうつ女」
★★★第66回(1972年前期)芥川賞受賞作その一。登場人物が朝鮮・韓国人(厳密には当時は日本人)で、主な舞台が朝鮮半島(終戦直前で日本統治下とは言え)という作品の受賞は珍しいだろう。この小説の感覚は、在日家族を描いた日本映画「焼肉ドラゴン」に近い。主人公の若くして亡くなった母親への慕情即ち半島への郷愁に切なくなる。
新城 卓
「オキナワの少年」
★★第66回芥川賞受賞作その二。こちらも当時まだアメリカ統治下だった沖縄の少年が、あいまい宿のようなことをしている両親から解放されようともがくお話。直後に沖縄が返還されるものの、今の沖縄の文学を読むのとはまた違う意味合いがあったはずである。基地を抜きに語れない沖縄の問題は未だに変わっていないところもあると痛感させられる。
ジャン=ポール・サルトル
「存在と無」
★★実存主義というは、究極的には神を否定することと見つけたり(江戸時代の書「葉隠」のパロディー)。難しいのは即自と対自という概念だが、乱暴に言えば即自は物、対自は人ということ。人も自己を無くして初めて対自となる。この辺が実に難しい。
小林 多喜二
「一九二八年三月十五日」
★収監された社会主義者たちの様子を描く。当時の状況下では当然拷問の場面が伏字だらけになっている。これが却って想像を逞しくさせるが、かと言ってこの状態で感想なりをいうのも何です。
フリオ・コルタサル
「悪魔の涎・追い求める男」
★★★日本独自の短編集。犯罪小説を読んでいる男がいつの間にか本の中の登場人物となって円環する「続いている公園」、夢(ジャングルで追われて処刑される運命のアステカ人のお話)と現実が実は逆であったという「夜、あおむけにされて」(手塚治虫の短編集「クレーター」に採録された生贄前の少女がひと時現在の日本に転生する「いけにえ」はこの作品の影響を受けていまいか?)、写真を撮った男が拡大した写真の人物が動き出すのに対し自分は部屋の中に固定されてしまうと思い込む「悪魔の涎」(映画「欲望」の元ネタ)、現在フランスの火事とローマ帝国の火事がリンクする「すべての火は火」は、時に時空を飛び越えて現実と非現実をメビウスの輪のように繋げて綴る幻想譚群。ギミックが使われるこれらは実存主義文学的であると同時に、通俗的にも楽しめると思う。そこへ行くと、チャーリー・パーカーをモデルにしたというミュージシャンを主人公にした中編「追い求める男」はサルトルの哲学書「存在と無」を想起させる、文字通りの実存主義文学。高速道路で身動き取れなくなった乗客たちが一時的にコミュニティーを作る「南部高速道路」や観客が演技者に起用される「ジョン・ハウエルへの指示」はカフカ的な不条理性を感じる。兎を口から生み出す男の一人称小説「パリにいる若い女性に宛てた手紙」や“音”に住居が占拠される兄妹を描く「占拠された屋敷」は性的な意味を沈潜させているらしい。「正午の島」は全くピンと来ず。全て生存への不安という意識が基調にある内容。ギミック性が濃厚な上記4篇が万人向きかな。
段 成式
「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」
★中国唐時代の、一種の博物誌兼怪異伝という変わり種。まだ印刷ではなく筆写時代の作品ゆえに文字の脱漏や混入などが多々あるようで、訳者も時々首を傾げる。完全に読解できる状態であれば、もう少し面白いはずだが。
奈河 七五三助
「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」
★★★所謂「法界坊」である。この題名なら分る人もいらっしゃるだろう。極悪坊主なのにどこか憎めない存在とされるが、台本を読む限りはそうは思えず。エノケンの映画版の方がいかにもコミカルで楽しい。
福森 久助
「其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)」
★★振袖火事の原因を作り火あぶりになった “八百屋お七” は色々作品化され、歌舞伎も多い。世話物なのに時代劇要素を持ち込んで無理やり鎌倉時代辺りのお話にしているが、鎌倉時代に町や文化としての江戸はなかったのでこの題名は相当苦しい。想像に反して、コミカル度が強い。
桜田 治助(三世)
「三世相錦繍文章(さんぜそうにしきぶんしょう)」
★★★歌舞伎の夢落ちは初めてで、新鮮。江戸時代医者は多く極悪人扱いされるのだが、夢のなかとは言えあっさり殺されるのが珍しい。
「百人町浮名読売(ひゃくにんちょううきなのよみうり)」
★★侍鈴木主水(ずすきもんど)の心中事件をベースにしているらしいが、こちらでは心中には至らない。一応世話物に入るものの、時代物同様に家宝絡みの悲劇で、母親が主人公の代りに死ぬ。
河竹 黙阿弥
「都鳥廓白波(みやこどりながれのしらなみ)」
★★★家宝を失って落ちぶれた一族とその家臣が数奇の運命に翻弄され、盲目となった家臣の一人がお家再興の為にお金を奪おうと主人の跡継ぎを却って殺してしまう悲劇。一応世話物に分類されるが、結構として時代物に通ずる。
「網模様燈籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)」
★★巾着切りの男が父親が殺した若者の父親が営む庵室で因果の恐ろしさに気づき、仏門に入る。というのが江戸時代末期での筋書きだったが、明治に入り意識改革に則って刑罰に服する幕切れに改められた。両方のバージョンを読む。
「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」
★★「切られお富」として有名。「都鳥廓白波」のヴァリエーション。余り似たようなものを続けて読んでも・・・という感じ。歌謡曲「お富さん」と同一人物だが、あのお富さんは本作が基にした瀬川如皐の「与話情浮名横櫛」から。本作には源冶店(げんやだな)は出て来ない。
「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくはり)」
★★「慶安太平記」もの。浄瑠璃「碁太平記白石噺」のほうが面白い。
「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」
★★★★お馴染み「番町皿屋敷」のヴァリエーション。勧善懲悪的だが、義憤にかられやすい僕はこの手のお話が結構好み。映画でここまでやったら鼻白んでしまうだろう。
「高時」
★★★新歌舞伎十八番の舞踊劇。舞踊劇は必然的にお話の面白さ以上に、歌詞を読む楽しみが多い。
「船弁慶」
★★新歌舞伎十八番の舞踊劇。能を翻案した義経もの。能を翻案したものは「勧進帳」以外は読んでもピンと来ない。
「紅葉狩」
★★能を翻案した新歌舞伎十八番の舞踊劇。舞踊劇のほうが大作の狂言より衣装などの時代考証が正確。
「茨木」
★★新古典劇。順番は逆だが、後に書かれる「戻橋」の後日談で、悪鬼が切り取られた腕を取り戻しに叔母に化けて主人公の許にやって来る。順番を逆に読んだ方が面白いかもしれない。
「戻橋」
★★★新古典劇の一つである歌舞伎舞踊劇。武士が美女に化けた悪鬼の腕を切るお話。
ロベルト・ムージル
「特性のない男(第一巻)第一部:一種の序文」
★★★読むうちに主人公ウルリヒの代名詞“特性のない男”とは実利を求めない男の意味と解る。長大で未完の大作の中で主人公プラスαをごく簡単に紹介する。
「特性のない男(第一巻)第二部:千遍一律の世」
★★ドイツのヴィルヘルム2世の治世30周年と同じ年に起こるフランツ・ヨーゼフ1世戴冠70周年に合わせてウルリヒの従妹が平行運動なるオーストリア大愛国運動を起こす。ウルリヒはアドバイザー的な地位に就くが、彼はこうした平均的なことを実は嫌っている。作者の狙い通り空疎な会話が多いが、まだ面白味はある。
「特性のない男(第二巻)第三部:千年王国へ」
★法学者の父親が死んで5歳年下の妹と再会したウルリヒは結局妹と隠遁する。結局未完成で色々な書きかけの文章を含め、二人の抽象的な会話が多く飽きる。哲学書であればまだ懸命に食らいつくが、僕の悪い癖で小説における哲学的問答ではどうもそこまで本気になれない。ただ、この二人の会話に、ドイツ・ロマン主義の教養小説の香りを嗅ぎ取れたのが一応の収穫。
瀬川 如皐(じょこう)(三世)
「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」
★★★★黙阿弥の「処女翫浮名横櫛」、昭和の流行歌「お富さん」の元ネタ歌舞伎。歌舞伎でトップクラスの有名作。ベースは世話物で、時代物の要素を取り入れている。鎌倉時代を舞台にしているが、例によって時代考証はデタラメ。これもまた主家の重器が絡んで、最後に時代物らしくなる。河竹黙阿弥以外では断トツの面白さ。
アイザック・ディネーセン
「アフリカの日々」
★★★★映画「愛と哀しみの果て」の原作。小説ではなくエッセイのようなものだから、映画の脚本家はなかなか上手くストーリー化したと思う。映画は夫婦関係のもつれなど原作にない部分を作者の史実から加えている。こちらは有吉佐和子の紀行文「女二人のニューギニア」にも似た原住民との関係が中心で、白人との死生観の違いなどが実に面白く綴られる。
河竹 新七(三世)
「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのよいざめ)」
★★花魁八ッ橋に愛想を尽かされた朴訥な絹商人・佐野次郎左衛門が、呪われた由縁のある籠釣瓶と呼ばれる刀を振り回して、花魁を始め次々と斬り殺す。昨年観た時代劇「妖刀物語 花の吉原百人斬り」の原作で、実話もの。
「江戸育御祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」
★★★上の作品と共通するところが多い。こちらは、江戸の祭世話人佐七が芸者の小糸他を切り殺すのだが、小糸は彼女に入れあげる男たちや養母に徹底的に利用され、それを佐七が誤解するわけで、小糸にとって悲劇性が高い。現代人から見ると図式的すぎる悲劇だが、歌舞伎として割り切って読むと、面白い。
作者不明(海外)
「ラサリーリャ・デ・トルメスの生涯」
★★★下層階級の男が悪計にたけた盲人や吝嗇な僧侶などに仕えて酷い目に遭いながら、それを出し抜くことで成功を掴んでいく。ピカレスク小説(悪漢小説)を生み出したことで現在まで残る古典。
アゴタ・クリストフ
「悪童日記」
★★★★★映画も魅力的なのだが、この原作は壮絶にして抜群に面白い。虚無的とさえ言いたくなるくらい簡潔な文章で、(戦争に絡むものだけでなく)死や悲惨を綴って強烈。双子の日記の形で、作者の文章に対する取り組み方を表明しているところも実に興味深い。
有吉 佐和子
「非色」
★★★★黒人と結婚して渡米した日本の戦争花嫁が、夫の居住地ハーレムでの物凄い差別に圧倒される。差別は、肌の色ではなく、階級にあると彼女は気づく。勿論その階級が肌の色から作られてきたのは間違いないのだろうが、昭和20年代にはもはやそういう時は過ぎていた。雇い主の日本人夫婦の放つ階級差別的発言にヒロインはハーレムで生きていくことを決心する。昭和30年代にしてこの着想はその先見の明に感動させられる。有吉佐和子の話術は巧みではあるものの、解り易すぎるのが僕には難点。作者が主人公にニグロを連発させているのを差別と酷評する人がいるが、当然差別ではない。書かれた時代の背景と目的を考えないといけない。
市川 團十郎(七代)撰
「鳴神」
★★★歌舞伎十八番。狂言だが、雨を降らす龍神と美女の闘いが主題だから、舞踊劇っぽい。
「毛抜」
★★★★公家の娘のお輿入れが先延ばしされる理由を探りに来た家臣が謎解きをするミステリー仕立ての歌舞伎十八番。科学(磁石)が絡む変わり種。
「暫」
★ある人物が悪漢たちに「暫く」と言って止める以外に決まったお話はないらしい。歌舞伎十八番の中でもタイトルは有名だが、僕が読んだ台本は「暫く」ではなく「待て」になっていたので興醒め。全体の面白味も解らなかった。
「矢の根」
★★歌舞伎十八番。曾我兄弟ものの狂言。曾我兄弟についてはまだよく解らない。すみません。
「景清」
★★★同上。近松門左衛門「出世景清」以来色々と触れているので、景清ものはピンと来る。
「助六由縁江戸桜」
★★★歌舞伎十八番として有名なこれも実は曽我兄弟もの。しかし、鎌倉時代にはなかった江戸の吉原が出て来るのだから、例によって歴史考証はデタラメ。それによる違和感を別にすれば、時代物をベースにした世話物の感覚が楽しめる。尤も鎌倉時代の話と思って誰も観ないだろう。
「勧進帳」
★★★★歌舞伎十八番の中でも恐らく一番人気がある。元ネタは能の「安宅」だが、黒澤明監督「虎の尾を踏む男たち」を見ていれば説明の必要もない。歌舞伎で人気のある義経もので、弁慶の知恵が泣かせる。
「鎌髭」
★★歌舞伎十八番は短いので、戯曲として読むより見て楽しむものが多そうだ。本作などその典型だろう。宿の人間の振りをして首をかき切ろうとした敵将は不死身であったというお話。
福地 桜痴
「素襖落(すおうおとし)」
★★★★新歌舞伎十八番の一つで、同名の狂言を翻案したもの。褒美の衣服(素襖)を巡って主客が立場を入れ替わるところが可笑しい。
「鏡獅子」
★★新歌舞伎十八番の長唄舞踊劇。小津安二郎が撮った舞踊を観たことがある。その印象と違って、結構物語がありました。
岡村 柿紅
「身代座禅」
★★★歌舞伎の新古典劇の一つ。細君が夫君の身代わりの身代わりとなって、その女遊びを見破る。狂言を利用した作品らしい可笑しさがいっぱい。
ノーマン・メイラー
「裸者と死者」
★★★作者が太平洋戦争での経験を基にしたある小隊に所属する将校・兵卒の様子を綴る群像劇。戦場の緻密なドキュメントの間に、それらの人々の若い頃がフラッシュバックが挿入され、部の終りに短いコントが加わる、という形式も面白い。
武者小路 実篤
「人間万歳」
★★★★神様が自分の作った人間が潔く滅んでいった様を称えて天使と一緒に「人間万歳」と叫ぶ、星新一のSSみたいに皮肉な内容にして、人間賛歌を謳い上げる実篤らしい戯曲。
「愛欲」(再)
★★★戯曲。兄との関係を疑って妻を殺してしまった傀儡の画家を、それでも兄は死体をこっそり始末することで救う。これもヒューマニズムなのであろう。
オマル・ハイヤーム
「ルバイヤート」
★★11世紀の詩人による詩集。ルバイヤートは本来“四行詩・集”という意味であって、この作者の作品名ではない。訳者が韻律に気を配って翻訳しているが、完全に自然というわけには行かず。イスラムの戒律にどこか反駁するところがあるようで、酒を愛するところは李白のよう。
ダニエル・デフォー
「ロビンソン・クルーソー」(再)
★★★★新訳版。訳者の意見に反し、僕は小学生の時に児童版を読んだ際にも、フライデーに出会う前の主人公のサバイバルに断然惹かれた。今回完全版を読んでも、その具体的なところが大変興味深い。
中里 介山
「大菩薩峠 第一巻:甲源一刀流の巻」
★★★明治の言文一致化の際に実は”である”調、"だ”調、"です”調とで争われたのだが、地の文としては“である”調で落ち着き、“です”調は児童文学に使われるようになった。本作は大人向けでは珍しい“です”調なので柔らかい印象。ニヒルな剣士・机竜之助登場。時代小説だが、この巻の終盤になって新懲組(新選組)が絡んできて歴史小説の様相も示す。
「大菩薩峠 第二巻:鈴鹿山の巻」
★★★竜之助は妻のお浜を殺し、京都に逃げる。彼を敵と狙うお浜の前夫の弟・兵馬が新選組に加わって京都に追う。
「大菩薩峠 第三巻:壬生と島原の巻」
★★島原から推して知られるように遊郭も少し絡む。その遊郭に売られたのが、第一巻で竜之助に祖父を殺されたお松。いずれ竜之助に絡んで来るのだろうが、まだまだ時間がかかりそうだ。
「大菩薩峠 第四巻:三輪の神杉の巻」
★★★竜之助は、お浜に似た心中未遂の美女お豊と一緒に江戸に行くことにするが、お豊を追い回すストーカー金蔵への言葉を勘違いしてぷっつん。
「大菩薩峠 第五巻:龍神の巻」
★★★★お豊が金蔵に迫られて彼の故郷である紀州で無理やり宿をまかなう。その宿に兵馬が泊り、近くの森にある社では目を傷めた竜之助が養生している。波乱万丈で面白いが、甚だ作り物めいてもいる。
「大菩薩峠 第六巻:間(あい)の山の巻」
★★★★お豊が頼る芸妓お玉が新規に登場。お豊が自死してしまう代わりに、暫くお玉が重要な人物として活躍することになる。風俗的になかなか面白い。
「大菩薩峠 第七巻:東海道の巻」
★★★以前お松と関係したお絹が竜之介と絡み、お松の養父のような七兵衛が同じく盗人稼業の“がんりき”と知り合う。一巻ごとに重要な人物が出てきますなあ。
「大菩薩峠 第八巻:白根山の巻」
★★上州絡みの白根ではなく、山梨県の北岳のこと。偶然かかわった女性の家で静養中の竜之助が小悪党に絡んでチャンバラ。その前に“がんりき”の片腕を切り落とす。容赦ない竜之助!
「大菩薩峠 第九巻:女子と小人の巻」
★★★★お玉変じてお君とその幼馴染の小人・米友が軽業一座に身を投じる。波乱万丈で面白い巻。その代わり、竜之助の影が薄い。
「大菩薩峠 第十巻:市中騒動の巻」
★★★話として出て来るだけで竜之助が一度も出て来ない。兵馬も冤罪で捕縛される。幕末らしい不穏な空気が描かれ、酔いどれ医者も絡んで少々ユーモラス。
「大菩薩峠 第十一巻:駒井能登守の巻」
★★★お君が滞在する甲斐にやって来る新しい御支配・駒井能登守が新たに登場。
「大菩薩峠 第十二巻:伯耆の安綱の巻」
★★★お君が地方の素封家と縁が出来ると共に、実家に残した駒井の病弱な妻が彼女に似ていると判明。この後どうなるか。辻斬りの謎も加わり、兵馬を求めるお松も絡んで、色気(匠気とまではいかない)が多い展開ぶり。
「大菩薩峠 第十三巻:如法闇夜の巻」
★★★重要な関係者が甲斐に集結する。お君はついに駒井の側室状態になり、お松はライバル関係にある悪党武士・神尾主膳の家に落ち着く。この界隈で起きている辻斬りはどうも神尾宅にいる竜之助の所業らしい。
「大菩薩峠 第十四巻:お銀様の巻」
★★お君が流鏑馬の催し物に出たことから話が急展開する。その前段。タイトルに反しお銀様は余り出て来ないが、不思議なことに竜之助とくっつく。
「大菩薩峠 第十五巻:慢心和尚の巻」
★★★★神尾主膳によりお君が下層階級出身という噂を広められた駒井は江戸に戻り、お家取り潰しの憂き目に。インドのカースト制度も顔負けでござるね。姿を消したお君は慢心和尚が匿い、縁のある兵馬が江戸へ送り届ける。お松も神尾の家を出て男装して江戸へ向かう。命がけですぞ。
「大菩薩峠 第十六巻:道庵と鯔八の巻」
★★お話が江戸中心となる。道庵は人情味のある風変わりな医者だがこの巻では羽目を外し過ぎて余り感心できない。病気や薬を通じてお松、お君、米友とも関係する人物。造船所に潜伏した駒井は洋行して新しい砲兵技術を学ぼうと考える。
「大菩薩峠 第十七巻:黒業白業の巻」
★★★甲州で竜之助が久しぶりに本格的に登場。酒癖の悪い神尾と縁ができる妙。敵討ちに閉塞した兵馬も遊郭にはまり、波乱万丈。
「大菩薩峠 第十八巻:安房の国の巻」
★★★後に研究中の駒井がいると判る安房に住む盲目の小坊主が新登場。お君と米友と縁のあった女興行師お角が船で遭難する。過渡的な巻。
「大菩薩峠 第十九巻:小名路の巻」
★★★この巻は多数の人々が入れ交じる。兵馬が牢屋で知り合った南条に頼まれ山崎を暗殺しようとして他人を殺す辺りがハイライトか。冒頭で米友が、幕切れで竜之助が夢を見る。夢が通奏低音になっているかもしれない。
「大菩薩峠 第二十巻:禹門三級の巻」
★★★お喋り小坊主弁信と動物と会話ができる少年茂太郎の二人組が重要な人物として本格登場。
「大菩薩峠 第二十一巻:無明の巻」
★★★駒井の子供を産んだお君が死ぬ。悲しいねえ。しかし、僕は、介山が、西洋風の船を作ろうとする駒井、あるいは色々な人物と関わる子供のように小柄な槍遣いの名人・米友を出す為にお君を登場させたと理解する。
「大菩薩峠 第二十二巻:白骨の巻」
★★★竜之助がお雪という少女らと白骨温泉へ向かう前段のお話。駒井とお君の死にがっくりする米友が逢うという挿話もある。お雪は暫く需要人物となる。
「大菩薩峠 第二十三巻:他生の巻」
★★★★白骨温泉が主な舞台。またまた色々な人物が新登場する。弁信と茂太郎に関する描写が楽しい。
「大菩薩峠 第二十四巻:流転の巻」
★★★お銀と兵馬がそれとは知らずに呉越同舟的に竜之助を追って白骨を目指す。中国の白話小説「平妖伝」を読み始め、介山はどうも白話小説の感覚を時代小説に取り込んで書いたのではないかという気がしてきた。
この記事へのコメント
>手塚治虫の短編集「クレーター」に採録された生贄前の少女がひと時現在の日本に転生する「いけにえ」はこの作品の影響を受けていまいか?
僕は「生けにえ」はアンブローズ・ビアスの「アウルクリーク橋のできごと」から手塚先生が着想を得たのかと・・。処刑される寸前の男が逃走劇の末、愛する妻のもとに辿り着いて抱擁するも、しかしそれは今まさに処刑された男が一瞬の間に見た夢で・・というお話ですが、夢と現実が逆という意味では同じですね。
古代マヤ、アステカ文明は、かなり手塚は研究していて、マヤの少女を主人公にして古代の文明と自然との共存を描いた作品も構想しています。
宮崎駿の「もののけ姫」は、おそらく手塚の作品以前の構想を、舞台を日本に置き換えたもの(古代マヤの少女では日本のファンは観に来ない)だと睨んでいます。
昨日から、鳥尾鶴代(GHQの上級将校を夫公認の愛人にして、天皇の追放の可能性も含めた占領軍の情報収集に勤しんでいた子爵婦人)の著書、「おとこの味」と「私の足音が聴こえる」を読了。
決して凄い美人ではないけど男好きのする顔だちです。
いつの時代も、男はいい女に弱いですなぁ(笑)
クリスティーくらいですね、私も読んでいるのは。
「春に離れて君を思う」は、私が読んだのは「春にして君を離れ」の題でしたが。これ、好きでした。クリスティーは推理小説だけの人ではない、すごいなーと思いました。
「終りなき夜に生れつく」も、けっこう好きだったかもしれません。
私の故郷は館山ですので、里見八犬伝は思い入れはあります。長いとしてもいま入手できるのは現代語訳で上下巻くらいのものでしょうかね?
昨年は大変な年でしたが、今年はマシになりますように。
いつもながら、すごいですね〜この読書量!(尊敬)
私などちょっと読んでみて
合わない感触など出てくるともうダメで
さっさと次の本へと参ります。(笑)
アゴタ・クリストフ「悪童日記」、
これはいいですね。3部作となっていますので
必ず読破したいと思っています。
年末に第五世代kindleを水没させちまいまして
7年ぶりに防水kindle paper white購入しました。
これで入浴読書、安心して専念できます。(笑)
あらためまして今年もよろしくお願い申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。
さてさて、お勧め本を読んでくださっていて、それも高評価で感激です。
>有吉佐和子の話術は巧みではあるものの、解り易すぎるのが僕 には難点。
そう来たか~! 凄いですね!
・・・しかし先生、難しいのばっかり読みすぎと違います?
この難易度の高い人類の永遠の課題をここまでエンタメとしても読ませて、なおかつ自分(私)の中にも眠っている差別意識にまで目を向けさせるなんて凄いことだと思いますよ。
いくらでも難しく書けるところを書かないというか、肌感覚で分からせるほうがレベルは高いと思いますけど、どうでしょう。
>作者が主人公にニグロを連発させているのを差別と酷評する人がいるが、当然差別ではない。書かれた時代の背景と目的を考えないといけない。
ニグロ’(学術用語)は差別語ではなかったですものね。
荒このみ先生も「風と共に去りぬ」の解説でちゃんと言及されています。
差別がなくならないから言葉を変えていってるだけだと。
「大菩薩峠」にとうとう踏み込まれましたか!
不思議な魅力があるようで夫も青空文庫で読了しましたよ。
「ギネスに載るのと違う?」なんて呆れ果ててましたけど結構いるんですね、長いのを読むのが好きな人・・・わたしゃ無理です。生い先短い予感がするもんで・・・道中急ぎ足でござんす。
短編で良いのがあればご教示願います。
そうそう、中里介山って忌野清志郎の母方の血筋らしいです。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
>僕は「生けにえ」はアンブローズ・ビアスの「アウルクリーク橋のできごと」
>から手塚先生が着想を得たのかと・・。
確かにより近いですね。両方を知っている可能性もありそうです。
.>鳥尾鶴代(GHQの上級将校を夫公認の愛人にして、天皇の追放の
>可能性も含めた占領軍の情報収集に勤しんでいた子爵婦人)の著書
松本清張の「日本の黒い霧」に少し触れられていたような気がしないでもないです。錯覚かな。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
>「春にして君を離れ」
>「終りなき夜に生れつく」も、けっこう好きだったかもしれません。
この二作は、クリスティが好きな方は大概読むみたいですね。初期の本格ミステリーしか興味のなかった僕は題名もろくに知りませんでした。多少聞いたことがあったよな気もしますが。
>私の故郷は館山ですので、里見八犬伝は思い入れはあります。
>長いとしてもいま入手できるのは現代語訳で上下巻くらいのものでしょうかね?
おおっ、そうでしたか。
図書館に原文・現代語訳ともに全巻のものがあります。そちらに挑戦してみます。
>昨年は大変な年でしたが、今年はマシになりますように。
そうですね。ワクチンが普及すれば、活動はかなり自由になると思いますが、ワクチンを怖がる人もいるようで。高齢者は危険性のバランスを考えると接種したほうが良さそうです。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
>合わない感触など出てくるともうダメで
僕も子供の頃はそうでしたが、もうどんなものにも耐性ができました。長くてもつまらくても肌に合わなくても、最後まで読みます。
おかげで大概のものが相対的に面白く感じられ、お得な気分(笑)
>アゴタ・クリストフ「悪童日記」
この作品の凄味を伴った面白さは、僕の読書歴の中でも、余り例がないですね。時間があれば三部作の残りも読みたいです。
>7年ぶりに防水kindle paper white購入しました。
>これで入浴読書、安心して専念できます。(笑)
防水のものがありますか。
本を読むほど長く風呂には入らないなあ(笑)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
>・・・しかし先生、難しいのばっかり読みすぎと違います?
あはは。最近は生意気になったんです(笑)
有吉佐和子は好きですよ。確かにブロッホとかムージルとか難解なのを読んだ後は、大概なものが軽く感じられてしまうことがあるのは事実みたいです。気を付けないといけません(笑)
>荒このみ先生も「風と共に去りぬ」の解説でちゃんと言及されています。
>差別がなくならないから言葉を変えていってるだけだと。
僕も同じ趣旨のことを長い事言ってきました。言葉を変えても何も改善されません。
>「大菩薩峠」にとうとう踏み込まれましたか!
消灯してからKindleで読める(当然無償で)ものですから、昼間読むのは本でしか読めないもの。おかげで時間を有効に使えます。余生が限られると、こうした手法が大事になりますが、TPPのせいでkindleで無償で読めるのがぐっと限られてしまいました。バカヤロー(笑)
>「悪童日記」
★★★★★映画も魅力的なのだが、この原作は壮絶にして抜群に面白い。
以前映画にコメントさせてもらった記憶があったので何を書いたのか読み返そうと検索に掛けたら見当たらなくて、「あ」行を辿って行ったら見つかるまでに他の所を読んだりしてそれはそれで面白かったのですが時間がかかってしまいました。
これは出版されて間もない頃に読みましたが寝食を忘れる読書体験でした。 当時はフルタイム働いていたので台所で夕飯の鍋をかき混ぜながら立ち読みしていた記憶があります。
若かったな~ 今はもうそんな元気ないです・・・
ハードカバーの表紙の絵と「悪童日記」というタイトルが魅力的だったのか、その辺にちょっと置いてたら夫に取られて自分の手柄にように「これ、面白いわ!」とかいうので「返せ~私が借りてきてん!」と取り合いになった記憶があります。
去年少し読み返しましたが3部作全部は読まなくていいように思います。 当然ですが第1作目が一番だと思います。2作目はお時間あればどうぞ・・・
気に入ってもらえて新年早々ガッツポーズです!
ノンフィクション・ノベルというのか、このあとアメリカ文学だかジャーナリズムだかで一つの手法として確立するきっかけになったのでしょうかね。
ただ、私は、半ば小説として読んだというか、カポーティが先住民との混血でアメリカ人男性としては小柄なペリー・スミスに自己投影し過ぎている面を感じて、ノンフィクションなら犯罪実話がありますので、いまだに「ノンフィクション・ノベル」というものとの付き合い方がよくわかっていない気がしています。
ペリー・スミスは小柄で、性格的にも相方のディックにくらべると夢見がちなところがあったようで、カポーティにとっては自己投影しやすい対象だったのは分かりますが、小柄といっても写真で見る限りはカポーティのような異形感はないなっていうのがあって。そしておそらくゲイでもないでしょう。
でも、私は作家・トルーマン・カポーティが好きなので、べつにいいんですけどね。
>検索に掛けたら見当たらなくて
思った以上に使えない検索で、ないよりはマシですが、2~3割くらい全くないことになってしまうので、自分でも苦労します。とにかく、数が多いもので(苦笑)
>台所で夕飯の鍋をかき混ぜながら立ち読みしていた記憶があります。
そうしないと時間が有効に使えませんからねえ。しかし、格好良い。
>気に入ってもらえて新年早々ガッツポーズです!
下半期唯一の★5つです。
「非色」も良かったですよ。有吉先生、いつも面白すぎるので、何だか文句を言いたくなる天邪鬼です。「複合汚染」もあっさり読めてしまう気がします。
「若きウェルテルの悩み」「春の嵐」「みずうみ」+「即興詩人」
少女世界文学全集で読みましたが今となっては4作まとめて一つのジャンルを形成しているようで個々の違いが思い出せません。
当時はハンスやロッテという名前だけでもロマンティックな香りがしたものです。ヨーロッパ系は名前が印象的でロッテンマイヤーさんとかミンチン先生とか・・・
名前といえば「アゴタ・クリストフ」は当初「アガサ・クリスティー」と関係あるかもという憶測が流れたらしいですね。
「複合汚染」私もまだ読んでいません。読むと日常生活に支障をきたす(この洗剤は危ない、とか色々気になって)ような気がするんです。
「八日目の蝉」が話題になっていましたので、有吉佐和子の「不信のとき」を思い出して有吉さんのなら読んでみようかと思案中です。
20代の頃に初めて読んだ有吉の「真砂屋お峰」が痛快で面白かったのですが、その次に読んだ「開幕ベルは華やかに」がいまいちでした。最初に「開幕・・」を読んでいたら後が続かなかったかもしれません。 作家にも波がありますし読者にも波がありますから偶然の良い出会いがあるとラッキーですね。
「複合汚染」「恍惚の人」「非色」等、半世紀ほどたった現代にも十分通じる難題に果敢に挑戦して(ご本人は”好奇心旺盛故”と謙遜されそうですが)今も遜色なく読める物を書いておられますね。
昭和50年代の本「日本の島々、昔と今。」では(企画物だったのかもしれませんが)竹島にも行っておられます。
早くに亡くなりましたが中身の濃い仕事をされましたね。身体も神経もすり減らしておられたんでしょうね・・・
「非色」が絶版になっているのは多分「ニグロ」のせいでしょうね。本の中身を読んだら絶版どころじゃないと思いますけど、「言葉狩り」ってやつでしょうか。いやですね・・・
>小柄なペリー・スミスに自己投影し過ぎている面を感じて
詳細は知らないのですが、読んでいてかなり同情的と感じましたね。
>「ノンフィクション・ノベル」というものとの付き合い方がよくわかっていない気がしています。
「冷血」がよく示すように、個人的な見解が入っているのが「ノンフィクション・ノベル」ということなんでしょうが、ノンフィクションとして読むべきか、ノベルとして読むべきか悩むといった感じでしょうか?
外国人が、日本と短編私小説とエッセイの差が解らないのに似ている?
>若きウェルテルの悩み」「春の嵐」「みずうみ」+「即興詩人」
>少女世界文学全集で読みましたが今となっては4作まとめて
>一つのジャンルを形成しているようで個々の違いが思い出せません。
これを取り上げて戴けるのは嬉しいデス。
僕が読んだのは、緑色の少年少女文学全集(の類)だったと思います。当時は出版社まで興味がなかったので、出版社が解らないのが今となっては残念。
文学史的にも、ドイツ/デンマーク系のロマン主義文学の系譜にある作品群と思います。ヘッセは大分後ですけど、伝統が繋がっている感じ。
>「開幕ベルは華やかに」がいまいちでした。最初に「開幕・・」を
>読んでいたら後が続かなかったかもしれません。作家にも波があります
>し読者にも波がありますから偶然の良い出会いがあるとラッキーですね
そういうことは確かにありますね。
しかし、「開幕ベル」は有吉に珍しいミステリーらしいので、興味はあるんですよ。「複合汚染」は読みたいと思います。
>身体も神経もすり減らしておられたんでしょうね・・・
マラリアにかかったのも遠因かもしれないと、何とはなしに思っています。
>「言葉狩り」ってやつでしょうか。いやですね・・・
言葉から入ることで却って差別意識が潜伏化し、かつ、他人に対する寛容度が下がるような気がします。全く良くないです。
「非色」は絶版と書きましたが、さっき近所の本屋を覗いたら、河出書房から文庫で復刻されていました!
気になって奥付の前のページを見たら、よく見かける「現代に照らし合わせると問題ある言葉が含まれていますが作者の意図を尊重しました云々・・」として作者に丸投げするのではなく、そのような差別云々の意図を持った作品ではない(およそそのような意味の事)が書かれていました。
絶版のまま放置した新潮社への河出書房の意地を感じました。
或いは "now is the time" と思っただけかもしれませんが・・・
多分両方でしょうけれど売れるといいですね。
緑色の文学全集といえば昭和を代表する(?)これも河出の世界文学全集が緑色の箱で本も緑色でしたが少年少女じゃないですね。ただ、この全集は初めは赤だったのかも? 家に現存する「居酒屋」は赤いです。
同じく家に現存する「風と共に去りぬ」の巻末の全集一覧を見ましたがシュトルムが入っていませんしね。
子供向けなら偕成社か小学館、講談社あたりでしょうか・・・
それにしても昔の子供の読書レベルは高かったんですね。
娯楽も今ほど多様ではなかったですしね・・友達でも本は良いけど漫画本は買ってもらえなかった子が結構いましたね。 うちも原則そうでしたので行きつけの(笑)本屋で「マーガレット」の創刊号を貰った時は嬉しかったです。
とは言ってもオカピー先生のようにその後の伸びしろの長い人もいればモカのようにませていた割りにおませな中学生止まりで歳をとってしまったタイプと様々ですが・・・
余談ですが「風と共に・・」昭和35年3月初版で昭和41年7月34版ですって! 凄いですね~ 1年に5回以上増版ですよ!
「鬼滅の刃」並?(笑) それとも鬼滅はもっとすごいのかな?
>絶版のまま放置した新潮社への河出書房の意地を感じました。
そういう観点で出版社を見るのも面白いですね。
若い頃、海外の古典をしっかり扱っていた新潮文庫を角川文庫より敬愛しておりましたが、週刊新潮の印象がどうも余り良くないので、新潮社本体自体の印象も余り良くなくなっています。
>多分両方でしょうけれど売れるといいですね。
コロナでカミュの「ペスト」は売れたみたいですけどね。日本で人種絡みは難しいかな。漫画はバカのように売れるのに。漫画も馬鹿にはできないのだけれど、読むのに時間がかかる所謂“本”も読んでほしいな。
>子供向けなら偕成社か小学館、講談社あたりでしょうか・・・
表紙、裏表紙が厚紙(波製ハードカバー)だったような記憶もあります(あくまで記憶)。そんな全集ありましたか?
>オカピー先生のようにその後の伸びしろの長い人
単に頑固なんですよ。中学の頃決めたことを未だにやって、本を読んでいる(笑)
度々すいません。 新潮じゃなくて角川でした。
No reply necessary
今年は正月から、かつて読んだアゴタ・クリストフの悪童日記三部作の「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」を再読し、本日、この三部作を読み終えました。
オカピーさんの過去の読書録を読んでいたら、なんとこの三部作の1篇「悪童日記」の紹介をされているではありませんか。
そこで、この「悪童日記」について、コメントしたいと思います。
>映画も魅力的なのだが、この原作は壮絶にして抜群に面白い。虚無的とさえ言いたくなるくらい簡潔な文章で、(戦争に絡むものだけでなく)死や悲惨を綴って強烈。
まさしく、この作品の魅力を簡潔な文章で表現されていると思います。
この本の中にある<大きな町>は、恐らくハンガリーのブタペストのこと。<小さな町>は、ハンガリーのオーストリア国境近くに存在するクーセグという町とのこと。
双子の少年は、ブタペストにいては危険で食糧もないことから、母親に連れられて、初めて会う祖母の家に疎開することになります。
その少年たちの日々が、日記風に綴られていく作品ですね。
まず双子の少年たちの冷静なまなざしと、淡々とした語り口がとても印象に残ります。
これは彼らの作文の練習によるものだったんですね。
少年たちは生き抜くために、「練習」と称して自分たち自身で自分たちを鍛え、利用できるものは何でも利用しようとします。
まず密かな家の改造。家の中のどのドアも開けられる鍵を作り、屋根裏部屋には誰も登れないようにした上で、下の部屋を観察できるように、床に穴をいくつかあけます。
そして、祖母や他の人々から受ける暴力や罵詈雑言に耐えるために、お互いに殴り合いをしたり、罵詈雑言を浴びせて痛みを感じなくなることを覚え、乞食や盲人、聾唖者の気持ちを知るために、自ら乞食や盲人、聾唖者となってみるのです。
時には断食をしてみることも。顔色一つ変えないで小動物を殺す練習もあります。
そし、本屋で手に入れたノートや鉛筆、父親の辞書と祖母の聖書で自ら学習もします。
しかし、それらは全て彼らにとっては生きていくための方策を学ぶ手段。
自分たちの哲学に従って行動しているだけであって、聖書を暗記するほど読んでも、別に信じているわけではありませんし、お祈りもしません。
二人の作文のただ1つのルールは、「真実でなければならない」ということ。感情を定義する言葉の使用を避け、正確さと客観性を重視して、事実の忠実な描写だけに留めることを目的としたという、二人の作文そのままの作品。
しかし、あくまでも感情を排することによって、そこには戦争が持つ事実が浮かび上がり、それが逆に読む者の感情を揺り動かすのでしょうね。
読み手は、下手な同情を許されないまま、強制収容やナチスドイツによるユダヤ人虐殺という戦争での出来事を、そして感情を失ったかのように見える二人が、当たり前のように冷静に行う様々なことを、ありのままに受け止めなければならなくなるのです。
そこにあるのは、静かな迫力。雄弁な文章よりも、余程ずっしりと響いてきます。とにかく、驚きました。
恐ろしいほどの冷徹な視線で物事を眺め、時には悪魔的に狡猾でもあり、暴力的でもある「ぼくら」。
しかし、時々驚くほど純粋な部分を見せる時もあります。
それは、彼らの祖母やユダヤ人の靴屋など、彼らが信じる人間を、悪し様に言う人間を見た時。
不潔で臭くて吝嗇で、祖父殺しも疑われている「魔女」の祖母に、最初は従わないという態度を見せる二人なのですが、一度信じた人間には忠実ですし、深い愛情を抱きます。
「牝犬の子」と呼ばれようと、酷い扱いを受けようと、祖母の生き様から「生き抜く」ことを冷静に学んでいます。
ある意味、恐ろしいほど老成してしまった少年たちですし、感情をなくしたように見える二人ですが、それはあくまでも練習の賜物だったということが分かります。
ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフ自身、ハンガリー動乱の際に国境を越えて、西側へ脱出したという経歴の持ち主です。
そして、その後はスイスに移り住んだということです。
>ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフ
極東と同じ姓⇒名のハンガリーですから、本当はクリストフ・アゴタというんでしょうね。