映画評「ニューヨーク 最高の訳あり物件」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年ドイツ映画 監督マルガレーテ・フォン・トロッタ
ネタバレあり
「ハンナ・アーレント」(2012年)でなかなか強いインパクトを残した女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタががらっと趣を変えて拵えた辛辣なコメディーである。欧米が定義するコメディーであって、日本の “喜劇”とは違う。この辺を混同して本作はコメディーではないと仰る方が多いが、そもそも欧米流のコメディーの定義を知らない為に起こる誤解である。
ニューヨーク。40歳になったモデルのイングリッド・ボルゾ・ベルダルが、父親のような資産家の夫ハルク・ビルギナーのお金でデザイナーとして自立しようとするが、その矢先に彼は若い恋人を作って離婚を迫って来るのだが、彼が高層アパートメントから出て行った為に、所有権を所有する前妻のドイツ人文学教授カッチャ・リーマンが現れて居座る。
以降二人の間に激しい軋轢が生じるが、ある時カッチャの娘ティンカ・フュアストが息子を連れて暫し滞在することになる。子供のいないイングリッドはティンカに対してはソフトに接し、その上彼女が香水も研究する植物学者であることを知り、彼女の作り出す香水を売り出すことにする。しかし、ティンカは物質主義的なイングリッドが求める継続的な香水作りを拒み、拘りのある故国ドイツへ帰っていく。
しかし、不思議なもので、この辺りからカッチャの心境も変わり始め、断固拒否してきたアパートメント売買に賛同、喧嘩友達的な関係になり、彼女のデビュー・コレクションには関係者一同が集まる。
これだけ明確な、ありえないような大団円であるから、途中の確執がいくらあろうと、印象はコメディー。しかし、コメディーたる最大の所以はそこではなく、同じ男を夫に持つ若しくは持った、対照的な人生観を持つ二人の妻の奇妙な同居である。確かに笑わせる為に笑わせる場面はないものの、通常はありえないこのシチュエーションが実に可笑しいではないか。
恐らく監督は、ニール・サイモンの戯曲で映画にもなった「おかしな二人」を参考にしていると思われる。あの作品でも、舞台をニューヨークに妻に逃げ出された男が友人のアパートに転がり込むという話で、二人の性格が対照的など、似ているところが多い。
夫に出て行かれた妻と元妻の同居はかの作品以上に珍妙な、舞台劇的な状況であり、いくらでも本格喜劇的に拵えられるのにそれを避けたのは、監督が夫(男)を真のアンチテーゼに底流に据えて、表面上女性二人の対立(対照的な人生観)を描きたかったからであろう。対立しても女性同士は男より近いのである。
論より証拠、最後にヒロインは夫に“寄りを戻す条件は、マリア(カッチャの役名)と同居させること”と言うのである。これをコメディーと言わず何をコメディーと言う? 世評よりは可笑しい映画と思う。しゅんとするだろうから、男性諸氏にはお勧めしかねる(笑)。
本作はアメリカが舞台であるし、妻たちがノルウェーとドイツという出身国故に共通語たりうる英語を話す。本作は興味深いケースとして考えれば良いのだろうが、英語を話す大陸欧州映画が多いのは感心しない。
2017年ドイツ映画 監督マルガレーテ・フォン・トロッタ
ネタバレあり
「ハンナ・アーレント」(2012年)でなかなか強いインパクトを残した女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタががらっと趣を変えて拵えた辛辣なコメディーである。欧米が定義するコメディーであって、日本の “喜劇”とは違う。この辺を混同して本作はコメディーではないと仰る方が多いが、そもそも欧米流のコメディーの定義を知らない為に起こる誤解である。
ニューヨーク。40歳になったモデルのイングリッド・ボルゾ・ベルダルが、父親のような資産家の夫ハルク・ビルギナーのお金でデザイナーとして自立しようとするが、その矢先に彼は若い恋人を作って離婚を迫って来るのだが、彼が高層アパートメントから出て行った為に、所有権を所有する前妻のドイツ人文学教授カッチャ・リーマンが現れて居座る。
以降二人の間に激しい軋轢が生じるが、ある時カッチャの娘ティンカ・フュアストが息子を連れて暫し滞在することになる。子供のいないイングリッドはティンカに対してはソフトに接し、その上彼女が香水も研究する植物学者であることを知り、彼女の作り出す香水を売り出すことにする。しかし、ティンカは物質主義的なイングリッドが求める継続的な香水作りを拒み、拘りのある故国ドイツへ帰っていく。
しかし、不思議なもので、この辺りからカッチャの心境も変わり始め、断固拒否してきたアパートメント売買に賛同、喧嘩友達的な関係になり、彼女のデビュー・コレクションには関係者一同が集まる。
これだけ明確な、ありえないような大団円であるから、途中の確執がいくらあろうと、印象はコメディー。しかし、コメディーたる最大の所以はそこではなく、同じ男を夫に持つ若しくは持った、対照的な人生観を持つ二人の妻の奇妙な同居である。確かに笑わせる為に笑わせる場面はないものの、通常はありえないこのシチュエーションが実に可笑しいではないか。
恐らく監督は、ニール・サイモンの戯曲で映画にもなった「おかしな二人」を参考にしていると思われる。あの作品でも、舞台をニューヨークに妻に逃げ出された男が友人のアパートに転がり込むという話で、二人の性格が対照的など、似ているところが多い。
夫に出て行かれた妻と元妻の同居はかの作品以上に珍妙な、舞台劇的な状況であり、いくらでも本格喜劇的に拵えられるのにそれを避けたのは、監督が夫(男)を真のアンチテーゼに底流に据えて、表面上女性二人の対立(対照的な人生観)を描きたかったからであろう。対立しても女性同士は男より近いのである。
論より証拠、最後にヒロインは夫に“寄りを戻す条件は、マリア(カッチャの役名)と同居させること”と言うのである。これをコメディーと言わず何をコメディーと言う? 世評よりは可笑しい映画と思う。しゅんとするだろうから、男性諸氏にはお勧めしかねる(笑)。
本作はアメリカが舞台であるし、妻たちがノルウェーとドイツという出身国故に共通語たりうる英語を話す。本作は興味深いケースとして考えれば良いのだろうが、英語を話す大陸欧州映画が多いのは感心しない。
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