映画評「ジョーカー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2019年アメリカ映画 監督トッド・フィリップス
ネタバレあり
「バットマン」シリーズのスピンオフだが、アメコミ映画版とかスーパーヒーロー映画系列ではないほぼドラマとして作られている。「スパイダーマン」の第一シリーズは悪役までメソメソして気に入らなかったが、本作はスーパーヒーロー映画ではないから、そういう指摘は出来ない。
(Wikipediaによると)1981年、財政難のゴッサム・シティ。
コメディアンを目指し、ピエロをして老いた母を食わせて介護もしているアーサー(ホアキン・フェニックス)は、町では不良少年に痛めつけられ、銃所有を理由に仕事を首になった後、地下鉄で女性を揶揄うエリート社員3名に愚弄された為、持っていた拳銃を使って連中を射殺する。生活に疲弊し閉塞感をかこつ一部市民はこれにやんやの喝采を送る。
アーサーは、精神を病んでいる老母がアーサーの父親と信じ込む大実業家トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)を訪ねると、門前払い。後でこれは当然の扱いであると判るも悲しさは増すばかりで、遂に入院中の母親を窒息死させてしまう。
徐々に怒りと狂気を育んでいった彼は見舞いに訪れた仕事仲間を殺し、TVショーに招いてくれた大物芸人マレー・フランクリン(ロバート・デニーロ)にも幻滅して彼を射殺する。
劇中に出て来るデモは、事の発端こそ違え、現在進行形のブラック・ライヴズ・マターのデモと重なる。予言していたかのようでもある。しかし、この作品でデモをする連中は寧ろトランプを支持するプア・ホワイトに重なるところもあり、様相はそう単純ではない。
とにかく、下層で生活に喘ぐ人々に視線を下降してアメリカの問題を焙り出しているかのようであり、結局怒れる弱者のシンボルになっていく主人公の境遇にはやりきれなくなる。
主人公アーサーは発作で笑いが止まらなくなる精神病を病んでおり、這い上がりたくても這い上がれないような条件が揃っている。喜びや楽しさではなく、怒りや悲しみという感情が却って彼を笑わせてしまうという不条理。それが進んで彼の精神を歪め、後に大犯罪を起こす源泉になる、というわけである。
この作品の凄味はここ、不条理な笑いという現象の発明もしくは発見にあるだろう。ピエロの仮面性も劇的によく考えられていると思う。
本編全体あるいはフランクリン射殺後の町の混乱を捉えたシークエンスは幻想なのかもしれないとも考えられるが、バットマンことブルース・ウェインの両親は町中で射殺されたとする旧作での設定に合致するので、一応の現実であると措定しておく。その代わり、本作を単独作品と考えてバットマンと関連づけない場合幻想でなければ平仄が合わなくなる。一方、彼が同じ階に住むシングル・マザー(ザジー・ビーツ)とデートする場面群は明らかに彼の幻想である。
陰鬱な映画的ムードも悪くないが、本作にとって一番の貢献はホアキン・フェニックスの力演・好演であろう。指で口角を上げる場面などゾッとさせられる。
映画ファンならではの楽しみは、「タクシー・ドライバー」(1975年)で衝撃的な狙撃者を演じたロバート・デニーロが、同じように狂気に支配される青年に射殺されるという設定とその見せ方。笑う場面ではないものの、それこそ笑いがこぼれてきた。
コメディー畑のトッド・フィリップスがこんな映画を作るとは、少々ビックリ。
「ジョーカー」と言えば、スティーヴ・ミラー(・バンド)を思い出す僕は、音楽ファンでもある。
2019年アメリカ映画 監督トッド・フィリップス
ネタバレあり
「バットマン」シリーズのスピンオフだが、アメコミ映画版とかスーパーヒーロー映画系列ではないほぼドラマとして作られている。「スパイダーマン」の第一シリーズは悪役までメソメソして気に入らなかったが、本作はスーパーヒーロー映画ではないから、そういう指摘は出来ない。
(Wikipediaによると)1981年、財政難のゴッサム・シティ。
コメディアンを目指し、ピエロをして老いた母を食わせて介護もしているアーサー(ホアキン・フェニックス)は、町では不良少年に痛めつけられ、銃所有を理由に仕事を首になった後、地下鉄で女性を揶揄うエリート社員3名に愚弄された為、持っていた拳銃を使って連中を射殺する。生活に疲弊し閉塞感をかこつ一部市民はこれにやんやの喝采を送る。
アーサーは、精神を病んでいる老母がアーサーの父親と信じ込む大実業家トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)を訪ねると、門前払い。後でこれは当然の扱いであると判るも悲しさは増すばかりで、遂に入院中の母親を窒息死させてしまう。
徐々に怒りと狂気を育んでいった彼は見舞いに訪れた仕事仲間を殺し、TVショーに招いてくれた大物芸人マレー・フランクリン(ロバート・デニーロ)にも幻滅して彼を射殺する。
劇中に出て来るデモは、事の発端こそ違え、現在進行形のブラック・ライヴズ・マターのデモと重なる。予言していたかのようでもある。しかし、この作品でデモをする連中は寧ろトランプを支持するプア・ホワイトに重なるところもあり、様相はそう単純ではない。
とにかく、下層で生活に喘ぐ人々に視線を下降してアメリカの問題を焙り出しているかのようであり、結局怒れる弱者のシンボルになっていく主人公の境遇にはやりきれなくなる。
主人公アーサーは発作で笑いが止まらなくなる精神病を病んでおり、這い上がりたくても這い上がれないような条件が揃っている。喜びや楽しさではなく、怒りや悲しみという感情が却って彼を笑わせてしまうという不条理。それが進んで彼の精神を歪め、後に大犯罪を起こす源泉になる、というわけである。
この作品の凄味はここ、不条理な笑いという現象の発明もしくは発見にあるだろう。ピエロの仮面性も劇的によく考えられていると思う。
本編全体あるいはフランクリン射殺後の町の混乱を捉えたシークエンスは幻想なのかもしれないとも考えられるが、バットマンことブルース・ウェインの両親は町中で射殺されたとする旧作での設定に合致するので、一応の現実であると措定しておく。その代わり、本作を単独作品と考えてバットマンと関連づけない場合幻想でなければ平仄が合わなくなる。一方、彼が同じ階に住むシングル・マザー(ザジー・ビーツ)とデートする場面群は明らかに彼の幻想である。
陰鬱な映画的ムードも悪くないが、本作にとって一番の貢献はホアキン・フェニックスの力演・好演であろう。指で口角を上げる場面などゾッとさせられる。
映画ファンならではの楽しみは、「タクシー・ドライバー」(1975年)で衝撃的な狙撃者を演じたロバート・デニーロが、同じように狂気に支配される青年に射殺されるという設定とその見せ方。笑う場面ではないものの、それこそ笑いがこぼれてきた。
コメディー畑のトッド・フィリップスがこんな映画を作るとは、少々ビックリ。
「ジョーカー」と言えば、スティーヴ・ミラー(・バンド)を思い出す僕は、音楽ファンでもある。
この記事へのコメント
>タクシードライバー
衝撃的な狙撃者を演じたロバート・デニーロが、同じように狂気に 支配される青年に射殺される
私はデ・ニーロが大物芸人として登場したので「キング・オブ・コメディ」を思い出しました。しかとは覚えていないのですが、何となく展開も似ていたような・・・
>本作にとって一番の貢献はホアキン・フェニックスの力演・好演であろう。
画面から彼の体臭が漂ってきているような錯覚を覚えました。
どんなニオイや? と言われても答えようはないのですが。
「デ・ニーロ越え」ですね。
(私は初期以外のデ・ニーロはいまいちなので)
ラスト近くの街中の場面で「クリーム」の「ホワイト・ルーム」が流れていましたね。 昨日に続いて「クリーム」です。
in the white room with black curtains near the station
ここまでは中学生にもよくわかる英語でした。
それとも高校生になってたか・・・
ジャック・ブルースのベースはカッコよかった~
>ホアキン・フェニックスはいい役者になりましたね。早逝したお兄さんの
>リバー・フェニックスの分までがんばってくれているような気がします。
彼が余りに早世したものですから当たり前ですが、兄さんより大分年上になり、鬼気迫るといっても良い境地ですね。「ゴールデン・リバー」の彼も面白かったですが、本作は圧巻。今年の一年遅れの男優賞は彼で決定です!
>劇中に出て来るデモは、事の発端こそ違え、現在進行形のブラック・ライヴズ・マターのデモと重なる
>本作を単独作品と考えてバットマンと関連づけない場合幻想でなければ平仄が合わなくなる
僕は、99パーセント、主人公の妄想だと思いました・・。
己の髪を緑に染めるところからすべての妄想が始まる・・。
ラストシーンでの精神病棟での彼は、以前の黒髪に戻っていました・・が!
実は、ここから先が、物語設定の80年代ではなくプロフェッサーが指摘した現代に跳んでいるのだと・・。
ラストシーンだけが「現代」の設定になっていると仮定すると「ジョーカー」はすでにこの世に生まれている、存在しているということを暗示することになる。
大衆が熱狂するヒトラーを連想させる狂気の英雄は、すでに現実の社会に生まれており、今や遅しと社会の崩壊を待っている・・。そして、我々を救ってくれるバットマンは存在しない、という意味でしょうね・・。
最後の彼の笑いこそが、病気によるものでも、社会に阿るためのものでもない、本当の笑いだったと思いますね・・。
と、ここまで書いて、ネットの(笑)も様々な意味があるなと・・。元々は、硬質に感じてしまうネット文体特有の印象を和らげるものだったでしょうが。
>ジョーカー」と言えば、スティーヴ・ミラー(・バンド)
アルバム「鷹の爪」を持っています。
ボズ・スキャッグスも初期メンバーだったんですね。
20年位前に、ジャズ、ブルースに特化したコンサートスタイルのころに、200人程度のハコのブルーノートで目の前で聴きました。
僕と同年と思しきオジサマたちの燥ぐこと!(僕も含めて)彼らの青春時代だったのでしょう・・。
FMでフルアルバムで流すのを、カセットテープで真剣にエア・チェックしたものです。
当時、全米トップ40オタクでTDK派の僕は、お気に入りのアルバムは高いSAタイプで録音(その後メタルテープへ‥)B面ラストのクロージングを楽しんで、レコードを聴いているような感覚に浸る‥ビンボー学生の悦楽でした(笑)
>「キング・オブ・コメディ」
観たこと以外は全く憶えていません。出て来るわけがないわなあ(笑)
>「デ・ニーロ越え」ですね。
>(私は初期以外のデ・ニーロはいまいちなので)
右に同じ。「ディア・ハンター」より後はオーヴァーアクトになってきました。
>ラスト近くの街中の場面で「クリーム」の「ホワイト・ルーム」が流れ
映画ではこの曲はよく使われますよね。
>ジャック・ブルースのベースはカッコよかった~
ギターとドラムが目立ちますが、モカさん、よくぞ聴きとった(笑)
思わずパソコンにヘッドフォンを繋いで聴きましたよ。もう少し大きく録音してもよかったのになあ。クリームはまだ良い方で、当時のロックはジャズと違って、ベースの音量が小さいことが多いですね。
>僕は、99パーセント、主人公の妄想だと思いました・・。
さほど勘の悪くない人であれば、最後のシーンを見ると、全編ではないとしてもどこからか幻想・妄想であると思いますよね。全編なのか、終盤のシークエンスなのか、僕は確信が持てなかったですが。
>大衆が熱狂するヒトラーを連想させる狂気の英雄
現在のアメリカでは共和党が保守、民主党が革新ということになっているようですが、そんなに単純ではないですね。
ともかく、僕は国家は個人の自由・権利を重んじるべきという立場ですが、それがイデオロギーとなってポピュリズムに発展すると非常に危険。そういう意味では、現在、右も左もポピュリズムを孕んでいて、嫌な感じがします。
>最後の彼の笑いこそが、(略)本当の笑いだったと思いますね・・。
僕もそう思いました。
>アルバム「鷹の爪」を持っています。
スティーヴ・ミラーは何枚か持っていますが、これは所有せず。YouTubeでCD化できそうなのでもう買わない(笑)・・・(笑)
実は「ジョーカー」のアルバムも持っていません。これもYouTube利用にします。
>ボズ・スキャッグスも初期メンバーだったんですね。
そうですね。60年代。しかし、このバンドでの彼の歌声を聴いた記憶はないです。どのアルバムで歌っているか分かりますので、探して聴いてみます。
>お気に入りのアルバムは高いSAタイプで録音(その後メタルテープへ‥)
いやあ、僕はメタルは勿論、SAも買えなかった。オーディオ録音としては最低のADでしたよ。テープに応じて最適化できる高級カセットデッキを使っていたので、音質は十分だったと思います。
今でも当時録ったテープをラジカセで聴きますよ。パッド・サスペンションのフェルトが経年劣化で減ってしまい、まともな音が出ないものもありますが、概ね昔のまま。
>ギターとドラムが目立ちますが、モカさん、よくぞ聴きとった(笑)
聞き取れるようになったのはずっと後の話です。
そんなん、昭和のノイズだらけのラジオから流れてくる「ホワイト・ルーム」から聞き取れるわけがありませんがな。
フーの「ハッピージャック」(イエロー・サブマリンにちょっと似てる)でドラムには早い時期に目覚めましたが、当時は「ベースって?ピアノの左手みたいなのか?」のレベルでしたもの。
ホワイトルームは確か3,4分で終わるからラジオでもよく流れてましたね。
私はバットマンの映画を観ていないので浅野さんやオカピー先生のように関連付けて観ることができませんでしたが十分楽しめました。
鑑賞後の会話
「昔バットマンってテレビでやってたなぁ、ゴッサムシティって思い出したわ」
「漫画やったか?」
「いや、動いてたわ」
「漫画も動くで」
「人が動いてたわ」
「バットマン~バットマン~バットマン~♬~この後が思い出 さへんな」
(これ、還暦をとうに過ぎた老人の会話・・・精神年齢15歳あたりで停滞中)
という事で「困ったときのYOUTUBE頼み」で調べましたら、まんざら記憶に間違いはなかったようでした。興味あれば観てみてください。
スティーブ・ミラーって名前しか知りませんでした。
縁がなかったようです。(情報少ない時代は好き嫌いより、縁があるかないか、だったのです。)
あの頃のホワイトブルースならジョン・メイオールやヤードバーズ、クリームとか。
「キャンドヒートは好きでしたね。」と他所のオッサンに言ったら(最近このパターン)「友達いなかったでしょう?」と言われました。(笑)←ジョーカーの笑い
ブルースなのかどうかはともかく、アル・クーパーの"Blood Sweat&Tears" も聞いてました。
そうそう、ホアキン・フェニックスのジョーカーは血と汗と涙の匂いがしましたね。
>当時は「ベースって?ピアノの左手みたいなのか?」のレベルでしたもの。
確かに、ロックンロールがロックになった頃、ベースはそんな感じがあったように思います。ポール・マッカートニーが1966年に面白いベースコードを披露しなければ、ロックにおけるベースの地位は数年低いままだったかもしれません。僕の依怙贔屓ですが。
>ホワイトルームは確か3,4分で終わるからラジオでもよく流れてましたね。
あの頃僕は「ヘイ・ジュード」の記憶は鮮明に残っているのですが、「ホワイトルーム」はさほど。小学校中学年でしたから、そんなものかな。
しかし、後に「クリームの素晴らしき世界」を買って聞いた時に“うわっ、これ知っている”と思ったのも事実。頭の片隅に残っていたのでしょうね。
>「バットマン~バットマン~バットマン~♬~この後が思い出さへんな」
僕は、これに限らず、番組の中身より主題歌を憶えている口なので、歌えます。
>という事で「困ったときのYOUTUBE頼み」で調べましたら、まんざら記憶に間違いはなかったようでした。興味あれば観てみてください。
タイトルは漫画(アニメ)で、本編が実写ということですね。あの俳優たちの名前は思い出せないなあ。
YouTubeは便利だし、凄い。
>「キャンドヒートは好きでしたね。」と他所のオッサンに言ったら
>(最近このパターン)「友達いなかったでしょう?」と言われました。
いないでしょうな(笑)。いや、解らんですね。どうもすみません。
キャンドヒートと言えば、「ゴーイング・アップ・ザ・カントリー」がやたらに映画で使われます。ビートルズも例のゲットバック・セッションで、軽くやっていました。ザ・バンドの「ザ・ウェイト」もやっていたな。
>アル・クーパーの"Blood Sweat&Tears" も聞いてました。
マイク・ブルームフィールドとのライブ「フィルモアの奇跡」はブラックディスクで買いましたが、バンドとしての"Blood Sweat&Tears" は「子供は人類の父である」をCDで持っています。“ローリング・ストーン”誌は前者に最低点(その下に無価値があります)を、後者に最高点を付けていて興味深い。評者が違うかもしれませんが。
>ホアキン・フェニックスのジョーカーは血と汗と涙の匂いがしましたね。
うまいっ!と言いますか、なるほど。
ニューシネマの流れを汲んだ不遇な白人男性を描く映画が70年代によく作られてましたが、ニューシネマではまだ青春映画的な香りがあったんですが、だんだん下層白人男性70年代アメリカ殺伐ズンドコ節みたいになってきて、大抵犯罪に流れていくんですね。「タクシードライバー」「狼たちの午後」、どちらもベトナム帰還兵のズンドコ譚でしたが、マスメディアが変に持ち上げたりして一瞬スター扱いされたりとか。あの系統の映画の21世紀的ビザールなリメイクでしょう。「ジョーカー」のおはなしです、みたいにしないと、白人男性の話ができなくなってるのかなっていうのもある。
トッド・フィリップス監督ですが、コメディ得意だったのに今回は作風がちがうがと聞かれて、ポリコレがうるさくてもう以前のような調子でコメディが作れなくなってるんだ、それで....と答えていて、この映画ではアーサーがコメディアン目指しているんですけど、ロバート・デ・ニーロ演じる人気テレビ司会者にはバカにされていて笑いものにされる立場にいるんですね、それで、アーサーはコメディについて自分の考えを語ったりしてましたが、あのあたりはトッド・フィリップス監督のコメディに対しての見解が投影されているのかもしれません。
>これはバットマンのジョーカーに仮託して語られるアーサーの物語ですよね。
そうですね。
僕は、一応バットマンと関連付ける見方とそうでない見方の両方で終幕の部分を考えましたが、フィクションではあってもファンタジーではなく、ほぼ純粋なドラマでした。
>あの系統の映画の21世紀的ビザールなリメイクでしょう。
なるほど。
>ポリコレがうるさくてもう以前のような調子でコメディが作れなくなってるんだ
おかしなもんで、多様性を言っている彼らが、映画の作り方の多様性を縛っている。矛盾でしょう。
アカデミー賞でアジア系が活躍したのを受けて、東京新聞が“2014年度から主役が脇役の(少なくとも)どちらかにマイノリティ(この場合は人種・民族か?)を配役しない映画は作品賞の対象にならない”とまた書いていました。
以前これを書いたら、その方面に詳しそうな人から、それはフェイク・サイトによるデマであり、映画製作の過程でマイノリティが絡めばOKなのだと言われ、挙句に僕が差別主義者ではないかと言われました。
しかし、ネトウヨが大嫌いな人権派の東京新聞が、差別にうるさい人からフェイクと言われる記事を積極的に書くはずもないので、僕は信じているわけです。
しかし、大体においては正しいわけで、白人しかいなかった時代の、男性による極限状況的な戦闘を描いた歴史劇(例えば「ブレイブハート」)や実話などは、どんなに優れていても作品賞を獲れないということです。
この間観た史劇「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」には、本来白人しか出て来ないお話に、黒人や東洋人を一部配役していました。
これはそうしたことへの配慮ではなく、演劇界出身の女性監督がそうしたかったらしいのですが、映画は演劇と違って現実として捉えるムキがある以上、歴史に詳しくない方が黒人の大使(イングランドの大使に黒人俳優を起用)がいたと思い込む可能性は少なくないでしょう。舞台なら良いけれど、映画の史劇や実話でこれをやってはダメですよ。
これからの作品賞は、残念ながら、相対的に価値が下がるでしょうね。あるいは途中で基準が修正されると思います。