映画評「悲しみよこんにちは」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1958年アメリカ=イギリス合作映画 監督オットー・プレミンジャー
ネタバレあり
半世紀前僕が新潮文庫や角川文庫で内外の小説を読み漁っていた頃、日本の石坂洋次郎とフランスのフランソワーズ・サガンは大人気で、大量に文庫化されていた(が、僕は読まなかった)。それから数十年が過ぎ、そろそろこの手の作品も読んでみようと図書館のサイトで検索してみると、代表作以外はまるで読めないという寂しい状態なのに驚いた。時代の変転に耐え切れない代表的な作家たちなのであった。
2010年頃「サガン-悲しみよ こんにちは-」というフランス映画を観て、彼女自身の人生もかなり寂しく終わったことを知る。それから数年後やっと出世作「悲しみよこんにちは」を読んでみると、映画版よりずっとピンと来た。熟年野郎をも共感させるものがあるのだ。今回は多分3回目と思うが、小説を読んでからは初めて。
パリからコートダジュールへ避暑にやって来た17歳の少女セシール(ジーン・シーバーグ)は、若いフラッパー娘エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)を遊び感覚で自宅に泊めるプレイボーイの父親レイモン(デーヴィッド・ニーヴン)を微苦笑しながら眺めている。
そこへ彼の昔からの女友達である服飾デザイナー、アンヌ(デボラ・カー)が訪れると、彼はすっかり態度を改めフラッパー娘を捨てて中年美人に傾倒し、やがて結婚すると娘に報告する。彼女が突然母親風を吹かせてあれこれ指示するのも気に入らないセシールは、捨てられたエルザを味方に引き入れ、彼女のBFフィリップ(ジェフリー・ホーン)と昵懇のように父親に見せつけさせる。
これが奏功してレイモンは再びエルザにちょっかいを出すようになり、アンヌを傷つけるような発言をする。それをこっそり聴いてしまったアンヌは車を急発進させ、間もなく事故死してしまう。
というお話が、一年後アンヌを死に追い込んだ自責に苦しむセシールの回想形式により展開する。モノクロ部分が現在、カラー部分が回想による一年前という具合に判別しやすいように作られている。
小説は思春期後期の少女のモヤモヤそのものが主題と感じられたが、映画版は少し違う。レイモンと名前で父親を呼んで友達もしくは恋人感覚で接しているセシールは。実は父親という以上に異性として父親を見ており、自分と大して年の違わない妙齢美人と遊んでいる時は余裕でいたのに、中年美人と結婚するとなると俄然父親即ち愛しい人を失う心境になって、動揺するのである。セシールのそうした心理と悲劇を導く行動が眼目となっている為、一応興味深く見られるが、普遍性を欠くのである。
彼女と同世代の少女たちにとっての普遍性はあるだろうが、そうでもない人々にとって、このお話から年齢性別を超えた普遍性に昇華するものを感じるのはなかなか難しく、何となく物足りない。
一番良いのは、必要以上に陰鬱なムードをもたらすジュリエット・グレコ(兼出演)の歌う主題歌。できればフランス語版で聞きたかったけどね。
三島由紀夫「午後の曳航」の天才少年たちは平凡な父親になった船員をその通俗性故に本当に殺し、こちらは母親になろうとする婦人を結果的に自殺に導く。恐るべき子供たち。
1958年アメリカ=イギリス合作映画 監督オットー・プレミンジャー
ネタバレあり
半世紀前僕が新潮文庫や角川文庫で内外の小説を読み漁っていた頃、日本の石坂洋次郎とフランスのフランソワーズ・サガンは大人気で、大量に文庫化されていた(が、僕は読まなかった)。それから数十年が過ぎ、そろそろこの手の作品も読んでみようと図書館のサイトで検索してみると、代表作以外はまるで読めないという寂しい状態なのに驚いた。時代の変転に耐え切れない代表的な作家たちなのであった。
2010年頃「サガン-悲しみよ こんにちは-」というフランス映画を観て、彼女自身の人生もかなり寂しく終わったことを知る。それから数年後やっと出世作「悲しみよこんにちは」を読んでみると、映画版よりずっとピンと来た。熟年野郎をも共感させるものがあるのだ。今回は多分3回目と思うが、小説を読んでからは初めて。
パリからコートダジュールへ避暑にやって来た17歳の少女セシール(ジーン・シーバーグ)は、若いフラッパー娘エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)を遊び感覚で自宅に泊めるプレイボーイの父親レイモン(デーヴィッド・ニーヴン)を微苦笑しながら眺めている。
そこへ彼の昔からの女友達である服飾デザイナー、アンヌ(デボラ・カー)が訪れると、彼はすっかり態度を改めフラッパー娘を捨てて中年美人に傾倒し、やがて結婚すると娘に報告する。彼女が突然母親風を吹かせてあれこれ指示するのも気に入らないセシールは、捨てられたエルザを味方に引き入れ、彼女のBFフィリップ(ジェフリー・ホーン)と昵懇のように父親に見せつけさせる。
これが奏功してレイモンは再びエルザにちょっかいを出すようになり、アンヌを傷つけるような発言をする。それをこっそり聴いてしまったアンヌは車を急発進させ、間もなく事故死してしまう。
というお話が、一年後アンヌを死に追い込んだ自責に苦しむセシールの回想形式により展開する。モノクロ部分が現在、カラー部分が回想による一年前という具合に判別しやすいように作られている。
小説は思春期後期の少女のモヤモヤそのものが主題と感じられたが、映画版は少し違う。レイモンと名前で父親を呼んで友達もしくは恋人感覚で接しているセシールは。実は父親という以上に異性として父親を見ており、自分と大して年の違わない妙齢美人と遊んでいる時は余裕でいたのに、中年美人と結婚するとなると俄然父親即ち愛しい人を失う心境になって、動揺するのである。セシールのそうした心理と悲劇を導く行動が眼目となっている為、一応興味深く見られるが、普遍性を欠くのである。
彼女と同世代の少女たちにとっての普遍性はあるだろうが、そうでもない人々にとって、このお話から年齢性別を超えた普遍性に昇華するものを感じるのはなかなか難しく、何となく物足りない。
一番良いのは、必要以上に陰鬱なムードをもたらすジュリエット・グレコ(兼出演)の歌う主題歌。できればフランス語版で聞きたかったけどね。
三島由紀夫「午後の曳航」の天才少年たちは平凡な父親になった船員をその通俗性故に本当に殺し、こちらは母親になろうとする婦人を結果的に自殺に導く。恐るべき子供たち。
この記事へのコメント
そういえば、文庫本の棚でもあまり見なくなりましたね。
じつは私もそんなに読んでいないのですが、田辺聖子がすごくほめていて、それでサガンはいいんだろうなと思ってます、ただし、田辺聖子もエッセイはよく読んでいますが小説はあまり読んでいないですね、実のところは。
くらべるのはおかしいかもしれませんが、アガサ・クリスティーはいつも本屋に文庫本があって、ファンも常にいるように見えます。星新一なんかに近い愛され方なのでしょうか。
これは激しく同意ですね!
どれを読んでも退屈な(笑)石坂洋二郎はともかく、今の時代にも通用する女子力とムードを持ったサガンの作品は必ずや、再評価される時が来ると思いますね・・。
僕のサガン体験の場合は、好意を持っている女子がサガンのファンだった(現在55歳以上の文学少女だった人たちの過半数は読んでるでしょうね)という、いかにもなきっかけなんですがね・・。
個人的には「ブラームスはお好き」のほうが好みですが・・。
ジェーン・オースチンは面白いけど小説を読んでる気がしないので、西洋講談か漫才を聴いてるかような気になってくる(笑)
そして、この作品の第一の魅力は人をグッと惹きつける朝吹登水子の超ド級(笑)ランニングホームランみたいなキャッチーな邦題でしょうね・・。
”奔放な中にも中原純一の少女絵のような可憐さを秘めるサガンの分身である主人公に目を奪われがちですが、この作品のテーマである”悲しみ”とか”滅び””を象徴するのは中年女性アンヌですね・・。
僕は、終始、アンヌに肩入れしながら読んでいたと思います(中学時代から年上志向だったもので笑)
エマニュエル・マクロンのような純情!はなかなか日本では聴きませんなぁ・
日本人の男は、単純なのでしょうか(笑)
映画の方はプロフェッサーの採点どおりと思いますが、フランス語ならあと星一つ進呈したのに・・ジーン・シーバーグはアメリカ人だから無理か?
>田辺聖子もエッセイはよく読んでいますが小説はあまり読んでいないですね、実のところは。
田辺聖子は、エッセイに人気があるという気がしています。小説を一つ読んだだけですが。
>アガサ・クリスティーはいつも本屋に文庫本があって、ファンも常にいるように見えます。
僕の通う図書館など、多分全作揃っています。
図書館も昔と違って最近はミステリー、冒険、SFをよく買っているようです。やや若者に迎合的すぎる気がします。そんな時代ですから、クリスティーは強いのでしょう。
フランソワーズ・サガン、懐かしい名前です。
”サガン”ていう響きがいかにもあの時代の匂いがします。左岸?
リヴ・ゴーシュ? サンローランの香水でしたっけ?
それにしてもたった2日間でサガンを読む男性が日本に少なくとも2人はおられるという事を知っただけでも、長年井の中の蛙だったと思い知らされました。
一応本も読んだし映画も見ましたがよく覚えていませんね・・・
フランスのブルジョア家庭、アンニュイな雰囲気・・って感じでしょうか・・・
「パパと娘の関係」なら日本には倉橋由美子の傑作(私はそう思います)「聖少女」がありますからね。
そういえば、犬童一心の「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子原作)の”ジョゼ”もサガン由来でしたね。
>好意を持っている女子がサガンのファンだった
中学時代ですか? 僕は中学時代に女子と本の話なんて殆どしたことがありません。最終的に同じ大学に行った才女(キャンパスでばったり会って、お互いにおーっ!という感じでしたよ)と映画とか音楽の話をしたけれど、文学の話はしなかったなあ。しかし、彼女はあの長大な「青年の環」の読書感想文を書いていた。彼女と文学の話をしなかったのは失敗だったなあ。
>個人的には「ブラームスはお好き」のほうが好みですが・・。
僕らの時代には人気があったと思いますが、群馬県の図書館を横断したところ、たった一つの図書館だけにありました。甘楽図書館ですと。
ただ、他の作品は思ったより多くありました。ただ、比較的新しい作品が多いですね。
>僕は、終始、アンヌに肩入れしながら読んでいたと思います
>エマニュエル・マクロンのような純情!はなかなか日本では聴きません
ヤクルトにいたペタジーニも似たような感じ。友人のお母さんと結婚した。日本ではそこまで年の離れた奥さんを貰うことは本当に聞かないですよね。
>フランス語ならあと星一つ進呈したのに
そうですね。ムードが足りない。
原作と違う言語で話されると怒る人がいますが、ナンセンス。損をしているのは映画なのであって、我々が怒る必要はないです。作者は損をしているのを知っているわけですから、怒るのではなく、“残念”という浅野さんのような感覚が正しいでしょう。
こちらは、今日が迎え盆です。通常は夕方以降にやるものですが、最近夕方に雷が多いので、午前中に行って来ました。
京都は迎え盆はいつですか?
>”サガン”ていう響きがいかにもあの時代の匂いがします。左岸?
>リヴ・ゴーシュ? サンローランの香水でしたっけ?
ヌーヴェル・ヴァーグのアラン・レネやアニエス・ヴァルダは左岸派と言われていますね。
サンローランの方はちと解りません。服はまだしも、香水となると・・・
>サガンを読む男性が日本に少なくとも2人はおられるという事を知っただけでも
そりゃおりますって(笑)。余り関係ないですが、富島健夫より興味あったです^^v
>日本には倉橋由美子の傑作(私はそう思います)「聖少女」がありますからね。
倉橋由美子は、「大人のための残酷童話」といった趣味性の高い作品を読んだことがありますが。これも頭のメモ帳に書き込みました。大分いかれていて忘れることもあるので、その時はご容赦ください、
>「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子原作)の”ジョゼ”もサガン由来でしたね
nesskoさんの仰るように、田辺聖子はブラームスならぬサガンがお好き。
>京都は迎え盆はいつですか?
こちらも今日で五山の送り火が16日です。
一番有名な大文字や妙法は近いのでどこからでも大抵見ることができますが、ものによっては命がけです。窓から落ちそうになりながら乗り出すとか、横断歩道の真ん中から良く見えるとか(笑)
今年は見物人が密になるのを避ける為とかで、ものすごく簡単な点火になるらしく、それはそれで珍しいから皆出かけるんじゃないかと思っています。
リヴ ゴーシュ 当時セーヌの左岸は新しい文化の芽生えた地域だったんですね。
書いてから気づきましたが、サガン(左岸)→時代の匂い→
リヴゴーシュ→香水=69年代のかおり という事で一回転してるんですよ。
こちらの図書館を調べたらサガンで22件ありました。重複しているものもあるから20件ほどですが上出来ですかね。
短編が多そうだし、サラッと読むのにいいかも、ですね。
予約本を取りに近所の図書館に行ったついでに文庫の棚のサ行に直行したのですがサガンは見当たらず、ヘンリー・ジェイムズを借りてしまいました。 夏にはこれもありですね。
(オカピー先生の正反対を行く無計画派・・と言うか”読書計画”という言葉をこちらで初めて目にしましたよ。そんな計画を立てる人がいるんだ、と吃驚しました。)
>こちらも今日で五山の送り火が16日です。
送り火は、この辺は16日の朝と15日の晩のところとがあり、16日の朝というのが主流のようです。当地は15日晩です。
>ものすごく簡単な点火になるらしく
その関連で変な事件もあったらしいですね。
>サガン(左岸)→時代の匂い→リヴゴーシュ→香水=69年代のかおり
>という事で一回転してるんですよ。
やりますね^^
>こちらの図書館を調べたらサガンで22件ありました。
>重複しているものもあるから20件ほどですが上出来ですかね。
記事を書いてから群馬県の図書館を横断したら、大きな図書館では概ねそのくらいの感じで、記事の表現は少し大げさでしたが、しかし、僕の住んでいる町という山というか、その図書館では何と0です。現在では近くの大都市と文化交流ができて、僕ら他市民も借りることができるようになりましたが、それがなければどういうことになっていたか暗澹たる気持ちがします(ちと大袈裟)。
>文庫の棚のサ行に直行したのですがサガンは見当たらず、
>ヘンリー・ジェイムズを借りてしまいました。
そうなんです。数はあっても文庫本が少ないんですよねえ。それが昔のイメージと違います。
ジェームズは何を借りましたか?
>”読書計画”という言葉をこちらで初めて目にしましたよ。
>そんな計画を立てる人がいるんだ、と吃驚
昔から変わり者なので^^;
しかし、古典主義だからできる芸当なのかも?
大文字がLEDでライトアップされた件、そちらでも報道されましたか! 保存会の人は怒ってましたけど、火を焚いた訳でもなし、学生の悪戯でしょう。この暑いのに夜道を上り下りしてご苦労さんなこってす。 昔、誰かが点を足して「犬」になったという伝説がありますよ。
京都市図書館は区ごとに1か所か2か所あるので全部で20館近くあるわけで、20冊あったとしても平均したら1館に1冊になるんですよ。
ヘンリー・ジェイムズは「ねじの回転・デイジー・ミラー」しかありませんでした。岩波と光文社があったのでこの際両方借りてきました。 少し読み比べると、岩波の行方昭夫訳のほうが日本語としてこなれているように感じました。
確か「ある貴婦人の肖像」が良いとおっしゃてましたね?
また、探してみます。 「鳩の翼」も映画でしか知らないので読んでみたいです。学生時代以来のH・ジェイムズ、楽しみです。
やっぱり太宰じゃなくて、こっち方面に惹かれる傾向がありますね。
本も音楽も映画も、戦後の”洋物”が怒涛の如く入ってきた時代に育ったからでしょうか・・・翻訳ものが好きみたいですね。
他人事みたいな言い方ですけど。(笑)
>この暑いのに夜道を上り下りしてご苦労さんなこってす。
若い人は、大して意味のないことに使えるパワーがあるんですよねえ。
>昔、誰かが点を足して「犬」になったという伝説がありますよ。
第三者としては、こちらのほうが面白い。
>岩波の行方昭夫訳のほうが日本語としてこなれているように感じました。
光文社は割合新しい訳でしょう? 余り古い訳は読みにくいことが多いですが、新しい訳にも日本語として物足りないことがありますね。
>確か「ある貴婦人の肖像」が良いとおっしゃてましたね?
長いですが、僕は好きでしたね。パトリシア・ハイスミスに「リプリー(太陽がいっぱい」を書かせた「使者たち」(こちらも長め)も良いです。「使者たち」のほうが親しみやすいかもしれません。
ロシア文学で鍛えられましたので、長い小説に全く抵抗がないのであります。
双葉師匠は「男性のこちとらにはどうでもいいようなお話」と評して60点をつけています。画面に出てくる景色はとても綺麗でした。
>アンヌは車を急発進させ、間もなく事故死してしまう。
これは火曜サスペンス劇場「嫉妬」で似た場面を見ました。范文雀が妻役。夫役は高橋幸治。洋画が日本のドラマに与えた影響。
>二番目のケースが現実的ですね
なるほど。全てを失っても住める土地があれば(仕事があれば)良いと思いたいです。
>家を一番に考える儒教
祖先祭祀と子孫繁栄、それと子の親に対する敬愛が家族道徳の基盤なんですね。親に対する敬愛は今の日本にはあまりないかも知れません。
>斉藤由貴のヒット曲で「悲しみよこんにちは」と言うのがありました。
実は、一行コメントはそれを使おうと思いましたが、突然「午後の曳航」とダブると気付いたので、代えました。
>17歳の少女が遠回しに中年美人(新しい母親)を殺してしまったのと同じでしょうか?
セシール自身は、自殺と思っているようです。事故死か自死かどちらか判然としませんが、死ぬ原因を作ったことは確かですね。
>親に対する敬愛は今の日本にはあまりないかも知れません。
少ないです。中国やアメリカでは7割以上が親を尊敬していると言っていますが、日本は逆の数字が出ています。
それは良いのですが、封建時代における儒教思想は、相当問題もありました。
日本では一人が罪を犯すと、かなり遠い親戚まで処刑されたりしました。
新井白石の経験。ある女性が、実家の父親と仲の悪かった夫が行方不明になったので捜査してほしいと当局に頼んだら、父親を訴えるけしからん娘として死刑になりそうになりました。白石が当局を説得して回避させたそうです。
明治天皇が死んだ時、乃木希典は殉死しました。
以上、儒教はつらいよ、の巻でした。
>お時間が許したら、どうぞ。
了解しました。ありがとうございます。
>映画やドラマをよく見るのも結構人間の勉強になります。
仰る通りです。
>三島由紀夫
僕が大学4年の秋。なぜか三島由紀夫の小説をいろいろ読みました。一番良いと思ったのは「女神」でした。
>40年前の青春スター渡辺徹の訃報記事の隣に「ミレーヌ・ドモンジョ死去」が載っていました。
そうですか。新聞は明日ですね。
アラン・ドロンから映画に入った僕は、やはり「お嬢さん、お手やわらかに!」を思い出します。彼女の代表作。
ほぼ一番最初に憶えた海外の女優です。
>僕が大学4年の秋。なぜか三島由紀夫の小説をいろいろ読みました。一番良いと思ったのは「女神」でした。
マイ・ブームですね^^
僕は高校の時に「仮面の告白」を大いに面白く読みましたね。前にも申したような気がしますが、「金閣寺」も面白かった。
「女神」は未読。来編あたり読んでみましょう。
三島由紀夫の「金閣寺」も読み応えがありました。市川雷蔵主演の映画も良かったです。
今朝、5時頃にテレビを見たら通販の番組に渡辺徹が出ていて驚きました!
スキンケアのおかげで55歳にしては随分若く見える女性が登場。
渡辺徹(59歳)、森尾由美(54歳)と字幕が出ていた(当時の年齢)から2年前に収録したものですね。徹さん、喋るのがちょっとしんどそうで気の毒でした。
>「お嬢さん、お手やわらかに!」は中学生の頃にテレビで吹替版を見ました。
70年代に何度放映されたことか!
アラン・ドロンが大人気でしたしね。
近年は、この時代の映画を観るのが大変になって来ました。
>渡辺徹
「約束」で歌謡番組で知った頃は普通の体型だったけどねえ。寧ろ細い時が例外で、元来肥満体質だったらしいですね。
後年の一時期「約束」と村下孝蔵の名曲「初恋」を混同していました^^;
死因は、僕の亡父と同じ敗血症。父親の場合は肺炎、彼の場合は細菌性胃腸炎が元らしいです。
合掌。
>近年は、この時代の映画を観るのが大変になって来ました。
80年代、90年代、00年代、10年代。CATVではいろいろ放映されています。
>村下孝蔵の名曲「初恋」
「ゆうこ」も良かったです。
>死因は、僕の亡父と同じ敗血症。
悲しかったでしょうね。そう言えば「花神」の主人公大村益次郎の襲撃されて、結果的には敗血症で亡くなりました。
>12月8日
それよりも日本時間では12月9日がジョン・レノンの命日です。
https://www.youtube.com/watch?v=u3QZVdqUidw
きれいなメロディ。そしてなぜか切ない曲です・・・。
>80年代、90年代、00年代、10年代。CATVではいろいろ放映されています。
ここは山なので、CATVは利用できませんTT
NHKもかつては超絶的に素晴らしかったし、WOWOWも悪くなかったのですが、2005年くらいからNHKは本数も激減、貴重品はそれ以上減り、WOWOWも世間の風潮と共に日本映画へシフト、韓国映画も相当増えました。
ミーハー的には結構なのでしょうが、映画ファンへの配慮は殆どなくなりましいたね。
NHKは従来の衛星放送を一本化し、益々僕が観たいソフトが減りそうです。4Kも8K対応のTVなりチューナーなりを買ってもそこまでのメリットがあるかどうか。
>結果的には敗血症で亡くなりました。
新聞の社会面を眺めていますと、敗血症と誤嚥性肺炎で亡くなる方が結構多いです。年齢の割に誤嚥が多い僕はちと気を付けないといけない。
>12月9日がジョン・レノンの命日です。
今年は「ヌートピア宣言」「心の壁、愛の橋」を聴きました。
「ヌートピア宣言」は小野洋子絡みの曲が多そう。
>きれいなメロディ。そしてなぜか切ない曲です・・・。
「オー・マイ・ラブ」
僕の頭の中で「ラブ」と対になっている、好きな曲です。短調の曲なんでしょうね。
この曲が入っているLP「イマジン」に収められた名曲「ジェラス・ガイ」は、例の“ゲット・バック・セッション”では、「チャイルド・オブ・ネイチャー」とも違うタイトル「ロード・トゥ・ラシケシュ」として紹介されていました。
「チャイルド・オブ・ネイチャー」は有名ですが、「ロード・トゥ・ラシケシュ」は初めて知りました。
>「ヌートピア宣言」は小野洋子絡みの曲が多そう。
特に「あいすません」がそうです。
>年齢の割に誤嚥が多い僕はちと気を付けないといけない。
高齢になると飲み込む力がなくなるのも怖いです。旅行先でうどんを食べてる最中に亡くなったなんて例も。
>NHKは従来の衛星放送を一本化し、
ちょっと前に放映された映画がまた・・・なんてパターンもあります。
>被害者救済法案が可決となりましたが、あまり効力がないそうですね。
公明党と創価学会が一心同体なので、一定以上強化できないという面がありましたね。
一部野党が合意に向ったのは、現状では成立させないよりしたほうが何か変わるという側面があったと思います。
いずれにしても、二世信者の方も仰っていましたが、お金だけで済まない問題も多くあるので、後は解散請求が出るかどうかですね。
協会側もこれには危機感を持っているようです。信心の自由云々いっていますが、そもそもあの団体は宗教団体なのかという疑問を呈する人もいますよ。
>>NHKは従来の衛星放送を一本化し、
>ちょっと前に放映された映画がまた・・・なんてパターンもあります。
再放映は充実期でも結構やっていましたが、統合後は映画は4K・8Kオンリーになるかもです。こうなるとお手上げ。映画館ではあるまいし、現状以上の高画質は意味なし。メーカーが儲かるだけ。
BS朝日が放映していた高校野球も今夏から4Kオンリーになって利用できなかった。NHKのカナカナ星人(やたらに“かなと思う”を使う解説者)を避ける時やニュースによる中断を避ける時の為にBS朝日を愛用していましたが、無理になりました。こんなことをしていると高校野球ファンが減るよ。
サッカーW杯の解説を聞いていたら、こちらもカナカナ星人ばかり。一人だけ2時間の放映中に一度しか使わなかった人がいて好感を持ちました。多分、槙野智章という人。言葉に対する意識が高いのでしょう(例えば、現在の人は多く、意識が高いのかなと思う、と言うのですよ)。
>公明党と創価学会が一心同体なので、一定以上強化できない
もう限界でしょうか?
>そもそもあの団体は宗教団体なのか
営利団体?
>メーカーが儲かるだけ。
ガッカリします。
>こちらもカナカナ星人ばかり。
断言できないのでしょう。断言できないのかなと思います(苦笑)。
閑話休題。最近チャンネルNECOから「水もれ甲介」を録画して見るのが楽しいです。子供の頃、全く見ませんでした。
>憲法九条を無視して右寄りに進んでいます。
さすがに憲法改正は閣議決定というわけには行きませんが、結構重要なことが閣議決定され、日本は半独裁国家になりつつあります。
学術会議も総理が任命権を持つと決められたようで、反政府的な意見は取り入れないということを宣言したのと同じ。維新の会も国民民主党も与党と大差ないので、ここまま一体化していけば、異論を言うのは立憲民主党以外は少数政党になってしまい、大政翼賛会的になっていく。
北朝鮮とまでは行きませんが、中国くらいの独裁政権になり得る可能性がありますよ。アメリカがそこに至る前に色々と介入するでしょうが。
>>公明党と創価学会が一心同体なので、一定以上強化できない
>もう限界でしょうか?
一部の噂では、公明党を切って、維新・国民民主と与党を構成する可能性もあるとか。
公明党がいなければ、宗教に遠慮する必要が大分下がる。
持論ですが、信心の自由を認めるにしても、宗教団体にも課税すべきと思っています。ここらへんのお寺にしてももうけ過ぎですよ。仏教の原点に帰れば、お布施は払える人が払えるだけ払えば良いわけですから。
>>そもそもあの団体は宗教団体なのか
>営利団体?
ある意味そうかもしれませんが、僕の印象では圧力団体。関係のあった自民党議員は否定していますが、多かれ少なかれ、影響があったでしょう。
>断言できないのでしょう。断言できないのかなと思います(苦笑)
反応して戴き、有難うございます。
僕がこれを嫌う理由を三つ上げたいと思います。
その1は、蟷螂の斧さんが仰るように、断言できることを断言しないこと。
この件で姉が言っていたのは、水泳の北島康介が「チョー気持ちいい」と言った時に一部で嫌悪の意見があったということ。日本人は心情を直接的に表すことをよいと思わないという考えは、新渡戸稲造「武士道」にも書いてありましたね。
しかし、この時代に、こうした考えはどうでしょうかね。
その2。”~かな”=”~と思う”ということ。年寄りの老婆、疲労の疲れと同じように、同じ事を繰り返しているわけです。言葉への意識が低すぎて、それを何の疑問に思わずに使っている。現在の日本人にはざっくばらんと断定しないことを歓迎する傾向があり、それを代表するのが“かな”。しかし、それで終わると失礼になるので、”と思います”をくっつける。その便利さが受けたのでしょう。
その3。その2と少し重複しますが、推定・推量・想像に関する表現は幾つもあるのに、人々の間で浮きたくなくて同じ表現を使う。これは特に日本人的ですね。海外旅行へ行って日本人同士でたむろしたがるのと同じ。
>「水もれ甲介」を録画して見るのが楽しいです。子供の頃、全く見ませんでした。
珍しく題名を知っていますよ。石立鉄男主演でしょう。
高校生くらいだったでしょうか。TVのアニメとドラマは小学生でほぼ卒業(「ルパン三世」は別)したので、僕も観ていないと思います。