映画評「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2020年アメリカ映画 監督スーザン・C・スティックラー
ネタバレあり

サーロー節子という女性は、2017年にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した時に代表者としてメダルを受け取り、発言もしてニュースになったので、ご存知の方も多いだろう。

僕は、反戦主義者のくせに、核兵器を所有してアメリカの核の傘から抜け出すのを密かな願いとしている変わり者だから、核に抑止力はないという彼女と意見は違うが、どんなことでも一生懸命やる人が好きである。個人主義者は自分と違う考えを排除しない。現状の大型核兵器で占められる限り核に抑止力はあるのである。
 抑止力がないと仰る方は、頭のネジが緩んでいるどこかの元首がボタンを押すとか、機械的なエラーによって核兵器が発射されるという技術的危険性と、核の抑止力という行動原理の問題とを、混同していると思う。
 ただかく言う僕にも、トランプが実用化を目指す小型核兵器が利用できるようになると、かなり地平が変わる。小型だからと誰かが使用すると、やがて感覚が麻痺してもっと大きな核兵器を使用する馬鹿者が出て来かねない、という危惧を持つ。

本作がWOWOWで本邦初紹介されたのは彼女の被爆75年後の8月6日。本作には当然反核というメッセージがあるわけだが、重視しているのはサーローさんと、この映画の製作者でもある竹内道という女性の個人史及びファミリー・ヒストリーと思われる。個人史が社会派的メッセージを内包しているので、押しつけがましさが少なく好もしい。

サーロー節子は13歳の時に被爆して同級生たちが死んでいく中生き残り、戦後日本で知り合ったアメリカ人(カナダ人?)ジム・サーローと結婚する。息子が選んだ女性だから間違いないという彼の両親と、外国人には嫁がせたくないという彼女の両親の反応の違いが当時の国民性を反映して興味深い。アメリカ/カナダでソーシャル・ワーカーとして活動する一方で請われて色々と発言するうちに反核活動に重心が移っていく。

竹内道は被爆二世の在アメリカの実業家で、2015年に通訳として反核活動に接点を持った時にサーロー節子と知り合う。彼女の祖父は広島で医師として重要な役目を負った人物だが、祖父も母親も被曝について全く語らなかった。竹内氏はそれを二人の弱さと思っていたのだが、やがてそれが親心であり、そこに強さがあることに気付く。

彼女たちの個人史に触れるだけで僕はなかなか感動させられた。映画技術的にはどうということもないが、こういうドキュメンタリーを技術の面から評するのはナンセンスであろう。

前の会長の時から安倍政権に忖度するのか、以前はこれでもかとばかり夏休み期間2か月近くに渡って大量に(多分20本以上)戦争絡みの映画を放映していたNHKが戦争映画を放映しなくなった。ほぼゼロというのは異常事態と言っても良い。それを別にしても映画全体の放映が少ない。近い将来予定されている、現在4つ(4K・8K含む)あるBS放送の一本化が実現したら、どうなることやら? 多少受信料が下がっても本末転倒になる。

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