映画評「クリスタル殺人事件」
☆☆★(5点/10点満点中)
1980年イギリス映画 監督ガイ・ハミルトン
ネタバレあり
アガサ・クリスティーのミス・マープルものの映画化で、40年ほど前に映画館で観た、但し二番館(名画座)で。
この映画を再鑑賞する前提で、原作に当たるクリスティーの小説「鏡は横にひび割れて」を読み、読了後早速数年前にNHK-BSで録画したハイビジョン版で観てみた。その意味で画面は文句なし。
舞台は1950年代前半の英国で、戦前の名女優が復活をかけた映画に関係する催し物の最中に一人の健康的な女性が突然亡くなる。刑事の外に素人探偵ミス・マープルも事件解決に頭を働かす。というのがごく大まかなアウトライン。
さて、原作と比較して、脚本家が映画化に当たってどう改変しているかチェックするのは映画研究の上で非常に役に立つ。結論を先に言うと、主題が違う。主題の微妙な変更と時間短縮の為(長い小説ではないが、原作通りに作ると多分2時間半くらいは必要になる)全般的に随分効率化が図られている。
例えば、原作では、外出中に足を負傷したミス・マープル(アンジェラ・ランズベリー)を助けるのは後に催し物の最中に最初に毒殺されることになる中年女性だが、映画版では、映画撮影関係の催し物の会場においてミス・マープルが怪我をする。被害者とは全く関係しない。ここで既に医者も出て来ている。
あるいは、刑事(エドワード・フォックス)を彼女の甥とし(小説では登場しないが甥は別に存在する。しかし、刑事は確かに彼女を叔母のように尊敬している)、証言者の話を一緒に聞く場面まである。小説では刑事が聞いた話をミス・マープルに伝えたり、その逆もあって、考え方によっては小説の展開はまだるっこいので、効率を云々する上では最適な場面である。
その代わり、小説には全くない、教会で牧師が見せるミステリー映画が途中で上映できなくなり、彼女が明晰な頭脳を発揮する場面が冒頭に置かれている。マーブルをよく知る観客には全く意味のない場面であるが、知らない人には彼女の紹介編として機能する。
小説では監督と名女優が買い取り模様替えした町の屋敷を披露する催し物だったのが、映画では映画撮影に関する催し物に変えられている。それは彼女マリーナ・ラッド(エリザベス・テイラー)とライバルである同世代のベテラン女優ローラ・ブルースター(キム・ノヴァク)とで火花を散らせる為の映画の作戦だ。小説では、かつて二人は全く出て来ない前夫を巡って争ったことはあるが現在ではその不和は解消している。映画では前夫ではなくマリーナの現在の夫である監督ジェイスン(ロック・ハドスン)が不和の原因で、小説では旧作扱いの「スコットランドのメアリー」が、撮影する映画となっている。
これは、ローラとその夫である製作者(トニー・カーティス)が犯人ではないかと安易なミスリードをさせるのが目的なのだが、ここがこの脚色の一番の失敗で、二女優の仲違いをあれほど大袈裟に描きながら、いつの間にかこの夫婦(小説では他人)はどうでも良い扱いになってしまう。自ら仕掛けた罠を自ら放棄している。
監督の秘書(ジェラルディン・チャップリン)の扱いもまずい。あれほど動き回るのをカメラが捉えたら、本格ミステリーでは犯人ではないと自ら告げているようなもの。
ミステリーとしては更に問題があり、被害者が殺されるのは彼女自身の発言に要因があったからなのに、それをミス・マープルが解明するところで初めて出して来る。本格ミステリーであるにもかかわらず、観客にも推理させるという目的が脚本家に全くなかったと思うしかない。
映画は女優の一生がテーマで、小説は女優もナイーブな女性であるというのがテーマ。似ているようだが全く違う。映画版は、脚本家がエリザベス・テイラーを念頭に当て書きしたような感じ。
地味なミス・マープルものということもあり、ガイ・ハミルトン監督のクリスティーものでは「地中海殺人事件」のほうが大分上出来である。但し、この脚本ではこれ以上は無理でありましょう。
因みに、本作の撮影の一部(多分スタジオの部分)は、現在僕が延々とCD化を図っているビートルズの「ゲット・バック・セッション」前半が行われたツィッケナム撮影所(後半はアップル・スタジオ)が使われている。エンディング・ロールで名前が目に入ったので、一応書いてみた。
意味不明の邦題の典型じゃね。
1980年イギリス映画 監督ガイ・ハミルトン
ネタバレあり
アガサ・クリスティーのミス・マープルものの映画化で、40年ほど前に映画館で観た、但し二番館(名画座)で。
この映画を再鑑賞する前提で、原作に当たるクリスティーの小説「鏡は横にひび割れて」を読み、読了後早速数年前にNHK-BSで録画したハイビジョン版で観てみた。その意味で画面は文句なし。
舞台は1950年代前半の英国で、戦前の名女優が復活をかけた映画に関係する催し物の最中に一人の健康的な女性が突然亡くなる。刑事の外に素人探偵ミス・マープルも事件解決に頭を働かす。というのがごく大まかなアウトライン。
さて、原作と比較して、脚本家が映画化に当たってどう改変しているかチェックするのは映画研究の上で非常に役に立つ。結論を先に言うと、主題が違う。主題の微妙な変更と時間短縮の為(長い小説ではないが、原作通りに作ると多分2時間半くらいは必要になる)全般的に随分効率化が図られている。
例えば、原作では、外出中に足を負傷したミス・マープル(アンジェラ・ランズベリー)を助けるのは後に催し物の最中に最初に毒殺されることになる中年女性だが、映画版では、映画撮影関係の催し物の会場においてミス・マープルが怪我をする。被害者とは全く関係しない。ここで既に医者も出て来ている。
あるいは、刑事(エドワード・フォックス)を彼女の甥とし(小説では登場しないが甥は別に存在する。しかし、刑事は確かに彼女を叔母のように尊敬している)、証言者の話を一緒に聞く場面まである。小説では刑事が聞いた話をミス・マープルに伝えたり、その逆もあって、考え方によっては小説の展開はまだるっこいので、効率を云々する上では最適な場面である。
その代わり、小説には全くない、教会で牧師が見せるミステリー映画が途中で上映できなくなり、彼女が明晰な頭脳を発揮する場面が冒頭に置かれている。マーブルをよく知る観客には全く意味のない場面であるが、知らない人には彼女の紹介編として機能する。
小説では監督と名女優が買い取り模様替えした町の屋敷を披露する催し物だったのが、映画では映画撮影に関する催し物に変えられている。それは彼女マリーナ・ラッド(エリザベス・テイラー)とライバルである同世代のベテラン女優ローラ・ブルースター(キム・ノヴァク)とで火花を散らせる為の映画の作戦だ。小説では、かつて二人は全く出て来ない前夫を巡って争ったことはあるが現在ではその不和は解消している。映画では前夫ではなくマリーナの現在の夫である監督ジェイスン(ロック・ハドスン)が不和の原因で、小説では旧作扱いの「スコットランドのメアリー」が、撮影する映画となっている。
これは、ローラとその夫である製作者(トニー・カーティス)が犯人ではないかと安易なミスリードをさせるのが目的なのだが、ここがこの脚色の一番の失敗で、二女優の仲違いをあれほど大袈裟に描きながら、いつの間にかこの夫婦(小説では他人)はどうでも良い扱いになってしまう。自ら仕掛けた罠を自ら放棄している。
監督の秘書(ジェラルディン・チャップリン)の扱いもまずい。あれほど動き回るのをカメラが捉えたら、本格ミステリーでは犯人ではないと自ら告げているようなもの。
ミステリーとしては更に問題があり、被害者が殺されるのは彼女自身の発言に要因があったからなのに、それをミス・マープルが解明するところで初めて出して来る。本格ミステリーであるにもかかわらず、観客にも推理させるという目的が脚本家に全くなかったと思うしかない。
映画は女優の一生がテーマで、小説は女優もナイーブな女性であるというのがテーマ。似ているようだが全く違う。映画版は、脚本家がエリザベス・テイラーを念頭に当て書きしたような感じ。
地味なミス・マープルものということもあり、ガイ・ハミルトン監督のクリスティーものでは「地中海殺人事件」のほうが大分上出来である。但し、この脚本ではこれ以上は無理でありましょう。
因みに、本作の撮影の一部(多分スタジオの部分)は、現在僕が延々とCD化を図っているビートルズの「ゲット・バック・セッション」前半が行われたツィッケナム撮影所(後半はアップル・スタジオ)が使われている。エンディング・ロールで名前が目に入ったので、一応書いてみた。
意味不明の邦題の典型じゃね。
この記事へのコメント
>アンジェラ・ランズベリー
4,5日前に「ガス燈」を観ていて、バーグマン家に雇われる小生意気なメイド役が「見たことある顔やなぁ」と調べたら”ジェシカおばさん”や”ミス・マープル”と推理好きキャラがお得意なあのおばさんのデビュー作でした。
この映画は殆ど記憶にないです。エリザベス・テイラーが派手なドレスを着てパーティー会場で踊り場の絵のほうを見て固まってしまう場面はなんとか思い出しましたが・・・
オリエント急行の後追いのように往年のオールスターで固めてましたけど、クリスティーの世界観にはそぐわない方がちらほらおられますね。
映画の数年後に作られたイギリスのTV版のほうがクリスティーの原作に忠実で、品があってよろしいかと思います。
でもこちらも何故か警部がミス・マープルの”甥”という設定になっていて、「おいおい!」と思った記憶があります。(笑)
これはイギリス流のひねったユーモアでわざとやって映画版をちゃかしているのかもしれませんね。
これは、同年に芥川賞候補になった田中康夫の「なんとなくクリスタル」から、なんとなく拝借したのはバレバレでしょうね!
クリスティは、ポワロ物は前作読みましたが、ミス・マープルとは相性が悪く、この「クリスタル~」も、やはりダメでしたねぇ(笑)
74年の「オリエント急行殺人事件」は脚本と配役の妙が素晴らしく、クリスティ本人も、「自分の作品で初めて気に入った・・」・・と褒め、以後のクリスティ作品シリーズ化のきっかけになっていますし・・。
本作でも、リズとキム・ノヴァクら、当時すでに懐メロスターだった方たちを集めていますが、見掛け倒しに終わってしまいました!
>4,5日前に「ガス燈」を観ていて
僕もブログ開始当初に再鑑賞して、あっミス・マープルと思ったことを思い出しました。印象的な容貌ですね。
>パーティー会場で踊り場の絵のほうを見て固まってしまう
明らかに犬猿の仲のキム・ノヴァクを見ての反応のような、ミス・リード見え見えの撮り方でした。しかも、肝心の台詞を消去している。全く下手な脚色でした。
>でもこちらも何故か警部がミス・マープルの”甥”という設定になっていて
>「おいおい!」と思った記憶があります。(笑)
うまいっ!
>これはイギリス流のひねったユーモアでわざとやって
>映画版をちゃかしているのかもしれませんね。
そう考えた方が楽しいですね。
>同年に芥川賞候補になった田中康夫の「なんとなくクリスタル」から、
>なんとなく拝借したのはバレバレでしょうね!
甥から「おいおい!」を導き出したモカさんもうまいが、なんとなくをなんとなく繋げた浅野さんもうまい。我々の世代は楽しい人が多いな^^
そうか、1980年は田中君が話題になった年でしたっけ。「なんクリ」が文庫化されたのが81年1月、本作の日本公開が7月。鏡を強引にクリスタルと解釈して、流行に乗ったのでしょうね。
>ポワロ物は全作読みましたが、ミス・マープルとは相性が悪く、
>この「クリスタル~」も、やはりダメでしたねぇ(笑)
インターナショナルなポワロのほうが派手で面白いですね。ミス・マープルものはいかにもローカルなので、TVミステリーくらいでやるには悪くないとは思いますが。
>本作でも、リズとキム・ノヴァクら、当時すでに懐メロスターだった方たちを集めています
TVで活路を見出していたA・ランズベリー、貴重なバイプレーヤーになっていたジェラルディン・チャップリンを別にして、昔の名前で出ていますという人が多いですね。
その中で割合バリバリに近いリズにしても、一番綺麗でない時期のリズで、この後痩せて昔の美貌が戻ってきました。その時に撮ればまだ良かっただろうに。リズは脂肪が顔に出るタイプなので、太ると顔がむくんで美貌を損なう。
あまりにも映画の記憶がないので昨夜ネット上をさ迷っておりまして、面白い記事を見つけました。
E・テイラーが演じた女優の悲劇にはモデルケースがあったのかも。
40年代の有名な美人女優、ジーン・ティアニー(初めて聞く名前です。当然ご存じですよね?)が殺人こそしていませんが、同じ悲劇に見舞われたらしいです。クリスティーはそのことを知らなかったと書いてありましたが、かなり特殊な話ですし、知っていたんじゃないかな・・・? wikiには偶然だと書いてありましたしそれを信じたいですが・・・
原作本が出てきたのでパラパラと見ていたら、警部はミス・マープルを「おばさん」と呼んでました。”甥”だったんでしょうか?
私の記憶では彼女に親族はいなくて、家政婦さんと庭師がいるという究極の理想の生活だと思ってたんですが・・・記憶っていいかげんですね。
>40年代の有名な美人女優、ジーン・ティアニー(初めて聞く名前です。当然ご存じですよね?
有名人で、十年近く前にWOWOWが特集を組んだほどです。残念ながら余り良い作品はなく、どちらかと言えば男性映画で助演するという作品が多い女優です。
但し、風疹事件は知りませんでした。
>原作本が出てきたのでパラパラと見ていたら、警部はミス・マープルを
>「おばさん」と呼んでました。”甥”だったんでしょうか?
僕が読んだのと同じものかな(橋本福夫訳)?
警部と彼女の関係は、彼が若い時に事件解決にお世話になったという記述しかないので、多分他人ではないかと思います。マープルには別に甥がいるようで、二、三回甥という単語が出て来たと記憶しています。英語圏では、伯母(叔母)さんに「おばさん」と呼びかける習慣はありませんので、原文ではどういう単語を使っているか気になるところです。
>リズは脂肪が顔に出るタイプなので、太ると顔がむくんで美貌を損なう。
私もこのタイプなんですよね・・・(はい、ここツッコミどころです。「おいおい!」の出番です。)
本は橋本福夫訳です。というかこの訳しかないような・・・
クリスティーは何を読んで何を読んでいないのかも分からなくなっています。(E・クイーンの国名シリーズも同じく)
デビッド・スーシェのTV版ポワロをよく見ていたのがさらなる混乱の素のようです。
クリスティーは70年代頃はハヤカワのポケミス版でも出ていましたが、これも文庫も字が小さくて再読不可です。
このようにすぐに忘れるクリスティーですが、「終わりなき夜に生れつく」と「春にして君を離れ」は印象深いです。
前にも書きましたね。しつこくお勧めします。(笑)
クリスティーは晩年、マーガレット・ミラーの新作を心待ちにしていたらしいですが、「終わりなき・・」なんか影響されてるかも、です。
>私もこのタイプなんですよね・・・
いや、実際を拝見しておりませんので(笑)。
>字が小さくて再読不可です。
僕は近視ですので、本を読むのはさほど苦労しません。但し、眼鏡をかけて50~60cmといった中途半端な距離で文字を見るのは、ダメ。例えばパソコンなど。かけてもかけなくても見えない距離なんです。昔作った弱い眼鏡であれば、大分良いですが。
>「終わりなき夜に生れつく」と「春にして君を離れ」は印象深いです。
実は読みました。余り細かく言うと、4か月後の楽しみがなくなってしまうので保留。「春にして君を離れ」のほうが良かった。
「終りなき夜に生れつく」はミステリーとしては前半を一人称、後半若しくは終盤を三人称で綴った方が自然だったのではないかと思いました。「八日目の蝉」の手法ですね。結構書いちゃった(笑)
>「終りなき夜に生れつく」はミステリーとしては前半を一人称、後半若しくは終盤を三人称で綴った方が自然だったのではないかと思いました。
なるほど! それは良い考えですね。三人称で少し突き放す感じにするといいかも、ですね。
今度会ったら言っときます。(笑)
これは二十歳くらいで読んだので結構せつなかったです。
映画にするならテレンス・スタンプ?
「コレクター」の二番煎じになりそうですね。
あの頃はアイリッシュやアルレーのような暗いのをよく読んでましたけど、流行ってたんですかね?
本はもうあまり読めませんが、映画はこちらで紹介されているのをドンドン観るつもりですので、よろしくご教示願います。
>これは二十歳くらいで読んだので結構せつなかったです。
幻想的で、かなりゴシックでしたね。
>映画にするならテレンス・スタンプ?
時代的にもぴったりですね。
>「コレクター」の二番煎じになりそうですね。
だから、スタンプか否かは別にして、当時映画化されなかったのかな?
>アルレー
名前をよく知っていて未だ読んでいない作家の一人。ぼちぼち取り組んでいきます。
モカさんがアイリッシュやアルレーを読まれていた頃、僕はクイーンの悲劇シリーズやヴァン・ダインを読んでいました。それにしても、僕のあの帽子ならぬ(人間の証明」、帽子を落とした霧積温泉は僕の家から割合近いです)、あの文庫本はどこへ行ったんでしょうね?
50年代のスターで意外とリアルタイムで見ているのはエバ・ガードナーです。ただし、脇役でしたが。でも、きれいなんですよね、ちょっと異常なくらいに。
「クリスタル殺人事件」は、一時期角川映画でやってた横溝正史作品の映画化みたいなかんじで、気楽にたのしんだ記憶があります。小説の基になった実話があって、それは痛ましい話でした。
>「クリスタル殺人事件」「青い鳥」「トスカニーニ 愛と情熱の日々」は
>リアルタイムで見られたんだなあ
そうでした。そのうち映画館で観たのは「クリスタル殺人事件」だけで、まだ衛星放送が始まる前で、リズの本当の喋り方を聞いたのは初めてだったかもしれません。案外可愛い話し方をするなあ、という感想でしたよ。
>何か目がすごいんですよ、ぎろっと流し目したときとか。
>画面に映っているだけで存在感ありますしね。
だから、あの可愛い喋り方と落差があって面白いとも感じました。彼女はもう少し細い方が断然綺麗なんですが。
>意外とリアルタイムで見ているのはエバ・ガードナーです。
秀作「ロイ・ビーン」、椅子が揺れると話題になった「大地震」、「カサンドラ・クロス」など結構出演作がありましたね。映画観で観たのは「大地震」「ロイ・ビーン」。
>小説の基になった実話があって、それは痛ましい話でした。
モカさんも仰っていました。どうして皆さん、ご存知なの?
「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」で、アガサ・クリスティー原作のミステリーを、豪華キャストで映画化すれば大ヒット間違いなしというやり方が定着したのか、その第3弾がこの「クリスタル殺人事件」。
しかし、それにしても何とセンスのない邦題なのか。
本当に安っぽい題名になっています。
時流に便乗というか何というか、アガサ・クリスティーを愛する一ファンとしては、苦情を言わずにはいられない気持ちになります。
これでは、原作の邦訳名の「鏡は横にひび割れて」のほうが、どれだけいいかわかりません。
いつもセンスの良い、素敵な邦題を付けていた東宝東和とも思えぬ、"悪題"ですね。
それはともかく、今までの2本がエルキュール・ポアロ物だったのに対して、今度の作品はアガサ・クリスティーのミステリーを代表するもう一人の名探偵、ミス・マープルの登場です。
セント・メアリー・ミードという英国の小さな田舎町から一歩も出たことがないという老嬢ミス・マープルが、その鋭い"人間観察"を通して事件を鮮やかに解決していきます。
その平和な田舎町へ、映画のロケ隊がやって来て、もう、てんやわんやの大騒ぎ。
そして、その歓迎パーティの席上で殺人が起きてしまいます。
この映画を原作を未読の人が見たら、どう思うのでしょうか?
原作をそれこそ深く知っている私としては、その辺の判断がつきません。
しかし、往年の人気スターを集めて、この田舎町へ乗り込ませたアイディアは実に楽しい。
エリザベス・テイラー、キム・ノヴァク、ロック・ハドソン、トニー・カーティス。
この顔ぶれを観ていると、リズとロック・ハドソンは「ジャイアンツ」で夫婦役で共演していたなとか、キム・ノヴァクはヒッチコック監督の「めまい」で妖艶な魅力があったなとか、トニー・カーティスはジャック・レモンとのコンビでの「お熱いのがお好き」での女装がなかなか良かったなとか、様々な映画の思い出が走馬燈のように、次々と脳裏をよぎってしまいます。
かつての美男美女が、今やどこかうさんくさい、一癖ありそうな風貌となって、いかにも誰もが犯人らしく見えてくるから愉快です。
それから、忘れてはならない女優として、ジェラルディン・チャップリンが秘書役でなかなか好演しています。
そして、肝心の主人公のミス・マープルはアンジェラ・ランズベリー。
エルキュール・ポアロのアルバート・フィニー、ピーター・ユスティノフもそうですが、こういうよく親しまれた名探偵というのは、誰もが自分なりのイメージを持っていますから、どうしても違和感があるのはやむを得ないことだと思います。
私個人の好みとしては、エルキュール・ポアロは断然、アルバート・フィニーが良かったですね。
芸達者なアンジェラ・ランズベリーですから、決してミス・キャストではなく、好演していると思いますが、私のイメージから言えば、多少派手すぎる感じがしないでもありません。
この映画の舞台となるセント・メアリー・ミードの村は、よく雰囲気を出して作られていて、名手クリストファー・チャリスのカメラも実に美しい。
ただ、監督が007シリーズのガイ・ハミルトンというのが観る前に気になっていて、その不安はどうも半ば的中してしまいました。
英国ミステリーの、生活感のあるムードがどうにも出て来ないのです。
そして上映時間が1時間45分というのも、はっきり言って短かすぎると思います。
ここはやはり、2時間以上かけて、じっくりと描き込んでもらいたかった。
大体、アガサ・クリスティーの作品は、世界中でかなりよく知られているのですから、話がわかっている観客をも、楽しませるように作ってくれなくては困るのです。
せっかく、お金をかけ、豪華な役者も集めたのに、何ともったいないことかと、つくづく思います。
確かに、顔ぶれの楽しさ、原作の骨組みの確かさで見せてくれますが、アガサ・クリスティーの大ファンとしては、文句なしに面白かったと言えないのが残念です。
>豪華な役者も集めたのに
僕はそれが眼目となってしまって、ミステリーとしては実に手抜きと思いましたね。
それがポワロものの「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」と決定的に違うところです。