映画評「セカンド・ラブ」
☆☆★(5点/10点満点中)
1983年日本映画 監督・東陽一
ネタバレあり
芸能人の死で何度か吃驚したことがある。ジョン・レノンやマーヴィン・ゲイはその亡くなり方に言葉を失ったし、日本の女優では今年の竹内結子に落胆した。日本代表の4番バッターと言うべき大物の自死はちょっと考えられない。現役バリバリの女優の中でとりわけご贔屓にしていただけに、その意味ではジョンの時に近いものがある。
それに次ぐと言っても良いのが大原麗子の死である。病死ではあるが、華麗なる女優の代表格とも言える彼女の、孤独死とも言われた最期に悄然とした。
閑話休題。
その麗子さんがCMでも人気を得た絶頂期に、「サード」で名を上げた後「もう頬づえはつかない」以降暫く女性映画に特化していく東陽一監督作品に出演したのが本作。女性映画と言っても、彼の作品群の場合、女性が頑張る映画ではなく、エロ度の高いものが多いので、それを麗子さんがどうこなすのか話題になりましたね。
で、本作は初鑑賞か否かはっきりしない。ノート時代の鑑賞記録を見れば分るのだが、探し出すのが面倒臭い。 IMDb には投票していなかったものの、実は僕が鑑賞記録を基にばんばん投票していた20年以上前 IMDb には載っていない邦画が多く、この時代の映画の場合余り参考にならない。「飢餓海峡」すらなかったのだ。いずれにしても、以下のお話は全く記憶がない。やはり観ていないか?
グリーン・コーディネーターという、植物を家の中に飾るのを職業とする麗子さんは、再婚して二年を経た現在、建築設計士の夫小林薫が彼女の前夫との切れない関係を疑い他の女性に色目を使うことで気分転換を図っているのを薄々感じ、やや落ち着かない状態。母親が彼を少し疎んじているのも気になる。
彼が彼女を取材に訪れたフリー記者?中村れい子と懇ろになる一方、彼女は行きつけのジャズ喫茶店長アイ・ジョージと親しい。彼女の方は単なる飲み友達にすぎない。
彼女の妊娠が確定する頃、自宅に勝手に入って男が変なメモを服に残して死んでいるのを発見し、彼は益々疑心暗鬼になるが、警察の捜査で隣家の奥さんに岡惚れしている塾講師と判明し取り合えず疑惑は遠のく。彼女がローラースケートの少年と交錯して倒れて負傷する。それを聞いてナナハンで病院に駆けつける小林氏が転倒する。
夫婦が別々に負傷というのがそこはかとなく可笑しい図となっているが、可笑しいと言えば、彼は魔女と自称する中村れい子の横を過ぎたところで転倒する。つまり“何があっても知らないから”と言う彼女の魔法にかかったと思わせるわけで、行き違いのある夫婦の仲を描いて神妙になりがちだった作品において、脚本コンビ(田中晶子、東監督)がお茶目ぶりを発揮した箇所と言ってよろしい。
実際このお茶目をもって映画は夫婦の和合が一気に進む方向へ完全に転換するのである。変てこと言えば変てこだが、憎めない。
事故によって流産なんて展開にしなかったのも品が良い。とは言え、調子が落ちていた時代の東監督の作品らしく、小手先の印象が強く余りぱっとぜず。肝心の麗子さんは喘ぎ演技で少し頑張った程度で結局脱がず、ヌードはよく脱ぐ女優・中村れい子嬢にお任せ。
森進一と別れた大原麗子に対する記者の態度に腹が立った。良くも悪くも、あの時代とは、報道陣の言葉遣いも変わった。高校野球のインタビューでは、選手に対して“~君”とか“君は~”という言葉遣いだったが、今はまず使わない。僕は高校生くらいまでは“君(くん、きみ)で良いと思う。余り平等に扱うのも若者に時に誤解を与える。逆の意味で、ジャニーズの連中が年上の先輩に向って“~君”と呼ぶのも変。
1983年日本映画 監督・東陽一
ネタバレあり
芸能人の死で何度か吃驚したことがある。ジョン・レノンやマーヴィン・ゲイはその亡くなり方に言葉を失ったし、日本の女優では今年の竹内結子に落胆した。日本代表の4番バッターと言うべき大物の自死はちょっと考えられない。現役バリバリの女優の中でとりわけご贔屓にしていただけに、その意味ではジョンの時に近いものがある。
それに次ぐと言っても良いのが大原麗子の死である。病死ではあるが、華麗なる女優の代表格とも言える彼女の、孤独死とも言われた最期に悄然とした。
閑話休題。
その麗子さんがCMでも人気を得た絶頂期に、「サード」で名を上げた後「もう頬づえはつかない」以降暫く女性映画に特化していく東陽一監督作品に出演したのが本作。女性映画と言っても、彼の作品群の場合、女性が頑張る映画ではなく、エロ度の高いものが多いので、それを麗子さんがどうこなすのか話題になりましたね。
で、本作は初鑑賞か否かはっきりしない。ノート時代の鑑賞記録を見れば分るのだが、探し出すのが面倒臭い。 IMDb には投票していなかったものの、実は僕が鑑賞記録を基にばんばん投票していた20年以上前 IMDb には載っていない邦画が多く、この時代の映画の場合余り参考にならない。「飢餓海峡」すらなかったのだ。いずれにしても、以下のお話は全く記憶がない。やはり観ていないか?
グリーン・コーディネーターという、植物を家の中に飾るのを職業とする麗子さんは、再婚して二年を経た現在、建築設計士の夫小林薫が彼女の前夫との切れない関係を疑い他の女性に色目を使うことで気分転換を図っているのを薄々感じ、やや落ち着かない状態。母親が彼を少し疎んじているのも気になる。
彼が彼女を取材に訪れたフリー記者?中村れい子と懇ろになる一方、彼女は行きつけのジャズ喫茶店長アイ・ジョージと親しい。彼女の方は単なる飲み友達にすぎない。
彼女の妊娠が確定する頃、自宅に勝手に入って男が変なメモを服に残して死んでいるのを発見し、彼は益々疑心暗鬼になるが、警察の捜査で隣家の奥さんに岡惚れしている塾講師と判明し取り合えず疑惑は遠のく。彼女がローラースケートの少年と交錯して倒れて負傷する。それを聞いてナナハンで病院に駆けつける小林氏が転倒する。
夫婦が別々に負傷というのがそこはかとなく可笑しい図となっているが、可笑しいと言えば、彼は魔女と自称する中村れい子の横を過ぎたところで転倒する。つまり“何があっても知らないから”と言う彼女の魔法にかかったと思わせるわけで、行き違いのある夫婦の仲を描いて神妙になりがちだった作品において、脚本コンビ(田中晶子、東監督)がお茶目ぶりを発揮した箇所と言ってよろしい。
実際このお茶目をもって映画は夫婦の和合が一気に進む方向へ完全に転換するのである。変てこと言えば変てこだが、憎めない。
事故によって流産なんて展開にしなかったのも品が良い。とは言え、調子が落ちていた時代の東監督の作品らしく、小手先の印象が強く余りぱっとぜず。肝心の麗子さんは喘ぎ演技で少し頑張った程度で結局脱がず、ヌードはよく脱ぐ女優・中村れい子嬢にお任せ。
森進一と別れた大原麗子に対する記者の態度に腹が立った。良くも悪くも、あの時代とは、報道陣の言葉遣いも変わった。高校野球のインタビューでは、選手に対して“~君”とか“君は~”という言葉遣いだったが、今はまず使わない。僕は高校生くらいまでは“君(くん、きみ)で良いと思う。余り平等に扱うのも若者に時に誤解を与える。逆の意味で、ジャニーズの連中が年上の先輩に向って“~君”と呼ぶのも変。
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