映画評「ゴッドファーザー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1972年アメリカ映画 監督フランシス・フォード・コッポラ
ネタバレあり
「ゴッドファーザー」と「パルプ・フィクション」は世評と僕の評価が乖離している為(また上映時間が長い為)に取り上げて来なかったのだが、評価と好悪は別で、本作は実は相当好きな作品である。評価においても「パルプ・フィクション」よりはずっと高く評価している。
映画ファンになってそれほど経たないうちに大いに話題になったマフィア映画だが、そもそも本作の前にマフィアなる言葉を日本人は全く知らなかったと思う。日本のヤクザ映画に相当するものはギャング映画と言っていた。本来経営用語であるシンジケートという言葉も別のマフィア映画によりかなり定着した。
撃ち合いの激しさでは戦前の「暗黒街の顔役」(1932年)も引けを取らないが、当然同作を観る前のティーンエイジャーの僕は非情なバイオレンスにビックリしたものだ。
とりあえず、簡単にお話をおさらい。
ニューヨークの五大マフィア・ボスの中でトップに君臨するヴィトー・コレルオーネ(マーロン・ブランドー)は、麻薬密売の大物ソロッツォ(アル・レッティエリ)から麻薬の話をもちかけられるが、麻薬は様々な問題を生むとして拒否する。それを恨んだソロッツォは支配下にある大親分タッタリアではなく、その類縁にあるバルジ―二(リチャード・コンテ)の指示の下、ヴィトーを襲わせる。ヴィトーは一命を取り留めるが、直情径行の長男ソニー(ジェームズ・カーン)はすぐに行動に出て、タッタリアの息子を仕留める。
ここに応酬が始まり、ソニーも身内に裏切られて嵌められ、射殺される。頼りにならない次兄フレド(ジョン・カザール)はラスヴェガスに送られ、暗黒街とは縁のなかったインテリの三男マイケル(アル・パチーノ)がそれ故に敵討ち役に指名されてソロッツォと悪徳警官を倒す。
この事件を受けて彼は父の故郷シチリアのコルレオーネ村近くに身を隠す。彼が同地で見初めて結婚したアポロニア(シモネッタ・ステファネッリ)が彼の代りに爆死し、ほとぼりが醒めた頃帰国する。ヴィトーは五大ボスの会合を催し、マイケルに手出しをしないことを条件に、一応の和平協定を結ぶ。
かくして堅気の生活に戻れなくなったマイケルが大ボスの座を継ぎ、再会した前の恋人ケイ(ダイアン・キートン)と再婚する。
マイケルは頭が良くかつ冷静沈着である為に油断することなく、却って冷酷な面を発揮、大親分バルジーニやその周辺、次兄を世話していたラスヴェガスのボスを一掃し、シンジケートのトップに立つ。
抗争場面の激しさだけであれば「暗黒街の顔役」以降同じレベルの作品があったかもしれない。イタリア的家族愛を描いた映画では「鉄道員」「若者のすべて」が思い浮かぶなど、その面でも格別に目新しい作品でもない。しかるに、正に絶妙な匙加減でマフィア間の非情な暴力を、強い絆で結ばれる家族の描写によってサンドウィッチしたところが全世界の映画ファンの琴線に触れ、大ヒットしたのだと思う。家族のソフトな面と、マフィアの非情な面が、後半まで対位法的に綴られ、過激なだけでは閉口しかねないところをうまく回避するのである。
とりわけ絶品なのは、ニューヨークからシチリアの場面に変わる所で、正に対位法の極致と言うべし。1時間半を過ぎたシチリアの場面で初めてニーノ・ロータによる有名な「愛のテーマ」がかかる。ロータによる音楽が本作を成功作たらしめた最大要因と言っても過言ではないと、ロータの大ファンたる僕は信じる。それくらい素晴らしい。撮影も秀逸。
ただ、マフィア(ギャング)映画としては、家族愛というオブラートでくるんだ柔らかな印象が時に過剰で甘く感じられ、僕は何回観てもその点が本作の弱さと感じる。映画として厳しさが足りないのである。同時に、生まれついてのロマンティストである僕にはその甘いロマンティシズムが好ましい。好悪と評価を一応分けるのが僕のスタンスなのだ(勿論完全には分けられない)。
個別には、上の梗概では全く無視した結婚式の場面から、フランク・シナトラがモデルと言われる歌手の映画出演にかけての場面的対比がまず効果的。その中で33分頃の、映画プロデューサーの愛馬の頭がベッドにある場面は初めて見た時には腰を抜かしたもので、マフィアの非情・過激がよく表現され、本作の中でもインパクトが強い。
長男が待ち伏せされて射殺される場面の呼吸も素敵だ。嵐の前の静けさという印象の醸成が上手かった。
本作の基調を成す対比と言えば、教会での洗礼の場面とボスたちの怒涛の暗殺場面のカットバック(厳密にはクロス・カッティング)が強烈で、かかる対位法的な見せ方は本作以降暗黒街映画で増えて行ったと思う(ルキノ・ヴィスコンティ監督「若者のすべて」(1960年)における終盤のクロス・カッティングの影響があるかもしれない。本作全体に「若者のすべて」に通底するところ多し)。
配役陣も素晴らしく、新星パチーノはこれで大スターの座につき、ダイアン・キートンにとってはステップ・アップになった(大スターになるのはウッディー・アレン監督「アニー・ホール」によってであろう)。義兄弟で相談役役のロバート・デュヴォールやジェームズ・カーンは既に実績があったが、本作により確固たる地位を築いたと言っても良いのではないか。特に、主役級のカーンと違ってバイプレーヤーだったデュヴォールはぐっと知名度を上げたと思う。ブランドーは、昔からのファンにすれば、実年齢(撮影時47歳)以上の老け役に驚いたはず。
マーロン・ブランドーはドー、ネヴィル・ブランドはド。前者はdo、後者はdだから、表記に差を設けている。
1972年アメリカ映画 監督フランシス・フォード・コッポラ
ネタバレあり
「ゴッドファーザー」と「パルプ・フィクション」は世評と僕の評価が乖離している為(また上映時間が長い為)に取り上げて来なかったのだが、評価と好悪は別で、本作は実は相当好きな作品である。評価においても「パルプ・フィクション」よりはずっと高く評価している。
映画ファンになってそれほど経たないうちに大いに話題になったマフィア映画だが、そもそも本作の前にマフィアなる言葉を日本人は全く知らなかったと思う。日本のヤクザ映画に相当するものはギャング映画と言っていた。本来経営用語であるシンジケートという言葉も別のマフィア映画によりかなり定着した。
撃ち合いの激しさでは戦前の「暗黒街の顔役」(1932年)も引けを取らないが、当然同作を観る前のティーンエイジャーの僕は非情なバイオレンスにビックリしたものだ。
とりあえず、簡単にお話をおさらい。
ニューヨークの五大マフィア・ボスの中でトップに君臨するヴィトー・コレルオーネ(マーロン・ブランドー)は、麻薬密売の大物ソロッツォ(アル・レッティエリ)から麻薬の話をもちかけられるが、麻薬は様々な問題を生むとして拒否する。それを恨んだソロッツォは支配下にある大親分タッタリアではなく、その類縁にあるバルジ―二(リチャード・コンテ)の指示の下、ヴィトーを襲わせる。ヴィトーは一命を取り留めるが、直情径行の長男ソニー(ジェームズ・カーン)はすぐに行動に出て、タッタリアの息子を仕留める。
ここに応酬が始まり、ソニーも身内に裏切られて嵌められ、射殺される。頼りにならない次兄フレド(ジョン・カザール)はラスヴェガスに送られ、暗黒街とは縁のなかったインテリの三男マイケル(アル・パチーノ)がそれ故に敵討ち役に指名されてソロッツォと悪徳警官を倒す。
この事件を受けて彼は父の故郷シチリアのコルレオーネ村近くに身を隠す。彼が同地で見初めて結婚したアポロニア(シモネッタ・ステファネッリ)が彼の代りに爆死し、ほとぼりが醒めた頃帰国する。ヴィトーは五大ボスの会合を催し、マイケルに手出しをしないことを条件に、一応の和平協定を結ぶ。
かくして堅気の生活に戻れなくなったマイケルが大ボスの座を継ぎ、再会した前の恋人ケイ(ダイアン・キートン)と再婚する。
マイケルは頭が良くかつ冷静沈着である為に油断することなく、却って冷酷な面を発揮、大親分バルジーニやその周辺、次兄を世話していたラスヴェガスのボスを一掃し、シンジケートのトップに立つ。
抗争場面の激しさだけであれば「暗黒街の顔役」以降同じレベルの作品があったかもしれない。イタリア的家族愛を描いた映画では「鉄道員」「若者のすべて」が思い浮かぶなど、その面でも格別に目新しい作品でもない。しかるに、正に絶妙な匙加減でマフィア間の非情な暴力を、強い絆で結ばれる家族の描写によってサンドウィッチしたところが全世界の映画ファンの琴線に触れ、大ヒットしたのだと思う。家族のソフトな面と、マフィアの非情な面が、後半まで対位法的に綴られ、過激なだけでは閉口しかねないところをうまく回避するのである。
とりわけ絶品なのは、ニューヨークからシチリアの場面に変わる所で、正に対位法の極致と言うべし。1時間半を過ぎたシチリアの場面で初めてニーノ・ロータによる有名な「愛のテーマ」がかかる。ロータによる音楽が本作を成功作たらしめた最大要因と言っても過言ではないと、ロータの大ファンたる僕は信じる。それくらい素晴らしい。撮影も秀逸。
ただ、マフィア(ギャング)映画としては、家族愛というオブラートでくるんだ柔らかな印象が時に過剰で甘く感じられ、僕は何回観てもその点が本作の弱さと感じる。映画として厳しさが足りないのである。同時に、生まれついてのロマンティストである僕にはその甘いロマンティシズムが好ましい。好悪と評価を一応分けるのが僕のスタンスなのだ(勿論完全には分けられない)。
個別には、上の梗概では全く無視した結婚式の場面から、フランク・シナトラがモデルと言われる歌手の映画出演にかけての場面的対比がまず効果的。その中で33分頃の、映画プロデューサーの愛馬の頭がベッドにある場面は初めて見た時には腰を抜かしたもので、マフィアの非情・過激がよく表現され、本作の中でもインパクトが強い。
長男が待ち伏せされて射殺される場面の呼吸も素敵だ。嵐の前の静けさという印象の醸成が上手かった。
本作の基調を成す対比と言えば、教会での洗礼の場面とボスたちの怒涛の暗殺場面のカットバック(厳密にはクロス・カッティング)が強烈で、かかる対位法的な見せ方は本作以降暗黒街映画で増えて行ったと思う(ルキノ・ヴィスコンティ監督「若者のすべて」(1960年)における終盤のクロス・カッティングの影響があるかもしれない。本作全体に「若者のすべて」に通底するところ多し)。
配役陣も素晴らしく、新星パチーノはこれで大スターの座につき、ダイアン・キートンにとってはステップ・アップになった(大スターになるのはウッディー・アレン監督「アニー・ホール」によってであろう)。義兄弟で相談役役のロバート・デュヴォールやジェームズ・カーンは既に実績があったが、本作により確固たる地位を築いたと言っても良いのではないか。特に、主役級のカーンと違ってバイプレーヤーだったデュヴォールはぐっと知名度を上げたと思う。ブランドーは、昔からのファンにすれば、実年齢(撮影時47歳)以上の老け役に驚いたはず。
マーロン・ブランドーはドー、ネヴィル・ブランドはド。前者はdo、後者はdだから、表記に差を設けている。
この記事へのコメント
もちろん、大人になってⅠ~Ⅲまで通しで観たときの評価でして、72年当時中学生のころはもう、映画館で観るだけで舞い上がってしまって(笑)・・それくらいの評判でしたからね、映画雑誌やテレビの宣伝も!
それにしても、この「ゴッドファーザー」の映画評は完璧でして、こちらの方こそ10点でしょうね!余すところも非の打ちどころも無いです
Ⅱの方で、もともと、「ゴッドファーザー」で長兄ソニー役に応募したデ・ニーロは、役は落とされたものの、持ち前の演技力で見事Ⅱで若きヴィトー役に抜擢された経緯があります。
Ⅱの核心となる、血縁にすら頼れなかった頃のヴィトーの「創成」と、組織が大きくなるにつれ、頼れるファミリーがいても疑心暗鬼になるマイケルの「混乱」の対比が哀しくも美しいです。
二人の、妻や子供に対する姿勢も180度違うのも大切な見所です。
Ⅱのメッセージは、第一作の単なるギャング抗争映画の枠を越え、活力と希望に満ちた前世紀初頭の米国と、第二次大戦後のサヴァービアンが台頭し、ピューリタン的縛りから打算的で放漫なアメリカンドリームへと向かう50年代を対比しつつ、それを社会の精神的荒廃が進む70年代に公開することで古き良き価値観への懐古を模索したことにあり、だからこそ世に高く評価されたと思います。
おそらく共同脚本のコッポラとマリオ・プーゾの最終的な狙いとは、シェークスピアのマクベスだったのではないですかね・・。
そのアメリカの舵取りを決める戦いも、報道が速いFOXのサイトを見る限りほぼ、トランプで決まりのようですね・・。
民主党とマスコミ(日本もご同様ですが)は、4年前の教訓から何一つ学んでいないことが良くわかりました・・。
現実と、こうあって欲しい希望的観測の区別がついていない・・。民衆との乖離が酷すぎです。
オバマの後期も酷かったと思いますが、トランプには、前期の実績に奢らずに謙虚に政をやってほしいですね。
>「PARTⅡ」のほうに10点、こちらのほうは評価的には7、5点です
僕はそこまで差をつけていませんが、昔から「PART II」のほうが良いと言っていました。同僚たちとこの二作について話した時、「PART II」推しは、僕一人だけでしたよ。
>おそらく共同脚本のコッポラとマリオ・プーゾの最終的な狙いとは、
>シェークスピアのマクベスだったのではないですかね・・。
次回「PART II」を観る時は、その辺を意識して観てみましょう。マクベス夫人に相当する女性はいないように思いますが^^
>現実と、こうあって欲しい希望的観測の区別がついていない・・。
そういう結果になりそうですねえ。民主党は予想通りと言っているようですが。
しかし、僕は、トランプの自国第一主義が、結果的に、そうあってはならない中国の躍進に大加速させてしまうと思うので、とりあえずバイデン支持です(とりあえずなのは、バイデンであっても中国躍進が加速しない保証はないから)。世間の保守ともリベラルとも違う考えと思いますが。
くやしいけれど、最終的に頭が良いのは中国ということになってしまうのかな。
いえ、一人お忘れではないでしょうか?
僕のお気に入りである、コッポラの実妹のタリア・シャイア演じるマイケルの妹コニーその人です。
実は、コニーがマクベス夫人の本領発揮するのは「PARTⅢ」でして、この作品は傑作であった前2作と比較されて分が悪いのですが、僕はけっこう好きですね!
「PATTⅢ」は、父の地盤を引き継ぎ、功成り名遂げたマイケルを利用しようとするバチカンとイタリアンマフィア連合軍の罠に対し、嫌々ながらも兄ソニーの妾腹の子ビンセント(アンディ・ガルシア)の力を借りて、戦いを挑むお話ですが・・。
全2作と違い、宗教と音楽を前面に出し、単なるギャング映画ではない見ごたえある社会派ドラマになっていると評価します。
オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』を背景に、ファミリーの結束と崩壊を暗示しながら敵対するドン役のイーライ・ウォラックを暗殺する後半30分間は緊張感たっぷりでしびれます、
評判がよくないのは、アル・パチーノと同額のギャラを要求したトム・ヘイゲン役のロバート・デュバルやメアリー役に決まっていたウィノナ・ライダーが降板したために、集客力のある実力俳優が少なかったのもあるかと‥(個人的には、ウィノナ・ライダーでは情熱的イタリア娘のイメージは全くないのでソフィア・コッポラで良かった)
コニー(タリア・シャイア)とつるんでドンの座を狙うビンセントに結局ファミリーを渡してしまうマイケルの姿を見ると、まるでファミリーの崩壊までも覚悟した王の決断にも思えてきます。
タリア・シャイアが演じたコニーの抑えた悪女ぶりは、卓越した脚本の賜物でしょう。どう考えても、自分の旦那や兄フレドがマイケルに殺されたことを知っていて、ファミリーの終焉を速めるビンセントをマイケルの後継者に据えようとした感じですね。
コニーは、マクベス夫人です。
やはり、無視できない傑作です。
前日とは打って変わって、バイデン優勢の印象ですね!
郵便投票の結果がカギを握るようですが、共和党支持者は民主党のそれよりも投票を出すのが遅い傾向があり、予断を許さないとも・・。
トランプが、チャイナの防波堤になりうる(反対にバイデンはpanda-hugger)というネット保守の意見は耳を疑いますね。
だいたい、どっちも年寄り過ぎて深謀遠慮なチャイナとやりあうには根気が続かんでしょう(笑)
キツイ描写の入れ方も巧みな暗黒絵巻物的超大作!!
家族愛・シチリア編・ロータ音楽・長男ソニー射殺・
お抱え弁護士デュバル(この表記でお許しを)・
抑えた名演技のパチーノ・幼児洗礼に絡めた
暗殺等々、プロフェッサーのレヴューは、
浅野さんご指摘の通りの秀悦さかと。
あの馬の首チョンパはいやが応でも目に焼きついて
おります私、「ゴッド〜、観た観た!」という
知人に喜んでこのシーンを熱く語りますれば、「え?
あった?そんなシーン」と、これっぽちの
恥ずかしげもなく言われた悲しい思い出も。
冒頭の豪華な結婚式シーンは、名作「ディア
ハンター」におけるそれに匹敵する名場面かと。
あっ、浅野さんの
エイドリアン=マクベス夫人論にガッツリ1票!!
>実は、コニーがマクベス夫人の本領発揮するのは「PARTⅢ」でして
シリーズの中で一番評価している「PARTII」も二回しか見ていず、それと一緒に二番館に見た「PARTIII」はその一回のみで、大昔のことですっかり忘れています。第一作でも彼女が非常に感情的な様子を見せていて、それがさらにはじけるわけですね。夫を殺させたマイケルに対する復讐という面もありそう。
>ウィノナ・ライダーでは情熱的イタリア娘のイメージは全くないので
>ソフィア・コッポラで良かった)
その意見は全く正しいと思いますが、妹と娘を使うというのはファンでない方には抵抗感があるかもしれませんね。
>トランプが、チャイナの防波堤になりうる(反対にバイデンはpanda-hugger)というネット保守の意見は耳を疑いますね。
そんな単純なものではないでしょう。
トランプの場合は極端な政策をとるので、その間隙をついて民主党政権以上に中国が国際関係の中で力を伸ばしていくと踏んでいます。アメリカのパリ協定脱退で喜んだのは中国でしょう。どちらにしても中国は現在のアメリカより頭が良い感じがします。
>プロフェッサーのレヴューは、浅野さんご指摘の通りの秀悦さかと。
恐れ入ります。
珍しく、言いたいことをなるべく多く書き込んだ感じです。
>お抱え弁護士デュバル(この表記でお許しを)
名前から推してフランス系なので、フランス式に発音すればデュバル(ヴァル)、アメリカ式に発音すればデュヴォール。大体僕は、純アメリカ人の場合、(固有のものでなければ)ファースト・ネームは出身国での発音、苗字はアメリカでの発音ということにしているので、ロバート・デュヴォールにしていますが、彼の場合はデュヴァルでも良いかな。
>冒頭の豪華な結婚式シーンは、名作「ディアハンター」におけるそれに匹敵する名場面かと。
細かくは触れませんでしたが、見事な場面になっていましたねえ。但し、今の若い人は退屈するかもしれません。
>浅野さんのエイドリアン=マクベス夫人論にガッツリ1票!!
僕の負けみたいです(笑)
「ついに出た」と思いましたね。待ってました!
映画に興味を持ち始めたときに見た最も好きな映画のひとつです。
実は恥ずかしい思い出がありまして、のちに黒澤御大の「悪い奴ほどよく眠る」を見て、「冒頭の結婚式の場面、コッポラはこれをまねしたな、誰も指摘していないけど」と思い、自分は大発見したつもりでしたが、コッポラ自身が参考にしたと認めているんですね。
また母が初めて一緒に観たとき「これがマーロン・ブランド!?」と驚いていたこともよく覚えています。
思春期に出会った映画だけに強烈な印象として残っていますね。
>映画に興味を持ち始めたときに見た最も好きな映画のひとつです。
リアルタイムであれば、僕と同じ世代ですね。TVでしょうか?
バイオレンスは強烈ですが、比較的万人向きの作品なので、映画経験が薄くても楽しめますね。
>自分は大発見したつもりでした
いや、大したものですよ。
他の人はコッポラが認めていることを知っていて敢えて触れないのかもしれませんが、僕はかの作品に思いが至りませんでした。
>母が初めて一緒に観たとき「これがマーロン・ブランド!?」と驚いて
そういう人が多いと思います。僕は初めて観たのがこれでしたので、何とも思わなかったのですが。
>リアルタイムであれば、僕と同じ世代ですね。TVでしょうか?
TVでした。高島忠夫さんが解説していた「ゴールデン洋画劇場」でした。
実は生まれた年がこの映画の公開された1972年で(年齢がばれました)、観たのはビデオが普及されはじめた1985年頃だったと思います。
TV放送のあとに吹き替えではなくオリジナルが観たくてレンタルビデオで借りて何度も観て、PART3公開前のリバイバルではじめて劇場でみました。
>いや、大したものですよ。・・・僕はかの作品に思いが至りませんでした。
リアルタイムで「ET」や「インディ・ジョーンズ」を観てましたので、コッポラやスピルバーグが尊敬している黒澤監督の作品を観てみようとおもいたち、「悪い奴・・・」を観て気づいたというわけです。
コッポラが黒澤監督を尊敬してることを知らなかったら気づかなかったかもしれません。
>実は生まれた年がこの映画の公開された1972年で(年齢がばれました)、
思った以上にお若い(@_@)
>観たのはビデオが普及されはじめた1985年頃だったと思います。
すると、二回目の放映でしょうね。一回目は70年代だったような記憶があります。当時は大作や話題作の放映時には大きな話題になりました。
>コッポラが黒澤監督を尊敬してることを知らなかったら気づかなかったかもしれません。
そういうこともあったかもしれませんが、映画の関連性に気づくということは映画ファンならではの楽しみですね^^v
例えば、トム(ロバート・デュバル)が他の組織に軟禁される。コルレオーネのファミリーを裏切らずにうまく立ち振る舞う。まさに忠誠心です。
>東京新聞は、左ではなくて、下(個人主義)
右と左以外に下と言う表現があるんですね。上は全体主義ですか?
>政府よりメディア・国民が戦争をしたがっていた
やはり国益のために?
>コルレオーネのファミリーを裏切らずにうまく立ち振る舞う。まさに忠誠心です。
頭が良くてボスに忠実。上に立つ者にとっては理想ですね。一方で、マイケルの妹の旦那のように、頭も良くないくせに裏切る人間も出て来る。
片や、日本の「アウトレイジ」ではもはや真に組織に忠誠を誓う者はいない。
>右と左以外に下と言う表現があるんですね。上は全体主義ですか?
まあ僕が勝手に言っているだけです。僕はよく“視線を市民に下降させる”なんて言うので。ご推察のとおり、上は全体主義です。
>やはり国益のために?
言い出しっぺは、政府だったり軍部だったりしたのでしょうか、国民がそう主張した頃はもはやムードでしょう。日本人は同調しやすい。
明治以降の富国強兵政策で、帝国主義による国益だったんでしょうね。右派の一部は、アジアの解放だったなどと主張しますが、要はそれを名目に各地を植民地化して西洋列強に並ぶという目論見だったのでしょう。日本だけでなく、どこもデタラメだったですよ。
本年ご愛顧有難うございました。来年もよろしくお願い致します。
良いお年を。
>マイケルの妹の旦那のように
冷静で切れ者のテシオ(エイブ・ヴィゴダ)が意外な裏切り。そこが難しいところです。
>「アウトレイジ」
裏切り、また裏切り。権力がなくなって始末される元ボスもいました。
>視線を市民に下降させる
僕なんぞは典型的な下の市民です(笑)。
>日本人は同調しやすい。
コロナウイルスの感染者が欧米に比べて少ない。政府やマスコミに「危ない!」と言われれば外出を控える人が多い。そこが日本人の良い面かも知れません。
>西洋列強に並ぶ
残念ながら並べませんでした。やはり限界がありましたか?
>本年ご愛顧有難うございました。
こちらこそありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
>僕なんぞは典型的な下の市民です(笑)。
市民は、お上(政府)という概念があるから下というわけですが、人間として高尚であれば良いですよ。
昨日買い物に行ったら、若い親が子供を品のない言葉で怒鳴っているところに遭遇。あの言い方は虐待になりますね。人間として下でしょう。
>政府やマスコミに「危ない!」と言われれば外出を控える人が多い。
>そこが日本人の良い面かも知れません。
自主的に言うことを聞く分には悪くないですよね。自粛警察のようになるのは良くないですけどね。店をやっている人は、コロナではなくお金で死んでしまう。
>残念ながら並べませんでした。やはり限界がありましたか?
地政学上の問題が一番、経験も足りなかったのでは。