映画評「ペット・セメタリー」(2019年版)

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年アメリカ=カナダ合作映画 監督ケヴィン・ケルシュ、デニス・ウィドマイヤー
ネタバレあり

1989年に映画化されたスティーヴ・キングの同名ホラー小説の再映画化版でござる。30年ぶりのリメイクなので製作スパンとしは適当かもしれない。前回の内容の記憶が甚だ怪しいが、それほど大きな変更はないと思われる。

田舎町というより森の深奥にある一軒屋に大学病院の医師ジェイスン・クラークが、妻エイミー・サイミッツ、8歳くらいの娘ジェテ・ローレンス、3歳くらいの息子と共に越して来る。
 ある時娘が可愛がる猫が轢死する。隣人ジョン・リスゴーが森の中にあるペット墓地の更に奥にある土地に猫を埋めると、翌日猫は生きて戻って来る。クラークは甚だ狂暴になった猫に手を焼いて捨てるが、猫は戻って来る。ジェテが猫に近付き、それを見た弟が道に飛び出す。タンクローリーがそれをよけると、被牽引部分が抜けてジェテに突進、少女は死亡する。

この流れを見れば、クラークが少女を生き返らせようとするのは容易に想像が付き、底が割れすぎていてつまらないと言えないこともないが、こういう素材が映画になっている例はさほどないし、段取りを踏んで見せている(という印象を残す)のも悪くない。

案の定蘇ったジェテは邪悪になっていて、実家から戻って来た母親を殺して例の土地に埋める。といった流れで進んだ後については言わぬが花。
 最初の映画化との違いを幾つか(憶えていないので、カンニング)。一回目の映画版は、母親と娘が実家に戻っている間に猫が轢かれ、続いて息子が死ぬ。その後二人が戻って来る。従って邪悪になるのは娘ではなく、息子ということになる。Wikipediaで小説の粗筋を読むと、一回目の方が原作に近い模様。二回目の作者たちが何故変えたのか判然としないが、少女が狂暴化したほうがインパクトがあると踏んだのだろうか? 

論理的に考えると、過去の行為に懲りている筈の老人の行動が奇妙である。映画は台詞で言い訳を言わせているが、強引な印象があり、結果的に老人はマッチ・ポンプの役目を果たす。マッチ・ポンプはクラーク氏も似たようなもので、作劇的に首を傾げるのだが、敢えて作者を弁護すれば、人間がいかに弱いか解る内容に仕立てているのである。

高校時代semetaryと憶えた僕は、原題がsemataryとなっていたので、間違って記憶したかと不安になった。

この記事へのコメント

モカ
2021年01月13日 17:21
こんにちは。

本作は未見ですが原作は30年くらい前に読みました。
89年版は観たかどうか記憶が怪しいです。
怖がりなので巷で”ホラー”といわれる物は極力避けるようにしているのですがS・キングは何冊か読んでまして、本作は確かに怖いといえばかなり怖かったですがなかなか深いものがあったように記憶しています。
「グリーンマイル」以降は読んでいませんが、「ミザリー」「シャイニング」や本作の頃のキングは所謂「脂ののった」時期なのか、ページを繰る手が止められない、というやつです。 
本作の印象的なエピローグはその後村上春樹がパクリ、もといオマージュという意味で頂いてました。(笑)

話がそれてしまいますが、先日「幸福なラザロ」を観まして、なんだかな・・微妙だわ・・しばらく寝かせておこう(ラザロのように・・笑)と思っていました。 今回「ペット・セマタリー」の文庫を出してきてみていたら何と! 1部と2部のエピローグに「ヨハネによる福音書」のラザロに関する記述が引用されていて、それによるとラザロは死んで埋葬されて4日目?に蘇ってました。なるほど! ということはあのラザロはいったん死んで蘇ったということですね(当たり前ですか?)
思わぬところで救世主が現れました。(笑)
オカピー
2021年01月13日 22:29
モカさん、こんにちは。

>本作の頃のキングは所謂「脂ののった」時期なのか、ページを繰る手が止められない、というやつです

人気作家にはそういう時期はあるものですね。キングに興味がないわけではないですが、まだそこまでは行かないかな(死ぬまで行かないかもしれない^^;)

>「幸福なラザロ」を観まして、
>あのラザロはいったん死んで蘇ったということですね

「ペット・セマタリー」から思わぬ収穫だったようですね。面白いです。
僕は、物質社会から精神社会に後戻りできない世界の状況の象徴と考えましたが、蘇るとなると象徴ではないということなのかなあ。あるいは別の社会が始まるのかな?

この記事へのトラックバック