映画評「噓八百 京町ロワイヤル」

☆☆★(5点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・武正晴
ネタバレあり

美術詐欺の男たちがより大きなインチキ組織をやっつけるお話。正編の評判が良かったのか、3年ぶりの続編である。似たような趣向の作品にTVドラマ及びその映画版「コンフィデンスマンJP」などがあり、日本ではちょっとしたコン・ゲーム映画ばやりの様相を呈している。

どなたかも仰る通り、正編の千利休を古田織部に変えただけの同工異曲のお話ながら、峰不二子よろしく変幻自在な美人・広末涼子が大々的に絡んで来る分、お楽しみは増えている。

贋作を承知で売ることもある古美術商・中井貴一と贋作作りから足を洗った優れた陶芸家・佐々木蔵之介が、TV番組で辱めた美術商大手の加藤雅也とベテラン鑑定家・竜雷太に、同じくTV番組を使って意趣返しをする。
 二人は知人の各ジャンル贋作作りたちを味方に引き入れ、加藤に追い出されて自殺した番頭の娘涼子ちゃんの復讐を手伝うかたがた、自分の意趣返しをし、かつ本物の織部の茶器を手にしようという作戦でござる。

この手の分担制グループものの場合、どうしても1960年代以来の再ブーム?を起こした「オーシャンズ11」(1999年)のシリーズを想起することになるわけだが、違いを感じるとしたら、それは米国と日本の土壌や人間像の違いが生み出す印象の違いである。その「オーシャンズ11」的な部分が一番発揮されるTV撮影絡みがなかなか大掛かりで、一応の得点源。

ただ、些かすっきりしないのは、詐欺狙いで近づいてきた涼子ちゃんが本当に番頭の娘なのか不鮮明なところである。番頭の娘が詐欺師になったのか、女詐欺師が単にその振りをしたのか。痛快さを求めるコン・ゲームものは、最終的に徹底してすっきりしないとマイナスの印象を与える。
 しかも、美術商や鑑定家に意趣返ししたところで、彼らと組む国立古美術修復センターの贋作販売問題は何も解決していないから益々すっきりしない。架空とは言え、国立という設定なのだから、ここの問題が解決されないのでは片手落ちの感を残す。それを考えると、発端をもっと個人的なインチキにすべきだっただろう。

広末涼子が“素人”でないことは、ある程度人生を生きてきた方なら、まるっとお見通しだ。

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