「Fukushima 50」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・若松節朗
ネタバレあり

後一ヶ月余りで3・11から丁度10年となるが、本作は、津波の後福島第一原子力発電所の現場で東日本壊滅の危機回避に全力を尽くして当たった東京電力社員の奮闘を描いた作品。門田隆将のノンフィクションの映画化である。

現場で指揮を執った吉田昌郎所長以下が実名で出て来るのは、実話ものでその必要性がないと思われるケースでも固有名詞を架空のものに変えたがる日本映画では珍しいと少々褒めたくなった。しかし、東京電力は東都電力に変えられ、国家関係者は役職だけで登場する。これが邦画の限界であろうか。
 いつの日かこういう配慮がなくなれば、日本の実話ものに真に優れた作品が登場すると思う。アメリカ映画であれば大概人名も法人名も実際のものを使う。日本以上に法律にうるさい国でだ。映画会社の法律部門が相当しっかりしているのだろう。例えば、現職のブッシュ大統領の半生を描いた作品があった。けなしまくっているわけではないにしても、諧謔的なところが相当あった。日本では全面的にヨイショする内容でもなければ映画として作れない。

さて、吉田所長を演ずるのは渡辺謙、現場で彼の指示を指導的に実践に移す当直長に佐藤浩市という布陣。今世紀に入ってのパニック物には必ずと言っても良いくらい出て来る大物を配し、大作感を醸成する。

現場をかき回す首相に佐野史郎。自民党が政権を取り返した後、自民党及びその支持者は震災や事故の対応について民主党の悪口の言いたい放題にしていたが、今回のコロナの対策を見ても他人(ひと)のことは言えないことがよく解るだろう。まして緊急性がコロナの比ではない。

吉田所長が本社の指示を無視し、海水を注入し続けた為に東日本壊滅の危機が救われたと言われる。後日、東京電力幹部が吉田所長の解任を迫った時、当時の菅(今話題のすがではなく、かん)首相が認めなかったと言う。その場の対応に追われる現場を邪魔しただけという点は大いに問題があるが、この後日談に関しては評価して良いのではないだろうか。

この映画の面白さは、災害現場におけるヒーローを描く作品の型から大きく抜け出たとは言えない一方で、現場も上層部も政府も冷静さを失っている様を徹底的に描いているところにあり、これが本物っぽい。
 特に、感動を強要しようとして不自然な見せ方が目立つ邦画にあって、激しく動揺する人間を描きつつ描写自体は抑制されているところが優れている。それが為に臨場感が感じられるのである。

前代未聞の事件において、首相の、或いは本社(本作では本店と言っている)幹部たちのデタラメな言動も、ある程度認めなければならないような気がする。その場に立っていない者が外野からとやかく言うのは、主観を相当排さない限り、僕は感心しない。

日本アカデミー賞では作品賞以下12部門受賞。昨日届いた【キネマ旬報】では37位。どちらも極端すぎる。片方は基準を大衆性に置きすぎ、片方は(殊に邦画においては)純文学性に拘りすぎる。他方、洋画部門で王者クリント・イーストウッドが13位と低迷した。それほどでもない作品を何度も1位にしておきながら「グラン・トリノ」以降で最上の作品について何という仕打ち。

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