映画評「海辺の映画館-キネマの玉手箱」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり
癌から一度は復活した大林宣彦監督の遺作。 最初の公開予定日だった2020年4月10日に亡くなった。自分が望んだ日に亡くなった西行の名歌“願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃”を思い出させ、感慨無量である。
で、大反戦映画である本作は、2012年の「この空の花 長岡花火物語」の一種の焼き直しである。あちらは舞台(演劇)が現実と混交し、こちらは映画が現実と混交する。
尾道の映画館“瀬戸内シネマ”が閉館の日を迎え、オールナイトに大勢の観客が入る。観客たる三人の若者即ち馬場毬男(=マリオ・バーヴァ=厚木拓郎)、鳥鳳介(=トリュフォー=細山田隆人)、団茂(=ドン・シーゲル=細田善彦)が、雷鳴と共に映画の中へ放り込まれ、その中の住人として、江戸末期/明治初期の維新戦争、日中戦争、太平洋戦争末期(沖縄/広島)を闘い抜くのである。
その時に必ず絡んでくるのが希望の子 “希子” (吉田玲)で、その度に彼らは彼女を救うことができず、忸怩たる思いに苛まれる。 “希子”の関係者として、成海璃子(劇中映画での役名は「転校生」のヒロインの名から)や山崎紘菜(劇中映画での役名は「時をかける少女」のヒロインから)が色々と絡んでくる。劇中映画の人物として「さびしんぼう」のヒロインの名前を与えられた常盤貴子は広島での挿話で広島被曝で亡くなった桜隊の有名女優・園井恵子(映画作品では「無法松の一生」(1943年)の未亡人役が有名)にも扮する。かつて「無法松の一生」を観た時彼女が原爆で亡くなった知った僕は、その事実を画面を通して見るとじーんとしないではいられない。
以上のお話が、1989年2月21日(2011年3月11日が22年と18日ぶりに当たると言っているので勝手に計算。この日が何を意味するのか不明)に飛び立って40年ぶりに宇宙旅行から戻って来た爺・ファンタ(=ファンタジー=高橋幸宏)とその娘(中江有里)が外から眺め、語るという入れ子形式で展開する。つまり、「この空の花 長岡花火物語」と同じく或いはそれ以上に内容と作り方がカオスであり、観客は正に迷路の中に投げ込まれるのである。
80歳を過ぎて、 まして癌の闘病中にこんな混沌の凄味を見せる大林宣彦の馬力は、映画への愛が生むものだろうか。
「この空の花 長岡花火物語」ではヒロインが “忘れない” という抽象概念を寓意化した存在であったの対し、こちらの“希子”は文字通り“希望”の寓意であるが、僕は同時に“平和”の寓意でもあるように感じられた。
一連の騒動の後で彼女が閉館する映画館主のおばあちゃん(白石加代子)その人であることを開示する(勘の良い人なら目元のホクロの位置から早々に見当を付けるだろう)ことで、観客に希望を与えて終わるのは大林監督らしい優しさでありましょう。
平和と反戦を徹底して訴求すると同時に、主人公たる若者三人とヒロイン三人の名前が映画絡みであるように映画への愛情が滲む内容に胸が熱くなる。僕は、映画への愛情が溢れる作品、映画を扱う映画が好きなのだ。
中でも、日中戦争のシークエンスで “佐藤允” が主人公たちと絡むのがとりわけ楽しい。岡本喜八監督「独立愚連隊」(1959年)の中のお話即ち同作へのオマージュであります。
WOWOWは、邦画アニメ・シリーズ全作放映など放っておいて、大林監督作品を全作やってほしいデス。
2020年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり
癌から一度は復活した大林宣彦監督の遺作。 最初の公開予定日だった2020年4月10日に亡くなった。自分が望んだ日に亡くなった西行の名歌“願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃”を思い出させ、感慨無量である。
で、大反戦映画である本作は、2012年の「この空の花 長岡花火物語」の一種の焼き直しである。あちらは舞台(演劇)が現実と混交し、こちらは映画が現実と混交する。
尾道の映画館“瀬戸内シネマ”が閉館の日を迎え、オールナイトに大勢の観客が入る。観客たる三人の若者即ち馬場毬男(=マリオ・バーヴァ=厚木拓郎)、鳥鳳介(=トリュフォー=細山田隆人)、団茂(=ドン・シーゲル=細田善彦)が、雷鳴と共に映画の中へ放り込まれ、その中の住人として、江戸末期/明治初期の維新戦争、日中戦争、太平洋戦争末期(沖縄/広島)を闘い抜くのである。
その時に必ず絡んでくるのが希望の子 “希子” (吉田玲)で、その度に彼らは彼女を救うことができず、忸怩たる思いに苛まれる。 “希子”の関係者として、成海璃子(劇中映画での役名は「転校生」のヒロインの名から)や山崎紘菜(劇中映画での役名は「時をかける少女」のヒロインから)が色々と絡んでくる。劇中映画の人物として「さびしんぼう」のヒロインの名前を与えられた常盤貴子は広島での挿話で広島被曝で亡くなった桜隊の有名女優・園井恵子(映画作品では「無法松の一生」(1943年)の未亡人役が有名)にも扮する。かつて「無法松の一生」を観た時彼女が原爆で亡くなった知った僕は、その事実を画面を通して見るとじーんとしないではいられない。
以上のお話が、1989年2月21日(2011年3月11日が22年と18日ぶりに当たると言っているので勝手に計算。この日が何を意味するのか不明)に飛び立って40年ぶりに宇宙旅行から戻って来た爺・ファンタ(=ファンタジー=高橋幸宏)とその娘(中江有里)が外から眺め、語るという入れ子形式で展開する。つまり、「この空の花 長岡花火物語」と同じく或いはそれ以上に内容と作り方がカオスであり、観客は正に迷路の中に投げ込まれるのである。
80歳を過ぎて、 まして癌の闘病中にこんな混沌の凄味を見せる大林宣彦の馬力は、映画への愛が生むものだろうか。
「この空の花 長岡花火物語」ではヒロインが “忘れない” という抽象概念を寓意化した存在であったの対し、こちらの“希子”は文字通り“希望”の寓意であるが、僕は同時に“平和”の寓意でもあるように感じられた。
一連の騒動の後で彼女が閉館する映画館主のおばあちゃん(白石加代子)その人であることを開示する(勘の良い人なら目元のホクロの位置から早々に見当を付けるだろう)ことで、観客に希望を与えて終わるのは大林監督らしい優しさでありましょう。
平和と反戦を徹底して訴求すると同時に、主人公たる若者三人とヒロイン三人の名前が映画絡みであるように映画への愛情が滲む内容に胸が熱くなる。僕は、映画への愛情が溢れる作品、映画を扱う映画が好きなのだ。
中でも、日中戦争のシークエンスで “佐藤允” が主人公たちと絡むのがとりわけ楽しい。岡本喜八監督「独立愚連隊」(1959年)の中のお話即ち同作へのオマージュであります。
WOWOWは、邦画アニメ・シリーズ全作放映など放っておいて、大林監督作品を全作やってほしいデス。
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