映画評「飼育」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1961年日本映画 監督・大島渚
ネタバレあり

大江健三郎が芥川賞を受賞した同名短編小説を大島渚が映画化したドラマ。

山中に墜落した飛行機を操縦していた黒人兵(ヒュー・ハード)を山村の村民が捕虜とし、憲兵所(原作では県)の指令が届くまで飼っておくことになる。彼を預かることになった地主(三國連太郎)は好色漢で、出征中の息子の妻に手を付け、疎開中の主婦を手籠めにする。それを妻(沢村貞子)は極めて冷めた目で見ている。
 捕虜をめぐって村内に色々なゴタゴタが起こり、村の子供と黒人の争いが原因で疎開女性の子供が墜落死する。かくして村人は黒人を殺そうと言い出し、ある少年は彼を守ろうと小屋につっかえ棒をつけて閉じこもる。地主はこじ開けて小屋に入り、鉈で黒人を殺す。子供を埋めようとしていると、終戦の報が届く。

大分前に読んだ原作は、閉じこもった少年が主人公で、ネガティヴな成長譚と言える内容だが、映画は村社会の悪を訴える。要は、村が混乱したのは総て黒人のせいであり、よって黒人を殺す、という村社会ならではの排除の論理を見せるのが目的である。
 しかし、相手が排除して当然とも言える敵兵である為その目的追及が寧ろ曖昧になるところがあるのが良し悪しで、それを補うかのように、出征を拒否するように逃げた後戻って来た青年をいざとなったら黒人殺しの犯人にしようという状況を出して来る。これぞ村社会でありましょう。

現在の若者はこういう猥雑な日本社会がなかなか想像できずかなり特殊と考える向きがあるようだが、僕が子供の頃まではこの辺りも正にこの映画に出て来るような社会であった。村には好色漢が多数いて、例えば近所のおじさんはある人の孫であると同時に息子である(意味が解りますよね?)。分家の我が家などは村社会に苦しめられることも多かった。思い出したくもない。

閑話休題。
 シチュエーションの特殊性を別にすると、この映画は見かけ以上にリアルであり、その点を僕は評価したい(が、気分は悪い)。台詞が早口で解りにくいのが難点だが、大半が分からなくても問題がない箇所。

この辺り(群馬県西部)と共通するところもある方言から言ってわが県の隣の長野県が舞台で、南方即ち東京方面の空が赤くなったのを見て村の若者が歓喜の声を上げるシニカルな場面もある。現在以上に格差のあった時代、地方では都会に対してそういう歪んだ精神性があったのかもしれない。

限界集落と言っても良いこの界隈、「楽園」が描いた村と違い、今の世代には昔のように因業な人はいなくなった。村社会的な村をほぼ抜け出た感がある。そう言えば、あの映画の舞台も長野だった。長野への偏見?(笑)

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