映画評「ばるぼら」
☆☆★(5点/10点満点中)
2020年日本=ドイツ=イギリス合作映画 監督・手塚眞
ネタバレあり
手塚治虫の長編漫画を息子の手塚眞が映画化。
平成の谷崎潤一郎(原作が書かれたのは昭和であるが)と言われんばかりの耽美派人気作家・美倉洋介(稲垣吾郎)がスランプに陥っている最中、路上で酔いつぶれた少女ばるぼら(二階堂ふみ)を拾ったのが腐れ縁の始まり。酒ばかり飲んで何処へともなく消えては戻るを繰り返す彼女だが、その魔性の美しさに彼の創作欲は搔き立てられる。
が、本物の魔力を持つらしいばるぼらは人形を使って、彼に推薦文を書いてもらおうとする議員を呪い殺し、口を挟んでくる編集者の加奈子(石橋静河)を交通事故に遭わせる。議員の娘・志賀子(美波)は二人の関係を潰そうと追手を遣わし、その結果洋介とばるぼらの黒魔術による結婚式の現場に警察が踏み込む。
黒魔術ではなく、麻薬吸引で逮捕された(とされた)彼は仕事を干され、幾ばくか後、再発見したばるぼらを連れて山地へ逃避行に出る。が、彼女は首を絞めた作家に抵抗された時に頭を打って、入り込んだ別荘で死ぬ。彼は彼女のことを小説に書き始める。
映画はここで終るので極めて曖昧な印象が強いが、原作では作品は売れたものの作者は杳として行方が知れない、という終わり方をしているらしい。明らかにこの方が落着として座りが良い。勿論、映画版の方もそう想像して出来なくはないが、出だしと同じナラタージュ(小説の書き出し)だけでそこまで想像の翼が広げられるかは些か疑問である。
コミックでは珍しいのかもしれない(僕は名だたるコミック音痴)が、小説や映画ではよくあるタイプのファム・ファタールものと言って良い。しかるに、作劇におけるキモが僕には見当たらない。作品の性格もはっきりしないような気がする。
薄汚れた市井を映す町の描写は悪くないが、現代日本のお話に黒魔術が出て来るのは余りに現実感が薄い。最後は「テス」(1979年)のようなロマン的逃避行となるも、死姦が出て来てその気分もぶち壊し。やはり、もっと主人公のヒロインに寄せる思いが浮き彫りにさせる幕切れにしてくれないと、落ち着きのない100分という印象だけに終わりかねない。
但し、作家が序盤と人形と交わる場面があるところから推して、ばるぼらやその周辺が作家の脳内の住人と考えられないでもない。それが正解であれば、以上の問題点は無視できるわけである。ではあったとしても、作品の曖昧さは依然回避できず、そう褒められないことに変わりはない。
僕が一番気に入ったのは、ジャズで通した橋本一子による背景音楽。1960年代初めくらいのハード・バップから60年代中盤くらいに流行ったアヴァンギャルド・ジャズを思わせ、聴き応えがある。
ばるぼらは、Barbaraらしい。ぼら(魚)の一種ではない(当たり前)。
2020年日本=ドイツ=イギリス合作映画 監督・手塚眞
ネタバレあり
手塚治虫の長編漫画を息子の手塚眞が映画化。
平成の谷崎潤一郎(原作が書かれたのは昭和であるが)と言われんばかりの耽美派人気作家・美倉洋介(稲垣吾郎)がスランプに陥っている最中、路上で酔いつぶれた少女ばるぼら(二階堂ふみ)を拾ったのが腐れ縁の始まり。酒ばかり飲んで何処へともなく消えては戻るを繰り返す彼女だが、その魔性の美しさに彼の創作欲は搔き立てられる。
が、本物の魔力を持つらしいばるぼらは人形を使って、彼に推薦文を書いてもらおうとする議員を呪い殺し、口を挟んでくる編集者の加奈子(石橋静河)を交通事故に遭わせる。議員の娘・志賀子(美波)は二人の関係を潰そうと追手を遣わし、その結果洋介とばるぼらの黒魔術による結婚式の現場に警察が踏み込む。
黒魔術ではなく、麻薬吸引で逮捕された(とされた)彼は仕事を干され、幾ばくか後、再発見したばるぼらを連れて山地へ逃避行に出る。が、彼女は首を絞めた作家に抵抗された時に頭を打って、入り込んだ別荘で死ぬ。彼は彼女のことを小説に書き始める。
映画はここで終るので極めて曖昧な印象が強いが、原作では作品は売れたものの作者は杳として行方が知れない、という終わり方をしているらしい。明らかにこの方が落着として座りが良い。勿論、映画版の方もそう想像して出来なくはないが、出だしと同じナラタージュ(小説の書き出し)だけでそこまで想像の翼が広げられるかは些か疑問である。
コミックでは珍しいのかもしれない(僕は名だたるコミック音痴)が、小説や映画ではよくあるタイプのファム・ファタールものと言って良い。しかるに、作劇におけるキモが僕には見当たらない。作品の性格もはっきりしないような気がする。
薄汚れた市井を映す町の描写は悪くないが、現代日本のお話に黒魔術が出て来るのは余りに現実感が薄い。最後は「テス」(1979年)のようなロマン的逃避行となるも、死姦が出て来てその気分もぶち壊し。やはり、もっと主人公のヒロインに寄せる思いが浮き彫りにさせる幕切れにしてくれないと、落ち着きのない100分という印象だけに終わりかねない。
但し、作家が序盤と人形と交わる場面があるところから推して、ばるぼらやその周辺が作家の脳内の住人と考えられないでもない。それが正解であれば、以上の問題点は無視できるわけである。ではあったとしても、作品の曖昧さは依然回避できず、そう褒められないことに変わりはない。
僕が一番気に入ったのは、ジャズで通した橋本一子による背景音楽。1960年代初めくらいのハード・バップから60年代中盤くらいに流行ったアヴァンギャルド・ジャズを思わせ、聴き応えがある。
ばるぼらは、Barbaraらしい。ぼら(魚)の一種ではない(当たり前)。
この記事へのコメント
当時は、僕は彼女の名前も知らず、個性的なタッチよりもその美貌のほうに驚かされました(現在も美人です)
翌、81年に、その頃はまだ毒気に満ち溢れていた(笑)谷山浩子のコンサートで再び橋本一子と遭遇・・。
以来、つかず離れずの関係でして(爆)5~6年周期で僕の音楽ワードローブに入っています。
彼女の代表的なアルバムは、マイルス・デイビスへのオマージュといわれ、お堅いジャズファンや専門誌の評価もおおむね好評だった『MILES AWAY』になるのでしょうが、僕の好きなのは、フィリップ.K.ディック、J.Gバラード、スティーブ・エリクソンら5人のハードSF作家に捧げた『Phantasmagoria ~幻覚者たち~ 』ですかね。
日本は、何を隠そうジャズ先進国で、本国よりも海外で人気のある演奏家も多いですよね。
>橋本一子
>当時は、僕は彼女の名前も知らず、個性的なタッチよりもその美貌
詳細は知らなかったのですが、YouTubeに出て来たレコードのジャケットは、購読していた「レコパル」で観たことがありました。
幅広い活動をしている方ですねえ。
>ハードSF作家に捧げた『Phantasmagoria ~幻覚者たち~ 』ですかね。
YouTubeにありましたので、冒頭のほうだけ聴いてみました。
最近よく聴くレディオヘッドの一部の曲がこんな感じです。
>日本は、何を隠そうジャズ先進国で、
>本国よりも海外で人気のある演奏家も多いですよね。
良いミュージシャンは多いですよ。
しかし、愛用しているAllmucisという音楽サイトで、僕が知っている日本のジャズ演奏家のレコードは紹介されているものの、評価を下されていないものが多いのは残念です。