映画評「ハワーズ・エンド」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1992年イギリス=日本合作映画 監督ジェームズ・アイヴォリー
ネタバレあり

E・M・フォースターは20世紀前半における重要な作家であるが、日本では余りお馴染みではなかったのではないか。かく言う僕自身、デーヴィッド・リーン監督「インドへの道」(1984年)で紹介されるまで全く知らなかった。その翌年「眺めのいい部屋」(1985年)が公開されて、フォースターの名前は僕の頭にしっかり定着した。
 かの作品を監督したジェームズ・アイヴォリーは「モーリス」(1987年)そして本作と続けてフォースターを映画化。脚本(脚色)も「眺めのいい部屋」に続いてルース・ブラワー・シャブヴァーラで、アイヴォリーの作品は大半がこの人の脚本・脚色であり、逆に彼女の脚本は殆どアイヴォリーが監督している。

前回観たのは多分1993年頃のWOWOWと思う。

原作が書かれた20世紀初めの英国。
 自由主義的な思想を持つ中産階級のインテリ女性ヘレン・シュレーゲル(ヘレナ・ボナム・カーター)が、実業家ヘンリー・ウィルコックス(アンソニー・ホプキンズ)の所有する別宅ハワーズ・エンドで懇意になったその次男ポールと結婚すると実家に手紙を送るのが発端。彼女は両親に死なれ、姉マーガレット(エマ・トンプスン)や弟、叔母と暮らしている。
 心配する叔母が慌てて同地へかけつけるが、到着以前に婚約を解消する。

既に指摘されているように、姉が駆けつけて婚約解消(ポールの態度)に逆上というAllcinemaの梗概紹介は間違い。しかしその間違いを指摘した御仁の説明も少し足りない。一家の者で婚約解消に怒った人は一人もいない。一早く現地へ向かった叔母その人も、描写こそされないものの、ホッとしたのだ。彼女はそもそも止めさせようと駆けつけたのだから。

妹に比べるとおっとりしたマーガレットはヘンリーの妻ルース(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)に気に入られ、夫人は亡くなる前に彼女に宛てて“ハワーズ・エンド”を譲ると書く。それを知ったヘンリーや長男チャールズ(ジェームズ・ウィルビー)の夫婦や長女はメモに意味はないとして焼却する。
 ルースの死後、マーガレットが色々と交流するうちにヘンリーの後妻になることが決まると同時に、彼が若い時に愛人にしていた女性の夫レナード(サミュエル・ウェスト)と、ヘレンが以前に迷惑をかけたという思いから色々と世話を焼くうち同病相憐れむようなところもあって結ばれ、ヘレンはドイツへ出た後ハワーズ・エンドに呼び戻される。帰国したヘレンが妊娠したことが判明し、レナードが彼女を追って同地へ現れると、チャールズが有無を言わせずに打擲し死に至らしめる。
 この事件で没落を意識したヘンリーは自分の死後ハワーズ・エンドをマーガレットに譲ると決める。かくして別荘の所有者になった彼女は妹とその子供の面倒を見るのだ。

女性に相続権のなかった英国は、丁度この作品が発表された頃、相続権に関する法律を変え、女性も相続できるようになった、と記憶する。それを背景にしているかもしれないお話で、そのせいか、人物の交流ぶりに、100年前に相続権がないことを背景に書かれたジェーン・オースティンの「高慢(自負)と偏見」を思わせる雰囲気がないでもない。
 違うのは、あちらがブルジョワ階級内のお話であったのに対し、こちらでは中流階級に上下階層が絡んで、社会全体を見渡そうという目的性がはっきり見えることである。

物語の結構としては、端なくもウィルコックスのメンバーたちが認めるように、運命論的に見えるが、人が何をやっても運命は変わらないのだと言わんばかりのフランス的な運命論と違って、もっとあっけらかんとしている。

カメラもアイヴォリーの作品群のような英国貴族調(僕の作った言葉)にふさわしい悠揚迫らぬ堂々たる動かし方で見応えたっぷり。技法として印象的なのは、ワイプに近い使い方のフェイドアウトを畳みかけるシークエンスで、同じ時間経過を表現するにしてもワイプに品がないのに比べ、実に上品である。

極めて英国的な顔ぶれの揃った演技陣が充実しているので、アンサンブルを堪能すると良いでありましょう。

原作を読んでから書くつもりもなくはなかったが、新作のタマが切れた時に手に取ったディスクに本作が入っていたという理由だけで観たのだった。

この記事へのコメント

2021年06月30日 16:40
同じ監督、同じ主演の「日の名残り」のような作品を期待して観ましたが、ちょっと違うテイストでした。原作者が違うし、テーマも違いますからね。
「眺めのいい部屋」の方が似ているといっていいでしょう。

>物語の結構としては・・・・、運命論的に見えるが、人が何をやっても運命は変わらないのだと言わんばかりのフランス的な運命論と違って、もっとあっけらかんとしている。

僕は『結局は元の持ち主ルースの望んだようになって、この物語が人の世の不思議さを描き出したようになってるけど、色々と無理くりな設定、展開が感じられ』たと書いています。
モカ
2021年06月30日 17:17
こんにちは。
私も上の方と同じように感じました。姉妹を演じたお二人が天然の良い人キャラを上手く演じておられるので、一瞬だまされそうにはなりましたが…
原作を読んでいないので作者の意図は分かりませんが、終盤に近付きレナードの扱いに困った作者が「死なせてしまえ、そしてあの感じの悪い息子を傷害致死罪で刑務所に放り込んだら、一挙両得万事丸く収まる」のように計算したのではないかと…
可哀想なレナード、たった1本の傘の為にこんな事になってしまって。1本の傘を失くしても困る階級と他人の傘を平気で持って帰ってもその痛みの分からない階級の人間が関わった悲劇でしょうかね。
オカピー
2021年06月30日 21:31
十瑠さん、こんにちは。

>「眺めのいい部屋」の方が似ているといっていいでしょう。

そうですね。
原作者が同じ「眺めのいい部屋」と「インドへの道」は、異郷に心理的に大きな影響を受ける女性という共通点があり、そこにはフォースターが据えた、対立するものが融和するというテーマがあると思います。

>色々と無理くりな設定

純文学というのは、自然主義でなければ、人間をモルモットにするので、そういう傾向があるかもしれませんね。

で、対立(相対)するものの融和というテーマをフォースターが最初に考えたとすれば、モカさんの指摘とは逆に、幕切れで下層階級と中産階級の血を引く子供がハワーズ・エンドで育てられることが最初に考えられ、そこからお話が考え出されたような気もします。
オカピー
2021年06月30日 21:47
モカさん、こんにちは。

>原作を読んでいないので作者の意図は分かりませんが

僕もフォースターは「インドへの道」しか読んでいませんが、十瑠さんへのレスでも述べたように、映画化されたものを見ると彼は対立するものの融和を生涯のテーマにしていたことが伺われるわけです。
 すると、中産階級と下層階級の血を引く子供が、最上等の中流階級の屋敷に住むことになるという幕切れが最初に考え出され、そこから演繹的にお話が考えられたのではないかとも思われる次第。

下半期で原作を読んでみれば、もう少しはっきりすると思います。

>レナードの扱いに困った作者

これで思い出すのは、香港映画「過ぎゆく時の中で」。もう一本を見る為とは言え、映画館で観たのが腹の立つくらいひどい映画。再会した妻と愛が再燃するお話ですが、突然バイク・レーサーの主人公が事故死して終わり。レーサーだから死んでも不思議ではないものの、展開上の必然もなく、これくらい無理に主人公を殺した映画を僕は知りません。思い出しても腹が立つ。
モカ
2021年07月01日 15:23
こんにちは。
英国の映画や小説には日本人には分かりにくい階級意識が縦横に張り巡らされているようですね。ミルクティーを飲む場面でミルクをいつ入れるかでも階級がわかるとか。これは上の方と下の方の2階級に共通しているらしく、思うに上流とそこの使用人が同じ習慣を身につけてしまったのかもです。

新井潤美著 「不機嫌なメアリーポピンズ イギリス小説と映画から読む『階級』」
未読ならお勧めします。新書なのでそこまで深く掘り下げて書いてはいませんが、面白かったです。たしか「眺めの良い部屋」も俎上に上がっていましたがこれに関してはどんな事が書かれていたか忘れました。意外だったのがファウルズの「コレクター」で、これは昔本も読みましたが今でいうストーカー物としか認識していませんでした。

映画の話に戻りますが最大の疑問はマーガレットがどうしてヘンリーと結婚したのか?なんです。 何でです? (笑)
オカピー
2021年07月01日 17:36
モカさん、こんにちは。

>英国の映画や小説には日本人には分かりにくい階級意識が縦横に張り巡らされているようですね。

欧州でも英国がその傾向が強いような気がします。
 一番弱いのは恐らくイタリアで、少なくとも職業に対する貴賤意識が低いようです(ロシアのゲルツェンの感想)。
 職業に対する貴賤意識と言えば、上半期末にウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んだところ、どうも職業を召命(calling=職業)と考えるところから、欧州ではインドのカースト制同様に固定しがちだったということが解りました。これなども面白いデス。

>ミルクティーを飲む場面でミルクをいつ入れるかでも階級がわかる

勉強になりますねえ^^

>新井潤美著 「不機嫌なメアリーポピンズ イギリス小説と映画から読む『階級』」

ふーん、県立にも通っている町の図書館にも(勿論山の図書館にも)蔵書されていません。県下に一つだけ蔵書している図書館があり、面倒臭い手続きをすれば借りられるはずですが、コロナ禍下(コロナ禍で、という言い方は多くの場合間違いなので、言葉に五月蠅い僕はこんな言い方をします)で、現在はちと避けたい気分。安いから買えって・・・あはは。

>映画の話に戻りますが最大の疑問はマーガレットがどうしてヘンリーと
>結婚したのか?なんです。 何でです? (笑)

短くはない原作を読めば(これは下半期も早々に読まないといけない雰囲気になってきました)もう少し正確に解ると思いますが、直情的で自分に正直なヘレン(観客には余り良い印象をもたらさないタイプ)に対し、マーガレットは一見おっとりしています(観客には好かれやすい)が、結構打算的なのだと思います。家を探していたわけですから。ヘレンがレナード夫妻を連れて来た時の態度の変化を見ると頭の中で色々と考えていたような気がします。

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